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こんにちは。ふとした疑問を感じたので質問させて頂きます。

経験というものが人間を成長させてくれたりしますよね。いろんな仕事をして、いろんな体験をすれば自分の中で肥やしになって自分を成長させてくれたりすると思うのですが、一方色々な仕事をやっても何も人間的に変わらない人もいます。(仕事にかぎらず、ですが)
これはどうしてなのでしょう?
素朴な疑問なのですがご回答よろしくお願いいたします。

A 回答 (10件)

こんばんは。



わたしもそれは深く感じます・・

やはり、皆さんおっしゃるように、同じ経験をしても、見ているものが違う、根底にある意識が違うのだと思います。

お年寄りとなったときに、大きく言うと二つにわかれると思うんです。
片方は、だんだんと寛容になり、そうかそうかと話を聞いてくれるなる人。
片方は、だんだんとかたくなになり、自分を哀れみ、常に怒っている人。

前者は、愛に目を向ける選択をした人、後者は、恨む事を選択しつづけてきた人、かな、と思います。

もちろん、それぞれのいきさつはあると思いますが・・
たくさんのチョイスをしてきた結果、最後には大きく別芳香へ行ってしまっているのですよね (ノ_・。)

私自身、人を恨み、社会を恨み、自分の人生を恨んじゃってた、かなり最悪な感じだったんですが・・・いまようやく愛にめざめたばかり、みたいな状態です^^信じてこちら側へ飛び込む選択をしました。傷つくこともあるけれど、本当に大切なことが得られる喜びは、それよりずっと大きいです。

あとは、なんというか・・
「やらない」と「できない(させてくれない)」を混同してる人、多いと思います。これは年をとると増えてくるようにも感じます。
本当は、自分で「やらない」を選択しているのに、
「そんなことできっこない」「状況がゆるさない」と思い込み、
「できない」と何かを恨んだまま、試してもみない人たちが多すぎる。

私は、いろんなものなくしたので、今そう思うのかもしれませんが、
現状に満足でもないけれど、失いたくない恐れで
いっぱいになっているとき、
「やらない」を「できない」にして、
「成長しない」も「成長できない」にしちゃってるのかな、と思います。そうやっているうちに自分では動けないくらいに
固まってきちゃった、みたいな人も見かけます。
払う代償よりも、得るものの方が大きいのだと信じて、大切にして、
前にすすむ、ちょびっとの勇気ですよね、いつも必要なのは。
子供のころは、いつもそうだったように思えます。

えらそうなことを申しましたが、
私もいつも、勇気を出すのは必死です 汗
そのたび、迷いますが、「やりたい」と心の奥でささやきがあると、
いつも勇気出して飛び込んだ方がいい結果が出るんです。
これはもう、神様の声だと思います。

週休二日制のために、もともと少ない道徳の時間を削ってあてている学校もあるそうですが、
人間としての成長のことこそ、最優先に教わることができる社会となるよう、あなたのように、そのことを心に思う方が増えるよう、祈っています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
とても共感できる回答でびっくりしました。
私も、恨んでいる人の中に成長した人を見たことがないのです。人を恨む気持ちというのは、成長を止めてしまう効果があるんだなぁとしみじみ思います。
愛するという選択は許すという選択なのかなぁと思いました。許す・・・というか、乗り越える!ということでしょうか。
とはいえ恨みを乗り越えることは物凄く大変なことですが・・・
自分が年をとったときに寛容な自分でありたいです。

お礼日時:2006/12/08 05:57

こんにちは。

#6です。早速のお礼ありがとうございます。
また、共感いただけて、すごくうれしいです・・
ほんとに、この世も捨てたものではないですね。

はい、おっしゃるように、愛する=ゆるす だと思います。
しかも、私に言ってくれた人が、
「ゆるすことは、feelingじゃない、choiceなんだ」といってくれて、
私は、私の人生で一番恨んでいた人である、自分の父をゆるす、とその人の前でいいました。
今は、少しずつですが、父との関係がよくなっていて、本当に感謝しています。父も、私と同じ、恨むタイプ、だったのですが、どうも今はちょっと違ってきているようにも見えます。

