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古今著聞集「詩歌の船をわかちて」の本文の訳についてなのですが、
“大納言に仰せられて曰く「いづれの船に乗るべきぞや」と。”

まず“大納言に仰せられて”の“仰す”を“命じる”に、“られ”を受身表現にとったのですが、
これに格助詞“に”をふまえた場合の訳がいまいち分かりません。
これを“(藤原道長が)大納言に命じられて言うことには”と訳し、後に続く
“「いづれの船に乗るべきぞや」と。大納言曰く、「和歌の船に乗るべし」とて乗られにけり”
を“「どの船に乗るのがよいでしょうか?」大納言が言うことには「和歌の船に乗るのがよい」”
にすると、道長が大納言に命令されて大納言に質問し、それに大納言が答えるという、
自作自演が展開されたという可笑しな訳になってしまいます。
ここはどう訳すべきなのでしょうか??
“仰られて”を尊敬表現ととるとか…?

助けてください。よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

会話の主客を大元から取り違えています。


一度、頭をクリアーしてね。

道長が催した川遊びに、大納言藤原公任が遅参するのですよね、そこで、和歌の船、漢詩の船、管弦の船、と、三つの船にそれぞれ堪能の人物を乗せるという趣向なのだが、公任さんならどの船でも通用しそうですね、と、道長が公任の能力を高く評価して発言する場面です。

「大納言に仰せられて」の「仰せらる」は、最高敬語表現であって、「らる」を受身と取るのは誤りです。
道長が、大納言公任「に対して」、「あなたはどの船の乗るつもりか」と尋ねたのです。
「に」は、「動作(仰せらる)の対象」を表す格助詞です。

「和歌の船に乗るべし」の「べし」は、大納言公任の発言で、「私は和歌の船に乗ろう(乗りたい、乗るつもりだ)」と、「意志」の意味でなくてはなりません。
「べし」を「適当」で取るのも誤りです。

古文で、主語を特定したり、話の筋を理解しようとする時は、「不自然な流れ」にならないように注意しなくてはなりません。
質問者さんの懸念されるとおり、「自作自演」が展開されては「おかしな訳」になる、全くそのとおりです。
そのような、道理に合わない「おかしな」訳にならないよう、辻褄の合った、理にかなった解釈が通るように心がけてください。

藤原公任といえば、「和漢朗詠集」の編集者。
なるほど、和歌、漢詩、管弦(音楽)に優れ、時の関白・道長にもに一目置かれるほどの人物だったからこそ、このような文学史的事業も成し得たのだというわけですね。
公任のこのエピソードは、「三船の才」または「三舟の才」といわれて、たいへん有名な逸話です。

一つには、古典常識として、この時代の大まかな人物相関図を頭に入れておく必要があるのです。
藤原兼家をトップとして、道隆、道兼、道長三兄弟(正妻時姫腹)、それと庶子として道綱(母親が文学史的に重要な人物ですから)。
道隆の子として、伊周、隆家、定子(一条帝中宮)。
道長の子として、頼道、彰子(一条帝中宮)。
彰子と一条帝の子として後一条帝、後朱雀帝。
最低、これだけは頭に入れて、藤原道長といえば、「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」とまで詠んだ、時の「関白太政大臣」、その誰よりも地位の高い道長が、「大納言」ふぜいに何か「命じられる(受身)」ことがあるかないか、常識で判断しなければならないのです。

このように、文学史も古典常識も、古文の読解に密接に関わってくる知識なので、単に文学史の設問(配点としては3点くらいか?)を解くためだけに暗記しなければならないというものではないのです。
文学史、古典常識を軽視せず、過去問や模試などで当たる問題ごとに、一作品ずつまめにチェックしていって、素地を作ってください。
読解力に歴然と差がついてきますからね。

