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カテ違いかもしれませんが、両氏が親しかったというのは記録に載っているのでしょうか。対談の記録があるとか。

A 回答 (2件)

往復書間があるそうです。



>1911年(明治44)2月、熊楠が『人類学会雑誌』に「山神オコゼを好む」を発表したことが契機となり、熊楠に民俗学上の質問の手紙を出し、熊楠がそれに詳しく答えたりして、盛んに文通が行われ、この2人の交流は初期の日本民俗学の発展に大きな役割をはたした。
1913年(大正2)の年末には、柳田は田辺まで熊楠を訪ねてきている。
http://www.minakatakumagusu-kinenkan.jp/kumagusu …

往復書間集という書籍もあるようです。
http://www.kosho.jp/list/011/03364643.html
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この回答へのお礼

あー、やっぱりあるのですね。書籍まで。
多分図書館で、書簡集というのを見た記憶があったのだと思います、私の中に。
これで少しすっきりしました。図書館で手に入ればいとど読んでみたいですね。当時の両雄がどんな話をしあったのか。ありがとうございました。

お礼日時:2006/11/30 09:14

薄覚えですが、たしか手紙のやり取りなど結構やったような事、何かで読んだような気がします。

それで柳田が和歌山の南方を訪問する事になって、その南方が興奮のあまり酒をかなりのんだとか・・・お互いに尊敬しあっていたと、そういう風に、その文章は紹介していました。すみません、こんな記憶で。

この回答への補足

私も何かそうのような記憶があって、具体的ではないのですが--それで質問しました。ありがとうございました。

補足日時:2006/11/30 09:11
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