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今考えると有利だった日本が何故ミッドウェー海戦で負けたのでしょう
皆さんの理由を教えて下さい
また、自分だったらどうしたら勝っていたか教えて下さい

A 回答 (10件)

そもそもミッドウエイ海戦を仕掛けたのは米軍空母を撃滅する目的であったはずです。

この空母は本来なら真珠湾で撃沈されているはずが山本長官の海戦時の戦争目的であったのを彼が南雲にその事を伝えていないばかりで、戦艦ばかりの撃沈で目的完了と空母索敵もせず引き上げてきたのがその後の海戦に大きなミスの繰り返しに繋がっていきます。まず最大のミスは人事であります。何故機動部隊の指揮官を航空機の指揮の経験のある人物を起用しなかったのか、勿論機動部隊を概念は出来たばかりで高官には砲術科や水雷科の連中ばかりで航空科には高官がいなかったこともあるだろうが、航空機で戦艦を撃沈する戦法は新しい戦法であったのであるから人事でも旧来の人事に囚われずに新人を抜擢していれば真珠湾攻撃の時に米軍が今後反撃に転じた時に再建に多くの時間をついやさなければならないぐらいに軍事施設や燃料タンクを破壊し、近海で訓練しているだろう空母の探査して空母同士の海戦が行われ、当時太平洋で保有していたアメリカの空母は壊滅していた可能性があります。この機会を逃したことを後悔して立案されたミッドウエイ海戦では
敵も警戒して準備している相手に挑むのであるから人事も作戦も思い切った方策を採るべき所を従来道理の考え方で機動部隊の指揮官を前の失敗にもこりず新しい人事にもせず機動部隊の運行も第一線に空母部隊を
配置して戦艦群を第二線に配置したばかりに空母部隊が航空攻撃の標的になり空母が壊滅的な損害を蒙ってしまう。もしこの配置を逆の戦艦群
を第一線に配置しておれば航空攻撃を戦艦群が受けたなら撃沈される前
に第二線の空母群からの援軍により対等の海戦になっていただろう。山本長官は世界を正確に観察いていたようではあるが、海軍内部では力が
発揮できず周りの従来の仕来りに飲み込まれてしまい自分の考えを部下にも充分伝達出来ずに戦死してしまった将軍であるようです。日本人の
欠点は非常時に従来の方式を大きく変える事が出来ない民族らしいがこのような時には独裁者でもでないかぎり思い切ったことが出来ないものです。
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あまり、指摘されることがないようですが、私は、指揮官(中でも


総指揮官の山本大将)が臆病風に吹かれたせいと考えています。
 なるほど、気の緩みや作戦上の誤判断、情報不備があり、それが空母4隻を失う直接の原因となったのでしょうが、同じような理由から思いがけずに緒戦に打撃を受けたことは、日露戦争の遼陽・旅順の戦い
など、数多くあったことです。ミッドウエーの場合と違うのは初期の
打撃を挽回しようとの気概をもっていたということです。。
 10時間近い後方にあったとはいえ、大戦艦群を擁し、空母もなお
2隻を残していた「主力部隊」が何故おめおめと逃げ帰ってきたのでしょうか。目的はミッドウエー島の占領だったはずです。
 何かの本で読みましたが、このとき山本大将は、回虫をわかして腹痛を起こし、戦意を喪失していたと考えられます。「後日を期す」とか「これ以上の消耗をしたくなかった・・・」とは逃げ口上で、体調不良にも影響を受けたか、臆病風に吹かれ、敢闘精神を失ったとしか思い
ようがありません。「最後の一艦まで戦う」決意で臨んでいたら、勝てたはずです。
 戦力においては劣勢だった米軍の方が、指揮官・兵ともにはるかに
勇敢に戦ったようです。山本大将のその前後の指揮振りを見ていると、随所に軟弱振りが目に付きます。
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この回答へのお礼

