私はmixiをやっているのですが、「命は大切だ」とか「生きているだけですばらしい」といった内容の日記を書く友人がいます。私はそのようなことを臆面もなく言う(書く)人が虫酸が走るほど大嫌いです。しかし、なぜそのようなことを言う人が嫌いなのか、うまく説明することができません。この私の気持ちを説明しているような本などはありませんでしょうか。中島義道さんなどが書いているかも…と思って探してみましたが、見つけることができませんでした。
また、それ以外にも、「命は大切である」「生きているだけですばらしい」という意見に疑問を呈し、反論しているような著作、もしくは、そうである理由を分かりやすく明確に論じている本も同時に探しております。心当たりのある方、オススメの本がある、という方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えていただきたく思います。よろしくお願いいたします。
No.1
- 回答日時:
>「命は大切だ」とか「生きているだけで素晴らしい」とか言う人が嫌いです。
>なぜそのようなことを言う人が嫌いなのか、うまく説明することができません
劣等感です。
知識(書籍)でそれを処理しようとするのは劣等感からの逃避でしょう。
劣等感ですか…私自身はそのように感じたことがなかったのですが、もしかするとそうなのかもしれません。
書籍でのみ解決しようとしているのは私自身、浅はかであることはわかっております。ただ、自分で考えてもなかなか答えがでず、考える手助けとなるような本がないかと思い、今回はこのような質問とさせていただきました。本を読んでそのままそれをそのまま受け入れ、自分の意見にしてしまう、ということは避けたいと思っております。ご回答ありがとうございます。
No.2
- 回答日時:
回答の意志はありませんでしたが、一個の人間の意志と意欲、考えを一刀両断するご助言は望ましくありませんので。
お気の毒と存じましたので。死に惹かれる西郷隆盛や、彼と江戸引渡しの談判をした、鉄州山岡鉄太郎の文献やブロッグをお探しください。
鍋島の武士道「死ぬことと見つけたり。犬死でいいではないか」のことをご勉強ください。(山本常朝です)
お友達の仰せのことはお友達の一定の心や人生の歩みといきさつ、経験からのことでして、それを友にしてきていることの少ない方から、価値判断や評論はできるだけご慎重にされてください。
離れて、冷静に眺める程度がいいです。
お友達のいうことに何かを思い、かかわっていき内部に入っていくことは自分にもその方にもあまり益にはならないと存じます。
これはそういう痛い経験をした、私自身への戒めです。
私はその友人の考えが決してダメだとか、間違っていると思っているわけではありません。実際、その友人の言っていることは至極真っ当であることはわかっております。ただ、それをわざわざ多くの人に向かって声高に叫んでいるようなところを、どうしても「嫌だなあ」と思ってしまうのです…。そしてなぜこのような感情が出てくるのだろうか、ということを理解したらもっとうまく自分の感情を処理できるのではないかと思い質問させていただいた次第です。ご回答ありがとうございました。
幕末、明治維新のあたりの歴史は少し興味もありますので、山岡鉄太郎についてはぜひ何かしら読んでみたいと思います!
