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僕が、国公立を受験する場合、センターや2次、第2志望まで含め、古文、漢文、現文、英語、数学、世界史、日本史、地学、現社が必要になってきます。果たして、受験においてこのようなことを勉強したとしても、人生で必要な時が訪れるのでしょうか。単に、受験して良い大学に入り、良い就職先につけば、それでこの力は終わりなのでしょうか。
僕はまだ16歳です。大人の人に比べ、人としてまだまだ浅く、その僕の浅い人生観だけから考えれば、因数分解とか使うわけがない。解の方式おぼえたとこでどうなんのや。古文、漢文とか一生めぐりあうわけない。物理、化学とか専門職の奴しかつかわんやろ。などと考えてしまうのです。
ですが、先人が意味の無いことを教える訳がないということも、なんとなく理解できます。専門職であれば、それに通じる科目が必要になってくるのでしょうが、もしその科目に関わりのない仕事に就いてしまえば、それで、もうその知識はムダになるのでしょうか。
教養の深い方の返事を待っております。

A 回答 (13件中1~10件)

>>ずばり、勉強とはするべきものですか?


>>また、教養のあまり無い人についてどう思いますか?

変な例えをすると、
知識がないと、騙されます。
教養がないと、人をだましても平気になります。

知識、知恵、教養は、似ている部分もあるけれど、違うものだと思います。
心が育たないと、人格も成長しません。
学校の勉強だけでも足りない話だと思いますし、学校で学べるのが勉強だけでもないと思います。
いろいろなところに学び場はあると思いますし、先生がいると思います。

勉強は、どの面を考えても、そのごくごく一部にすぎません。
なので、そのくらい出来なきゃ、という考え方もあるし、他のことで、もっと学ぶべきことがあるよね、という考え方もあります。

またまた、極端な例ですが、
けいおん! とか ひだまりスケッチ なんて、ストーリーがないから面白くないって人がいるんですが、ホントにそう思います?
とってもシンブルなテーマがあるって気づきません?
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君の考えは、悪くはない。

今は、もう高3かな?であれば、16の頃の悩みは、解決したかな?何時までも、くよくよしていると、置いてけぼりにされるよ!いいか、人生の中で、受験程度のことでくじけていたら、今後の人生はないよ。ましてや、学問が役に立つか否かは、君次第だよ。16の頃は、まだ未熟であったから仕方がないが、18になったら、そんなこと言っていられないよ。学問が、無駄知識の集まりだというならば、高校を卒業したら、就職することだ。そして、世間のために貢献するがいい。物理も化学も何のためにあるのかは、その過程で理解できるであろう。私自身は、学問は、必ず役に立つと考えて、大学まで進学したよ。男性は、学歴がないと大変だよ。人脈、情報、金脈が違うからね。どうしても学歴は、不要であると考えるのであれば、体を張ることである。つまり、格闘家になるとか、度方になって血眼になって、汗だくになって働くしかないよ。いずれも嫌なら、君は、人間の屑になる!この世の中は、役にたとうが、たつまいが、やらねばならぬ事だらけである。嫌とか好きとか何時までも言っていられないよ。酸いも甘いも乗り越えて、人間は、成長するのだよ!今の君は、受験程度のことで悩んでいる。受験が嫌ならば、就職することだ!何もやらずに、ずぼらな人生を送るような、人間にだけは、なるなよ!学歴だけが、人生じゃないのも確かだ!だったら、カラテの内弟子になるとか、つまり職人に弟子入りするわけだ。下働きからのし上がるのだよ。つらいが、それが人生というものだよ。だから、あえて、たかが受験程度!といったのだよ。君の言うように、古文、漢文、現代文、英語、数学、世界史、日本史、地学、現代社会が、嫌ならば、受験を諦めて、別の道を模索しなさい。君は、今高校3年生かあるいは、すでに大学生になっているか、社会人か分からないが、いずれにしても、今現時点で、後悔しているならば、君がこの質問を出した頃と、何ら変わっていない!ということだ。何時までも、引きずらないで、前を向いて歩け!!男だろうが!しっかりしろ!!
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お礼、ありがとうございます。

