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長文になります。
私が幼稚園児の頃、母は突然私を連れて家を出て、離婚の裁判をおこしました。その後小さい頃より色々と父親の悪口を聞かされ、父親の事も当時父親が住んでいた町の名で呼ぶようになりました。(例 ○○町から電話が来た)

まだ幼く自己判断ができないうちから、父親の悪口を色々聞かされて育ちましたので、小学校の頃、学校の前で父親に待ち伏せされたり、母親の知り合いなどに私たちの消息を訪ねて回ったりしていた事を母親から聞かされた時には、今で言うストーカーのようだと、本気で薄気味悪く恐怖心がありました。けれども今、私は結婚していて、当時の自分と同じ年頃の子供がいてもおかしくない年齢になり、改めて当時の父親の行動を振り返ると、もし自分だったら、やはり同じ事をしたのではないかと思います。

母親と離婚後、父親の住んでいた家が地上げにあい、父は数千万の大金をてにしました。結婚していた時に買った家なのに、分け前をよこさないのはおかしいと憤慨していた母親は、父親に会ってたかって来いと、今まで拒否していた、もしくは私が嫌悪感で拒否していた父親との面会を奨励するようになりました。高価な玩具から衣類、果ては学費の全額など、毎月の養育費などの他に、今思えば父親にはずいぶんと散財させてしまいました。今思うと、離婚も母親の身勝手な性格によるものではないかと思っています。その母親とは、その後私自身もいざこざが絶えず、もう五年以上音信普通です。(こちらから連絡をしても、連絡がつかない状態です)

現在70歳近くになる父親は当時得たお金で購入した土地でのわずかな駐車場代と年金で郊外のアパートで一人で生活しています。知り合いが善意で仕事をさせてくれていて、その収入も月数万円ほどあるようなのですが、その仕事も近いうちになくなってしまうそうです。(収入的に)どうするのか尋ねると、考えないようにしていると笑っていました。
それでは今もっている土地を売って生活費にあてたらどうだと言うと、その土地は私の為に残したいのだと言っていました。

当時の母親のマインドコントロールの名残で、私は自身の近況を父親には何も話していません。結婚してもう数年になる事、自営でお店をはじめて、収入的にも余裕が出てきたことなどです。
そこで今まで30年近くも、突然家族と引き離され、孤独に生きてきた父親を、引き取ってまだ父が元気なうちに家族との生活という経験をさせてあげたいと考えています。(父は実の両親とも早くに死別しています。)妻は優しい性格なので、まだ一度もあった事のない父親との同居に、不安はありつつも前向きに考えてくれています。

ひとつだけネックなのは、父親がエホバの証人だと言う事です。もともとは結婚していた時、母親がはじめたものなのですが、離婚後、両親もなく、地方から東京にでてきて身の回りに友人知人もいなかった父は宗教にのめり込んでいったようです。私と話すときもすぐに宗教観に結びつけた話になってしまいます。自分自身元2世で、母からのガスホースやムチでの虐待?(笑)を受けた事もある私は、正直、宗教そのものには嫌悪感を持っていますが、現在に至るまで、自分にかわり、日々の父の心の支えとなってくれた宗教上の兄弟姉妹にはひとまず感謝していますし、今の年老いた父のギリギリの生活も、信仰からくる清貧なのだと自分に言い聞かせなくてはやってられないだろうとも思います。

それでも、同居が実現した際に、父親のみさかいない勧誘や信仰心の押し付けなどで、私や妻がそれが負担になってしまえば、同居解消ということにもなりかねません。それではかえって父親に対しても可哀想だし、なかなか同居という話を持ちかけられません。妻は一度会ってみたいと言ってくれていますが、眠っている子を起こすなという気持ちもあります。

以前に父にいっしょに住まないかと冗談めかして言われた時に、どっちをとるかだと答えたことがあります。その時、もし一緒にすむなら宗教はやめないといけないという私の言葉に、小さな声でそれでもいいと答えたことがあります。
それでも脱会は難しいという話も聞きます。専門家の力を借りた方が良いのでしょうか?それとも宗教を続けたまま、日常生活でそれをある程度自制させることは可能でしょうか?
父は、例えばエホバという言葉のヘブライ語での意味を、不意に聞いても即答できませんでした。他にも教義についての質問をしても、理路整然とした回答がすぐに返ってきません。教義を追求するというよりも、人恋しさから宗教にはまっているのではないかとも感じています。

詳しい方のご意見アドバイスをお待ちしています。
よろしくお願い致します。

A 回答 (16件中11~16件)

