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先日、講談社現代新書 高橋昌一郎「ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論」という本を買いました。その中の「あなたが神の存在を信じるときに限って、神は存在しない」というパラドックスがどうしても理解出来ません。ぬきうちテストのパラドックスまでは理解できたのですが……。どなたか分かりやすく解説していただけないでしょうか?

A 回答 (7件)

追伸


すこし言い換えて、
(1)神は存在するというということが表現可能で無矛盾であれば、その無矛盾の証明はその体系内で証明できない。
(2)神は存在しないというということが表現可能で無矛盾であれば、その無矛盾の証明はその体系内で証明できない。
この定理は読み替えれば(1)(2)の前文が矛盾すればすべて証明できるということでしょう。
(1)神は存在する(真)という命題が矛盾(偽)ならすべて証明できる
(2)神は存在しない(偽)という命題が矛盾(偽)ならすべて証明できる
(1)神は存在するを(真)にしたときのみ、神は存在しない(偽)が無矛盾を証明するというパラドックスじゃないかな。
(2)はその逆で神は存在しない(偽)の偽(神は存在する)が無矛盾を証明することになる。へんだけどね。
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この回答へのお礼

「この定理は読み替えれば(1)(2)の前文が矛盾すればすべて証明できるということでしょう」
なるほど、確かにそうなりますね。それは正に「矛盾する世界だからこそ、神が存在する」といったところでしょうか。

実はこちらの回答を見た後で本の問題をもう一度見直したのですが、「あなたが神の存在を信じるときに限って、神は存在しない」という問題は、発言者(この本ではスマリヤン教授という人物)と言われた当人との相手の言う事を信じれば、自分が矛盾するという相互言及的なパラドックスになっているようです。そうやってあらためて見直してみると言わんとしている事が分かってきました。回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/08 22:26

「ときに限って」をこう解釈してみました。

あなたが神の存在を信じるか・信じないかで、神は存在しなかったり・したりする!つまり、神は存在しなかったり・したりするのは、あなたが信じるか・信じないかしているから?ゆえに、神でないあなたは、何様のつもり?!すなわち、神でないあなたが、神を超越していること事体が、パラドックスなのでしょう。
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この回答へのお礼

なるほど、面白い解釈ですね。確かにこの命題では、神様の存在は人が信じるか信じないかで決まるという事になりますからね。「初めに人ありき」ですね。

お礼日時:2007/08/08 22:22

ゲーデルの不完全性定理は、


「自然数論の公理系が計算可能で無矛盾ならば、その無矛盾の証明はその体系内で証明することができない」ということを証明しているのですね。
神は存在するという公理系が計算可能で無矛盾ならば、その無矛盾の証明はその体系内で証明することができない。
逆も真ですね
神は存在しないという公理系が計算可能で無矛盾ならば、その無矛盾の証明はその体系内で証明することができない。
どちらも証明できないということです。
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この回答へのお礼

自分の質問に当てはめると、「神の存在を信じるときに限って(神は存在するという公理系が計算可能で無矛盾ならば)」「神は存在しない(その無矛盾の証明はその体系内で証明することができない)」であり、その逆に「神の存在を信じないときに限って(神は存在しないという公理系が計算可能で無矛盾ならば)」「神は存在する(その無矛盾の証明はその体系内で証明することができない)」という解釈とすればいいのでしょうか?
そのまま「神が存在するか、しないかはどちらも証明できない」というパラドックスだとすると「Aを信じる時に限ってAではない」の「Aではない」が「Aとは言い切れない(証明できない)」になってしまい全体が「真」「偽」とならないのですが、うーん……。

お礼日時:2007/08/08 15:35

神は、無矛盾で完全な実存である。


あなたは、矛盾ある不完全な存在である。
矛盾ある不完全な存在が無矛盾で完全な実存を肯定したとき、無矛盾で完全な実存は肯定されない。
矛盾ある不完全な存在が無矛盾で完全な実存を否定したとき、無矛盾で完全な実存は否定されない。

(^◇^;)>ナンチテ
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この回答へのお礼

不完全なものが完全なものを肯定したとしてもそれは不完全であるという、神の存在証明のパラドックスですね。この事は理解できるのですが……。
質問の命題は「あなた(当人)」が無矛盾なものと信じた場合のパラドックスで神の部分が他のAでも成り立つ事「Aを信じる時に限ってAではない」の部分が理解出来ずにいます。

お礼日時:2007/08/08 12:02

心理学には古くからミラーと言う心の動きが指摘されています。


これは本心にことごとく逆らう心の動きです。
このミラー感情がよりによって神を肯定すると、心のバランスとして神様のイデアが消失します。
要するに煩悩には救ってくれる神様はいません。
さらに煩悩だけが崇拝する悪魔すら幻です。
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この回答へのお礼

神様はいないからこそ、信じられるというパラドックスという事でしょうか。

お礼日時:2007/08/08 11:18

「苦しい時の神頼み」の意味ではないのですか。

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この回答へのお礼

その場合は、苦しい時に限って神の存在を信じて神頼みするが、神様は存在しないという事になるのでしょうか?そのパラドックスがなぜ成り立つのかが理解できずにいます。
「Aを信じる時に限ってAではない」これは「Aを信じない時に限ってAである」という命題と同値である。という部分の「Aを信じる時に限ってAではない」という部分が分からずにいます。

お礼日時:2007/08/08 11:06

多分、数学カテゴリーの方が適切な回答が得られる可能性が高いです。

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この回答へのお礼

実は投稿する時に数学か哲学かで悩んだのですが、哲学のカテゴリにパラドックスなどの近い質問があったのでこちらでさせて頂こうと思いました。(でも数学の方がよかったのでしょうか?もし数学の方にあらためて質問し直すとすれば、こちらを終了しないといけないのかな)

お礼日時:2007/08/08 10:50

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