ちょっと遅くなりましたが、その中でのご質問に回答してみます。ただ、すべての科目に回答すると大変ですので、漢文と数学について、回答しますね。
この2つは、同様の質問をした先輩たちが、一番、社会生活に遠いと良く挙げていた科目です。
なお、私の話は、受験とは関係ありません。それは先の回答で書かせていただいたと思います。

まず、漢文ですが、その前に、先人たちの知恵の継承は、書籍(文)によってなされていることはご存じですよね。たとえば古文は、たった150年くらい前まで日本で使われていたもので、それよりも古い日本人の知識は古文が読めないと知る術が無いわけです。古文が読めないと、おじいさんのおじいさんが書いたものがもう、読めないわけですよね。
100年を越えるともう知識の継承が危うくなるような国の文化ってなんでしょうね、という話になります。あなたが海外のコトを知りたい、海外の人のことを知りたいために英語を学ぶのであれば、それと同じくらい、昔の日本のこと、日本人のことを知るために古文は必要なんです。歴史は現代文のものがありますが、それでもすべてのものが現代文になっているわけではありません。あなたのおじいさんのおじいさんが書いた日記は、あなたが読まないと誰も教えてはくれないわけです。
漢文は、中華文化圏の国すべての言語でした。日本の古い時期のものは漢文で書かれていましたし、中国本国では4000年も前から書籍・文が残されています。ただ、意外に思うかもしれませんが、漢文を作った民族はもう、世界には残っていません。今、漢文を使っている民族はいないんです。
中国では、古くは三国志、近くは文化大革命など、(旧)漢民族やその文化が虐殺・激減する時代を数度、経ています。このため、漢民族に漢文化は継承されませんでした。血統的にも劉邦の漢の時代のものは全く受け継がれていないともいわれています。で、現在、中国は共産国で、その古代の歴史は正しくは伝わっていません。
では、どこで継承しているかというと、日本や韓国、ベトナムなどの周辺国でなんですね。自分の国の歴史すらきちんと教えていない(日本史は選択科目ですよね)のに、「漢文」は必修科目として子どもたちに教えなくてはならないくらい、これらの国では、国の根源になるものが漢文にあると考えているわけです。もちろん、四書五経など、その国の文化の規範となる原典が漢文であるということもありますが、その国を維持するための知識・知恵が漢文で書かれているということです。
たった一つの例を挙げると(多分、この例は文科省の本意ではないのですが)、「孫子」という書籍はご存じでしょうか? ナポレオン、ヒトラー、チャーチル、蒋介石、毛沢東以外にも、日本の著名な会社を創業した人たちにも読まれた、戦術書であり、現代のビジネス書にもその有用性が挙げられているモノです。もちろん、私も日頃の仕事が上手く行かないときに、その理由を考えるときに参考にさせてもらっています。数千年の時を経て残ってきただけの幅広さ、奥深さがあります。
こういう本は、翻訳は、その翻訳者の意図が入ります。なので、原文で読むということは、とても大切なことなんです。(文庫でも原文と翻訳の両方が載ってたりしますしね)
私はこういう有名な本しか知りませんが、まだまだいろいろとあるんでしょうね。漢文は、そういう本を読むための技術なんですね。
日本人が日本人として仕事をする、商売をする、生活をする とは、どういうことか、アメリカ人が仕事をする、商売をする、生活をする ことと、どう違うんだろう、ということの答がある気がします。
人が生きていくうえで、いろいろ悩むときにどうやって解決していくか、が文化なんじゃないでしょうか?

数学 はもっと単純です。
東洋では実学、西洋では理論学(理学)として生まれました。日本人は東洋人ですから、実学として話をしていきましょう。(江戸時代の関和算は、理学ですが)日本では基本的な勉強を「読み書き算盤」といいました。