愛する、許す、選択すること=成長する

恨む、自分を哀れむ、感情に流される=成長しない、なのかな。

あなたと話していて、そう思いました。
ずっと恨み続けている人の中に、人間的に成長している人が見られない、というのは、言われてみれば当たっていると思います。
私も、一番のネックだった父をゆるすことによって、一気に自分を縛っていた鎖がほどけたように感じていますから。鎖の先には、一番重い錘がついていて、恨みをすててゆるし、それをほどいたら、自分が損するような気がしていたのです。
私はあの人に大きな貸しがあるの、あの人は私に償わなければいけない、そうでないと私の人生は大損だ、て、ずっと思ってました。
あの苦しみを、生涯ひきずる人が、1人でも少なくなるように・・・

私が、ゆるすという選択をした一番のきっかけは、クリスチャンになったことでした。
あなたのしてほしいように、他の人にもしてあげなさい、といった言葉や、
私の負い目が、私が他の人を許すように、許されますように。と日々お祈りしています。

もうすぐクリスマスですが、ご興味があれば、お近くの教会でクリスマスを過ごされてはいかがでしょうか。聖歌隊が賛美の歌を歌ったり、牧師さんがお話をしたり、クリスマスとはどういうものなのか、紙芝居や劇を行うところもあるようです。

ちょっとお話がずれましたが、たいへんすてきな質問をしてくださり、私も勘当です。感謝します。
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この回答へのお礼

こちらこそありがとうございます。
実はといいますか、私もクリスチャンだったりします。にわかクリスチャンですけどね。
クリスチャンもさまざまですが(自分の宗派が正しいとか譲らない人もいるし)わたしはキリスト教には許すという概念があることがすきです。許す、だとちょっと傲慢ですかね…人を愛しましょうという意識です。
私が変わっているように見えない人は、恨みが強い人だったのかもしれません。kanakyu-様のおっしゃる通り、できないことを誰かのせいにしていたりとか。自分を恨んだりとか。
社会とか人を恨んだり責めたりすると結果的に自分を責めてしまうんですよね・・・。祖母も凄く恨みが強かったです。
あまり結果が出なくても頑張っている方は、得るものを得ているし(精神的なもので)、いろいろ回り道してみても、結果的にはプラスであると思います。
私もまだまだ弱い自分だとおもうのでみなさまのご回答を踏まえてまた成長していきたいとおもいます。
素朴な疑問に答えていただいてありがとうございました!

お礼日時:2006/12/08 10:02

専門家ではありませんが理論的な意見をさせていただきます。

貴方は仕事や生活の中でケアレスミスやど忘れなど短ー中期の間で起きてしまった事はありませんか?人間の記憶には短期記憶、中期記憶、長期記憶などをそれぞれ司る記憶領域があると聞いた事があります。そこに記憶として印象深く記憶できるかどうかという事とその記憶を同じような状況で引き出せるか、またその時の判断に関しての答えを心理状態や意識レベルに関わらず前向きに出せているか等の複雑な段階を通じて行動や結果として残していくわけですが毎回同じ結果ないならないのは大多数の方の記憶にあることと思われます。同じ状況で同じ結果にならないから成長していないという事もあるわけですが、だからといって成長していないと判断する周りの人が正しいともいえないわけです。成長と一言で言っても先に述べたように複雑な環境や感情、脳の理解度や精度の中で目に見えるのは環境くらいなものでその一つを見て「あの人は成長していない」などと言い切る人は視野の狭い人とも言えます。行動の成長に至るまでに内面の複雑な経過をそれぞれ自身の管理能力下によって状況に適応させることも成長ですが、その環境や状況が不自然である場合もありますのでわざわざその不自然な状況に合わせる事が成長と言えるのか疑問とも思われます。逆に行動は成長したように見えても内面が成長していないという現象も起こりうるわけですが、長期的に見た場合この現象は恋愛などの過程で猫を被ったなどという表現で表されることもあるわけです。総合的な成長、バランスの善い成長が理想なのでしょうが悩みや葛藤、しがらみや様々な環境下ではたして常に完璧な対応が出来る人がいるのでしょうか?完璧でないから成長できるわけです。えてして他人からの評価は行動としてしか見られない傾向にあるので実質的には適応能力=成長の図式になりがちですがそれが全てでない事を補足として記載させて頂きました。どこが成長したかはご自身のご判断に最終的になるということでしょうか。
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この回答へのお礼

