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外務省のホームページに掲載されている、いわゆる河野談話を要約すると次のように書かれています。
「旧日本軍が慰安所を設置し、管理し、慰安婦の移送に関与した。また、軍は慰安婦の募集を業者に要請した。官憲などが強制的な募集に加担したこともあった」
この談話は現在自民党内でも議論があり、アメリカの議会でも問題になっているので教えてください。
質問1
はっきりしているのはどの部分で、証拠がないなどはっきりしていないのはどの部分ですか。
質問2
アメリカの議会では日系議員の人が選挙区がらみで問題にしているとテレビのゲストが言っていましたが、これはどういうことかを教えてください。
もと慰安婦で無理やりつらい経験をさせられた人がいるのは事実だと思います。その責任が今の日本に「どの点でどの程度あるのか」を知りたいのです。

A 回答 (4件)

質問1の答


残念ながら、ご質問自体がはっきり成立していません。
言うまでもなく、内閣官房長官は内閣のスポークスマンです。河野談話は河野洋平の私見ではなく、当時の宮澤内閣の公式見解であることは、もちろんご存知だと思います。そして、政府公式見解の類(たぐい)は「官僚的作文」となるのが常です。この談話もその弊を免れておらず、もともと意味を「はっきり」させないように周到に作られた文章です。
したがって、(証拠に照らして)「はっきりしているのはどの部分で、証拠がないなどはっきりしていないのはどの部分ですか」という質問自体が、あまり成り立ち得ないのです。
あえて回答するとすれば、はっきりしていないのは、

「官憲等が直接これに加担したこともあった」

の「これ」、「加担」の意味内容でしょう。「これ」が指すのは「慰安婦の募集」か、「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例」か?
また、「加担」の意味は「実行行為に加わる」か、「援助する」か?
【加担する】
《援助》assist; support; 《味方》side ((with)); 《関与》participate [take part] ((in)); 《共謀》conspire ((with)).
(Infoseekマルチ辞書powered by三省堂から引用)

談話にいう「直接これに加担」を、「実行行為に加わる」の意と思い込む人もいるようですが、「官憲が業者に(あいだにトンネル団体を挟むなどの慎重策なしに)直接便宜をはかった」と解釈することも可能です。詳しくは、後述の解説をご覧ください。
また、文言は「こともあった」となっていますが、インドネシアの白馬事件(スマラン慰安所事件)などを考えれば、確かに「こともあった」と言えます。「官憲」が軍を含むと解釈しても、です。

質問2の答
その「ゲスト」の意図は、私には分かりません。ここで聞くより、まずそのテレビ局にお問い合わせになってみてはいかがでしょうか。

「その責任が今の日本に『どの点でどの程度あるのか』」の答
私は法律の素人ですが、「国家無答責」「主権免除」「除斥期間」などの法理により、日本政府・業者の法的責任は問いがたいようです。しかし、道義的責任があることは、日本政府もはっきり認めています。
アジア女性基金
http://www.awf.or.jp/
アジア女性基金は1995年、政府の決定により設立されました。「慰安婦」とされた方々への道義的な責任を痛感した日本政府が、国民と協力して、償い事業など以下の各事業を行うために発足させたものです。(引用終り)

当然、政治的責任もあるでしょう。

さて、他の質問で書いた回答を少し書き直して、下記のとおり解説といたします。国会答弁については、次のデータベースから引用しました。
国会会議録検索システム(国立国会図書館)
http://kokkai.ndl.go.jp/

解説

(1) 河野談話

慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話(1993年8月4日)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html