No.3
- 回答日時:
「命が大切」と言う思想自体がお嫌いなのでしょうか。
もしくは、そういった事をSNSで得意気に語るのが気に食わないと言う事でしょうか。後者でしたら、分かる気がします。
書き方によるのでしょうが、「そんな所で書き散らすなよ」という人もいますね、、、。
完全的外れでしたら無視してくださいませ。
的外れでは全くございません、というか完全に当たりです。私も後者の考えなのです。そして、なぜ私は「得意気に語るのが気に食わない」と思ってしまうのか、という疑問がわいてきたのです。ご回答ありがとうございます。
No.4
- 回答日時:
命は大切です。
生きているだけで素晴らしいです。
私はそう思いますよ、心底から。
そうは思わないとすればあなたはまだ大切な人を
亡くしたことがないからでしょう。
で、とにかくその考え方を批判している「本」をお探し
のようですが、言ってみればあなたの中にあるのは、
「書籍信仰」なのではないですか。
私の質問の仕方ではそう思われても仕方ないかもしれませんが、私は命を大切だと思わない、というわけではございません。下のkitcat3さんが回答していただいた内容が一番近いと思います。
2年前、当時一番親しかった友人が交通事故で亡くなりました。(質問に書きました友人たちの日記もその事故に関連してのことなのです。)当然私も悲しいし寂しいです。「ああ、あいつが生きてたらなあ」と思うことも多くあります。しかし、その「悲しい」とか「生きていてほしかった」と思うことは私の感情であり、それを「命が大切である」という、いわば普遍の真理と結びつけて考えていいものなのだろうか、疑問があるのです。私は死にたくないですし、親しい人にも死んでほしくありません。そういう意味で、「私の」命や「私の近しい人」の命は私にとって大切である、と言えると思います。ただ、普遍の真理としての「命は大切である」という理由を説明できません。質問をもう一度読んでいただくとわかっていただけると思いますが、そのことを批判している本だけでなく、明確に大切であると説明している本も同時に探しているのです。
書籍信仰、ということに関しては返す言葉がございません。自分を省みますと、恥ずかしながら完全にそうだと思います。ただ読んでそれをそのまま受け入れる、ということは避けようと思っています。対立する意見も読んで、自分の考えをまとめていきたいと思っております。
長くなり、論点もずれてしまいましたが、dongri5656さんのご意見に回答していく中で自分の疑問も少し輪郭がはっきりしてきた気がします。本当にありがとうございます。
No.5
- 回答日時:
創造者に根源を持つ命とこの世界は、執着と欲望という気根に躓かないで、真理にいたるならば解脱になろうが、この世のすばらしさだけに幻惑したままでは、根源には遠いのですね。
普通の人が、単に命を頌め歌ううちは未だし、であらざるをえないのですね。
命のすばらしさ、大切さ、逝った人への思いを本当に持つためには一度それを離れなければなりません。
そういうことを仰せられることばが、嫌みの響きがあるうちは、いう人も、聞く人も命の根源を理解してない状況です。それは自分を離れなければ分からないし、いえないものなのです。
No.6
- 回答日時:
>私はそのようなことを臆面もなく言う(書く)人が虫酸が走るほど大嫌いです。
死刑を支持しながらそういう人 とか、動物や魚や植物を食べていながら、平気で臆面もなく言う人とか、命は大事だといいながら、身をもってそれを実践していない口だけの人に、虫唾が走る ってことでしょうか?
>なぜそのようなことを言う人が嫌いなのか、うまく説明することができません。
欺瞞を感じるからじゃないか と。
星の王子様って物語があります。
自分が大切に育てた薔薇を、この世で一番美しい薔薇だと思っていた王子様は、地球にきて、沢山の咲き誇っている薔薇を見て、ショックを受けた。
唯一の美しい薔薇じゃなかった と知ったわけです。
ショックを受けた王子様にキツネはいいます。
『あんたが、あんたのバラの花をとてもたいせつに思ってるのはね、
そのバラの花のために、ひまつぶししたからだよ。
肝心なことは目に見えないだよ。 心で見なくちゃね』
再度 王子様は薔薇たちの元に行きます。
『あんたたちは美しいけれど、ただ咲いているだけなんだね。