あなたが建物のだいたいの高さを知りたいとき、三角比が役立ちます。人間、高さは必要以上に長く感じるモノです。数学の知恵がない人は、その錯覚にだまされます。
賭け事でも同じ、店頭での割引でも同じ、ローンを借りるときでも同じ、最近流行りのFXでも同じですね。数学の知識がないと正しく理解することができません。
ちょっと昔、ジャパン・アズ・ナンバーワン といわれていた時代があります。その時代を作れた最大の理由が、世界中に行った商社マンのうち、日本人の商社マンだけが、現地の複雑なプラントの説明や、技術の話を理解できていた、ということだとされています。シリコンバレーで捕まった産業スパイとされた日本人も、技術者ではなく、商社マンなんですね。
当時の日本人は、高校までの勉強で、文系でも今の理系と同等の数学の知識を習わされていました。仕事になったときにそれを思い出して役立てるのは訳がなかったわけです。
これに対抗するため、今では数学者が直接、金融などの実戦部隊に加わっています。日本はこれについて行けずに、金融での争いに敗れてバブルがはじけるのはその後の話ですね。今日本で流行っているFXとか、その期待値(儲けの計算)などは、微積分が分かっていない理解できない部分があるはずなんですが、大丈夫なのかなぁと思ってしまいます。車は原理を知らなくても運転できますが、故障したときにお店がないと直せない世界で、個人投資をしてもいいのかな?と思うんです。
とても身近な話では、あなたは、年金の話をきちんと理解できますか? 
その知識を付けさせたくない人もいるわけです。
数学とは、そういう学問です。
けっして、勉強した概念があなたの思考の幅を広げる、なんてレベルだけでの話ではないんですね。(それも重要な話ではありますが)

長くなりましたが、身近に感じました?、それとも関係ない世界の話だと思われました?
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この回答へのお礼

とても参考になりました、ありがとうございます。
漢文の話は、とても身近にかんじました。
ずばり、勉強とはするべきものですか?
また、教養のあまり無い人についてどう思いますか?
回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/04/01 20:16

とても重要な質問で、レスがいっぱいついていますね。


複雑な内容ですので、あまりスカッとした回答にはなりませんが、ご容赦ください。

(1)そもそも教育には2つの方向性があり、しばしば矛盾を生じる。
A.個人が知識や技能を得て豊かな生活を手に入れるための教育
B.国や企業に都合の良い人材を育てるための教育
Aのためには、お役立ち度の高い内容・真実に近い内容を勉強するべきです。
Bのためには、内容自体よりも、「ムダと感じつつも従順に受験システムに乗り続けられるか」が試されるわけです。

(2)未来は読めないので、「標準の知識=教養」で不測の事態に備える。
文系の学部を卒業したから、文系の仕事にしか関わらないかというと、そうでない可能性は高いのです。
世の中が複雑になるほど、文理の双方の知識を必要とする仕事が増えています。
たいていは、複数の人間がチームを組んで仕事をすることで補いますが、それでも、相手の言うことがまったく理解できないようでは困るのです。

(3)騙されないためには広い知識・学ぶ力が必要。
個人レベルでの詐欺犯罪だけでなく、一部の特権階級にだけ都合の良い法律がバンバン通るのは、本当の意味での学力が国民に不足しているという側面もあると思います。


受験学力に限れば不要なものも多いのでしょう。
しかし、それを学ぶ側の人間がひとつひとつ見分けるということは困難かもしれません。

とりあえず、自分なりに「学ぶ面白さ」を感じられる勉強方法を工夫してみましょう。
高校生くらいになれば、そのような工夫を通じて、「本当の学力」に少しは近づけるように思うのです。
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この回答へのお礼

返事ありがとうございました。
まだ、たかが高校生ですし、がんばって勉強しようと思います。

お礼日時:2008/03/28 12:25

私自身も高等学校に進学するや、central10さんと同じことを思っていたので、そのように考えてしまう気持ちはよくわかります。


だいたい、まだ遊び盛りなんだから

  「勉強なんかイヤだ!」

と思うのが普通でしょう。
ですが、御質問の表題にある「受験力」の意味を高等学校までの学力プラス受験テクニックという前提で「学力」という言葉に置き換えてお答えしますと、central10さんの進路にもよりますが、ズバリ、必要です。
ハッキリいうと、テストで点が取れる「点取り虫」のノウハウが社会に出てからも応用して役に立ちます。あとにも出てきますけど社会に出ますと、職業を問わずして