この談話を、「証拠もなしに軍による強制連行を認めた!」と攻撃する人がいる。しかし、そういう人は、実際には全文を読んだことがないのだろう。どこにもそんなことは書いてない。
この談話によれば、「旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」のは「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送」である。慰安婦を軍の車両や船に乗せて運んだ事例があることは、記録が残っている。この点から言っても、慰安婦は「追軍売春婦」(勝手に軍を追っかけて売春する)ではない。
例えば、主計将校だった中曽根元首相は、「兵どもが婦女暴行事件を起こしたりするので、慰安所を作ってやった」というような回顧をしている(ネットで検索しても出てくると思う)。「作ってやった」と言っても、当時の中曽根が一から慰安所を立ち上げたわけではあるまいが、業者を呼んで(二人三脚で協力して)設置したということだろう。
また、「慰安婦の募集」に当ったのは、「主として」「軍の要請を受けた業者」であり、軍が強制連行したとは書いてない。「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり」、それには「官憲等が直接これに加担したこともあった」。この「官憲」とは、官庁・役所など、特に警察関係をいう言葉である。この文脈において、軍を指し示しているとは解釈しがたい。
「加担」の語義は、「力添えをすること」「仲間になること」だ。「官憲等が直接手を下した」とは書いていないのである。背後で協力する(目こぼしする)場合も含まれる((2)で後述)。「直接これに加担した」とあるが、「加担」自体が間接的な表現であるから、「間接的な加担」では重畳表現の嫌いがある。「直接これに加担」は形容矛盾ではなく、官憲が業者に便宜を図るにしても、間に(トンネル団体を挟むなどの)ワンクッションを置かずに便宜を与えた、というような意味合いが考えられる。
要するに、御多分に洩れずこの談話も官僚的作文なのであって、慎重な書き方がなされている。誤りだと決め付ける人間は、日本語の読解力不足ではなかろうか。あるいは、政治的思惑から、わざと日本に不利なように曲解した上で、難癖を付けているのではないか。
また、「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」。これはその通りだろう。以上から分かるように、「河野談話は軍による強制連行を認めた」というのは、デマである。逆に、注意深くそれを避けたうえで、軍の「関与」を認めた談話である。
そもそも、内閣官房長官は政府のスポークスマン役であって、河野談話は河野の私見ではなく、宮澤内閣による政府公式見解である。

安倍首相は、「河野談話には誤りがある」という説に固執する一方、「河野談話を継承する」と決定した。矛盾した態度と言うほかない。この矛盾は「高度な政治的判断」というより「身から出た錆」だろう。そもそも安倍は、河野談話の見直しを強硬に要求する「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の事務局長だった。

新しい歴史教科書をつくる会Webニュース
http://www.tsukurukai.com/01_top_news/file_news/ …
つくる会発足の直後、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(現・日本の前途と歴史教育を考える議員の会)が結成された。(引用終り)

自民党・日本の前途と歴史教育を考える議員の会(教科書議連)
http://www.ne.jp/asahi/kyokasho/net21/siryou2005 …

(2) 軍関与売春への移行

例えば韓国・北朝鮮の国民常識では、「朝鮮半島出身の日本軍慰安婦はほとんど強姦の被害者だった」と考えられているらしい。「女子挺身隊」の名で徴集して強制的に慰安婦にした、などである。それを補強するとみられた、吉田清治(元山口県労務報国会動員部長)の済州島体験記も現れた。「衆院・予算委員会・昭和60年02月14日」では、佐藤観樹議員が吉田の『私の戦争犯罪』を朗読して、政府の見解を問い質している。
しかし、それは流言蜚語やフィクションの類だったことが判明した。秦郁彦が現地調査して吉田の記述内容を突き崩し(1992年)、吉田は有効な反論ができなかった。彼の「体験」記は迫真の描写で、「これが創作だったとは!」と唖然としてしまうのであるが、彼の本に依拠していた人々の痛手は大きかった。
だが、これで慰安婦問題は解決……と糠喜びしたのも束の間である。話はそれほど単純ではなかったのだ。

