プロが教えるわが家の防犯対策術!

今中3の男子です。技術の担当教師が3年間同じです。1、2年は評価3でした。授業中のおしゃべりも多かったし、意欲があまりなかったので3は仕方がないと思っています。3年になってからは改心し、無駄話は一切せず、授業もまじめに聞くようになり、自分でも確実にまじめに取り組むようになりました。(作品などは3年間、期限までに提出しています。)そんな感じなので絶対4に上がると思っていたのに、やっぱり3でした。授業態度や意欲の変化は認めてくれないのでしょうか。それとも1、2年のイメージの先入観で評価をつけるのでしょうか。(自分で言うのも何ですが、教科担任が変わっていたらきっと4をつけてくれるのではないかと思っています。)  頑張っても成績が上がらないのではやる気も失せてしまいます。納得がいかないのでわかる方宜しくお願い致します。

A 回答 (9件)

絶対評価では、1・2年に不真面目で3年に真面目になった生徒と、1・2・3年通して真面目だった生徒では、3年での評価は前者の方が高い評価になりがちです。

後者にとって当たり前の事を、前者が実行するだけでプラス評価となり、後者はプラスマイナスゼロ評価になります。

技術の先生はどうも、特定の思想を持っているようですね。
厳しいようですが、2年半もその先生と付き合っていながら、内申点の評価の癖を見抜けなかったのが今回の結果に繋がったようです。

>3年になってからは改心し、無駄話は一切せず、授業もまじめに聞くようになり、自分でも確実にまじめに取り組むようになりました
これは、当然のことであり、マイナス評価されることはあっても、プラス評価には値しません。これ以上に、プラスになる行動を起こす必要があります。
技術の先生は普段の話で、
どのように勉強せよと言っていますか?
どのように人と接せよと言っていますか?
どのような心を大切にせよと言っていますか?
どのような人間になれと言っていますか?

勉強とは点数を取るだけではないですよ。真面目に授業を受けるだけが勉強ではないですよ。
どのように学習し、どのように自分の物とするのかが勉強です。

学びの本質を忘れていませんか?それを担任の先生に見透かされているのではないでしょうか?

テストの点数は工夫ではなかなか上がらないですが、内申点は少しの工夫で上がるので、後期で挽回も可能ですよ。むしろ機械的に内申点を付けていない先生の方が上げやすいぐらいです。
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中3の女の子の母親です。


1学期の技術家庭科の成績が4でした。(1年からずっと5でした)
本人は絶対5だと思っていたようで先生にどうしてなのか聞きに行ったそうです。
家庭科の先生は5の評価だったんですが、技術の方の先生が4をつけたと言うことで技術の先生に聞きに行きました。
ある作品の感想を書いた時に一番多く感想を書いた子が14行書いていたそうで、生徒全員の平均が7行だったそうです。
で、うちの子は6行しか書いていなかったらしい。
なので4ということでした。
それでも食い下がって「だらだらと意味もないことを書くより、内容を要約して的確な感想を書く方が有意義じゃないのか」と
文句を言ってきたそうですがもう通知表に記載されているのでなおりませんでした。
でも、先生も少しは後ろめたさ(?)みたいなものがあったのか、子供の言うことに納得したのか、
2学期も今まで通りの成績を維持していたら5をつけるから頑張れと言ったそうです。
これもまた、おかしな話だと思いますが事実です。

中学は指導要綱みたいなもので学習目標、評価方法などが決まっているようで、その目標に達しているか、いないかで
評価しているのではないでしょうか?
それには、授業態度とか意欲とかも入っています。
でも芸術系ってやっぱ先生の主観とかどうしても入っているように思います。
一度、先生に聞いてみるのもいいかもしれませんね。
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 もう一度おじゃまします。


 「名前見ない」と言う部分においては、名前を確認してから成績をつけているのではなく、成績をつけてから出席番号、名前を確認していると受け取っていただいて結構です。先入観を考えているほど暇ではありません。ただ、心の中の問題として、ないとも言い切れない。昨今のいろいろなプロの不祥事からも、どの仕事でも心の部分によって、いい方にも悪い方にも左右されないとは言い切れないでしょう。けれどもこれには証明する手だてはありません。ランク分けも細かい部分でマイナスしている(たとえばハミ出しマイナス2点など)は少ないと思われます。名前を確認する暇なく、振り分けて言っている感じですかね。故に全体の雰囲気から総合的に判断すると言うことになります。そして、重ねて言いますが、作品は「いいモノはいい、悪いモノは悪い」の世界です。これが成立しないと、世の中のほとんどのモノは誰かが考え、制作されたものですから、芸術の世界でもなんでもプロはあり得なくなります。
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全般的な傾向としては、絶対評価になってから「どうしてその成績をつけたのか」の根拠になるデータを明確にするということがうるさく言われています。



そのデータを生徒に見せるかどうかはバラバラです。
が、少なくとも、学級担任が自分のクラスの成績を見て納得できない場合には教科の先生に説明を求めるはずです。
急に成績が下がっていたり、ABCのつけ方と5段階のつけ方の関係で不自然なときには、データを見せてもらいます。
そのようにして、間接的に生徒に説明できるようにしている学校は多数派だと思います。

ですから、先入観で成績をつけているケースはかなり少なくなっていると言えるでしょう。
だとしたら、次のような理由が考えられます。

(1)本人が思っているほどには、授業態度が大きくは改善していない。
(2)授業態度はよくなったが、知識や技能の面で悪くなっている。
(3)「3」の中では上がっているがぎりぎり「4」には届かなかった。