  ○制限時間内にいわれたことを
   実行する能力があるかどうか

  ○問題解決能力があるかどうか

という視点で評価され、給料などの報酬が決まってきます。
したがって、central10さんが将来の永きにわたっても

  「いい生活、豊かな生活がしたい」

と希望されるならば、絶対はずせない重要事項です。
たとえば、企業に就社して従業員になるにせよ、社会に出ていきなり起業するにせよ、個人事業主となるにせよ、ビジネスをするのであれば、どんな科目であれ、今の時期に養ったことや理解できた方法論といったものが、応用として役に立つ「確率」が非常に高いということなんです。
ただし、よく勘違いする人が多いので、老婆心ながら付け加えますと、central10さんがいう「受験力」を高めるのは「目的」ではなく、あくまでも社会に出て御自身が納得する活躍ができるようにするための、ひとつの「手段」であるということです。
これを勘違いして社会に出てから失敗する人が実に多いので、先々注意が必要です。
あと、科目については、全ての科目が全部できる必要はないです。
むしろ、嫌いな科目、やりたくない科目は、そもそも今の自分には縁がなかったと思った方が精神衛生上ラクだと思います。
その上で「どんなことができるか」「どんな科目がやりやすいか」という視点で、得意科目を見つけていくことをオススメします。

>人生で必要な時が訪れるのでしょうか。
>単に、受験して~(中略)~終わりなのでしょうか。

これはね、大人になってから、それこそcentral10さんが思いもよらないシーンで「教養」という形で役に立ってくれる時期がかなり高い確率で来るとだけお答えしておきます。
そのときまで覚えていなくても、人間の記憶というのは不思議なもので、あとになってたどってみると「そういえば高校の時、習った」というシーンもあり得るところでしょうな。
あるいは、高校のときは苦手だったようなことが、ある時期から俄然おもしろくなって勉強を再開した、なんてこともあり得るでしょう。

勉強する意味っていいますのは、言い方は悪いですが、社会に出て central10さん自身がメシが食える人間に進化していくことに必要不可欠だといえます。
どういうことかっていいますと、central10さんが持っている能力を最大限に引き出して、社会に出て発揮できて納得のいく報酬をもらえるようになる、ということに他なりません。
学力を高めることは、その目的に対する手段の一つであります。

では、この先 central10さんが経験されるであろう大学受験あるいは企業への就職試験・企業内での昇進考査といった「関門」では、一体何が問われるのか。これは、

  ○制限期間内に指示されたことを
   こなす能力があるかどうか

  ○効率改善、利潤追求に係る
   問題解決能力があるかどうか

といえまして、これが重要な尺度であり大原則なわけですな。この尺度を測って成績・成果が残せた人だけが、今後様々な職業人生の局面で「勝ち組」として生き残っていく、という極端なことはないにせよ、人生を大きく左右するという事実が歴然としてあるわけなんですね。
たとえば、就職活動にあっては、

  「一流大学の看板がある人と
   ない三流大学の人との差」

  「国公立大学と私立大学との
   性質的な違い」

この2点は歴然としてありますし、企業側も当然のごとく認識しています。
ここで「企業側の本音」を探ってみますと、基本的には自社にとって役に立ってくれれば、学力なんて関係ないが、大部分のところで大学に入るだけの能力のあった人と、社会で役に立てる能力を持っている人とが一致してきている不幸な事実があるために、確率的に一流大学出身者を採用しているにすぎない、というわけです。
これは極端な話、学歴を伏せて採用試験を実施しても、結果的に上位成績の方から採用していくと、フタを開ければ一流大学出身者で占められている、というわけです。
「国公立大学と私立大学との性質的な違い」というのは、とくに論理的思考力を試す論述試験を実施しますと、国公立大学出身者の方が上位成績を獲得することが多いということです。
これは現実として大学入試の段階から論述もしくは小論文問題をやっているということから見ても、この種の問題に慣れているということがうかがえます。

>もしその科目に関わりのない~(中略)~ムダになるのでしょうか。

社会に出てからすぐにそのような判断が効くかどうかは、正直言ってその時になってみないと誰もわかりません。
ただいえることは、学習方法や集中力の高め方、あるいはイヤな勉強を取り組んでみようと思う「必然性」を持つといったことは「応用が利く」であろうと推測できますし、その視点で見ればムダではないと、気がつくはずです。

これからcentral10さんが学ぶであろう科目については、ひとつ、ヒントとして次のキーワードを視点として、「得意科目にしよう」と思うか、「縁のなかった科目」としようか、考えてみるとおもしろい結果が出てくるかもしれません。