時期は前後するが、「参院・予算委員会・平成02年06月06日」で労働省職業安定局長・清水傳雄は次のように答弁した。
「従軍慰安婦なるものにつきまして、古い人の話等も総合して聞きますと、やはり民間の業者がそうした方々を軍とともに連れて歩いているとか、そういうふうな状況のようでございまして、こうした実態について私どもとして調査して結果を出すことは、率直に申しましてできかねると思っております」。
これが、返す返すも軽率な答弁であったことが、のちに明らかになっていく。さてここで、次のように図式化してみよう。

|(a)売春なし|(b)業者売春|(c)軍関与売春|(d)軍強制連行|

「調査して結果を出すことは、率直に申しましてできかねる」と言った日本政府だったが、盧泰愚・韓国大統領などにせっつかれて、やっと1990年ごろから第2次大戦時の資料を調べ始める(終戦直後に多くは焼却・散逸して、残りは保存したまま未調査だった)。
その結果、「日本支配地域のどこでも(d)が常態」という説は否定された。一方で、(c)を窺わせる文書が出てきたのである。単に「民間の業者がそうした方々を軍とともに連れて歩いている(すなわち(b))」ではなかったのだ。(b)、(c)は業者が売春業を行うが、(c)は軍が単なる客にとどまらず、業者に便宜を図ってあれこれ関与するという点で違いがある。
(a)は理想状態だが、事情通の話では売春のない国はないそうである。軍の基地・駐屯地の周りには、売春業者が店を出すものと相場が決まっていて、(b)の状態になる。そういう売春宿はしばしば性病の巣となる。兵隊がもらってくるだけでなく、うつし返してピンポン感染したり、閨(ねや)の語らいで軍機を漏らしてしまう者までいる。
軍としては、「これではいかん」と管理に乗り出したいのは山々だろう。しかし、そこには越えてはならない一線が当然ある。軍ともあろうものが、女衒に力添えしたり貸座敷まがいのことに手を染めてはならないだろう。売春は、あくまでも業者がやっていることで、軍・官憲はそれを取り締まることはあっても、便宜を与えたりしては醜聞になる。
しかし、日本軍は(b)から(c)へ大幅に踏み込んでいった。追っ払っても軍に付きまとってくるような売春団は昔からいたけれども、戦線の拡大につれて、それでは大幅に娼婦が不足すると日本軍は判断した。軍のこの意向は(非公式に)業者の知るところとなり、業者は軍の意を体して動いた。
日本軍の慰安所政策について(永井和、日本近現代史)
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/works/gunia …

業者は慰安婦集めの際、「私どもは軍のお声がかりで募集している」というようなことを言った。これに対し、和歌山県田辺警察署は「ウソつくな」と取り締まろうとした。「いやしくも皇軍が売春を勧奨するわけがない。お前ら業者が勝手にやってることであろう」と。
そして、その業者の供述に出てきた遠方の警察署に、真偽を問い合わせたのである。それに対する回答は、「内務省から非公式の依頼があって、こちらでその業者に便宜をはかった。そちらでも然るべき取り計らいをお願いしたい」というようなものだった。この回答を受けて、その業者を取り締まることは中止された。
つまり、田辺署は従来どおり(b)の頭で判断して取り締まろうとしたが、軍と内務省は既に(c)に方針転換していたのである。それが伝わって、取り締まり現場でも業者に便宜を与えるように変わっていく。一言でいえば、軍・官憲・業者は多少「ぐる」になったのだ。完全な「ぐる」ではないから、取り締まりも行なったが。
内務省警保局長通牒(1938年2月23日付)はそのことを示唆しており、かつ、ぐるだと公言する業者は取り締まれと指示している。また、軍中央から北支那方面軍および中支派遣軍に「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」が発せられた(1938年3月4日付)。慰安婦募集にあたる業者を適切に選定せよ、各地方警察・憲兵と連絡を密にとれ、というものだった。

