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小学校教諭が、私語を辞めない生徒に対して、舌をハサミで切る真似をした。

このニュースの問題点ってなんでしょうか?私は30代前半で、それほど古い人間ではないですが、何が問題になるのかさっぱり理解できません。教育に詳しい方、教えて頂けないでしょうか。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070823-00000 …

A 回答 (5件)

相当程度の低い行為と思いませんか。


生徒に対する威嚇・脅しそのものです。
はさみを握り締め、刺す真似をするのと同じです。


先生は私語を慎むために何をなすべきでしょう。
言っても聞かない生徒なら、教室から出した方がましです。
生徒が恐がることをするのが適切とはとても思えません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
『生徒に対する威嚇・脅し』そもそもこれが必ずしも悪いとは思えないのですが。『こぉらぁ~!』はどうでしょう。威嚇ですよね。拳固は今やご法度なんでしたっけ。

お礼日時:2007/08/23 21:30

それは、マスコミが視聴者の受けを狙うためメインに表示しただけです。


問題は、不登校になったこと、その原因があだ名を付けて呼んだこと。
その経過にはさみのこともあったというだけです。
マスコミの報道の仕方に問題があるでしょうね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
不登校が生じなければ、あだ名は問題ないのでしょうか?それとも生徒にあだ名をつけることは×ですか。

お礼日時:2007/08/23 21:41

教師は、子どもの手本になるべき人間であってほしいものです。



人の口にハサミを近づけ「切ってもええか」と切るフリをする。
それって、人を教える立場にある人間がやることだと思えません。
子どもは「それくらいならやってもいいんだ」と思ってしまう可能性もあります。
子どもも友達にハサミを近づけ「切るぞ」とやり始めても仕方がない状況に陥ります。
だってそれを諌めるべき教師がそれをやっているのですから。
それは明らかにいじめにつながることです。

挙句にこの教師、児童にあだ名をつけて、それを周りがからかうという状況にもしてますよね。
「悪気はなかった。面白半分だった」というつもりかもしれませんが、
本人が学校を休むほどイヤな思いをしたということは、
明らかにいじめです。
それを教師が率先してやったのです。
考えも行動も、一人ひとりの児童の性格の把握を怠った、浅はか過ぎるものです。

とにかく、教師が軽率な行動をすれば、
それを児童は悪いことではないのだと認識してします。
教育上間違った行動だったことは明白だと思いますが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
変わりましたね。20年前には、ごく普通の光景ですけどね。良い方向に変わったと思われますか?とてもそうは思えませんが。このケース、私の時代ならば、明らかに学校をサボった子供が怒られておしまいですけど。
ニュースを見て、正直ぞっとしました。世の中の常識は、いつの間にかにこんなに変わってしまったのかと。こんな学校に子供は行かせたくないなぁと。

お礼日時:2007/08/23 21:49

>『生徒に対する威嚇・脅し』そもそもこれが必ずしも悪いとは思えないのですが。

『こぉらぁ~!』はどうでしょう。威嚇ですよね。

程度問題というものはありますから、新聞記事にはならないでしょうが、『こぉらぁ~!』も威嚇で使われることが多いので、感心しません。

今でも「先生、ぶん殴ってもいいですから厳しくやってください」という保護者の方がいらっしゃいます。

しかし、体罰を受けて育った子どもは安易に暴力に頼るようになります。
実際に暴力を振るうところまでいかなくても、「言い分を通すために相手に恐怖を与える」という時点で「体罰」あるいは「心罰」と呼んでも良いと思います。

「言い分を通すために相手に恐怖を与える」という論理は、大げさに言えばテロリズムです。
これは民主主義と相容れません。

このようなことが新聞記事になるのは、「建前」として民主主義が浸透している表れなのでしょう。
しかし、一方で「なぜ問題なのか」と感じられる方もいらっしゃるということは、「本物」になるまでにはまだ時間がかかるということだと思います。

教室での様々な事件の中には、おだやかに指導していては間に合わないものも確かにあります。
しかし、「重大事件だから大きな声を出して意識を切り換えさせる」ということと「恐怖を与えるために恫喝する」ということは別なのです。

問題を複雑にしているのは、現在の管理職の中には、体罰肯定派も少なくないために、「体罰禁止」をお題目としてしか使えない人たちがいるということです。

「殴らなければわからない連中もいる」という意見にこだわっている人たちは、平和的な指導で暴力問題をのりこえた数々の教育実践をご存じない方々が多いと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。「殴らなければわからない連中もいる」私はむしろこっち派なのかもしれませんね。
学校教育のイロハも判らないのですが、『教師と生徒は対等』という考え方に基づけば、確かに言い分を通すための威嚇でしかないかと思いますが、小学校というのは『しつけ』をする場でもあるのではないでしょうか。お尻ペンペンに代表される『しつけ』さえも許されないのでしょうか。
親が『しつけ』を放棄して、学校でも『しつけ』が敬遠され、子供たちはいつしつけられるのでしょう。
私の少年時代は、どこの学校でも生徒は引っ叩かれていましたが、かといって、私の世代が『安易に暴力に頼っている』とは到底思えません。

お礼日時:2007/08/24 22:48

>小学校というのは『しつけ』をする場でもあるのではないでしょうか。

お尻ペンペンに代表される『しつけ』さえも許されないのでしょうか。

「しつけ」は必要です。
欧米でも、幼児に対しては「お尻ペンペン」など結構常用されているようです。
ただし、「痛い目に遭わせる」のが「しつけ」ではありません。

基本は「できたらほめる」と「できなかったらできる方法を示す」とうことです。
抽象言語が未熟な就学前の児童に、「深刻さ」を伝えるために指をつねったり、緊急の事態に体を拘束したりすることはやむを得ないかもしれません。
しかし、そのような場合でも、なぜいけないかという理由と「良い子に育ってもらいたいためにした」ということは(たとえすぐに理解できなくても)言葉で明確に伝えておきたいものです。

よく「昔は殴ってしつけるのが当たり前だった」という方がいらっしゃいます。(教員にも)
そのような意見をお持ちの方は、次のような反論も御一読いただきたいと思います。

(1)人権意識が高まっていることは多くの犠牲の上に得られた進歩です。

先生と子どもの意見が対立したとき、小学校であっても(低学年であっても)先生が100%正しくはありません。
暴力によらず言い分を通すことができるのが「正しさ」であり、指導する側はそのような「正しさ」を身につけるべきです。
そして、それは「目上の者を敬う」という指導と矛盾しません。

(2)「しつけ」は家庭と学校だけでできるわけではありません。

昔は学校の内外に「異年齢子ども集団」があり、そのミニチュア社会の中で、集団遊びを通じて、社会性を身につけ、常識を身につけてきました。
今や、そのような子ども集団は都市でも地方でも崩壊しています。
「家庭が厳しかったからしつけが行き届いた」は間違いではないと思いますが、現代でも同じようにやれば良いという問題ではないのです。

(3)不利な条件の中で、「すぐに」「100%」子どもに言うことを聞かせたい場合、(広い意味での)体罰の誘惑は強烈です。
そのような誘惑に流されて威嚇を行うとき、表面的な「従順」の陰で、子どもたちのストレスは蓄積し、ますます指導の通りにくくなる下地を用意しているケースが多いと思います。

子育てに不利な条件は(2)以外にも様々あります。
学校教育で言えば、世界的に見て飛び抜けて多い1学級あたりの児童数や国連の機関から2度も指摘を受けた過度に競争的な受験制度などが指摘できます。
子どもをとりまく大人が一生懸命協力し合わなければ普通に子どもが育つことは難しいでしょう。
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