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私の友人が今妊娠中で、知的障害を抱えて生まれてくると言われたそうです。大人になっても3歳前後の知能しかないそうです。それでも彼女は生みたいといっています。とても勇気があると思います。でも、その子が生まれてくる事は本当に幸せなのでしょうか?なぜそんなことを考えたかというと、先日、フリーマーケットに出店していたら、どう見ても成人している男性が私意味のわからないことをブルブツ言いながら店の前に40分座り込んでしまいました。本当に困りました。特に危害を加えたりはしないのですが、体も大きくて注意をしたくても正直言って怖かった。一人で大笑いしたり。そのうちだんだん、声が大きくなってきて、名前を叫びながら走り去っていきました。これを見てひどいと思う方もいるかもしれませんが、正直言って気持ち悪かったし、怖かった。そして自分の子をつれてきていたので何かされたらと思い、探しに行きました。私も子どもを持つ母親です。自分の子が後天的にああなったら、愛せますし、世話も出来ます。ですから、親の気持ちではなく、その子にとって、その人生って、幸せでしょうか?「世話」だって、若いうちや子供が小さいうちはいいけれど、あの男性のように体が大きくなって、自分も老人になった時、親が死んだあと、どうやって生きてゆけばいいのでしょう?勿論、友人に生むべきだとか、生まないべきだとか言うつもりはありません。私自身の考えについてです。でも、友人は宿した子を産みたいって気持ちが優先してしまって、子供の一生の事、考えられているのでしょうか。自己満足にも思えます。ひどい事、言ってますよね。でも、私の書いたことは、大勢の方がもっている感覚だと思います。こんな風に人から思われて、自分のことも満足に出来ず、最後は他人の手を借りなくては生きてゆけないのなら、この世に生まれる前に、親が何とかしてあげたほうが幸せじゃないでしょうか?

A 回答 (16件中1~10件)

多くの人がこの世に存在する以上、多くの個性がありまた多くの意見があると思います。

ここに書き込むのは私の1個人的見解です。

人が生きていて幸せかどうか?
それを判断するのは第三者ではなく本人だということ。
人は自分が幸せになるために
自分の基準で選択し生きていく権利があるということ。

我々が陥りやすい思考のピットフォールの1つに優生思想というものがあります。気が付いているかどうかは別として、ここに書き込まれている「この世に生まれる前に、親が何とかしてあげたほうが幸せ」というdeka-carさんの見解というのは非常に危ういものだと思います。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。たしかにそうですね。私は本人ではないのですから、幸せかどうか決めるのはおせっかいですよね。ただ、shu_sさんは男性かもしくは子供を持ったことのない方ではないでしょうか?この問題について、ちょっと奇麗事をいっている気がしました。ピットフォール、優生思想等の言葉は申し訳ありませんが、私にはよく理解できません。専門的な用語を使うのは、自分に酔いしれているように感じました。私の見解が危ういのは何が危ういのかもわかりません。皆さんが答えてくださるご意見を自分と違うからといって否定する意図で質問したのではありませんから、前半のようなご意見であれば、私も素直に受け取れることが出来ます。

お礼日時:2002/05/12 12:21

私が小さい頃は東北地方の貧しいところでは「口減らし」の間引きの他に、成人するのが難しいと思われた子供は産みの親の



知らないうちにどこかへカクマワレたと聞いています・・・匿い方について詳しく聞いてませんが(昔の知恵か?)、それに対応

していたのが、実はかの有名な「水子地蔵」だったという事は近年、某佐野の水子供養の宣伝が派手なので気がつきました。

・・・本当はひっそりと悲しい母親が花などを手向けるところだったのでしょうが、今時は何ともあっけらかんとしたものですネ!
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この回答へのお礼

そのお話を聞きますと、昔は捨てられ子に対してあったお地蔵様だったのでしょうか。今は堕胎や死産の供養のように思われていますよね。そういう場所が繁盛(?)しているのは確かに変だと思います。「あっけらかんとしたもの」とは私のような意見の人間が増えてた為に水子供養が派手になったとおっしゃりたいのでしょうか?私は決してあっけらかんとしていません。それだけは誤解しないでほしいです。若い人への固定観念ではないでしょうか?