(3) 日本の人身売買

慰安婦問題では、日本も韓国も足元を見られている。韓国の弱点は、「断じて売春ではなく強姦だった」、「日本軍人が韓国から数多(あまた)の女性を強制連行して慰安婦にした」と、裏付けの乏しい主張に固執していることである。
その一方、日本も外国から足元を見られていることを、知らない日本人が多いようだ。それは、歴史的に日本の公娼制が人身売買の温床として悪名高かったということである。以下は、『世界大百科事典』(平凡社)、『大辞泉』(小学館)からの引用に基づく。

マリア・ルース号事件は、日本が当事者となった国際裁判の最初の事例として歴史に残っている。1872年(明治5)、横浜寄港中のペルー船マリア・ルース号から、中国人苦力(クーリー。19世紀後半、黒人奴隷に代わる労働力として売買された)が虐待に耐えかねて逃げ出した。「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」というわけで、日本はこの苦力を保護し、ペルー船船長を訴追して虐待行為で有罪とした。「奴隷輸出は公序良俗に反する」という法理で、苦力を解放した。
これに対し、ペルー側弁護士は意外な反撃に出た。日本の遊女の年季証文を入手して法廷に提出し、日本ではもっと過酷な奴隷的契約が行われていると非難したのである。諸外国注視の中で、日本では国家が人身売買を公認していると指摘されたことは、不平等条約の改正をめざす政府にとって痛恨事であった。政府は「皇国人民ノ大恥コレニ過ギズ」として、直ちに人身売買の禁止と芸娼妓解放を含む太政官布告を出した(娼妓解放令)。
ただし、政府には遊郭を廃止する意思はなく、遊女屋は貸座敷業者と名を変え、娼妓に座敷を貸す形式がとられた。往年の身代金の実質は残り、娼妓に対する人身拘束は依然として変わらなかった。解放令は骨抜きとなり、売娼制度は廃止とならずむしろ隆盛に向かった。
つまり、日本は法律上奴隷的拘束を禁じながらも、娼婦については人身売買が横行し続けたのである。これは現代で言うなら、公娼制が廃止されて売春防止法ができ、管理売春が罰則付きで禁止されているのに、実際には管理売春が盛んである事実と、通じるものがあるだろう。
以上より、「昔は公娼制があったから、慰安婦は問題ない」という主張は、誤りであることが分かる。その日本の公娼制が、問題ありだったのだ。ヨーロッパなどでも歴史的に娼婦の人身売買はみられるし、公娼制もあったが、廃娼運動が盛んになり徐々に改革が進んだ。日本でも取り締まりは行ったが、どうしてもそれらの国に数十年遅れをとっていると見なされ、日本の公娼制は一種の奴隷制の側面があると、当時から諸外国に思われていた。今日、米国議会(の一部)が日本軍慰安所政策に対する非難決議に熱心なのは、日本のこういう歴史的弱点を知っているからでもあろう。

(4) 皇国人民ノ大恥

「慰安婦問題とは、軍が強制連行したかどうかである」という認識は、誤りである。日本の業者の実態が当時でも問題だったのであり、業者に軍・官憲が加担したとなれば、「皇国人民ノ大恥コレニ過ギズ」の事態にならざるを得ない。
「慰安婦のようなものはどこの国にもある」という人が挙げる例を見ると、(b)と(c)とをごちゃ混ぜにしているのが常である。そんな雑なことでは、外国の日本批判論者に(c)と(d)とを混同されても文句を言えなくなるだろう。日本政府の公式見解は(c)なのに、(d)の意味にとる人がいる(外国でも勉強している人は(c)と知っている)。
現在(2007年3月)も米下院で、日本軍慰安婦問題に関する決議案が審議中である。日本が指弾され続けるのは、なぜか? 「言いがかりを付けられてるだけ」というのは被害妄想である。例えばの話、日本軍による重慶爆撃(1938~41年)は国際法違反の疑いが言われていたのに、東京裁判で処罰されなかったようだ。「戦略爆撃」に関しては米軍の方が大規模で、この問題を俎上に載せると、米国にとって都合が悪いためだろう。一方、米国が慰安婦問題を取り上げ続けるのは、それとは異なり日本に弱点があるからだ、というのが合理的な推理ではあるまいか。バカウヨクは何でも「反日勢力」とやらのせいにしたがるようだが。
米軍の性対策の歴史については、次のサイトが詳しい。
アメリカ軍の性対策の歴史―1950年代まで(林博史、政治学・国際関係論)
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper71.htm

