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英和辞典で Grapes of Wrath というのがのっていました。「神の怒りの象徴」だそうですが、なぜそうなるのでしょうか。

A 回答 (3件)

 


  No.3 の人の参照URLに簡単に列挙されていますが、古代イスラエル人にとって、葡萄畑、葡萄の実、葡萄の木、葡萄酒、葡萄酒の生産過程などは、特別な意味を持っていたのです。葡萄は、イチジク、ザクロ、オリーヴなどと並んでポピュラーな果実ですが、特に、発酵によって「葡萄酒」ができるので、特別な意味を持ちます。
 
  古代オリエントでは、アルコール飲料は、当時は「蒸留酒」がなかったので、「発酵酒」となり、果実酒と穀物酒となり、それぞれ、葡萄酒と、小麦から作るビールが代表となります。葡萄酒の方が、製法から、アルコール濃度が高かったはずです(葡萄酒は絞った葡萄の液を置いておいて発酵させるのですが、ビールは、水を加えて発酵させるので、結果的に、ビールの水分が多くなるのです)。
 
  酔いによって人々を陶酔させる酒としては、アルコール濃度の高い葡萄酒が使われたのです。ビールはアルコールも含むが栄養もある食物の一種で、それに対し、葡萄酒は、食物・飲料でもあったが、その酔いに意味があり、宗教的価値があったのです。
 
  神に捧げる酒とか、その酔いの至福を称える詩が書かれた酒とは、葡萄酒のことで、ビールではありません。ホメーロスがうたう所では、古代ギリシア人は、葡萄酒を水で割って飲んだようで、蒸留酒を水で割るのなら分かりますが、果実発酵酒の葡萄酒を水で割るというのは、生粋の葡萄酒のアルコール濃度の高さが、それだけ評価されていたのです。
 
  古代オリエントで葡萄酒を造る時は、収穫した葡萄の実を、大きな桶に入れます。これを男達が裸足で、踏みつぶし押しつぶします。葡萄の汁は赤いですから、裸足の足は真っ赤になり、桶の底には、血が溜まったような状況になります。こうして潰した葡萄液と葡萄の皮を一緒にして保存し、発酵を待ちます。発酵の前に、葡萄の皮を取り除くと、発酵しません。皮に発酵菌が付いているのです。
 
  世界中の文化でそうですが、酒は一般に「生命・生気の凝縮」と見做されます。アルコールを英語で、spirit と言いますが、これは「霊」という意味です。人間の「血」もまた、生命・生気の凝縮と見做されています。
 
  葡萄酒は、「酒」であると同時に、見かけからすると、「血」のようにも見えるのです。葡萄酒は、「血+酒精」で、二重の意味で「生命の凝縮」だと言えます。古代ギリシアで、葡萄酒は神だとされたのも当然だとも言えます。
 
  古代オリエントで、食事というと、「パンとビール」になります。これにエジプトなら魚や肉が付いたり、オリエント一般では、肉が付きます。しかし、貧しい人には、肉がないことが多かったでしょう。
 
  キリスト教の聖餐では、「パンと葡萄酒」になりますが、「パン」は、日常、肉体・物質・この世界を象徴し、「葡萄酒」は、非日常=聖、霊魂・精神・彼方の世界を象徴します。イエズスは、この葡萄酒は、わたしの「血」であるとも言っています。
 
  イエズスの譬え話には、葡萄の苑や、葡萄酒の話などが色々出てきます。それだけ、古代イスラエル人には、葡萄は身近でかつ聖なるものだったのです。
 
  ところで、イスラエルの神ヤハウェは、非合理的に、怒りにまかせて、よく人を、善人も悪人も関係なく、皆殺しにするので、有名です。ヤハウェは、「平和や愛や赦しの神」ではなく、「戦争や憎しみや契約や義や罰の神」なのです。ヤハウェは、何か気にいらないと言っては、無辜の人を多数、殺すことが多く、殺してから後悔などもするのですが、殺した人が生き返る訳ではありません。
 
  ヤハウェのこの気まぐれな殺戮は、丁度、葡萄酒を造る時、桶に入れた葡萄の実を、男達が足で踏みつぶすのと似た所があるのです。葡萄にとって、踏みつぶされることに抵抗するすべはない訳で、踏みつぶされると、一面の赤い汁の海となります。ヤハウェが、誰彼の区別なく、人々を踏み殺して、血の海を後に残すのです。
 