なるほど
山本大将は臆病風に吹かれていたのかもしれないのですね
貴重な意見ありがとうございます

お礼日時:2007/09/30 22:02

ミッドウェー海戦は、負けるべくして負けたと言うべきでしょう。


安易な機動部隊の使いまわしと慢心。
敗戦の原因はこれに尽きます。
昭和16年12月の開戦からミッドウェー海戦の17年6月まで、その正味6ヶ月の間にハワイから帰還したと思ったらインド洋へと休むこともも、整備を十分に行うことも出来ずにミッドウェーです。
準備も不十分、これで勝てたら奇跡です。
また、図上演習の際、実際の状況と同じ「空母3隻被弾」という判定が出たにもかかわらず、その判定を無かったことにする等、「1航艦が行けば勝利間違い無し」の思い込みが、結果として偵察の不徹底、情報秘匿の不徹底、戦力の分散等を招き、負けたのです。
しかし、連戦連勝で、冷静であるべき連合艦隊司令部を始めとして、日本全体が奢り高ぶっていたので、あの場面で誰が指揮を執っても同じでしょう。
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個別の戦闘には勝ち負けの必然はありません。


つまり米国はミッドウエーで負けていても、何時か勝てば良いという、プロ野球でマジックが点灯している状態なのに対して、戦力再生産の覚束ない日本は勝ち続けるしか無い状態だったのです。
ミッドウエーでの負ける確率が結果として偶々当たった訳で、「もしも」があれば勝敗が変わっていたかも知れませんが、負ける確率が4割でも4回続けて勝つ確率は1割ですから・・・。
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皆さんのご指摘ごもっともですが2~3指摘したい事がありますので参加します。



敗因は索敵の失敗に最大の原因があります。  レーダーを持たない日本海軍は目視に頼るしかなく、これには偵察機の高翼、低翼の影響はあまりありません。  ミッドウエーでは残存アメリカ空母の出現は覚悟の上でその為ミッドウエーの空軍基地を最初に攻撃したのですが十分な戦果が得られなかったので2次攻撃を決断したのがそもそもの誤りでした。
空母からの攻撃は搭載航空機の航続距離の関係である程度自らの位置を暴露するものです。
敵空母の所在が不明であるにもかかわらず索敵機を出しただけでその報告も未達なのにミッドウエー2次攻撃の決断をしたのが第2の誤判断です。

この為魚雷から陸用爆弾への変更が必要になり混乱を来しました。
大型陸用爆弾を搭載する攻撃機はもっとも後尾に位置している為、全部の航空機を一旦格納庫に下げる必要があります。
この為格納庫は燃料を満載し爆弾や弾薬を搭載した艦載機で一杯になります。 しかも取り外した魚雷やこれから搭載する陸用爆弾が転がっているのです。

空母の飛行甲板は防御能力は殆どありません。 
この状態でアメリカ急降下爆撃機の攻撃にあったのです。
航空攻撃をうけた艦船は避退行動をとるのが常識ですがこの為艦がかなり傾斜するので艦内の混乱を知る指揮官は躊躇せざるを得ません。
この為直進する空母は恰好な目標です。
アメリカ急降下爆撃機は350Kg爆弾を積み威力は日本軍の250Kg爆弾より大で飛行甲板に1,2発命中しても貫通し格納庫に達して火薬庫のような中で爆発したのです。  それで起こる誘爆と火災で空母は致命的な損害を受けました。

艦船による魚雷戦は目視出来る距離まで接近しなければ何の役にもたちません。

ミッドウエー海戦は不幸な誤判断の積み重ねで負けるべくして招いた敗北といえましょう。
戦艦群を先にすすめる事は航空攻撃だけで戦艦といえども撃沈されることが常識でありミッドウエーの中距離爆撃機ないし米空母の出撃を予想している場合自殺行為といえましょう。
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この回答へのお礼

