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陰徳は良い行いをすることによって自分の今生・来世に良い事となって帰って来たり、あの世で良いところへ行くとか言いわれますが自分は陰徳の存在を感じたことはあまりありません。(この良い行いと言うのが漠然としていて、自分が人が喜ぶだろうと思うことをしてあげる事なのか、規則正しい生活したり、勤勉したりなどの影の努力なのかよく分からないのですが…。)

あの人が?と言う人が幸せになり、あんないい人が…と言う人が不幸になったり、矛盾に満ちているのがこの世だと宗教家も語っています。
それでも一般的に言われている良い行いを続けている人は陰徳を積むなどの意識はなく、ひとえに情や愛からの行為だと思います。

自分の周りを見ても良い人と思える人はあまりよい人生ではなく、良い人とは思えない人の方がどちらかと言うと幸せのように見えます。
良い人とは思えない人が形の違うところで人に貢献している(難しい仕事をこなせるとか)なども含まれるなら知りませんが…。
先祖が良いことをした、前世で良いことをした?(先祖もだいたい価値観が似通っているでしょうし、前世とガラリと性格が変貌したとも思えません。)

私の知っているご婦人も婿養子を取り一代であっいう間にお金持ちになりました。
多かれ少なかれ一代でお金持ちになるにはミートホープのような営業はしています。
脱税であがったり、障害者の人達を安い賃金で働かしたり、家族は社員という事にしてお給料・年金が出るようにし、あらゆる方法で税金対策をしているようでした。
お金を儲ける夫を褒めて夫婦間は悪いようではないですが、若い頃は互いにいろんな場所で異性遊びを楽しんでたようです。
知っている人ではケチでは一番だと思います。長年付き合っている人にもお菓子ひとつ上げたことがありません。捨てても他人には上げないのかな。それどころか貧乏人から持って帰ります。
いつもダラダラしていい加減な人ですが、税金の返金が少しでもあれば突っ走っていきます。年金を取り返すため夫に長生きしてもらわなければと意気込んでいました。
寄付金もあれだけ贅沢しても寄付しないか、寄付しても庶民と同じ数千~一万程度。最低10万寄付してもいいのじゃないか皆で話したりしていました。
その後夫は亡くなったのですが、おばあちゃんに夫の遺族年金が出るようになったと言います。
定年前の夫の妻にしか遺族年金は出ないと思いますが、会社で保険を取り扱ったこともあり、何か法を潜り抜けるよい方法見つけたのかもしれません。
年配になっても太っている・痩せている話とお金の話しかしないのであまり中身がないように見えます。
息子に念願の嫁・孫が産まれ、夫は亡くなったことにより思わぬ大金が手に入ったとほくほくになっていました。
大金が入ったことにより気が大きくなったのか年金生活者の質素な生活をバカにするようになりました。
昔の知り合いではなくセレブな人達とだけ付き合った方がいいと思いますが…。
セレブになるとそういう人間になっていくのでしょうか。
夫が亡くなったことにより現在はお金が使いたい放題になったのか、毎日のようにディナーショウや豪華海外旅行を楽しんで家にはいないようです。
ほとんどの会社が3代続かないと言われますのでわかりませんが…。(おじいちゃんからいうと3代目、成功してからは2代目)

これは一例ですがほかの場合も同じようなことが多いですね。

陰徳はある感じられた体験お知らせ下さい?

A 回答 (3件)

その先代が 陰徳を積まれたのでしょう



そしてそのほとんど全てを使い果たしているのでしょう

質問者も長生きされて、その方の子や孫がどのような人生を歩むか、じっくり観察なさるのがよろしいでしょう

この回答への補足

ちなみにこういうことは動物にも言えます。
我が家では何百匹と動物を飼ってきましたが、良い猫の方が不幸や事故に見舞われますね。
いじわるで思いやりに欠ける猫の方が健康で、運が強いです。
憎まれっ子世にはばかる。気の強い猫の方が周りにいじめるものはないか気を張って生きてますからヘマはしないのでしょうか?
いじわるだから元気なのか、元気だからいじめっこになるのか、やけに元気な猫は性格が悪いのが多いですね。
徳より気の強さが幸運を掴むように見えます。

補足日時:2007/07/06 18:13
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2007/07/06 18:15

>先祖が良いことをした、前世で良いことをした?