論理的な説明をありがとうございます。
えっと・・・ちょっとわかりづらかったのですが、確かにですね。同じことをやっても結果が出る出ないは個人差があると思います。
私は同じことをやって同じ結果が出ないのは何故と責めているわけではないし、まったく何も成長していないだろうと思うことも確かに視野が狭いと言えるかもしれません。
わたしの身内のことですが本当に我侭なまま、孤独のまま人生を終えた人もおりますので(100歳で亡くなりました)そんな悲しい生涯を送った人を知りながら「人それぞれ」とは私は言い切れないとこがあります。何か原因があるだろうと。
と・・・水掛論になりそうなのでこのへんで・・・

お礼日時:2006/12/08 09:26

仕事や他の事に対して無意識・無関心だとか興味がなければ何のプラスにもならないんじゃないかなと思いました。

(たぶん…)
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この回答へのお礼

そうですね。お金を稼げれば良いという気持ちであれば精神的な成長などはないかも知れないですね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/12/08 09:27

 NO.2のsuccessです。

 
 「経験が理屈に・・・ですか。
それは自分が体験してそうだったから、絶対こうなんだ!ってかたくなになってしまうことでしょうか。」
◎「自分はこんなに苦労しているから」、「経験があるから」と前置きがあり長々と理屈を話す人間です。疲れるし、怒りの感情も治まらなくなってきれたことも;;;;;
 「20世紀歌というのは1990年代くらいの歌のことでしょうか?」
◎こちらのご規則で書いていいのでしょうか?一応書かせていただきますね♪はっきりと覚えているのは「両手いっぱいのメモリー」by1988渡辺 美奈代様と「君がいるだけで」by1992K2C(米米CLUB)様です♪
「私は人の気持ちがわかる自分になっていきたいです。」
◎自分も人の気持ちを考える思いやりのある人間になっていきたいです☆
 経験、体験は人間個人個人にしか出来ないものだからこそ考えも感じ方も違うからこそ、自分の成長の過程として非常に大切で重要です!けれど他の人に押しつけるのはいけないと思うんですよね☆
 早速お礼をいただきありがとうございましたm(_ _)m

 
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この回答へのお礼

両手いっぱいのメモリーは歌詞を見ることができませんでしたが、君がいるだけでは知っていますよ!であった時からお互い変わってしまったね・・・みたいな感じの(ちょっと違う?!)
自分がいろいろ経験したからといってそれと他に自分と違う悩みを持っている人に対して自分の物差しでそうじゃないと言っても、実際受け入れられないですよね。相手と一緒に考えてあげることが大事だったりとか・・・
私は自分とは違う体験を聞くことでそれを自分に取り入れることができて一石二鳥だなぁと感じたりしています。
ここでのいろいろな意見もためになります。本当にみんな違うことを言っているのでいろんな人がいるんだなぁと・・・
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/12/08 09:38

自分の意見ですが


人によって見てる世界が違いますよね。

たとえば、帰国子女の人と一緒に英語で映画を見るとします。
その人と自分はどんなによい映画を観ても情報量が違うし(聴覚情報の差)、絶対に同じ経験はできません。
良い映画を見終わった後、
帰国子女さんは深い感動に包まれているでしょう。
自分は「なんかこの映画よさげだな?」くらいにしか感じ取れないかもしれません。

他には、たとえば僕はサッカーのワールドカップとか見てても…
ここで目立っている人たちは俺じゃないし…とか言ってチャンネルを変えちゃいます(笑)超自己中ですが。感動してのめりこむ人の方が多いです。

要はタイミングだと思います。
小学生に微分の話をしても意味ないですし。
数学好きの高校生に微分の話をしたら喜ぶかもしれませんし。

どんな事柄にも人それぞれレベルがあって、その経験を吸収できる人、できない人っていうのがいると思ってます。

だから同じ仕事上で経験しても
ある人は「これはすごいぞ」って思うかもしれないし
ある人にとってはちんぷんかんぷんかもしれないし
レベルに達してても、その時たまたま恋の悩みをかかえてて、その経験を受け入れる土台ができてなかったり。

でも他の皆さんがおっしゃるとおり、経験を生かそうとする主体性は絶対必要です。それを踏まえた上で、吸収できることがら、できないことがらが存在すると考えてます。

要は… できることからやりましょ っていう言葉につながるんですけどね。
昔この手の話を
「7つの習慣」という本で読んだことがあります。興味がおありならぜひ読んでみてください。
長文失礼しました。
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この回答へのお礼

ふむふむ。見えている世界・・・ですか。
いわゆるキャパオーバーみたいな感じなのかな。
確かにいろんなこと抱えていると目の前のことに集中できないし、吸収できない・・・そんな時期わたしにもありました。(大体そんなときは何も吸収できなかったです。)
どんな自分になっていきたいか、具体的な目標とそれに向けた向上心は不可欠ということですね。
具体的な回答をありがとうございました。(7つの習慣は、読んでみたいとおもいます。アマゾンのレビューがすごいですね!)