たしかに自殺行為かもしれませんね
日本軍も楽勝だとおもったのが過ちでしたね

お礼日時:2007/09/30 22:04

どうもミッドウェイ海戦は真実が語られていない模様です。



関係者の話しと写真を見る限りでは雷爆転換は行われていない模様です。
魚雷という兵器はひじょうに高価な兵器でかつ一度に調整できる数は赤城・加賀で8本、蒼龍・飛龍で6本です。これは一度取り外すと調整に2時間ほど要します。そのため一度取り付けた魚雷を爆弾に取り替えるという行動はありえないそうです。
また、出撃直前の空襲といわれていますが、米軍のガンカメラに収められた各空母の甲板上に飛行機は並んでおりません。また蒼龍から飛び立った偵察機は空襲直後に飛龍に帰還しており、甲板上に何も無かったことを示しています。関係者の話しでも甲板上に飛行機があったら海に投棄して誘爆を防ぐのが常識、それが出来なかった状況にあったと考えるのが筋と言っておりました。加賀の乗組員は後ろ半分の甲板は吹き飛んでいたと語っております。

敗因はチャチな偵察計画(立案者は源田)と、偵察機の職務怠慢(筑摩一号機は敵機動部隊上空を通過している)と思われます。
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パールハーバーの真実 技術戦争としての日米海戦 PHP文庫 兵頭二十八/著


http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31624972

に、質問者様の疑問を解く情報が多く書かれていると思います。

ミッドウェー海戦で日本が4空母を喪失したのは
1. 「高高度から接近する敵急降下爆撃機を事前に発見できなかったから」
2. 「敵急降下爆撃機を爆弾投下前に撃墜できなかったから」
3. 「いち早く敵機動部隊を発見できなかったから」
4. 「敵機動部隊発見後、迅速に攻撃隊を準備して発信させられなかったから」
5. 「敵弾を受けた各空母が、攻撃準備中の飛行機の炎上、搭載した爆弾や魚雷の誘爆で消火不能の大火災を起こしたこと。飛行甲板に防御がなかったこと。密閉型格納庫のため、格納庫内の火災に対処する術がなかったこと」
といった理由があります。いずれも偶然ではなく、「システムの欠陥」があってのことです。

1)の主因は「レーダーがなかった」ことですが、ないならないで、高高度に艦攻や艦偵を滞空させて敵機の接近を監視することは可能でした。ただ、「空母機動部隊」というものを発案したのが日本であり、その戦術も「試行錯誤」の段階にあったわけですので、「高高度から接近する敵機をいち早く発見する手立てを講じなかった」ことを責めるのは酷です。

2)と4)の主因として
「零戦が空母直衛戦闘機として重大な欠陥を抱えていた。20ミリ機銃の弾薬数が少なく、すぐに撃ちつくして補給のために着艦することを要し、その度に飛行甲板をクリアーにしなければならなかった」
「上空直衛の零戦が低高度に集まっており、高高度からやってきた米軍急降下爆撃機を迎撃できる態勢の零戦が全くなかった。当時の戦闘機は上昇力に限度があり、高高度からやってきた米軍急降下爆撃機を迎撃するには、事前に高高度で待機していなければならなかった」

4)の原因としてはさらに「戦闘中の艦内で、魚雷を攻撃機に搭載すること自体が困難なことであった《上記の本に詳述。従来は知られていなかった史実です》。その上に、指揮の混乱による「魚雷→陸用爆弾→魚雷の再三の兵装転換」で時間を空費してしまった」

などなど、上記の本を読むと質問者様のミッドウェー海戦についての認識が大きく変わるはずです。題名が「パールハーバーの真実」となっているので誤解しやすいのですが、1942年の空母機動部隊を運用するのは非常に難しいことであったのが判るはずです。

「また、自分だったらどうしたら勝っていたか教えて下さい」

ミッドウェー作戦の際には、支作戦としてダッチハーバー攻撃を隼鷹、飛鷹の2隻の空母で行いました。このような無駄な作戦を止めます。隼鷹、飛鷹の2隻の空母に機動部隊直衛用の零戦と偵察用艦攻を積み、史実でミッドウェー作戦に参加した空母4隻は、攻撃専用に用います。そして、機動部隊の外周部の高高度に敵機発見のための艦攻(通信能力に優れ、爆弾や魚雷を積まなければ長時間滞空可能)を配し、かつ高高度に零戦を常時待機させます。隼鷹、飛鷹の2空母を「迎撃専用」に用いれば十分可能です。こうすれば、赤城以下の4空母は、迎撃用の零戦を発艦・着艦させる心配なく攻撃の準備に専念できます。(1)(2)(4)の問題がなくなれば、(5)の「攻撃隊を満載した状態で爆弾を受け、ガソリンに一斉に火がつき、爆弾と魚雷が次々に誘爆」と言う悲劇は避けられました。