おまけにエピソードを一つ。
公任くん、少年期からずば抜けて出来が良く、専ら秀才で通っていました。
藤原氏北家のゴッドファーザー・東三条殿こと兼家は、息子三人を前に愚痴を言います。
「公任くんの優秀なことよ。それに比べて我が息子たちの不甲斐なさ。せめてあの子の影でも踏めるくらいであってくれれば良いのだが」
長男の道隆も、次兄の道兼も、しゅんとして言葉もない中、一人、三男の道長だけが、「影なんか踏むものか、面を踏んでみせてやる」と言ってのけ、父親を満足させました。
そして・・・不遇の時をも乗り越えて、道長は、まさに自分の予言したとおり、公任など足元にも及ばない、一大政治家として功成り名遂げたのでした。
(ちなみに、出生順から言うと、道綱が次男に当たりますが、庶子ですので)
このような少年期のエピソードが下地に合ってこそ、大人になってからの、この三舟の才のエピソードは、より一層、生き生きとするのです。
(少年期の良きライバルだった公任に、それでも余裕で「あんたならどの船でもイケんじゃん?」と言える、道長の余裕、貫禄)

古典って、面白いでしょ?

この回答への補足

回答ありがとうございます!
やはり根本的に解釈を間違えていましたか・・・そのようにとると確かに意味が通りますね・・・

補足質問なのですが、この後、
“のちにいはれけるは、「いづれの船に乗るべきぞと仰せられしこそ心おごりせられしか。
詩の船に乗りて、これ程の歌を作りたらましかば、名はあげてまし」と後悔せられにけり”
と続きます。
この「」内の発言は、藤原道長の発言と考えていいのでしょうか?
大納言が道長に「心おごりだ」と言うのは変だと思うので・・・
これは、『道長が大納言に「どの船に乗るおつもりか」と聞いたことが道長にとって心おごりでそれを後悔している、この詩を詩の船で発表すれば大納言はもっと有名になったかもしれないのに・・・』と捉えればいいのでしょうか?
よろしくお願いします;;

補足日時:2007/12/16 10:58
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「よし(由)」の解釈が、「理由」となっている点を除き、おおむね、質問者さんの解釈で妥当です。



この歌を花山院が『拾遺集』を編集なさる時に、『散る紅葉葉を』を『紅葉の錦』に代えて入れるのがよいという旨をおっしゃったが、大納言が、ふさわしくないという旨を花山院に申し上げなさったので、元のままで『拾遺集』に入れてしまった。
ですね。

「よし」は、「~という趣旨」「~とのこと」「~のような意味のこと」などと訳せば良いと思います。
歌は、原文にはどう載っていました?
「小倉山嵐の風の寒ければ散る紅葉葉を着ぬ人ぞなき」ですか?

公任本人は、「散る紅葉葉を」の四句目を気に入っていたようですね。
理屈に合いますものね。
嵐の風が強く吹くからこそ、小倉山の紅葉は散るのであり、嵐が吹いて寒いからこそ、風下の人々は散った紅葉の葉を体にまといつかせるようにして着るのですから。
決して写実的とはいえませんが、類型の中でもまだいくらか実情に即した面を持っている、すこし古風な感じの歌です。
リアリティーのある分、「感動」が直接的に詠まれているのです。
ところが、花山院は(この人も、独特の美意識や感性を持った方です)、「紅葉の錦」のほうが良いと言った。
一種の慣用句として「紅葉の錦」、錦織のように美しい紅葉、または、紅葉を織り出したような美しい錦織の衣装、という語に差し替えよ、と言うことです。
四句目をこう改作すると、歌はより観念的になり、現実味を離れて、典型的な美を帯び、より人工的に洗練され、絵巻物のような美しさを湛えることになります、でも、そこにはもう、歌の「まこと」、真実味、本来の感動の中心は、燃えかすのようにしか残されていません。
人間の美意識というフィルターを通った、一種の固定的観念として、「感動」そのものが象徴化されてしまうのです(・・・質問者さんは高校生でしょうか、少し難しいですね、ごめんね)。
どっちがいい、ということではなく、公任と花山院の美意識が根本的に違うということなのです。
この話(古今著聞集)では、花山院が原作者の主張に折れて、「紅葉の錦」案を取り下げ、「散る紅葉葉を」のまま、拾遺集に入集した、ということになっています。