林氏は学問的に旧日本軍も米軍も調べて、貴重な労作を公開している。しかし、この内容を悪用して、「アメリカだって脛に傷持つ身じゃないか」と嘲る者がいるかもしれない。
だが、「アメリカだって」論法は、日本の国益に反する恐れがあろう。なぜなら、在日米軍の犯罪を批判した時などに、「お前が言うな。従軍慰安婦問題はどうした」と米国から言い返されかねないからだ。二つの問題をリンクさせて得をするのは米国であって、日本ではあるまい。
だいたい、「ほかの奴だってやってる」という言い逃れは、下種(げす)のすることである。旧日本軍慰安婦問題は、旧日本軍慰安婦問題として解決しなければならないだろう。
前出の「内務省警保局長通牒」では、慰安婦の募集時に、業者が軍との関係を公言することを禁じている。(b)を不道徳と言うのは綺麗事かも知れないが、(c)は軍にとって不面目なことに違いないからである。日本軍は、慰安婦を軍の船や車両に乗せて運んでいた。娼婦が勝手に追いかけてくるならともかく、娼婦を連れ回しながら転戦するような軍隊は、敵から笑われても仕方がない。日本軍だけではなかっただろうが、わが皇軍もそういうふざけた軍隊の一つだったわけである。

日本軍の慰安所政策について(永井和)
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/works/gunia …
この論文の「追記(2005年6月12日記)」の主計少佐の本の「慰安所ノ設置」うんぬんは、拙文(1)の中曽根元首相の話とも通じると思う。

元日本兵の証言に見る日本軍慰安婦(林博史)
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper02.htm
元サンケイ新聞社社長鹿内信隆は桜田との対談で、陸軍経理学校時代の話が「慰安所の開設」になったとき、次のように語っている。
「そのときに調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの“持ち時間”が将校は何分、下士官は何分、兵は何分――といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが『ピー屋設置要綱』というんで、これも経理学校で教わった。」(桜田武・鹿内信隆『いま明かす戦後秘史』)(引用終り)

「衆院・社会労働委員会・昭和43年04月26日」で、厚生省援護局長・実本博次は次のように答弁した。「慰安婦」と軍「との間には雇用関係はございません」が、「軍が相当な勧奨をしておったのではないかというふうに思われますが」と。昭和43年(1968年)といえば、吉田清治が『朝鮮人慰安婦と日本人』(1977年)、『私の戦争犯罪』(1983年)を出す前であり、千田夏光が『従軍慰安婦』(1973年)で初めて「従軍慰安婦」という造語を世に送り出す前である。むしろ「従軍慰安婦」問題がかまびすしくなる以前の方が、実情を察知した答弁を国会で行なっていたことになる。

(5) 治安地区と敵性地区

戦地でなかった朝鮮半島と、戦地であった中国・南方とでは、事情も異なってくる。治安が保たれていた所では、軍みずからが強制連行するよりも、まず業者を使って集めさせたようだ。

解説 中国人元「慰安婦」の証言(林博史)
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper05.htm
ところで笠原氏が指摘しているように、日本軍の支配が一応確立していた「治安地区」では「日本軍当局によって婦女陵辱行為は厳しく禁止され」ており、女性を軍が拉致するようなケースはほとんどなかったのではないかと見られる。
要するに抗日勢力が強いなどの理由で日本軍の支配が安定せず、「抗日分子」の粛清=住民虐殺をおこなっていた地域における「慰安婦」の徴集の方法の典型的な事例がここで紹介する四人であると言えよう。(引用終り)