また、日本の偵察機は、低翼構造のため、偵察に一番大事な下方視界が良くない(というより「下方視界がない」)という致命的な欠陥がありました。偵察が主任務の水偵は全て高翼構造(セスナのような構造)とします。可能ならば、偵察を主任務とする艦上機を高翼構造で作りたい所ですが。

零戦の「20ミリ機銃の携行弾数が少ない」という問題ですが、大口径のために弾薬が重く、多数は積めないと言う問題もあります。この「戦闘機搭載火器の問題」は上記の本で多くのページを割いて書いてありますので読んで下さい。
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一般的によく言われるのが[兵装転換]魚雷→爆弾→魚雷による一貫性に欠けていたことが指摘されています。



ただ、その前に海軍首脳部による図上演習などで、日本軍に都合のよい方向に考えすぎて、最悪のことを考えなかったのもミッドウェーでの敗北の大きな原因のようです。

ミッドウェー海戦ではよく南雲中将が現場の指揮官ということもあり、よく批判されていますが、近年では上記の理由もあり、連合艦隊司令部や機動部隊の参謀も批判されているようです。
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あくまで参考程度に聞いてください。



あの海戦は特別有利の戦闘では無いように思えます。
戦力はほぼ同じであり、なおかつアメリカは空母及び基地航空隊の両方を使えたことは大きいです。
またちゃんと数えたわけではありませんが、総飛行機数も恐らくアメリカ側の方が多いです。
零戦もF4Fに対して強いといえますが、珊瑚海海戦やそれ以後の海戦を見る限りでは別にF4Fが使えない戦闘機であったわけでなく、むしろかなり活躍していますので、零戦優位も海戦レベルで考えればあまり関係が無い。
搭乗員の錬度ですが、これは非常に微妙なのですが、どうも日本は開戦当初は言われているほどの高い連度は誇っていないようです。アメリカ側の方も微妙なのですが、戦闘を見る限りでは少なくてもそう劣っていたとは思えません。
また南雲中将の指揮も特別問題とは思えず、更迭されずそれ以後も機動部隊を指揮したように、常識的な指揮をしていたのでしょう。(最近南雲中将は本当に間違った判断をしていたのか疑問に思っています)

結論を言うなら、「あの程度戦力差なら別に負けてもおかしくない」と。
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こんにちは。


あの海戦は負ける選択肢の方が少なかった感じがします。

◎空母機動部隊だけ突出させないで全艦隊まとまってれば空母に被害が集中する事態はなかったと思われます。

◎空母機動部隊にミッドウェイ島基地と米機動部隊の両方を相手させる二正面作戦。最もやってはいけない作戦として常識的な物です。
最初に島の基地を爆撃したら、後は強力な戦艦部隊に島を任せてしまえば米機動部隊に集中できたでしょう。

◎よく言われる爆弾と魚雷の付け替え。
山口多聞少将の進言を容れてれば出遅れなかったでしょうね。
そもそも、水雷専門の南雲司令官が空母機動部隊の総指揮を取った事自体変だと思います。
空母が全滅した後、水雷戦をやりたかったけど駆逐艦を護衛や救助にまわしてしまうとそれが出来る戦力が無かったといいます。
なら最初から航空攻撃と併せて得意な水雷戦をしかければよかったのに。

◎巡洋艦利根のカタパルトが壊れたのは仕方が無いにしても、利根航空隊長自身が偵察飛行でミスしてますので、部隊全体に楽戦ムードがあったのかもしれません。

何より、強力な戦艦群を持ちながらあそばせていたのが不思議です。
あそこには大和も武蔵もいましたし。
動かない陸上基地を砲撃したらさぞすごい戦果になったと思わなかったのでしょうかね?
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