  ○記憶力
  ○知識・常識・教養をふくめて
   物事を正しく理解する力
  ○判断力
  ○論理的思考能力

そして

  ◎実行力

です。最後の「実行力」は前の4つの力が備わっていても、実際に役に立つ行動に活用できなければ宝の持ち腐れになります。
たとえば高等学校での中間・期末考査や大学受験でのいわゆる「アウトプット」に慣れるための対策演習をやっていなければ、いくら知識がついたところで成績や成果に結びつかなくなります。

central10さんは、こういうところへ今回のような質問をしてくるだけでも将来の見込があると思いました。
また、わからないことがあれば、別スレッドにてどしどし質問してみてくださいな。

将来にわたって、central10さんが納得のいく充実した人生を歩まれることを、御祈り申し上げます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
いまだに数学の有用性は分かりませんが・・
とにかく期末テストは頑張ってみます!

お礼日時:2008/06/27 00:30

入試がなぜあるか、公務員試験はなぜあるか、は、「科挙」をまねているからという答が、一番分かりやすいかもしれません。


教育の機会は均等でなければなりません。この均等というのは、望む者全員にチャンスを与えるという意味です。能力によって選抜をするという意味です。

能力には、
家柄、資産、門地、出身、地縁、血縁、などなど、生まれもって持っているモノと、本人の資質があります。生まれもってもっているもので、選抜をしていく社会は貴族社会がありますが、そういう古代中国でも、「国ため」役人は、すべての身分に、広く門戸を開く科挙という受験制度を持っていました。
本人の資質にも、いろいろありますが、そのうち、知識、教養のみを問う制度が残ったんですね。それ以前には、郷挙里選や九品中正法などの他薦・自薦の推薦による方法もありましたが、コレでも不正があり優秀の人が採用されない、と考えられたわけです。
あなたのため、ではなく、「国のため」に優秀な役人を採用するための制度が、入試です。万人が個人の能力、それも資産とかではなく、純粋にその人自身の資質のみを問い、優劣をつけようという制度ですね。

日本の受験制度の最大の特徴は、学科試験では、すべての普通科高校生が習う内容のみを出題範囲としていることです。制度面で、学力においては完全な平等を担保しているんですね。
で、「受験においてこのようなことを勉強したとしても、人生で必要な時が訪れるのでしょうか。」というご質問ですが、これ、あなたの間違いです。「受験のために勉強」をしているのは、あなたの都合です。「高校卒業のために勉強」しているのです。
文部科学省において、指導要領が規定されています。これは、
 社会に出て社会人として生活し、仕事をするうえ、
 高等教育機関(大学、大学院など)でより高度な学問を修得するうえ、
で必要となる(現在は)最低限の教育内容が規定されています。
で、結果だけ書きますと、あなたが現在習っている内容では、上記の内容を満たしていない、という判断が、現在はなされ、21年度以降、より内容を増やした状況の指導要領が新しく実施されます。
戦後、とにかく国力を伸ばそうといわゆる詰め込み主義の指導要領を実施し、これはその後の経済成長に言及するまでもなく、国としては成功しましたが、生徒の自殺、過当な受験競争など、教わる側が不幸になるということで、その後一貫して、改訂の度に内容が削減されてきました。
現在の日本は国力は落ちています。また、入学生や新社会人の学力の低さを嘆く高校、大学、企業が増え、PISAなどの国際的な学力調査でも、都度、順位を下げる結果となり、文部科学省の責任問題にまで及びました。そのため、定期的な改訂を待たずに、実施可能な最速のタイミングで内容を増やす新課程を実施することになりました。

現在の指導要領と次の指導要領は、小・中学校で一斉実施されています。高校は順次切り替えです。このため、分かりやすい例では、円周率3で習った生徒は今年高校入学になるわけです。
「今の高校生」が日本の歴史で、もっとも学校で教わる範囲が狭い世代となります。国が反省するなんてことは、恐ろしく珍しいことですが、あなたの今教わっているそして教わってきた内容は、社会人になるうえで、全然足りない内容であると、国が反省したものなんですね。そのことは知っておいて良いと思います。

ひとつひとつ、あなた今教わっていることがどう社会人になったときに役立つか、という話をすることもできますが、教わる内容を削ってきた結果、どれだけ社会が混乱して、国力が落ちてしまったかをお話しした方が分かりやすいかな?と思って、こういう回答を書いてみました。
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この回答へのお礼

専門家の方の意見ということもあり、とても参考になりました。ありがとうございます。
面倒でなければ、ひとつひとつの科目について、社会人になり、どう役立つか、ということもお聞きしたいのですが、よろしいでしょうか?