この林氏の解説にあるように、「敵性地区」では日本軍人による拉致監禁輪姦事件も発生していた。インドネシアで起こった「白馬事件」(被害者は現地のオランダ人少女ら)などは有名である。それらを慰安婦とはまた別の事例とする考え方もあろうが、管理売春の過酷な労働実態と、拉致監禁輪姦事件とを、「日本軍の性暴力」としてまとめる考え方もある。そのまとめ方で行くと、慰安婦というのは(c)を基本としつつも一部では(d)もあったことになる。

(6) 物事の相場

「慰安婦は破格の大金を稼いでいた」と言い囃す人がいる。しかし、そういう人は自分の発言の信用度を落としているだけだと、気づかないのだろうか?
「衆院・法務委員会・昭和23年11月27日」の大阪府接待婦組合連合会会長・松井リウの陳情(村教三が代読)から察せられるように、元慰安婦は、戦後も生活が苦しくて娼婦を続けたような人が少なくなかった。大金を手にしていたなら、苦界から足を洗って蔵でも建てただろうから、つまり慰安婦は(ピンハネなどされて)大金は受け取れないのが相場だったのだ。通貨で支払われず軍票を押し付けられて、紙くずになった場合もあった。あるいは、多額の前借金で相殺されたのでもあろうが、それは人身売買的な拘束を意味する。中には大儲けした慰安婦もいたとしても、それを例外的と捉えずに慰安婦の標準であるかのように喧伝するのは、「物事の相場というものが分かってない」と思われるだけであろう。

(7) セックススキャンダルの衝撃

慰安婦問題は、売春・性暴力からDV(ドメスティック・バイオレンス)に及ぶ現代の諸問題と関連付けられ、各国の研究者に論じられるようになった。さらに、ショッキングな題材としてマスコミが取り上げ、国際的セックススキャンダルの性質まで帯びてきた。性がらみの醜聞には恐るべき影響力がある。イメージを失墜させるのに、これほど効果的なものはなかろう。
「日韓条約などで賠償問題は解決済み」と言ってみたところで、それは法律論である。政治的・国民感情的な解決はそれとは別で、長引けば長引くほど、日本の国際的評判にボディーブローのように効いてきたのが実情だ。政府の対応が遅れていたなら、市民団体や野党などが尻を叩かねばなるまい。日本政府は問題解決のため「アジア女性基金」を設立した。
アジア女性基金
http://www.awf.or.jp/

macska(小山エミ)は米国議会調査局の報告書を入手し、ブログで公表した。彼女はコメントと解説で、「バカサヨク」も「バカウヨク」も撫で斬りにしている。
日本軍「慰安婦」問題についての米国議会調査局の報告書(macska dot org)
http://macska.org/article/134
米国外交当局の視点から見た「慰安婦」問題:議会調査局報告・解説(macska dot org)
http://macska.org/article/135

このように、河野談話に基づくアジア女性基金の活動などもあったからこそ、日本は国際的に一定の評価を得ている。批判もあるが、「日本政府はそれなりに努力した。何もしていないという批判は公平ではない」と認められるようにもなった。安倍内閣も、当然その恩恵にあずかっている。それにもかかわらず、河野談話を貶めたがるのは、天を仰いで唾するに等しいだろう。
吉田清治証言もひどいものなら、前出の「従軍慰安婦は民間の業者が連れて歩いていたもので、実態について国として調査することはできかねる(発言要旨)」(参院・予算委員会・平成02年06月06日)という政府答弁もまた、お粗末極まりないものだった。
信憑性の乏しい吉田の著作などに基づき日本を非難するような国が、いまだにあって、それらの事実関係の誤りには反論すべきである。しかし、そうすると今度は「日本はいまだに過去の行為を隠蔽しようとしている」と言われる。要するに、日本の落ち度を隠したまま「局地戦」(例えば強制連行の軍命令の有無)で勝っても、国際的信頼の回復にはつながらない。昔の日本の過ちを自ら剔抉し、全体像を解明して公表することこそ、スキャンダルを克服する道である。

