プロが教えるわが家の防犯対策術!

今年の9月初めに遅い夏休みでパリとロンドンに旅行に行きます。(^^♪
最初、「いまさら仏語の勉強なんて!」って思ってましたし、昔に比べて最近ではフランスでも英語が通じるようになったらしいんですけれど、日本語のガイドブックを読んでいても地名や通りの名前とか、ホテルやお店の名前等が仏語で表されていて、さっぱり読めないんです。(^_^;)
それにせっかく旅行に行くなら仏語が分かったほうがいいですしね。(^_^)v
で、最初に始めたのが図書館でNHKのラジオ仏語講座のテキストとCDを借りて1人で勉強してたんですけれど、ちっとも面白くなくて、こりゃやっぱりちゃんとした語学学校に行った方がいいなと思ったのがこの2月初旬のことでした。で、滑り込みセーフで2月中旬から始まるクラスの入学に間に合いました。
仏語を習うならアテネフランセか日仏で、というか他を思い付かなかっただけのことなんですけれど、日仏は3月から始まるクラスしかなくて、それでアテネにしました。でもアテネで正解だったと思います(って日仏行ったことないんでその点は比較したわけじゃないんですが)。
授業は最初は簡単だったんですけれど、テキストの3課(全部で12課あります)辺りからぐっと難しく感じました。先生からDialogueの文章を1日20回は読んで来いって言われて、お風呂の中でもしゃべって練習してました。その頃は何だか胃が痛くなっちゃって……。(-_-;)でも不思議なことにだんだん慣れてくるもんなんですね。(^_^)v
明日で半分(6課)まで終わり、4月から春学期が始まり、7月までの3ヶ月で残りをやります。

さて、すっかり前置きが長くなってしまいました。これからが本題です。今在籍しているクラスは入門科といって初心者向けに日本語で授業を進めます。また、春学期では週1の通常のクラスの他に入門会話というクラスも受講します。これも日本語での授業です。夏期講習も入門科のもの(会話を予定しています)を受けます。これが8月末まであります。そして、入門科を無事終えると、秋学期つまり9月からは本科の初級になります。ここから上のクラスは全て仏語での授業になります。また、日仏もやはり上のクラスになると授業は仏語になるそうです。

ただ、最近思ってきたのは、私の場合英語学習歴が長く、普通なら中学で始めるところを小学生の頃から英会話教室に通っていましたから、中学で初めてABCから始めたわけじゃないんです。それに大学時代はFENをしょっちゅう聴いたり(でも全部分かったわけじゃないんですけれど)、1人で豪州に40日間旅行して、オージー訛にはちょっと手を焼きましたがそれでも無事生還しました。そういうこともあり英語や英会話は割と得意な方だと思っています。

ですので英語と似た仏単語があると、仏語ではこう発音するんだな、とか、仏文法も英文法とついつい比較してしまいます。そして先生に質問する時も英語ではこう言いますが、とつい訊いてしまい、先生から、仏語と英語は違うところもありますから、という答えが返ってくることもしばしばです。

確かに英語と仏語では似た単語や文の構造はあっても全く同一ではないということが分かりました。ただ、では仏語学習において英語が得意であることが無意味なのか、あるいは邪魔になるのかというと、このカテゴリーでの過去のQ&Aを検索したところ、案外そうでもないことが分かりました。こういうQ&Aが非常に参考になりました。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2306264.html
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1412932.html
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2849088.html

そこで、私個人としては仏語を仏語で教えるのでなく、英語と比較しながら日本語で授業してくれる学校がいいなと思い探したのですが、そういうのは見つからず、教えて! gooのスポンサーリンク
http://veeschool.com/index.html
から見つけた、英語で仏語を教える東京23区内の学校を2校見つけました。現在資料請求中です。
http://www.dila.co.jp/language/french.html
http://www.kudanacademy.com/lesson/french.htm

こういう学校に通ったことのある方、あるいはご存知の方、授業内容、仏語での授業との比較、必要とされる英語のレベル等何でも結構ですから情報をご提供頂ければと思います。もっとも実際に学校に行くのは旅行から帰ってきてからですので、ご回答はゆっくりで構いません。また、本当のことを言うとnegativeな情報も含めあらゆる情報を収集したいところなのですが、営業上ご迷惑をおかけするという理由でせっかくご回答頂いても削除されるかもしれません。どうかその辺りはひとつ穏便なものに s’il vous plai^t.