お礼日時:2002/05/12 12:39

具体的には、何という病気なのでしょうか?妊娠中に検査がされることの多い病気としては、ダウン症があります。

ダウン症の症状として確かに知的障害がありますが、障害の程度はまちまちのようです。大人になっても3歳ぐらいの知能しかない場合もあるでしょうが、自分で仕事をして自活している人や、大学に進学する人もあります。

お友達のお子さんはダウン症よりもっと深刻な病気なのかもしれませんが、大人になっても3歳前後、と今から言い切ることはできないので、そういうこともある、という話ではないでしょうか。また、たとえそうなったとしても、それくらいのことは支えていける社会であってほしいと思います。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。ダウン症ではないようです。
liqさんはとても心の器の広い方ですね。日本の社会は確かにまだまだ偏見が多いのが現実だと思いませんか?私も市の一人ですよね、きっと。理解してあげたくても、実際自分の方にかかわってきたら拒んでしまうと思います。だから、生まれてくると不幸だ、と決め付けているのだと自覚します。liqさんのような人になれればいいのですが。

お礼日時:2002/05/12 12:52

一般的な回答ですけど、「その子が生まれてくる事は本当に幸せなのでしょうか」という判断は出来ないと思います。

健常であっても生まれてこなければ良かったと思って自殺する人もいるのですから。

で、知的障害と言っても様々な状態があります。
妊娠中に判ったというと羊水検査で染色体異常のような先天的異常が見つかったのだと思いましたが、知的障害でも羊水検査で見つからないものもあります。また、3歳程度という診断も何を基準として判断されたのか判りません。
染色体異常であるダウン症でも、知的レベルは千差万別で、健常に近いような場合だってあります。

フリーマーケットでの体験ですが、それが知的障害の方だったのか、精神障害の方だったのか、良く判りませんが、障害を持つ方が同じ行動パターンを持つわけではありません。

将来的に知的なレベルが上がらなくても、教育をすればその子の持った能力のペースで、成長していくわけですから、頭から悲観的に決め付けてしまうのはどうかと思います。

逆に、障害を持って生まれてきても、親が障害を認めずに生活習慣指導が出来ないまま大きくなってしまう事もある事を考えれば、障害を認識して出産しようとされるのは立派だと思います。それだけ、覚悟も引き受けて居る訳ですから。

障害と向き合って育てていくのは大変だとは思いますが、得られる事も多いのです。最終的に決めるのは親の問題ですが、打算で判断するのはどうかとは思います。
もうこれ以上子どもが要らないと思ったのに妊娠した時に、どうしようかというのと同じレベルだと思いますが。
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この回答へのお礼

私もその子の障害の度合いや、病名、お医者様の判断基準はよくわかっていません。根掘り葉掘り聞けませんし。すみません。「得られることも多い。」とてもプラス思考なかたですね。少しは見習わないといけませんね。ありがとうございました。

お礼日時:2002/05/12 22:24

私自身、そのことを常に考えて生きてきました。


「万が一」自分の子供が大きな障害を持っていた時、その子供を産む覚悟はありません。障害を持って生まれた子供の一生について、介護の面から色々と考えてしまいます。
このため、一生、子供を産まないことに決めています。
お腹に宿る命はみな平等です。
宿った後に、「障害があるから」という理由で堕ろしてしまうのはどうしても許せません。
子供をつくるからには、健常な子、障害を持つ子、そのどちらかが宿っても、動揺しないで笑顔で産めるだけの覚悟をしてからだと、自分では思っています。
ですから、「重度の障害を持っている子供を生むことにためらう」自分は、まず、子供を作る資格はないんだろうな~と思っているんです。(^_^;)

さてさて、前置きが長くなってしまいましたが…。

重度の障害を持つ方の幸福…これは、私たち赤の他人が決めることなんてできません。

> この世に生まれる前に、親が何とかしてあげたほうが幸せじゃないでしょうか?

この考え方は傲慢そのものです。決めつけてはダメですよ。
人の幸せは、その本人の基準によってのみ成り立ちます。
一般的にどんなに幸せそうに見える人でも、本人にしてみればすごい不幸のどん底にいる人もいます。
ですが、たった一つ絶対に言えることがあります。
『命を奪ってしまえば、決して幸せにはなれません。』
命がなくなってしまえば、幸せになりようがないです。
生まれる前の子供の幸せを勝手に親が定義して、「幸せになれそうにない。この子の為」と子供の命を奪うのは、子供の命を奪う理由にしてはあんまりな理由です。
「親」がそのような子供を見るのが辛い、「親」が子供の行く末を気にする、「親」が定義した「幸せ」を感じることができそうにない子供が可哀想に思える…そういった「親」側の都合で、子供は中絶されるのだと思っています。
「子供の都合」ではなく、「親の都合」で子供は堕ろされるのです。
子供を堕ろすのなら、せめてそのことを自覚して欲しいです。
これが良いとか悪いとか…そういう問題ではありません。
ただ、「子供の幸せ」という言葉を使う時、大概、そこには子供は不在です。親がイメージした「幸せ」、一般的な「幸せ」がそこにあるだけです。