あんたたちのためには、死ぬ気になんかなれないよ。
そりゃ、ぼくのバラの花も、なんでもなく、そばを通ってゆく人が見たら、あんたたちとおんなじ花だと思うかもしれない。
だけど、あの一輪の花が、ぼくには、あんたたちみんなよりも、たいせつなんだ。
だって、ぼくが水をかけた花なんだからね。
覆いガラスもかけてやったんだからね。
ついたてで、風にあたらないようにしてやったんだからね。
ケムシを・・・二つ、三つはチョウになるように殺さずにしておいたけれど・・・殺してやった花なんだからね。
不平もきいてやったし、じまん話もきいてやったし、時には、どうしたのだろうと、きき耳をたててやった花なんだからね。ぼくのものになった花なんだからね』
『ぼくはあの花を愛していたんだ。
ただあの頃のぼくには、花を愛するということが、どういうことなのかわからなかったんだ』
↓
<僕は生きていたんだ。
ただ、あの頃の僕は、生きるということがどういうことなのかわからなかったんだ>
あななたが臆面もなく咲き誇る薔薇を見て虫唾が走るってのは、彼らの心に薔薇が咲いていないと、心の目で感じるからじゃないでしょうか。
星の王子様は小さいころに読んだ(読んでもらった?)記憶はあるのですが、内容はほとんど覚えていません。しかしkigurumiさんが少し引用していただいた文を読んだだけで名作であることがわかります。深いですね。これは絶対に全文を読んでみます。
>欺瞞を感じる、彼らの心に薔薇が咲いていないと、心の目で感じるからじゃないでしょうか
そうかもしれないです。本当に思っているのかもしれないが、なぜそれをわざわざ言わないといけないのか?と思ってしまうのです。
No.7
- 回答日時:
命を奪わないで生きられない状況・立場にいたままで、自分と自分エゴが大切な命のすばらしさや大切さをいうことはいただけないのは、ANo.6さんのご指摘の通りでしょう。
まことに鼻持ちならないことは、ご質問者さんに同感するし、それが仏教でもキリスト教でも、ヒンドゥ教でも、同じ教えでしょう。そういう言辞や言説からは身を離なして、冷静にこちらの自分を持していることですよ。相手にしない。そしてこちらは、みんなを、生けとし生けるもの、万物に対する自分の思いを育てることではないでしょうか。自己確認や手柄や、名誉やその他に自分を翻弄させないでいられるようにすることではないでしょうか。それは無宗教でもいいし、何教でも結構ですし、科学でも文学でも、単なる思索でもいいのではないかと存じます。
西郷さんも、鉄太郎さんも、山本常朝さんも、みなさん、死に向き合い、それを超えた方々だと、私は認識しております。日本人には日本人の先輩が一番伝わってきます。私の主観ですが。
何度もご回答ありがとうございます。下のNo.5の回答は少し私には難解でして、後でじっくり読んでお礼をしようと思っておりました次第です。
>自己確認や手柄や、名誉やその他に自分を翻弄させないでいられるようにすることではないでしょうか
そうですね、私も常々思っております。ただ、分かってはいるのですが、いまだ修行が足りず、つい他人によく思われたい、よく見られたいと思ってしまいます…。私は今は学生なのですが、少なくとも働き出すまでには、自分を確立し、信念を持って正しいと思えるように行動できるような人間になりたいと思います。
No.8ベストアンサー
- 回答日時:
わたしも中島義道さんなら書いているような気がします。
昔読んだ記憶があるのですが『私の嫌いな10の人びと 』(新潮社)にあったかなあ、と思って検索してみたら、こんなページがヒットしました。
http://www.shinchosha.co.jp/books/html/439703.html
ここにある
「定型的な言葉を使って何の疑問も感じない人。自分の信念を正確に表現する労力を払わない人。周囲から発せられるその時々のサインを尊重せず、自分の殻(安全地帯)の中に小さく閉じこもってしまう人。」
というのが、質問者さんの
> 「命は大切だ」とか「生きているだけですばらしい」といった内容の日記を書く友人がいます。私はそのようなことを臆面もなく言う(書く)人が虫酸が走るほど大嫌いです。
の答えになるのではないでしょうか。
あと、いっそ倫理学の本を読んだ方がいいかもしれません。
加藤尚武の『現代倫理学入門』には、