 昔、エホバの証人と聖書の勉強をしていました。



 信仰から離れる際に一番怖いのは、排斥に合うことではないでしょうか?(お父様はバプテスマは受けられているのですよね?)特に、あなたが仰るように教義自体に確固とした信仰というよりも人恋しさから会衆に入り込んでいるような場合ですと、おつらいと想像します。今は特にお仕事もされておらず一人暮らしで、決して趣味の世界などを持っていらっしゃらなそうであれば、お父様の世界は全てエホバの証人との人間関係かも知れませんね。

 そこから排斥に合ったら、高齢のお父様の精神衛生にはかなり堪えるのではないでしょうか。
 ですので、私もスープの冷めない距離でお父様の信仰を尊重しつつあなたのご家族の生活も守るという形がいいのではないかと思います。

 しかし、
>その時、もし一緒にすむなら宗教はやめないといけないという私の言葉に、小さな声でそれでもいいと答えたことがあります。
 というお返事だったとのこと。
 そのリアクションから想像するに、お父様ご自身も今の生活に少々疲れていらっしゃるのではないかと思います。
 ご存知の通り、エホバの証人は信者同士の兄弟愛をとても重要視するので、精神面では確かに満たされる反面、世俗を一切受け入れないので閉鎖的になりがちです。また(最近では方針転換したとの話ですが)高等教育を薦めないので高齢になっても生活が苦しい方が多く、狭い会衆内での本音と建前の苦しさなどもあり、鬱病にまで悪化する人が多いということも言われています。
 もしかしたら今のお父様は、お金も家族も何もない状態で、信仰を捨てて次に移りたくても移る対象を持っていないため、今の会衆の人間関係があるのだから幸せだとご自分を納得させていらっしゃるのかも知れませんね。
 あなたという家族を得られるなら、また安定した仕事のあるあなたからの金銭的援助を得られるなら、兄弟愛しかない今の生活を捨てて乗り移りたいと思っているのかも知れません。

 お父様が信仰というよりは協会の人間関係をどう思っているのか、本音が聞ければ、どうするのがいいか見えてくるのではないかと思います。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

父はバプテスマは受けています。私も排斥については父の心情を察すると辛いであろうなと思います。排斥の問題がどこまで徹底されているのか、協会の事をあまりしらないわたしには想像できませんが、今まで仲良くしていた人たちから拒絶されるのは、宗教でなくても辛い事です。それを排斥と言う言葉で予言宣言しているのですから、戒律の一環とは言え、もっとおおらかな気持ちで考えて頂けないものかとは思います。

>もしかしたら今のお父様は、お金も家族も何もない状態で、信仰を捨てて次に移りたくても移る対象を持っていないため、今の会衆の人間関係があるのだから幸せだとご自分を納得させていらっしゃるのかも知れませんね。

私が今一番感じているのはmaneater様の仰る通り、この部分の事です。今までも、やめてほしいという事は伝えてきたのですが、じゃあその後どうするのか?やめたらどうなるのか?という問題に対しては何も考えていませんでしたし、手を差し伸べるような事も考えていませんでした。

お金も家族もない状態、信仰というよりどころを失えば、そういった悲惨な現実を直視して、独りで向き合わなくてはなりません。
なぜのめり込み今もそれが続いているのか、それを考えてみた時、出てきた一つの答えが、上記の理由もあり、妄信せざるを得ないのではないかと言う事です。

そのような現実逃避が核になった信仰だとしても、きっと本人も自分自身でも気づいていないのではないかとも思います。自分に嘘をついているうちに、それが嘘だと言う事を、自分でも忘れてしまっている場合、なかなか本音を聞きだすのは難しいかもしれませんが、やってみたいと思います。

貴重なご意見ありがとうございます。協会についての話もお聞きできてとても参考になりました。

補足日時:2008/05/21 11:40
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私も2世です。