私は、重度の知的障害を持って生まれた、とても幸せな人を知っています。
知人の弟なのですが、一家はその弟を中心にまわっています。
お父さん、お母さんは弟さんを最優先し、お姉さんは「彼が私の世界の中心」というほど、可愛がっています。
先日彼女は結婚しましたが、ご両親は弟さんの存在を決して隠そうとはせず、逆に旦那さんとなられる方が弟さんの行く末を面倒見る覚悟があるかどうか、厳しく問うてました。
彼女自身も、「旦那は一人で生きていけるけど、弟は一人では生きていけない」とはっきり言い、何かあったら旦那と別れると言っています。
弟さんが情緒不安定になったりすると、すぐに実家に戻ってきますので、新居半分、実家半分っていう感じですね。(^^ゞ
無理をしているわけではありません。本当に可愛いみたいです。
そして、決して外に隠そうとはしません。
知り合った当初から、簡単に私に話してくれました。
遊びに行けば、私そっちのけで弟さんの面倒を見ています(笑)。
彼女はすぐにでも弟さんを引き取りたいみたいなのですが、ご両親がまだ手元においておきたいらしく、そうもいかないようですね。

こういう家も、あります。
私が弟さんの笑顔を見る限りでは、幸せそうですよ。
お友達が「産む」覚悟をされているのなら、その子供には幸せになる可能性があります。
知人の弟さんのように、あたたかい家庭で育つ可能性があります。
そういう風にも考えられませんか?
私は「産む」とは言えません。
それを言うことができるお友達であれば、お子さんを十分に幸せにできる可能性を持っているのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

本当にその友人の弟さんは幸せ者です。私の友人もきっとその方のようにやってゆけると思います。ありがとうございました。

お礼日時:2002/05/12 21:41

こんにちは。


この問題は今の社会のあり方そのものが問われる問題です。
具体的に、今、障害を持った子どもたちの親が接してる最大の問題は「親なき後」の問題です。
今の日本の社会は障害者が自立して生活していく事ができる環境になっていないのは事実でしょう。
とすれば必然的にこの問題に直面せざるをえません。

しかし例えばダウン症等では育て方次第でほぼちゃんと自立して生活できるレベルになる事がすでに判っております。
そういう事例は他の障害でも沢山あるでしょう。
障害の程度もあるけれど、そういう育て方がきちんとできるかどうかという問題でもあります。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。障害をもっていても、親の育て方が大きくかかわるのですね。日本の社会はまだまだだと、本当に思います。

お礼日時:2002/05/12 21:45

 >私は決してあっけらかんとしていません。

それだけは誤解しないでほしいです。若い人への固定観念ではないでしょうか?


#2ですが、どう解釈されたのか判りませんが派手な宣伝をする寺院??...宣伝に乗せられ物見遊山のように訪れる若い人??

これは私には判りません・・・自分でどうにもやり切れない悲しい事であり人にも云えず、当然人知れずひっそりとお参りするものだ
と思いますが、今の方は違うのでしょうか?


昔の知恵は本音と建て前を分けていたのでしょうね、、、不憫という言葉がそれを表しています。
生きていて欲しい・・・しかし生きていることが不幸ではないのか?・・・と反問し、闇に葬る・・・これは自殺にも通じた考え方かも知れません。

今の知恵はキリスト教的な影響もあるのでしょうか、自殺と同様、知的障害といえども生きる権利は子供のものという立場です。
それを障害子供と一緒に背負っていく事の悦びと辛い想い、悲しさ・・・これらが生まれる前から判る事が厳しく辛いことですね。
現代の人道主義者のお話はたぶん私には難しくて理解し難い部分も多いと思いますが、産みたいというのも親のエゴだと思います。

ここまで書いた序でに書きにくい本音の部分を書くとすれば、昔の日本の解決法も一つの知恵だと思います。。。
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この回答へのお礼

ごめんなさい。ちょっと言葉の意味を取り違えたようです。
キリスト教の方のご意見も聞く機会が持ててよかったと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2002/05/12 22:01

曲がったキュウリは店頭に並びません。



まっすぐなキュウリだけが店頭に並びます。

けど,曲がっていようが,まっすぐだろうが,キュウリはキュウリ。

味は同じですよね?