A 回答 (3件)

se_tutoie さんへ



むらさきに
まさるものなし
このよでは

きたりのんだり
なすびにしきぶ

先般
深謝

この回答への補足

ははあ…。(?_?)
何やら意味深な和歌でござりまするが、してその心やいかに?拙者、無学ゆえ分かりかねまする。

補足日時:2007/03/30 23:16
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この回答へのお礼

ご回答かたじけのうござりまする。

お礼日時:2007/03/30 23:18

最近の子供はsyllamotsで読むことを覚えます


そんなことをも探究心のあるse_tutoieに
知って頂きたくてひらがなで書きました

さて 本題です

上の句:紫は紫色です
ご通学の校舎の色 三色旗の色の混色紫
平安時代はご存知のように高貴な色
紫の学びやは一流 そこで仏仏学習
それならば 誠に申し分無い理想と

下の句:紫の連想でその衣装 醤油 茄子が
ありますので着たり飲んだとして
(飲んだりより味わうの方が意味が広く良かったと反省)
〆は頭の紫に呼応して式部として
言葉は多義的で文化でありこれの肌での会得は
仏仏ですと申し上げたかったのです

古来より
『茄子の花と○の意見に千に一つも仇はない』と
いい伝得られております

この回答への補足

と、お礼をしておいて、ここでハイ左様で、と引っ込む様な性格ではないことは前回の質問の際既に見抜かれてらっしゃることと思います。我ながらしこついなあとは思いますが…(^_^;)

3/28にひとまず最後の授業が終わり、わがクラス担任のアメル先生がこう言いました。ある民族が奴隸となっても、その国の言葉を保っている限りはその牢獄の鍵を握っているようなものだ、と仏語の優秀さを生徒に語り、黒板に「Vive La France!」と書いて教壇を去っていきま……せん。(ウソです)

そうではなくて、わがクラス担任の先生も紫の卒業生なのだそうですが、最初、仏仏のクラスに出た時は1ヶ月は授業中何を言ってるのかさっぱり分からなかったそうです。

それはこのクラスで知り合いになった友人が、仏仏のクラスに不安を感じる、と先生に質問したことへの答えでした。

帰りすがら、友人と話しながら、私が質問文中に書いたことと同じことを言うと、友人は何と英語を捨ててもいい、と、驚くべきことを言いました。もっともそれはanapaultole さんの意図されていることと同じでもあるのですが。

確かに友人の言うことにも一理あります。例えば仏語では最後の子音を読まないことが多いのを、英語癖でうっかり読んでしまったりして混乱するので、いっそ仏語にどっぷりつかる、つまり仏仏学習に身を置きて英語を捨ててこそ浮かぶ身もあれ、です。

しかし、こう言うと差別的な発言に聞こえてしまうかもしれませんが、例えば私が何でもいいのですが、世界中でさほど使用している人間の数が多くない言語、例えばスワヒリ語(別に私がスワヒリ語を嫌悪しているとか、そういう意味で使っているのではありません。単なる思い付きと、分かり易い例として出しているだけですので念のため。)を勉強していて、今度新たに仏語をマスターしなければならない、とします。こういうケースならスワヒリ語を捨てて仏仏学習に身を置いてもいいと思います。

けれども、英語は今や国際公用語。フランス企業でさえ、ビジネスの公用語として英語の使用を社内で義務付けているとか。
http://www.daiwair.co.jp/topics-old.cgi?filename …

そこまでして仏語だけを今から使いこなせるようになりたい、とは考えていません。むしろ今度の旅行でも、仏語だけでは往生するでしょうから、いざという時便りになるのは英語だと思っているくらいです。そしてそれはおそらく今後も続くでしょう。

英語帝国主義とか、批判するのは実に簡単なことです。しかし、だからといって、現実に例えば現在の日本語で外来語、特に戦後入ってきた米語を排斥するなどというのは気違い沙汰だとしか私には思えません。逆に法律まで作って国語=仏語を守ろうとするフランスの方こそ気違い沙汰だと感じるのは、果たして私だけなのでしょうかねぇ……。(?_?)