小さな頃は、何故母は私をムチで打つのか?と本気で疑問に思った事もありましたが、今思えば、決して理不尽にしつけされた訳でもなく、世間一般のしつけと同じでした。約束事を守らなかったり、嘘を言ったり、弟をいじめたりしたときに、何故そういう事をしたらいけないか、きちんと話をして私が納得した上で、《じゃあ反省ね》と言っておしりをパリチと1回叩かれたという記憶です。世間ではよく、我が子を虐待する宗教とか言われていますが、そんな事は一度も経験した事がありませんでしたよ。
それに、私達兄弟は皆結婚しましたが、母は家族を勧誘したり、話を無理に聞かせたりはしません。家族を勧誘しなさいとの教えは一切ないですよ。宗教は自分で信じて入信するものです。同居したから、貴方や貴方の家族も入信させられる・・・なんて事はないので安心して下さいね。
私ごとですが、数年前に水害で、自宅が浸水した時、母の仲間が一気に食事や、掃除のお世話をする為に我が家に来てくれて、近所で一番早くに普通の生活を送ることが出来ました。近所の方達は市のボランティアが来てくれたのは我が家より4日も後でした。我が家に来てくれたエホバの証人の方は我が家だけでなく、隣に住んでいる一人暮らしのお婆ちゃんがいる事を話したら、すぐに食事や掃除の手伝いをしてくれました。私達家族はその時、本当にエホバの証人は心優しい人達だな~と感じました。少し勉強してみようか?と思いましたが、仕事や家族の世話に忙しく時間が取れずに勉強できませんでしたが・・・
話は長くなってしまいましたが、お父様の事を考えて同居したいと思われるのでしたらそうしてあげて下さい。お父様は決して無理強いして、あなた達家族を入信させたりはしませんよ。熱心な方であれば、会話に聖書的は話を含めて来ますが、貴方がその話に関心を示さなければ、それ以上の事は、話さないと思います。現に母がそうですので・・・でも私は母は大好きです。旅行に行ったり、買い物に行ったりよくしますが、決して無理に勧誘してきたりはしません。綺麗な花を見たりすると《エホバは私達を喜ばせるためにこんな綺麗な花を創造してくれたんだね~》とかは言っていますが(^^;)
是非家族の暖かさをお父様に味合わせてあげて下さい~
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

私も、父を心情的な支えになってくれた、信仰上の兄弟姉妹には、会ったことはありませんが、感謝しています。

私にとっても難しいのはエホバの証人の人たちが、良い人たちだと言う事です。

なぜ私が、父に信仰から離れてほしいのか、それは私の父が信仰を自虐的に解釈して、苦行僧のような生活をよしとしているからなのです。
uranmama35様のお母様が旅行や買い物によくいかれると言うお話を聞いて新鮮な驚きです。エホバの証人の人でも、そのように楽しみを持って生きている方もいらっしゃるのですね。

でも父の場合、旅行や買い物などしたくても、経済的な余裕もなく、きっと信仰上の理由で、あえてそうしているんだと、自分に言い聞かせているのかもしれません。

貴重なお話をありがとうございます。お母様のお話はちょっと目からうろこでした。

お礼日時:2008/05/21 11:33

お父様を手元にお呼びしたい気持ちは分かりますが、まだ自立して生活がお出来に


なるなら俗に言う「スープの冷めない距離」で暮らされるのが一番良いように思います。

高齢になるとなかなか「周りに合わせる」ことや「柔軟な考え方」を持つことが
難しくなります。実のお父様ですので同居のイメージも掴みやすいとは思いますが
それはどうしても甘い予測になってしまうものです。

信仰は生活の一部です。
私自身は無宗教ですが強い信仰心を持っている知り合いがたくさんいます。
同居と引き換えにそれをやめさせるというのは、今まで信仰を支えに生きていらっしゃった
お父様にとっては虚しくなることもあるかも知れません。
教義などに疎くても「自分のそばに何か大きなものの存在を感じる」ということは生きる支えに
なります。年を取ればよけいにそうでしょう。それはまた肉親との絆とは違うものです。

一度同居を始めれば「やっぱりややめた」とは行きません。信仰の問題だけではなく
介護の問題も遠い先のことではありません。そしてそれは奥様の大きな負担にも
なっていきます。

まずはお近くに住んで頂いて「見守り」から初めてはどうですか。
足腰が丈夫な間は自分のことは自分でやって貰うのが一番の親孝行です。
その合間に家の行き来をしたり、どこか一緒に買い物や旅行に行ったりしてお互いの
気持ちを整理させていけば色んな事が変わっていく可能性があるかも知れません。

まずは距離を近づけて心の交流から始めては如何でしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

私の考える、父にとっての幸せが、独善的な解釈の押し付けになってしまってはいけないですね。
何をもって幸せとするかは人それぞれだとは思います。
家族と住めて、経済的な不安も解消されて、無趣味の父には、犬の散歩や土いじり、今はまだいませんが孫の世話でも焼いたりして、のんびり余生を過ごさせてあげたいというのが私の考える父にとっての幸せです。今の父は信仰が教える禁欲的な生活と、経済的な理由から来る禁欲的にならざるを得ない生活がごちゃ混ぜになっていて、一緒にすんでこちらがリードして趣味のひとつでも覚えさせないと、薄暗いアパートの一室でひそやかに暮らすライフスタイルは変わらないと感じています。

