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少し前に読んだ英語スキルアップの本で、リーディングの学習についてこんなのが
ありました。英語と日本語の対訳になってるテキストを使い、まず、日本語の訳語を読んで、予め文章の内容をつかんでおいてから、英文の方を読む。
この逆は無駄と、というか、あまり意味がない、みたいな感じで書いてあって、
一応やってみたんですけど・・。

一応、三ヶ月くらい、それとなくやってみたんですけど・・どうも、これで力がついてるのかな・・・って感じになりました。

確かに英文を読む前に日本語で大意をつかんでおいて方が読みやすいし、ストレスも感じないとは思うんですが、これでは未知の文章を読む時の推測力が養えず、根本的な読解力のトレーニングには繋がらないんじゃないか、という懸念が自分にはあるような気がします。

それで、今は、逆にまず、英文を切りが良いところで切って、何とか書いてある内容をわかる内容から予測し、暗闇の中を手探りで進むような感じで読んでます.
そして、大体の意味がとれるようになったところで、和文解説を読むようにしてます。

さて、みなさんは、英文→和文、和文→英文、と、どっちが効果があると
思われますか?

A 回答 (6件)

ハイ、こんにちは!



言葉をならうって、慣れにする訓練なんですね. ですから、ただ「英語を習うにはこうやればいいですよ」という一般のやり方では、うまくなれない(うまく慣れない)ないんですね.

つまり、意味のある訓練、目的のある訓練をしなくてはならないのです.

「英語スキル」にはたくさんの項目がありますよね.リーディングだけに絞っても、学術的な分署を読み解く訓練もあるだろうし(つまり学術用語をまず覚えなくてはならない)、会話(一般用法)、本音を読み取る、などなどなどです.

英語をあくまでも、外国の言葉であって、日本語で読んでいては(カタカナ読み、和訳、英和辞典使用、など)英語はあくまでも、使えない英語となってしまいます.

たしかに大体の意味を知ってから読むということは、確かに、読みやすくなります. この方法は、フィーリングを読み取り、状況/雰囲気を感じるための訓練には大変大切な訓練方法と考えています.

これによって、「ああ、英語では、このようないい方するんだ」と思えるようになるわけです.でも、日本語の意味を覚えていては、この訓練の効果は激減してしまいます.

あくまでも、和訳するために読むんじゃなくて、英語の表現方法を目で取り込む姿勢でないといけないということです.

あなたの言うその逆も同じです. 英語を読むのに日本が入ってくる隙間を作っては、これまた効果激減です.

やることによって使える英語を自分のものにする種を蒔いている事になるのです.

方法という物は悪い物はないと思います。 ただ、効果をもたせないで、「この教材を買えば英語に強くなる」にのってしまい買ってみたけど、「何だ、効果が全くでないじゃないか」ということなってしまうんですね. 

私のもう一つの回答で、「継続は力」というのがあります. 読んでみてください. 何かわかってもらえると思います. そして、結果が出ると思います. ただやっても効果は出ないか、もしくは見えません.

根気良く、意味のある訓練をすれば、その効果は気がつかないうちに育っていきます. そして、「ちょっと、待った、フィーリングがつわってきてる!、それも日本語としてでなく!」という日が必ず来ます。

辞書もできるだけ簡単な英英に変え、読む文章も簡単なものからやってください. 中学の教科書を引っ張り出して、日本語を見ずに、読んでみてください. 英語は、他の外国語と同じように、なれです. 自分を英語になれるよう、意味のある勉強をしてください.

スムーズな日本語が今日は(今日も)書けないです. 割らない点があると思います. どうぞ、補足質問してください.