ところで、結局は、拾遺集には「紅葉の錦」で入集している、ここが、質問者さんの引っ掛かるところなのですね。
これは、それほど大騒ぎするほどのことでもないのです。
このようなことはしばしばあります。
異本と言いまして、「拾遺集」と言っても、実は、伝わっているのは一種類ではない。
何種類も伝えられていて、その中には、「紅葉の錦」になっているものもあり、「散る紅葉葉を」になっているものもあり、花山院が編集した時点では「散る紅葉葉を」になっていたものが、また、のちの世に、他の誰かが「紅葉の錦」に書き換えたとか、書き写し間違えた、とかは、ざらにあることなのです。

「散る紅葉葉を」という類の直接的表現を嫌い、類型のうちに収めて感動そのものを縮小し、一種の典型的な美意識として完成された形を整える、というのは、中世の文化人好みです。
鎌倉・室町時代の文学者や文化人は、実体験に基づいて和歌を詠む、ということをあまりしなくなる。
題詠と言って、歌会でテーマを与えられ、それに即して想像や回想だけで歌を詠むのです。
生活に密着して、和歌が男女の恋を発展させる手段であったり、友情や主従の信頼、親子の愛を確かめ合う手段であった平安時代とは、和歌のあり方も価値も変わっていくのです。
言葉遊び的要素がまさり、和歌の契機となる「感動」そのものの占める割合が極端に少なくなってゆく。

そういった時代の人々が、「拾遺集」を後世に伝えようとして書き写したとき(印刷技術がありませんので全て手書きの書き写しです)、意識的に、中世人の美意識に即したように書き直すのは、むしろ当然です。
そうした操作があっての、現代に伝わる「拾遺集」かもしれません。
ただ、「古今著聞集」では公任は「散る紅葉葉を」と詠み、このとおりでなくては困る、と、著作権(?)を主張した、と伝えられている、と、それだけのことです。
ここはあまり深くお考えにならないよう。
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「いづれの船に乗るべきぞ」は、道長の言葉ですが、それ以下は大納言公任の発言です。


二重カギカッコなんです。
「『いづれの船に乗るべきぞ』と仰せられしこそ心おごりせられしか。詩の船に乗りて、これ程の歌を作りたらましかば名はあげてまし」と後悔せられにけり。
です。

大納言公任が、のちに仰ったことには(言は「れ」けるはの「れ」は尊敬の助動詞「る」連用形)、「道長様が私に『公任さんはどの船に乗るおつもりか(あなたならどの船に乗っても通用するであろう)』と仰った時にはもう、我ながらつい鼻が高くなったものだよ。それにしても、漢詩の船で、あの程度の詩を作ったとしたならば、もっと私の名声を高めたであろうに(和歌の船になんぞ乗って、惜しいことをした)」と、後悔なさってしまった。

「心おごりせられしか」の「心おごりす」は、公任自身が、自分のことについて言った言葉で、時の関白太政大臣に自分の能力を高く評価されたことについて、我ながらつい自慢に思ってしまった、といっているのです。
「られ」は「自発」で取ります。
押しも押されもせぬ「一の人」に、人前で、「あなたはどの道にもご堪能だから」と褒められて、思わずいい気になってしまったよ、と言うのですね。
その後は話の向きが変わって、やっぱり漢詩の船に乗れば良かった、と言っている、ここが「後悔せられにけり」の内容です。
確か、このとき、公任は、紅葉がどうのこうのという和歌を詠んで(違ったらゴメンナサイ)、大好評を博し、道長の面目を立て、「さすがに自分から和歌の船に、と言い出しただけのことはある」と、歌人としての評判を高めたわけですが、秀才と名高い公任、後になってみれば欲が出たらしく、漢詩の船に乗れば良かったと後悔しているのです。
というのは、もし、漢詩の船で、この、和歌の船で詠んだ程度の出来栄えの漢詩を詠んでいたら、自分の名声は、今以上に高まっていただろうに、と思ったからです。
「ましかば~まし」は、反実仮想の構文で、実際にはそうならなかったことを、仮に~だったら~だろうになあ、と、述懐する意味をもちます。