同居自体大変な事だから、妻の為にも、私の為にも、宗教の問題だけでもクリアにしておきたいというのが私の気持ちなのですが、それが生活の一部になっている父にとって、どちらか一方を選ばなければならないと言うのは苦痛な決断だと思います。

私が心情的に思いつめすぎているのかもしれません。父にとっての幸せは何か?それも踏まえて考えを詰めていきたいと思います。

アドバイスして頂き、視野が狭かった考えに気づかされました。ありがとうございます。

お礼日時:2008/05/21 11:12

今のまま、つかず離れずで交流するのがお互いの幸せと思いますよ。


同居すれば我が出てきてぶつかることも多々あります。
現状、質問文を読む限り、特にせっぱ詰まった状況では無いようですから、ご自分の家族を紹介して、普通に別居状態のまま付き合っていったらいかがでしょうか。
もちろん可能であればいくらかの経済的な援助をするとよいと思いますし、老後の相談も乗るべきですが、ご心配されているように、同居してギスギスする可能性もあるので、このまま別居してご家族で頻繁に訪ねていって、交流を深めるのがベストです、その後のことは

>考えないようにしていると笑っていました。

と、お父さんが言われることが一番まともで、あなたが経済的に困っていないことが判れば、土地を売ってホームにお世話になるという選択肢もありますし、ご家族との交流を通して、お父さんの宗教もいろいろ変わってくる面もあると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

心情的に切羽詰っているのは私のほうかもしれません。父は思春期に両親を亡くし、母との離婚後も独りで生きてきました。
70歳近い父がこの先死ぬ時、家族の生活と言うようものをあまり経験もできずに、このまま人生を終わらせてしまって良いのかという気持ちもあります。

できればまだ元気なうちにそういった安心感や経験をさせてから死なせてあげたい、でも宗教のことからくる小さなことの積み重ねも含めた問題、私自身幼稚園の頃に父とは生き別れて暮らしていたので、宗教の事がなくとも、父との生活には未知の部分があります。難しいですね。せっかくご回答頂けたのに、要領を得なくて申し訳ありません。

もし私が思うより今の父が幸せであるのなら、まずは頻繁に交流を持って様子を見るのも手堅い方法だと思います。

考えないようにしていると父が笑ったとき、例えば沖縄の人のなんくるないさ~といった陽気なものではなく、不安や悲壮感のある笑いでしたので私自身が思いつめてしまっているのかもしれません。

冷静な視点でアドバイスいただき、私もまずは少し落ち着いてみようと思います。ありがとうございます。

お礼日時:2008/05/21 10:53

はじめまして。


お話を読んでmh0105さんのご両親に対する深いお気持ちをしみじみと感じてなんだか感動してしまいました。また思いやりのある奥さんを持ってお幸せですね。きっとお父様もmh0105さんが、素晴らしい家庭を築かれていることをとても喜んでいることと思います。

私はエホバの証人に特に詳しいわけではありませんが、私の家にも大分前から信者の方が本を持って勧誘に来たり、少し興味があって家の中で話を聞かせてもらったりしたこともあります。

私はなぜか小さいときから宗教に興味があり、中高もカトリックの学校へ通いました。若い頃は仏教や心理学にも興味があって大分本を読んだりしました。現在は両親が以前から信仰していた生長の家の教えを信仰しています。そこでは、様々な宗教はそれぞれ国や文化の違いの為に教えが色々異なっているが、けして否定したり悪く思ったりすべきではない、という教えています。

エホバの証人を信仰している方は、とても真面目な人が多いみたいですね。私には暗く感じる彼らの終末論のことなどで議論したこともありましたが、私の考えも真面目に聞いてくれるし、自分たちの考えを無理やり押し付けるような方は一人もいませんでした。ただただひたすらに教えを信じてそれに忠実に生きているものすごく謙虚な人たちだ、という印象を持っています。

お父様もきっととても真面目な方で、その宗教を心のよりどころにして生きてこられたのだと思います。ですからそれをまず受け入れてあげたらいかがでしょうか。私にはお父さんが他人を無理やり勧誘することはないのではないか、と思えるのです。もしmh0105の暖かいご家族と一緒に暮らすようになれば、心にゆとりが出来て宗教に対する頑なな心も和らいでくるのではないかと思います。

mh0105もこれまでのつらい記憶のせいで、その宗教に対する嫌悪感や懐疑心をもたれているのかもしれませんが、ご両親のそういう行動は宗教のせいというより自分たち自身の葛藤のせいだったのではないかと思います。