(8) 安倍晋三の歴史認識

最後に、安部首相の「決議案が米下院で採択されても、政府として謝罪する考えはない」という発言について。それはそれで一つの選択肢だろう。この動きの前から、すでに安倍内閣として河野談話を継承すると言明している。また、米国議会の他国に対する決議の中には、過去に妙なものもあった。外交は基本的に大統領が取り仕切る(議会とホワイトハウスは、対立したり、持ちつ持たれつだったりである)。慰安婦に関する決議案は、何度も上程されているものだが、今回は民主党が中間選挙で勝利した結果の、攻勢の一例とも言われている。
むしろ、この決議案が強く牽制しているのは、一つには前出の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の蠢動かも知れない。その場合、同会と一体だった安倍首相も無関係では済まなくなってくる。会を抑え切れなかったと見なされ、米国に「借り」をつくってしまう恐れもあろう。折りしも、来月(4月)下旬は就任後初の訪米の予定だ。その借りを、全然別の件で譲歩して返すような羽目にならなければよいが。

安倍さんの歴史認識について
http://okwave.jp/qa2459242.html
やはり総理大臣として公の場で堂々と語ることが出来ないような政治信念なり、歴史認識なりというものは普遍性を持ち得ないのではないでしょうか?所謂偏狭なナショナリズムというやつに過ぎないのではないかと思うのですがどうですか?(中略)
安倍さんの自論そのものが論理として弱いのではないか、(中略)
所詮は自分と同じような考え方をもった人の間でのみ通用する狭い考え方に過ぎないのではないですか?(引用終り)
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この回答へのお礼

詳細な解説をありがとうございます。アメリカ議会の様子を見ると、もと慰安婦の人たちの日本政府に対するうらみはいまだに強いという感じです。また、それを利用する人がいたり、間違った情報を信じて日本を非難しようとしたりする人もいたりと、複雑ですね。

お礼日時:2007/03/11 23:37

「官憲などが強制的な募集に加担したこともあった」


この部分を裏付けるような記録が見つかっていません。
ですから、政府は、軍及び官憲による慰安婦の強制連行はないと断定しています。
慰安婦の中には業者に身売りした者もいたようですが、軍及び官憲がその身売りに関与していたという記録はありません。

マイク・ホンダ議員はチャイナロビー及び韓国系ロビーから大量の献金を受けています。
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この回答へのお礼

この問題は記録がないので、「広義の強制とか狭義の強制」というような議論になるのでしょうね。
お金とか票がらみではうさんくさいですね。アメリカではそれを知らずに間違った認識をする人がいるかと思うとやりきれないですね。

お礼日時:2007/03/11 23:45

マイク・ホンダはカリフォルニア選出の議員で、票田は韓国移民です。


彼は次の選挙でも議員でいたいから彼らに媚を売っているのです。

慰安婦問題で根本を勘違いしてはいけません。
軍部や政府が慰安婦を徴集したか否かが問題であって慰安婦がいたか否かではありません。

河野談話が問題なのは事実資料が一つも確認されていないのに慰安所の設置や人員確保に軍部が関与したと述べたことです。
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この回答へのお礼

マイク・ホンダ議員ですか。票田がらみといわれること自体うさんくさいですね。もと慰安婦の人は、今もいろいろな人たちのプロパガンダに利用されているような感じですね。

お礼日時:2007/03/11 23:28

1:

http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id= …
 売春婦には、高い給料(陸軍大将の月給が110円の時代に慰安婦の月収は150円~1350円)を支払い、
兵士と売春婦の性病予防のため健康管理を軍医が担当など。

2:日韓基本条約で解決済み。
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この回答へのお礼

中には自ら進んで慰安婦になったり、慰安婦になって得をした人もいるかもしれないということですね。
国としての法的責任はなくなっているのですね。

お礼日時:2007/03/11 23:18

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