もちろん、先入観が混じっている可能性もゼロとは断言できませんが、それを証明することも事実上不可能と思います。

大切なことは、今後のために、この質問を担任の先生や技術の先生にしてみることでしょう。

上がらなかった理由がちゃんとあるなら、12月までにそれを改善するチャンスがあります。
先入観で上がらなかったとしても、「うっかり先入観でつけるとクレームが来る」と思ってもらえれば、成績をつける側が改善するという可能性があるでしょう。

直接質問しにくいようなら、保護者経由で聞いてみることをおすすめします。
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厳しい意見が続いてますね(^^;。


『授業をじゃまする』子の点引きをするのではなく「授業者」として 全ての子どもが全身全霊で耳を傾けたくなる、そしてそこに制作意欲をかき立てられる授業を展開するのがプロの(それで生計を成り立たせる)教師であるべきですよね?授業力の低い「先生」ほど点引きをなさっているように感じます。
ただ、昨今こういう問題点はそれなりに把握されていて公立トップ校なら内申より学力点重視の方向で入学者を選抜してますから、とりあえず、しっかり勉強して下さい。
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 高校と中学で美術を教えています。

「先入観」の件はやはり生徒によく聞かれます。結論から言うと、教える側のプロであるプライドももちろんありますし、作品モノの点数って現物があるので、「点数の付け方がおかしい」と噂を呼んで疑われれば、作品を全部持ち合わせて比較すれば、えこひいきなんて簡単にバレちゃいますので、先入観によって点数を操作することはしません。
 私の場合は、作品点をつける場合、名前を見ません。まして、自分の担任クラス以外は名前さえ意図的に覚えません。そうです、先入観が入りそうだから。で、作品は冷徹に見ます。基本は上手いかヘタかです。上手い子にはやはりいい点をつけないとそれこそ意味がありません。努力の部分もありますが、その努力とは、紙面上に見える筆を置いた回数や(線の多さ)、色の工夫(チューブの色のままで塗りきるのは色あわせが難しくてヘタに見える、つまり手を掛けて手順を増やしたことが努力として認められる。「夕べ遅くまで苦労してやってん」というのは「あ、そう」としか思えず、もちろん「そうかぁ」とは言うけど、加点において意味がない。なぜなら「努力してないから点引いてくれ」と言う子はいないだろう。出す子はみんな努力している。)ですね。それを何段階かに分けて作品点をつける。そしてそれは「隣の人と俺が何で同じ点やねん」と見ると違和感を感じるかもしれませんが、(私も何度かしますが)みんなの作品を点数段階順に並べれば、同じ点数の塊として納得されることと思います。私の場合は、生徒もすごく納得しました。反論はなかったです。つまり誰がつけても、要は「(何となく見て)いいか悪いか」で素人が見ても同じです。そして平常点はどうかというと、授業をじゃまするようなことをすれば当然点は引くでしょう。ただし、期限内に出すのは社会では当たり前のことなので、遅れて引くことはあってもきちんと出すようになったからと言って加点することはあり得ないと思います。それぞれ3や4などの5段階10段階は割合が決まっているのでコンピュータ任せです。
 厳しいようですが、実技教科の点数は「能力点」。得意じゃなければなかなかあがらないのは自然なことです。だけどだからといって、その程度でやる気を失せてしまうようでは、社会に出たときに通用する能力もなくなってしまいますよ。

この回答への補足

アドバイスありがとうございます。文面で少し気になったことがあります。作品に関しては、(先入観が入りそうだから)名前は見ません。というところが気になります。ということは、名前がわかれば少しは先入観が入ってしまうということでしょうか。うちの技術の作品は名前をつけて提出します。少なからず、気持ちの中で気にしないようにはしていても気にしてしまうのが人間の心理なのではないでしょうか。また、うまい下手の基準はそれぞれだと思います。先生が上手だと思えば点数が良くて、下手だと思えば悪くなってしまうのでしょうか。なんだか納得のいかない評価基準ですね。実技教科は努力では上がらないのですか。。

補足日時:2007/10/30 20:41
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一生懸命なのは認めますが・・・・


「成績」そのものは上がったのですか?

あなたが言っているのは5段階評価ですよね?

この回答への補足

5段階の絶対評価です。質問にも書きましたが、3年になって明らかに授業態度を改善しましたが、評価は3のままで変わっていません。だから1、2年の先入観が少なからずあるのかな?と思ったのです。

補足日時:2007/10/30 20:35
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まあ、大多数は3なんだから・・・。


質問者一人が頑張った訳でもないでしょうに。

>頑張っても成績が上がらないのではやる気も失せてしまいます。

これは、断トツのトップの成績をとってから言う言葉。

しかし、先公如きの評価でやる気が出たり出なかったりは実に情けない。
小学校2、3年生の子供じゃあるまいし。
社会に出たら、「よくやった!よくやった!」と褒められることはほとんど皆無。
そして、努力に見合う評価が得られないことも珍しくないです。
むしろ、努力にほど遠い評価でも歯を食いしばって頑張っているのが実情。
そろそろ、ガキンチョから脱皮すべしですね。
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その評価が相対評価であるなら、あなたが頑張っても、他の人がもっと頑張れば、成績が上がらないことは有り得ます。


3年間ずっと真面目に取り組んでいた人と、1、2年はいい加減で、3年のときだけ真面目に取り組んでいた人とで、どっちにいい評価をするのかは、考えるまでもないことだと思います。

この回答への補足

5段階の絶対評価です。相対評価ではないので、建前上は他の生徒との比較ではないと思います。あくまでもその生徒が評価基準に照し合わせたときに優れているか否かでつけるものだと思います。

補足日時:2007/10/30 20:56
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