お礼日時:2006/12/08 05:41

きっと・・・


同じ経験・体験でも人によって受けとり方が違うよ~に成長速度も違うんじゃないでしょうか?

geminixxさんから見て変わらない人も実は・・・成長してるのかもしれません。
ただ、成長がものすご~~くゆっくりなので変わってないよ~に見えるだけ。いつか変わる!

自分はそう信じてます(願ってますwかも)
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この回答へのお礼

そうですよね!
いろんな人がいて、成長するのだって個人差があって当たり前なんですよね。
それなのに自分の物差しで「成長してないようにみえる・・・」だなんて。
はずかしい限りです。
この疑問は、「私はこういうとこに気づいたの、最近・・・」と良く言う知り合いがいて、「ん?それこないだも言ってなかった?」とか思ったり、「あれ?それ乗り越えたんじゃなかった?同じことまたしてない?(5回目くらい)」という疑問からきたものだったので、なぜなんだろうか~とずっと疑問だったことだったんです。
きっとどこかは成長してるんだよね・・・

お礼日時:2006/12/08 05:33

「経験から学ぶ意欲があるかどうか」というのは凄く大きいと思います。



月並みかもしれませんが、「まなぶ」は「まねる」から来ています。
「まねる」というのは決して受動的ではなく、能動的な行いといえるでしょう。
自らが動かなければ「まねる」ことは出来ません。
つまり、経験から何かを学ぶには積極的な思考が必要なのだと思います。

差は、経験に対し積極的に向上心をもってあたっているかどうかという点ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
経験から何かを学ぼう!というこころの姿勢が肝心なのだなと感じました。

積極的な思考!というのは起きた現実を受け入れなければ始まらないことですよね。女性は起きたできごとをなかったことのように捕らえる傾向がある人が相当数いるので、ここから経験から学べないに繋がるのだろうか、と思いました。
何かあまり変わってないような気がする、と思える方はとてもアクティブな方で、むしろ仕事など積極的に動くのですが、確かに経験から何かを学ぶ姿勢は感じなかったです。む、難しいですね…

お礼日時:2006/12/08 05:23

 おはようございます。

はじめまして。
 経験が理屈になってしまう人間もいますよ(汗;;;;;
 人間は誰一人として全く一緒の経験をする人間はいないのに……。一緒の経験をしても考え方、感じ方はひとそれぞれなのに……。
 自分の素朴な疑問なのですが、≪20世紀歌≫の中では変わらないことが良好とされる歌が多いのに対し、≪21世紀歌≫の中では変ることが良好とされるものが多くなってきているように感じます♪
 これは時代なのかな?
PS.自分的には、向上心を持ち成長し続けることだと思います。

 
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この回答へのお礼

経験が理屈に・・・ですか。
それは自分が体験してそうだったから、絶対こうなんだ!ってかたくなになってしまうことでしょうか。
20世紀歌というのは1990年代くらいの歌のことでしょうか?
時代とともに価値観は変わってゆくものですね・・・だからといって全体的によくなっているかといえば?ですけども。変わらない価値観みたいなものは、個人的にはあると思ってます。
私は人の気持ちがわかる自分になっていきたいです。

お礼日時:2006/12/08 04:58

確かに経験が成長を助けてくれると思いますが、それは人それぞれかと


思います。経験で成長がない人がいたのであれば、個人的意見ですが
それは、その人が自分が成長しようという意欲や意識がないからなのではないでしょうか。
僕はそう考えます。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
人はみんな「こうなりたい、ああなりたい」と願ったりするものだと思ったのですが、成長しようという意欲がない・・・ですか。ふ~む。
ひょっとすると「周りに自分の思うように変わって欲しい」と願っているということでしょうか?

お礼日時:2006/12/08 04:50

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