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世界史を専攻している学生です。十字軍について興味があるのですが1つ疑問があります。簡潔に言うと
第1回十字軍が、「キリスト教世界」と「イスラム教世界」の全面的対決であったと単純に言えない理由は何か?
ということです。
当時失地回復をもくろんで派遣したキリスト世界に対して、イスラム世界は当時分裂しており、さらに日常的にキリスト教徒とも接していたため、こうして派遣された十字軍に対して、「異国からきたキリスト教徒」程度の認識しかしなかったからでしょうか?
どなたか十字軍に詳しい方、教えてください、お願いします><

A 回答 (4件)

 質問の文章の前後の記述等もあわせてお示しいただければ、質問意図ももう少し分かりやすくなるとは思うのですが・・。

その点想像も交えて記入します。

・ビザンツ帝国が手放しでは歓迎していなかったこと(被害を受けたりしているので、当たり前ではありますが・・)
・十字軍国家の一つで、第1次十字軍の遠征期間に成立したエデッサ伯国は、イスラム教徒からではなく、十字軍以前からキリスト教徒(アルメニア人)が竜有していた土地に成立しているーキリスト教内部での闘争の存在
・アンティオキア攻城戦に見られるように、全イスラムというより、土地土地の諸侯がそれぞれ十字軍と戦っているー当初からイスラム教勢力は総力では戦っていない
・フェニキア・パレスチナの多くの都市は、平和裏に十字軍の通過を認めているー巡礼団と見られていた要素がある
 
 これらの点があげられると思います。
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ちょっと記憶と違うのですが・・・



十字軍 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%AD%97% …

にある通り
セルジューク朝 VS 東ローマ帝国
の「東ローマ帝国」が形勢不利のため「ローマ教皇」に援軍を要請したのが発端らしいです
「キリスト世界 VS イスラム世界」の話は大義名分で本音は違うと言う話ではないですか?

記憶だと、当時交易が莫大な富をもたらすと言うことで、当時シルクロードの末端のひとつ、「ヴェネツィア」が勢力を伸ばしていたイスラム圏と折り合いがつかず、交易が思うように行かない、そこで軍事的な圧力を掛けるために経済的支援をネタに「東ローマ帝国」か「ローマ教皇」(記憶が、どっちだったか?)へ圧力を掛け、イスラム圏との優位な条件で交易路の確保を行ったと、言うのが記憶にありますが・・・

こっちの記憶のは、陰謀説くさいですけどね
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十字軍遠征はとても複雑で、単純に「キリスト教VSイスラム教」と捉えると歴史を見誤ることになります。



十字軍の背景には、フランク王国分裂後の混乱からようやく一つの秩序が形成されてきたという背景があります。
ある程度秩序が回復すると、今度は何処が主導権を握るかという争いとなってきます。
特に、フランス・神聖ローマ帝国・ローマ教皇が大きな対立軸として存在しました。(その後、イングランド・スペイン・ポルトガルなどが台頭してくることになります)
そして、自分たちの領土を固めたるために、また内乱期には戦争に駆り出されていたけど秩序が回復して仕事にあぶれた軍人達が、異教徒の領土に目を付けました。
これが、スペインのレコンキスタ運動など、十字軍以外の対イスラム教戦争に繋がっていきます。

で、そうした対立があったときに東ローマ(ビザンツ帝国)から救援要請が来ました。
これを西洋を束ねるチャンスとみた教皇グレゴリウス7世は、1074年にキリスト教徒に向けて「東ローマの救援」を訴えます。
そこに、11世紀頃から盛んになった聖地巡礼の旅ブームが重なり「エルサレムの奪還」にすり替わりウルバヌスII世による第一回十字軍に繋がります。
この争いの中で、聖地を押さえたモノが政治的に優位に立てることにもなり、軍事的野望と宗教的野望が結びつき、十字軍運動は展開されることになります。

他の十字軍も似たような感じで、ヨーロッパ内の政治権力の駆け引きと宗教的な熱狂とが結びついたのが十字軍と言えます。

十字軍の研究書は多数出されていますので、多読して自分なりの十字軍像を研究してみてください。
お薦めの一冊を

『ローマ帝国衰亡史〈9〉十字軍と頽勢のビザンティン文明 』(ちくま学芸文庫) エドワード ギボン (著), Edward Gibbon (原著), 中野 好之 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83 …

ローマ帝国研究の第一人者ギボンの主著の一冊です。
十字軍と東ローマ帝国(ビザンティン帝国)の関係が分かると思います。
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1つには、ビザンツ帝国の存在があります。


西欧諸国の十字軍、東欧を代表するビザンツ帝国、セルジュークトルコは、それぞれ別々の思惑で動いていました。
当初十字軍と行動を共にしたビザンツ帝国軍は、途中で離反してしまいます。
ビザンツ帝国は、イスラム圏と敵対しながらも交易により多大な利益をあげていました。
そのため、イスラム圏と西欧圏との前面対立になる事は、死活問題になります。
その事は、第一回十字軍が、エルサレム王国を設立すると理解してきます。
王国の国民のほとんどがイスラム教徒であり、その国民たるイスラム教徒を弾圧すれば、国家が弱体化してしまいます。
エルサレム王国が弱体すれば、簡単にイスラム諸国に征服されてしまいます。
そこで、十字軍諸国は、イスラム教徒を受け入れざるを得なくなります。
この事は、西欧諸国から出ない人にとっては、背任行為とも見られ、テンプル騎士団が解散させられた原因の口実ともなっています。
イスラム側からしますと、イスラム圏でのキリスト教の信仰は認められていますから、特別キリスト教徒と戦うという意識はありませんでした。
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