補足日時:2007/04/02 01:48
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この回答へのお礼

まこと、雅と侘び寂びと知性のcollaborationともいえる和歌だったのですね。いやぁ~すっかり脱帽です。(^^ゞ

ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/02 00:51

俟たしても思索の材料を頂きました


視点を変えて所思を綴ります

添付サイトに記載の1994年トゥーボン法からお話を致します

コレをカタカナでトゥーボンと知っても何の面白みもありません
このスペルがtoubonと分かると、当時 c'est pas tout bon となり
loi toubon⇒loi all good(?) との愚弄も頷けて楽しみ(理解)が増加

一次関数、二次関数、そしてn次関数を思い浮かべて見て下さい
一次なら変数Xに対応するYは一つに決定です
n次になるとXとYは一対一の対応でなく双方向関数となりません
初めの第一歩で簡単な一次で関数の概念を学べば
後は、関数そのものに全てをゆだねたいですね

多くの人のように一次関数である英語を学び、不自由が無いなら
それ以上の言語はその言語そのもので学習したいものです
(高次になれば、それだけ文化・文明の厚みが増すと看做して)

ハンドル名の“題名”動詞は、英語にはありません
この代名動詞の理解は、そのものから導き出されるのが
一番かと考えます すると能動態・受動態・そして
中間態とでも命名できる三面鏡のような動詞の諸相が
自然にすんなり頭に入り、仏語の把握も向上します

英語を母への母情とすれば、仏語は恋人への恋情として
これらは、立派に両立出来ると確信しております
恋人を母と比較しても詮無きことでしょう

この回答への補足

Evangelium secundum Matthaeum 19

3 Et accesserunt ad eum pharisaei tentantes eum, et dicentes: Si licet homini dimittere uxorem suam, quacumque ex causa? 4 Qui respondens, ait eis: Non legistis, quia qui fecit hominem ab initio, masculum et feminam fecit eos? Et dixit: 5 Propter hoc dimittet homo patrem, et matrem, et adhaerebit uxori suae, et erunt duo in carne una. 6 Itaque iam non sunt duo, sed una caro. Quod ergo Deus conjunxit, homo non separet.

マテオ聖福音 19(エ・ラゲ訳 イエズス・キリストの新約聖書から)

3 ファリザイ人近づきて、彼を試みて言いけるは、いかなる理由のもとにも、人は、その妻を出だすを得べきか。4 イエズス答えてのたまいけるは、汝ら読まざりしか、すなわち初めに人を造り給いしもの、これを男女に造りてのたまわく、5 「このゆえに、人は父母を離れて、その妻につき両人一体となるべし」と。6 されば、すでに二人にあらずして一体なり、ゆえに神の合わせ給いしもの、人これを分かつべからず、と。


おお、母なる言葉、汝の名はl’anglais.
そしてわが恋人よ、汝の名はle francais.

母はわれを産み、慈しみ、いとおしみ給ひしが、やがて汝の元を離れ恋人の元へ行かむとす。母に近づくは容易なれど、恋人に近づくには最低1ヶ月の苦役を要す。この苦役、いずこより来るものなりや。また、神は何故この苦役をわれに課すものなりや。

されど、われ、やがて恋人の元へ行かむ。これ、定めなり。しかるに母よ、この苦役なしに恋人の元へ行く方法やなきものか、とわれは天に問う。

天、未だ答えず。われ、この深き悩みの助けをいずこに求めんや。

補足日時:2007/04/04 00:07
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この回答へのお礼

anapaultoleさん、数多くの貴重なコメントを頂戴致しまして、誠に有難うございます。その労に報いるため、ポイントを進呈致しますので、ご査収下さいます様お願い致します。

お礼日時:2007/04/14 21:27

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