参考URL:http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=353553
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
Ganbatteruyoさんを含む様々な方からのアドバイスを参考にさせていただきながら
今は、教材もレベルを下げた読みやすいものを、なるべく辞書を引かないようし
しながら読むようにしてます。

英語を勉強するのに日本に介在があるといのはやはりおかしいですよね。
それに、今までの扱ってきた教材は今のレベルでは難し過ぎたかもしれません。
 
取りあえず、焦らず背伸びしないで自分にあった身の丈で、地道な努力をしていくよう心がけて行こうと思ってます。

お礼日時:2002/09/28 08:52

英語の読解力をつけるためには、英文→和文、和文→英文のどちらが効果があるかというご質問ですが、どちらも効果はないと思われます。



英文読解力をつけるためには、英文を英文として読まなければ意味がないのではないでしょうか。

日本語についての理解は、もちろんあるでしょう。しかし、表現力はどうでしょうか。英文→和文という読み方は訳者の表現力に頼っているだけの事で自分自身の読解力にはつながりません。

読解力というものは、英文をそのまま読んでそのままに理解できなければならないものです。それを直ちに日本語へ翻訳できる技術は必要ではありません。日本語への翻訳というものはまた別の技術なのです。

別の技術というものは日本語の表現力というものなのですが、これがあっても英文を英文として直ちに理解できなければ役に立ちません。

辞書がなくても80%程を理解できる内容のやさしい本を数多く読むことをお薦めします。頭の中で意味を日本語に変換しながら読み進むのではなく、英文のまま読みこなせるようになってくればしめたものです。

常に辞書なしで本を読み続けることが読解力をつける早道だと思われます。出来るだけ辞書は引かないようにして下さい。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
英語を英語で読むという試みは以前からいろいろと本でも読んだことがありました。
ほんと、英語の学習方法というのは、色々とありますよね。

昔やったことがあるのですが、けっこうストレスたまってあっけなく挫折したことがあります。
しかし、あのまま続けていたら、もしかしたら、今ごろはかなり読めるようになっていたかもしれません。

また改めてトライしてみようと思います。

お礼日時:2002/09/22 13:15

 対訳の質によると思うのですが、うまく対訳になっていればという意味です。

つまり片方が相対的に見て、ひどく意訳あるいは直訳過ぎるになっていたりすると難しいと思います。

 何と何だったか忘れたのですが、シュリーマンの「古代への情熱」のなかに、たまたまある言語と既知の言語との対訳本が手に入ったというので、シュリーマンはこれを最大限に利用したようです。注意深く両方の言語を対照させながら読んでいったようです。しかもこれでその言語をある程度マスターしてしまったようです。

 「古代への情熱」は純粋に考古学が好きなので読んだのですが、そのだいぶ後になって、気づいたことは、語学関係の本でシュリーマンのこの本が引用されることが多いと言うことです。確かにシュリーマンが次々と新しい言語をマスターしていくところは「言語への情熱」と改題しても良いくらいです。

 ただ、やはりこの情熱という物が無いと何をやってもだめで、この語学の天才にしてからが、やはりそれなりの努力をしているのです。情熱さえあれば、どんなものでも役立てることが可能です。

 対訳は、日本語が自然であれば、日英も同時に意味があるでしょう。そうでなければ効果は半減するでしょう。

 また、何よりも対訳のついた書物に自分が興味が持てるかという問題があります。akatora さんもおっしゃってますが、大抵飽きてしまうのです。対訳にたまたま自分の興味のあるものがあれば、それは幸運と言えるでしょうが、めったにないでしょう。

 やはり、どうしても読みたいと思うものにはかなわないのです。辞書を引きながらでも読みたいと思うものが良いのです。そのうちに辞書をひくのがわずらわしくなり、引かずに読み進む自分に気づくでしょう。そして訳が分からなくなってくるとまた引くといったことが良いのです。

 1500ページほどの大冊の愛読書がありますが、あまり辞書を引かずに読み進んだため、ところどころ読み返すたびに時々辞書を引きます。最も、難解な文章で、英語を母国語としない人の書いたものですのでぎくしゃくして良い文章とは言えませんが。(おかげであんまり良い英語は書けない。(^^; )

 参考:
 「古代への情熱」 ハインリッヒ・シュリーマン 岩波文庫
 「古代文字の謎」 C・H・ゴードン 教養文庫
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
僕にもシュリーマンのような情熱があれば、今ごろ、かなりの英語熟練者となっていたと思います。
対訳の教材は、バイリンガルブックスからのもので、訳の方もしっかりしていると
思われます。

しかし、そうですね。本当にその文章が何を物語っているのかを知りたいと
思えば、辞書を引くなり、精一杯努力を必要としますよね。
分からないから、と、その都度、約分に頼っていたら、いつまでたっても、
読解力の向上にはつながらないでしょうね。