人間も同じだろうと思います。
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この回答へのお礼

とてもわかりやすいご意見ありがとうございます。私も中身は同じと思いたいのですが、まがったきゅうりは買えない人間です。いやな心です。

お礼日時:2002/05/12 22:15

基本的にこのような問題についてはご夫婦から助言を求められない限り、積極的にアドバイスをする事は控えるべきだと思います。


ハンデを持って生まれてきた子供を育てる大変さだけを考えれば産まない方が楽でしょう。(親の立場だけを考えての話ですが)
しかしもしご友人が堕胎した場合にその事で良心の呵責に耐えられず、その後の人生に大きな悪影響を与える事が無いと言い切れる人は誰もおらず、またそうなった時の責任を取る事のできる人もいないはずです。

deka-carさんが責任を取れるというなら強く進言しても構わないと思いますがそれは無理でしょうし、ご友人の親でさえ決定権は全く無いと思いますよ。
たとえ生まれた子供の事で親に大きく世話になる事が判っていてもです。
全てはご夫婦だけで決定するべきだと思います。

私自身は不惑を過ぎて今だ独身の男ですが、子供を思う気持ちは女性のほうが勝っているという意見は間違っていますし、一般的な風潮と言うことも出来ないと思います。
それは川や海でおぼれた子供を助ける為に命を失ってしまう親は圧倒的に男が多い事にも表れています。
両親が共にその場に居合わせて助けるのが男の役割と決まっているわけでもないのに男の方が多いのですから。
意見に対して性別によるフィルターをかけるのは間違っていると思いますよ。

優生思想とは優れた遺伝子を残していくべきだと考える事だと思います。
そのために劣った人(誰が決める権利を有しているのか知りませんが)の権利を制限(不妊手術をしないと結婚できないとか)したり、生まれてくる前に処置したりする事で様々なひずみが生じてきた事も事実です。

優生保護法の目的
  「母性の生命健康を保護する」「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」

1996年に上記の『優生保護法』は改正され『母体保護法』となり
「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」の部分は削除されました。
この事はハンデを持って生まれた子供を『不良な子孫』と判断する事は間違っていた国が判断したという事であり、社会が受け入れていくという決意であると理解しています。
高福祉の国家に比べるとまだまだ親の負担は大きいと思いますが、その事とご夫婦の幸せとは決して連動しないものだと思いますよ。

このようにこの問題は親の立場だけで論ずる問題ではなく(もちろん決定権は親にありますが)、生まれようとしている子供の人権にもハンデによる差別は無いのですから、ご友人が生むと決意した以上はその友人としてサポートしてあげる事が望ましいのではないかと考えます。


私がこのような事を書いていいのかどうか分りませんが、#1のshu_sさんはこのサイトで多くの方から尊敬と支持を集めておられる医師です。
彼が私と同意見かどうか分りませんが、決して『自分に酔いしれる』ような浅薄な意見ではないと思いますよ。
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この回答へのお礼

性別に関することを書いたのはあなたに関してではありません。shu_sさんに関しては、専門用語ばかりかいても私からみれば、難しい専門書をはいとわたされたみたいでこまったと思ったことです。shu_sさんはもう一度ご意見を下さったようなので、よく意味がわかりました。ちゃんとあやまるつもりです。でも、お医者様だから正しいというわけではないですよね?これは心の話ですから。それから、私は友人に直接意見するつもりなどまったくありません。

お礼日時:2002/05/12 22:39

きついことを言うかも知れませんが、ご容赦ください。



>親が何とかしてあげたほうが幸せじゃないでしょうか?

という、deka-carさんの意見は、安易に「堕ろせば」と聞こえます。これは戴けないです。
確かに、五体満足で生まれてこなければ、不幸せかもしれません。ただ、それは五体満足の人から見た価値観で、本人はどう思っているかは解りません。それこそ、堕ろされるよりは、産んでもらってありがとうと思うかも知れません。外野がとやかく言うことではないと思います。
私は、1児の父です。子供は五体満足に生まれてきましたが、妻とは、「もし遺伝子異常の子供が出来ても、ちゃんと産んで、育てよう」と話し合っていました。
親とは、そういうものではないでしょうか?
授かった子供を見捨ててしまうような行為には、絶対反対です。怒りを憶えます。
なんだか、これを書いているうちに、あなたに対しても怒りを憶えてきました。失礼します。
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この回答へのお礼

おろせばよいなんて誰も言ってないじゃないですか。そういう子を授かるには、生命の尊さという一言じゃ簡単に行くはずがないと思っただけです。あなただって、もし、障害のある子供をさずかるとわかってしまったら、戸惑うはずです。それに、育児に関しては本当に前に前進できるのは母親のほうだと思いますし。勝手に怒ってください。あなたは自分は大丈夫と思い込むのは育児に関して甘く見すぎている証拠です。

お礼日時:2002/05/12 21:39

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