今のいいことを生じさせるには過去にいいことをしないとだめですよね。
なぜなら、過去のいいことというのは今の時点のいいことを生じさせる行為と定義しているんですから。
また、過去のいいことというのがその過去の時点で将来よくなることだと信じているときなんですが、そう信じているからといって将来いいとは限りません。ただ、そのとき、将来よくなると賭けているんですから、ならないときもあるのは当然です。
 たとえばですが、たばこを吸っている人でも長生きする人がときどきいるんですが、その一塊の人たちを見ますとど素人ではたばこを吸うと長生きするんだと見えるときがありますが、専門家による世界中の統計で見ますと、そういう人は1%にもすぎないんです。あとの99%は早死にとなっているんです。それも辛い病気です。
 素人には分からないことだらけでして、一生をかけて研究している専門家には論理的に勝つことはほとんど難しいんではないかと思います。また、世間で言われているいいことは、それが結構世間でくつがえされずに生き残っているので、あまり問題を生じさない良いことだと信用できるようなものだと思います。それを論理的やら統計的に覆すことがない限りちょっとやそっとのことで止めるとさっきのたばこの例のように相当低い確率でしか良いことが生じず、高い確率で悪いことが生じると思います。
 ということで自分は世間の良いことをある程度信用し、それを覆すような信用のおけるものがあるとき世間の言う良いことでも信じずに改めようと思っています。
 

この回答への補足

霊的な世界には賛否両論ありますのでひかえます。


いろいろ読ませて頂いているうちに陰徳は努力のことのように思えてきました。

段々運命学になってきてしまいました。
運命否定の方には申し訳ありません。
★努力(徳)を積むことにによってやはり運の貯金はあると思えるのです。


ゴッホは生きている間自分は幸運に恵まれることはありませんでした。その後パトロンであった兄弟も亡くなるのですが、絵が売れ出したためその妻と子供はお金に困ることがなかったようです。
徳や運はいつか返ってくる。
キリスト、ジャンヌ・ダルクは不慮の死により、名・神・出来事は永遠になり神の計画は完了したと言います。
ある意味信仰深いゴッホにとって死は永遠となるために必要だったのかもしれません。

エジソンは経営にしても人に対しても傲慢な人(才能のあるニコラ・ステラを潰そうとしたりなど)でしたが、その功績は現在でも人の役にたつものを発明(徳積み・プラスの行為)をしたため今も名が残り評価されているのでしょう。
しかし子供が詐欺などを働き警察に捕まったのはエジソンの傲慢な面(マイナスの行為)がおもてに現れたのかもしれません。
良いことも返ってくるが、悪いことも返ってくる。


それと、私の身の回りでは不慮の死をする人はあまりないのですが、芸能人など成功した方の親族が不慮の死(自殺・殺される・若死に)を遂げることが多いように見えます。
成功するために人の運を使っているように…。

自分自身が若死にする場合もありますが、

美空ひばりさん お母さんは仕方ないとしても本人・弟2人も若死に
安室奈美恵さん 母殺害される
森進一さん   母自殺
デビィ婦人   母の死と同時に弟の自殺
高島忠夫さん  息子さん殺害される
船木一夫さん  弟さん転落死
保坂尚輝さん  両親の心中…きりがありませんので終わります。


話は戻りますが、

オリンピックの選手で言えば練習は陰の努力で“陰徳”、大会に出るのが“陽徳”でどちらも必要なのです。
練習だけで大会にでないのも意味がないし、練習しないで大会にでても成果がでません。

★自分のためであっても、結果的に人の為になる事をすれば徳積みになる。

もちろんゴミ拾いなどをすればキレイな地球に住めるという事で帰ってきますが、
生活面を良くしたければやはりお金儲けの努力をするべきということでしょうか?
自分の代で良くなるとは限りませんが…。
しかし注意点は★結果的に人の為になる事がポイント★ということのようです。

人に質問しながら自問自答となりました。

補足日時:2007/07/09 00:22
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2007/07/08 21:24