お礼日時:2002/09/22 12:51

まず英語力がどのくらいかでどちらがいいかは変わってくると思います。



もし受験生や英語を学びはじめて浅い人が日→英の読み方をしてもただ
時間が無駄にすぎるだけです。

こんな学習法を高校3年生の読解力のない子にやらせているTOEFL予備校を
見て、落胆したことがあります。
案の上、その子は目で文章を追うだけでわかって気になっている症で、本当は
なにも読めていない子でした。

ある程度の読解力がつくまでは、英語を辞書引きながら訳し、ノートに書いていく
地道な作業が必要です。
ノートすることによって、意味のわかる文章か確認できま
すし、推測力がついてきます(試験で推測している時間はありませんが)。

ある程度のレベルに達すると読む量が必要になってきます。
youdaiさんはTOEICを受けたことあるでしょうか?おそらく700点以上くらい
からでしょうかね。

いちいち辞書を引いてノートに書いていたのでは、読む量が増やせません。
なので、日→英のような読み方をすることがあります。

>英文を切りが良いところで切って、何とか書いてある内容をわかる内容から予測し、暗闇の中を手探りで進むような感じで読んでます.

こういった読み方でいいと思いますよ。短文づつのほうが確認がしやすいです
し、問題ないでしょう。暗闇のなかを手探りというのもいいですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
日→英にしても、英→日しても、やはり、各々レベルによって使いわけていくこと英語力の向上が図れることがわかりました。
後、僕自身、まだまだ未熟なので、辞書を引いて地道にやっていくことの必要性を改めて再確認できました。

お礼日時:2002/09/22 11:52

 わたしも若いころに大学の先生から薦められて、対訳付きのでやってみたことがありました。

うーむ、難しいですね、どちらがいいかは。その先生は、それで効果があったと言っていたのですが。

 youdai さん同様、日⇒英、英⇒日で試してみましたが、3ヶ月も続きませんでした。振り返ってみますに、どうしても「勉強のために読まされている(自分でやっているのに)」という意識から抜け出せなかったからだと思います。

 転機になったのは、自分が本当に興味を引かれる本を読み通せたことでした。わたしは男性ですので、これも大学の先生から薦められたポルノ小説は、のめりこめましたが、これはなかなか続けられるものではありません。(飽きちゃって)

 あとは個人的な読書経験の羅列になりますが、Thor Heierdahl の 'Kon-Tiki Expedition' (ペンギン)でワクワクしたのを皮切りに、Arthur Hailey, Tom Clancy, Laurens van der Post, Shirley Maclaine などを「辞書を引くのももどかしく、引き込まれるように」読み続けているうちに、何年かして「おお、ここ数年で、すっごい力がついてきたなあ」と実感したものです。読む力がついてくると、聞き取り能力や話す力も上がってくるから不思議でした。(不思議でもなんでもないのですが)

 語学の勉強中は、力が伸びている最中は、伸びていることを実感できないものです。あせらず、毎日、30分から1時間、英文に触れ続けていればおのずから伸びていくもの。ほとんどの人が英検3~2級レベルで立ち止まり、挫折してしまうのは、「飽きる」からなのです。

 youdai さんもご自分で工夫を凝らされているようで、20代のころの自分を思い出しました。「飽きたら工夫、飽きたら工夫」を繰り返して、できるだけ続けてまいりましょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
今までの経験上、教材に飽きて、そのまま長続きしなかったということとが
多々ありました。やはり、単純な作業としてのリーディング、ではななく教材にのめりこむような好奇心をもって読まなければ、それこそ挫折の繰り返しですよね。

お礼日時:2002/09/22 11:40

今年受験生ですが、私は英文→和文の方がいいと思います。


受験にせよ何にせよ、推測力が無いと本番では「絶対に」役に立たないし、逆に言えば推測力があれば、分からない文章を飛ばして前後の文章からその意味を捉えることができると思います。

今気付いたのですが、和文→英文とは「リーディング(声に出して読む)」の学習のみに役立つものなのではないでしょうか。
「リーディング(読解)」の場合は英文→和文だと思いますよ~。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
この推測力が大切だということに賛成の意見がもらえて自分でも安心しました。
受験生の方のようですが、来年の受験に向けてがんばってください。

お礼日時:2002/09/22 09:00

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