お礼日時:2008/03/27 11:29

個人的な意見ということになると思いますが、自分としては、例えば、専門科目の入試以上にセンター試験のような広く浅い知識というのも、生きていく上で様々な機会で活用されるものだと思います。


アップルコンピュータ創始者の一人、スティーブ・ジョブズの言葉ですが、次のようなものがあります。(トーマス・フリードマンの「フラット化する世界」に引用されていました。)
「先を見越して点をつなぐくとはできない。過去を振り返って初めてつなぐことができる。だから、いまは関係がないと思われている点同士が、将来はつながると信じることだ。」
これは、もっともな話だと思います。
教養とは、まさに、そういうものだと思います。
自分の今までの僅かに三十数年を振り返っても、高校時代までに学んだこと、受験勉強を通じて憶えたことが、やはり役に立つ機会があったなと思います。
どんなことであれ、学んで身に付けたことは役に立てる機会があるものだと思います。
もちろん、それを役立てるかどうかは本人次第ですし、受験だけに必要だと考えて根本的な理解をおろそかにするような勉強法をとれば役立てることもできないとは思いますが。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
広く浅くまなんでみたいです!

お礼日時:2008/06/27 00:33

こんばんは



世の中には、ネガティブな人とポジティブな人がいます。
そして不思議なもので、ネガティブな人はあまり成功しませんし、ポジティブな人は人生を楽しんでいることが多いものです。
勉強についても、「なんでこんなことやるんだろう」と思う人はなにをやってもたいしたことはなかったりしますし、人がつまらないことでもおもしろく思えて集中できる人は輝いて見えるものです。
どちらがいいかは価値観の問題ですが、年寄りとしては、若い人にはなにごとにも一生懸命取り組んでほしいと思ってしまいます。
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役に立つのか立たないのかで言えば、「あなた次第」としか言いようがありません。


「役に立つ」というのは結果の話なので、それが直接「必要性」とは結び付かないことに注目しましょう。

実際には永久に使わない知識も多いことは事実です。
しかし、その「あそび」の部分が本当のその人の力、地力のようなモノなのではないでしょうか。

結果だけに注目していては、大した人間にはなれないと常々思っております。
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高校で勉強する内容について,大人の人に聞いてみればいかに忘れてしまっているかわかると思います.ただし,ある一部についてはそこそこ覚えているでしょう.例えばお医者さんになる人はお年寄りの方とお話をする機会が多いと思いますが,実際国語力とか歴史の知識がコミュニケーションを円滑にするらしいです.



あなたが将来どんな道に進まれるかによって,高校で勉強する内容のどの部分が活かされるかはわかりませんが,将来の職業を心に決めていて,そこで必要になる分野しか勉強しないという方法は良くないと思います.高校で勉強する範囲は各分野を浅く広く知る程度の内容です.どんな進学校であろうと専門的と言えるほど深くある分野について勉強する事はないでしょう.最初からある分野を勉強しないで見切りをつけてしまうのはおかしい話です.それを知らなければ知らないほど,それが自分にとって大事なのかそうでないかの判断はいい加減なものであると言えます.

また,偏った分野の勉強は,知識の問題だけでなく,頭の使い方にも影響があると思います.人によって得意分野が違うと思いますが,それは各分野で頭の使い方が違う事と関係があると思います.(もちろんそれが全てじゃないでしょうが.)柔軟な思考力を育む為にも様々な分野の勉強で頭の使い方を訓練する必要があると思います.

物理や化学を文系に進む人が勉強する意味はないでしょうか?世の中には似非科学があふれています.商品の宣伝文句をおかしな科学で説明しいることもあります.そういうものを鵜呑みにする人を増やしたくないです.また,物理現象を理解するのは専門家の仕事でしょうか?自分の身の回りで常に起きている現象を理解しておくくらいはしておいても良いのではないかと思います.高校の理科は教養程度の内容ですし.
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