平安時代、男性にとっては、「真名」つまり「漢字」を用いて、漢詩、漢文を正確に格調高く「作文(さくもん)」できることが、正式の学問として、絶対的価値を持っていました。
これができないと、官吏として仕事になりませんから。
正式文書は全て漢文で書くわけですものね。
でも、学問を修めて仕事がデキるだけではただのカタブツ。
これでは、出世できないのです。

男たるもの、仕事がデキることは当たり前として、色の道、ヤワラカ事、恋の情趣にも通じていなければ、女にモテない。
モテない男は出世しません。
何と言っても、一般貴族の男にとって、有力な家の女を妻にして、その女の父親の地位や財力を足掛かりにして出世街道を突っ走っていく、というのが、理想であり、王道ですからね。
(女の父親は、娘の幸せを願いますから、当然、婿に全面協力するわけです。婿が出世して高い地位に着き、若い頃に出世の踏み台になってくれた妻と舅に感謝して、娘を「北の方(正妻)」にしてくれたら、父親としては一安心です)
ですから、「仮名」を用いた上品な「和歌」にも堪能で、女に気の利いた文の一つも書けなければ、いくら学問が一流で仕事ができても、一生うだつが上がらないのです。
(さらに管弦。音楽にも才能のあることが、この時代、モノになる男の必須条件です)

そんな時代背景にあって、やはり、「漢詩」というのが、男社会の中では「和歌」よりも一段上に見られていたということが、公任のこの言葉からはっきりと分かりますね。

このような文脈の中で、紀貫之が、「土佐日記」を仮名文字で書いた、しかもそれを女が書いたように仮託した、ということの意味を考えてみると、さらに理解が深まりますよ。
さらに「古今和歌集」の「仮名序」と照らし合わせて、貫之の「和歌」「仮名文字」「国風文化」「やまと言葉」への屈折した情念を、じっくり読み取ってみると、無味乾燥と思っていた文学史が、生き生きとした、意味のある知識として根付いてくるはずです。
たった一つの問題文からでも、ここまで理解を広げ、深めることができる。
こういうことが、本当の意味での学問の面白さだと思います。

補足質問してくださり、このような助言の場を与えてくださったことを、私は喜んでおります。
質問者様が、今後とも、「生きた学問」を積み重ねていかれますよう。
また何かありましたら、できることであれば協力させていただきたいと思っております。

この回答への補足

回答ありがとうございます。
何度もすいません。更にこの後、
この歌、花山院、「拾遺集」を選ばせ給ふ時、紅葉の錦とかへて入るべきよし仰せられけるを、
大納言、しかるべからざるよし申されければ、もとのままにて入れにけり。

と続くのですが、やっぱり訳してみてもいまいち意味が繋がらないようなきがします・・・
私はこの文を、
「この歌を花山院が『拾遺集』を編集なさる時に、『散る紅葉葉を』を『紅葉の錦』に代えて入れるのがよいという理由をつけておっしゃられたが、大納言はふさわしくない理由を花山院がおっしゃったので元のままで『拾遺集』に入れたそうだ」
と訳したのですが・・・
辞書に載っているこの歌は『散る紅葉葉』が『紅葉の錦』に代わってるのに、代えずに入れた?など、疑問が残ります。

度々すいません、よろしくお願いします。

補足日時:2007/12/16 19:29
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