せっかくmh0105も奥様もお父様に優しい思いやりも持たれているのですから、宗教のことなどで、せっかくの一緒に住もうという気持ちを邪魔されてほしくないな、と思います。

まずお父さんの信仰を認めて受け入れてあげる(もちろん自分たちも信仰するということではありませんが)、信仰心があるのはいいことだね、それで支えられてきたんだね、という気持ちでいてあげる、そうしているうちにお父さんの宗教に固執する気持ちも和らいでくるのではないでしょうか。

エホバの証人は怖い宗教ではありません。こちらが懐疑心や恐怖心を持つことなく大らかな気持ちでいれば問題になることはないと思います。
それよりもmh0105と奥様のお父様に対する優しい気持ちを優先させていただきたいと思います。

私も長くなってしまって恐縮ですが・・・、mh0105さんのお話を伺って逆にとても暖かい気持ちになりました。
皆さんでお幸せに!
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

私もエホバの証人自体、他で問題になったようなカルト宗教のように恐れてはいません。話をしていて呆れるくらい、真面目でひたむきな方が多いように感じます。

そうとはわかっていても、どうしても引っかかるのは無神論者である私や妻との人生観などに対する価値観の違いです。何か話をしていても教義や信仰に結びつけた物言いになってしまいますので、正直それには抵抗があります。また一人暮らしの父のところには、宗教上の兄弟の人たちが食事をしにきたり、勉強会で集まったり、遠方から泊まりに来たりもしているようです。父にとっては、宗教をとおしてとは言え、かけがえのない人たちだとは思いますが、同居した家が集会場のようになってしまったらと思うとそれにも抵抗があるのです。

それと、例えば私が初対面の人と会うとき、相手から信仰の話や、勉強会への誘いをされたら、正直ドン引きしてしまいます。
父の場合も、自分の宗教=正解とおもっているようですし、より多くの人たちを教団の教えに目覚めさせてあげるのが善行だと思っているようですので、妻の家族や私の友人知人などに、控えめとは言えそういった類の話をされるのではないかと言う心配は、正直ストレスになってしまいます。

本当は、何よりも本人と話し合うべきだとはおもうのですが、話の方向性によって、ぬか喜びはさせたくないので困っています。要領を得なくて申し訳ありません。
けれども、父親の人格への尊重を考えれば、本当はそういった面に対しても、ある程度はおおらかな気持ちを持たないといけないんですよね。父の思い、妻の思い、私の思い、どこにどのように線を引くか。。。難しいです。ありがとうございます。

お礼日時:2008/05/21 10:30

新聞記事でみたので確かではありませんが、未成年の子供が病気になった時に親が手術を拒否(血がでるため?)し、死亡させ逮捕されたと言うもので、非合理的な*教だと思いました。

同居しても勧誘しないこと、家族の病気(要手術の場合)に干渉しないこと、など念を押すことです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。誤りがあるかもしれませんが、輸血拒否については、聖書に出てくる、他人の血を入れてはいけない、と言うような語句を拡大解釈した結果だったように思います。聖書が書かれた当時、今のような医療制度があるわけでもなく、推測では血にまつわる野蛮な儀式や、まじないめいた治療に血が使われる事を、衛生的な面、または野蛮な行いを禁じる側面から書かれたものではないかと考えています。何はともあれ一般の信者の方々は、その教義を律儀に守っているようですね。私は無神論者ですが、彼らの指すエホバが本当に存在していたとして、信仰の為に、せっかく授かった命を全うできなかった人たちのことを神様が、よくやった!!などと考えているとは思えません。きっと、そんなつもりで言ったわけじゃないのに...という悲しい思いではないかと思います。

信者の方たちはおおむね生真面目で律儀な方たちが多いように感じます。上層部が右向けといえば、いっせいに右を向くような人たちという印象があります。昔地域ごとに奨励されていた道具を使った幼児へのしつけと称する過度の体罰や、輸血拒否の問題にしても、もう少しよく考えてから教義に取り入れるべきだと思います。

話がそれてしまいました。私が幼い頃、教義で誕生日などは祝ったりしないのに、贈り物をしてくれた父ですので、そんな無茶は言わないととは思いますが、人をかたくなにさせる宗教というものの一面も知っていますので、確かに楽観はできません。
ありがとうございます。

お礼日時:2008/05/21 09:57

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