「10人の命を救うために一人の人を殺すことは許されるか」とか
「10人のエイズ患者に対して特効薬が一人分しかない時、誰に渡すか」
と具体的な問題が提起され、「倫理的に考える」というのはどういうことかが示されています。
具体的な問題にもっと興味があれば『倫理問題101題』(マーティン・コーエン ちくま学芸文庫)もおもしろい。
この本には「どう考えたらいいか」という考え方の筋道は示してありますが、結論は出してありません。
たとえばこの本のジレンマ1に、沈んでゆく船から救命ボートで逃げようとしているときに、「ひとりでも多くの船員を助けるべきかどうか」という例題が載っているのですが、「命は大切だ」とか「生きているだけですばらしい」といった定型文では解決できない問題ですよね。
そういう定型文を使う人を批判するならば、質問者さんの側に、もういっぽ踏み込んだ考えなりなんなりというものを持っていくことが必要ではないのでしょうか。そういうときの、考える訓練の助けになると思います。
参考URL:http://www.shinchosha.co.jp/books/html/439703.html
URLまで張り付けていただき、ありがとうございます。やはり中島氏が書いているのですね。私は中島氏のように自分の感情を分析することがまだ上手くできないのですが、この中島氏の「定型的な言葉を使って何の疑問も感じない人」というのは近いです。ただ、それを完全に答えとしてしまいますと、それこそ中島氏の言う「物事をよく感じない人、よく考えない人」になってしまいます(笑)というのは冗談ですが、みなさんのご回答に返答している間に少し自分の考えも少しまとまりつつあります。
加藤尚武の『現代倫理学入門』ですか。内容を見る限りかなり興味があります。私は将来、医療関係の仕事につくつもりでいるので、必読ですね!
ご回答ありがとうございます。
No.9
- 回答日時:
端的に言うと、何の役にも立たないことを役に立つかのように錯覚して書いているからでしょう。
その浅はかさに苛立つのだと思われます。
「命が大切だ」というのは当たり前のことですが、なぜその当たり前のことを今言うのか、あるいは、どのような場面でそれを口にしているのか、ということに思いが至っていない。
ということでしょう。
おっしゃるように「臆面もなく言う」ことが問題で、「命は大切だ」という文言自体に責任があるわけではおそらくないと思います。
命が大切なのはわかっても、どう大切なのか、あるいは、大切にするとはどういうことなのか。
実感が伴なっていないか、安易に(闇雲に)結論を求めてしまっている。
一気に表看板だけを掲げようとするいい加減さを感じてしまう、ということかな、とも感じます。
結局、「命は大切だ」と本当に分かっていない人が、「臆面もなく言う」わけですから、本当に大切な事柄が冒涜されたような気がして「大嫌い」という感覚に至るのではないか、と思います。
No.10
- 回答日時:
「命は大切だ」と言うのは生命にとっての事実と言って良いかも知れません。
しかし「生きていること自体が重要だ」と言う意味ならばちょっと違う気もします。問題は「どう生きるか」ですし、「どんな悪いことをしても生きることは最重要項目だ」となれば最悪ですね。範囲が自分のみになれば人殺しさえ正当化する理由ともなるでしょう。そして死んだものに対してどう考えているのだろうと言う疑問も出ますね。
「生きているだけですばらしい」も疑問です。道徳が入ってませんね。なんでもアリです。「今を善く生きることは、それだけですばらしい」と言うなら納得も出来ます。
私は自分にも他人にも、悩み苦しみをなくし、善に至るために、役に立つ生き方がすばらしいと考えています。
上座仏教は超理性的な教えで論理的なので、貴方の期待にこたえてくれるものと思います。スマナサーラ長老の書籍に多く解説がなされていますよ。どれもオススメですし、超分析的で解決方法まで語ってくれています。個人的実証では自他のためになると感じています。
僕も同意見です。「命は大切だ」はともかく、「生きているだけで素晴らしい」はかなり疑問を感じます。善く生きることが素晴らしいのですね、非常に勉強になりました。上座仏教ですね、勉強してみます。ありがとうございます。
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