「積善の家には余慶(報いとしての恵み)あり」と言われていますが、これは一般に社会的にも信頼されている行動のできる元気な人が善を行いつづけた場合です。

 当然商売は信頼されるものがあるため成功するでしょうし、心もけっこう幸せになる そんな統計上の信頼に足る言葉のひとつでしょう。
でも 陰徳となるとその必要性は簡単じゃないし、短期的に見たらまじめにそれを実践する人のほうが人生での負け戦を演じてしまう可能性は大きいです。元気の無い人がそうなりがちですしね。

 それでも、そこには 善の行いを人間としてあたりまえの事としてべつにそれがえらいわけでもなんでもないのにすこしはえらいことをしてると
感じてしまう人の心にとっては、かくれてめだたずに善いことをするという修行も必要だったりするわけです。

ですから長い目でみれば、「一見不幸とみえる状況に落ち込んでもその心は
やがていろいろな面で幸せの花を咲かせる」という思索から陰徳という道徳の世界も生まれたのだと思います。

生死を越えた人間としての満足の世界とか、そこから死ぬ時に「これでよかったんだ」と言える人生が天国の入り口だとか、宗教家がそのように言う時には、その陰徳の道の事と指し示していると思います。

でも、わかりもしない死後の世界の事を利用して、深い人間としての思索から物を言うのではないような逆にまったく信用のおけない宗教家も大勢いるので注意が肝心ですね。

霊能力というのにはとらわれないほうがいいと思います。

金縛りにあったとき、こんなユーモラスなフェイントで脱出できるのをAKIKO2007さんはご存知ですか。
たとえば首首首と首を動かすことに集中しておきながら、いきなりどこか
体のほかの部分(足とか)を動かすとまずその部分(足)が簡単に動きますし、そして一気に金縛りは解けてしまうんです。

 霊が存在して金縛りを起こすのだとしても どうせその程度の意識状態のボケねた存在と考えればいいのではないでしょうか。

 念力というのも人間には多少は誰にでもあります。でも最大のその能力者でもその力だけで物を動かせる力は、赤ん坊にも劣るんです。

 自分を見つめ、人知れずとも善や人間や存在を信じて希望を失わずに生きて生きたいものです。

 動物の世界は 脳に自分を見つめる能力はまだ育ってないのですから、その進化には弱肉強食が必然でも、自己を見つめて反省し進歩できる人間は、「感じる」という面も発展させることもできるし、そういう人間の幸せの世界を考えたら やっぱり動物とは違うと思うのです。

この回答への補足

全部を理解できなくて申し訳ありません。

一般的に信じられている陰徳を積む行為をまじめに信じて行い続けても負け戦のほうが多い。
やはり社会的にも仕事的にも信頼されている人が善行〈多く仕事・よい仕事・サービス・良いこと=徳を積む〉を行ったときにはじめて報いや恵みを得られる。いわゆる社会的に評価される・お金得る・幸せ気分になる=徳を得る。     

傲慢になりがちな人間に影でも善を行えるように修行をさせるため陰徳は生まれた。

自分の人生は良いことをしたと(善行)満足した気分で死を迎えれば幸せな気分で死ねる事自体が徳を得た。

のようなことでいいでしょうか?

結果、陰徳を積む=運の貯金をしたとというものではない。でよろしいでしょうか?


ちょっと昔のお話ですが、ひとつ思い出した事がありました。
ハンコで運勢を見るお客さんが来た時に多分善行か何かのお話が出たのだと思います。
そこでご近所のK家の話題になりました。
K家はあるお商売をなさっていて、人を雇えるようにまで商売が大きくなっていました。
私はよく知らないので申し訳ありませんが、K家は隣近所にも狡く傲慢に振舞ってた家だったそうです。
ハンコ屋さんは「最高に高く掲げた茶碗が落ちてバラバラになる様になる」という事をおっしゃいました。
その時はほんとかな程度に思っていたのですが、その後K家の跡取り息子さんが突如30代でガンで亡くなった事をきっかけに家庭はバラバラになってしまいました。
お嫁さんと上手く行かず家から出してしまい、お嫁さんが独立して店の名前を使うならお金を出せと言われたそうです。
そして商売もなくなってしまいました。
自慢のお孫さんもいろいろあったのでしょう、ぐれてしまいました。

というようなことがありました。

補足日時:2007/07/08 21:32
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2007/07/08 21:19

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