  ヤハウェが、契約を主張し、守れと激しくイスラエルの民に迫り責めながら、他方で、自分は契約を平気で破り、気まぐれに腹を立てては人を大量に殺す神であるので、無辜の信者も、災難としか諦めるしかない訳で、こんな不合理な神はいないので、そこから、イスラエルの聖典『旧約聖書』で、「神の怒りの葡萄」という比喩が、葡萄酒の製作過程での状況とも重なって造られ、慣用表現になったのだと思います。
 
  他の文化で、「神の怒りの葡萄」のように、「神の怒り」を特に「葡萄」と結びつける例があまりないからです(わたしは少なくとも知りません)。
 
  ユダヤ人の伝統の比喩を、キリスト教が『新約聖書』のなかで継承し、西欧文化が更にそれを継承したということでしょう。
  
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この回答へのお礼

これは勉強が大変そうです。21世紀研究会発行「人名の世界地図」「地名の世界地図」を購入して、オリエント文化を1から勉強しようとしているところです。有り難うございました。

お礼日時:2002/05/04 19:59

怒りのぶどうは聖書の言葉ですが、この言葉を有名にしたのはアメリカの30年代の傑作小説『怒りの葡萄』スタインベック著と同名の映画です。



1929年に始ったアメリカの大不況と農村まで進出してきた資本主義(機械化農業)という時代背景の中、中西部に起こった大きな砂嵐によって農地を追われた何十万人もの貧しい農民。彼らは気候が温暖で仕事も多いといわれるカリフォルニアに集結する。しかし、そこでは労働力が余り、労賃が下がり仕事を奪い合う社会が待っていた。悲惨な生活を強いられた農民達がカリフォルニアで育てたものは『怒りの葡萄』だったという粗筋です。

この小説では信心深い農民達と聖書の言葉、そして果物が豊かに実るカリフォルニア、30年代の不況にあえぐアメリカという舞台背景が理解されなければ、分かりにくい小説(映画)となっています。
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この回答へのお礼

恥ずかしながら、私は英文学科出身です。大学にいる頃からもっと勉強していればよかったです。

お礼日時:2002/05/04 19:56

ローマ帝国では、キリスト教受難の象徴が葡萄であったといわれています。


その元となる記述の一つがイザヤ書です。
 
【旧約イザヤ書ーぶどう畑の歌】
(1)わたしは歌おう、わたしの愛する者のために
そのぶどう畑の愛の歌を。
わたしの愛する者は、肥沃な丘に
ぶどう畑を持っていた。
(2)よく耕して石を除き、良いぶどうを植えた。
その真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを掘り
良いぶどうが実るのを待った。
しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった。
(3)さあ、エルサレムに住む人、ユダの人よ
わたしとわたしのぶどう畑の間を裁いてみよ。
(4)わたしがぶどう畑のためになすべきことで
何か、しなかったことがまだあるというのか。
わたしは良いぶどうが実るのを待ったのに
なぜ、酸っぱいぶどうが実ったのか。
(5)さあ、お前たちに告げよう
わたしがこのぶどう畑をどうするか。
囲いを取り払い、焼かれるにまかせ
石垣を崩し、踏み荒らされるにまかせ
(6)わたしはこれを見捨てる。
枝は刈り込まれず
耕されることもなく
茨やおどろが生い茂るであろう。
雨を降らせるな、とわたしは雲に命じる。
 
(7)イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑
主が楽しんで植えられたのはユダの人々。
主は裁き(ミシュパト)を待っておられたのに
見よ、流血(ミスパハ)。
正義(ツェダカ)を待っておられたのに
見よ、叫喚(ツェアカ)。

ぶどう畑をメチャメチャされたという背景があります。そして、葡萄と怒りが結びつくのは次のところです。

イザヤ書 63:2
 「なぜ、あなたの装いは赤く染まり/衣は酒ぶねを踏む者のようなのか。」

イザヤ書 63:3
 「わたしはただひとりで酒ぶねを踏んだ。諸国の民はだれひとりわたしに伴わなかった。わたしは怒りをもって彼らを踏みつけ/憤りをもって彼らを踏み砕いた。それゆえ、わたしの衣は血を浴び/わたしは着物を汚した。」

このように、葡萄は、血のメタファーなのです。

参考URL:http://www.soejima.to/souko/text_data/wforum.cgi …
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この回答へのお礼

すごい内容ですね。友人にも聞いて、「似たような内容が、新約聖書の黙示録にもある」と聞きました。有り難うございました。

お礼日時:2002/05/01 16:55

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