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僕は外見だと思います。もちろん外見だけじゃだめなんでしょう。ですが外見がいい人は外見が悪い人と同じ努力をしても外見がいい人がものすごく優遇されると思います。
ウサギと亀でいえば、がんばり屋のウサギと同じがんばり屋の亀が競争したところで亀に勝ち目は絶対にないのと同じです。しかもブサイクは、そのがんばりすら認めてもらえずに、結果がでなければ行った努力は努力ではないといわれる始末。

ぼくははっきりいってブサイクです。不細工な虫ケラなりにかなりの努力をしてきたのですがやはり現実はうまくいきません。
いままで努力すれば何とかなると思って死にたくなる衝動を必死で我慢して、努力で救われることを頼りに生きてきましたがもう失望してしまいました。
たぶん私には最初から価値なんて皆無だったんでしょう。このように糞みたいなゴミ虫にはやはり幸せになる資格もそれに見合う人間的な価値もないんでしょう。
こんな僕は死ぬか整形するか、もしくは整形してちょっと生きながらえてから死ぬしかないんでしょうか?
最後に偉人たちが残した興味深い名言を張りたいと思います。
どうか皆さんの考え方や意見を聞かせてください。

「卒業写真で顔を見ただけでも、士官学校での等級と成績、卒業後の将来は推測できる」 社会学者アラン・マズーア

「恋が芽生えるきっかけとして容姿ほど重要なものはほかにない」
 社会心理学者エレーン・ハートフィールドとスーザン・スプレッチャー
「見かけのいい男性ほど女性を満足させられる率は高く、二人で同時にオーガズムに達することも多い」
 ランディ・ソーンヒルとスティーヴン・ガンゲスタッド

「ブサイクは生まれつきの不平等である」 作家ジム・ハリスン

「肉体的な美しさを生み出すのは魂の美しさである。逆に、肉体的な醜さは悪をも意味する」
 作家バルダッサーレ・カスティリョーネ

「聖書にもあるように、醜い身体をした人間は自然な愛情を欠いている」
 哲学者フランシス・ベーコン

「ブサイクな赤ん坊には虫唾が走る」 ヴィクトリア女王

「幼児虐待を受けて施設に保護された子供たちを調査した結果、ある事実が浮かびあがった。
被害者の子供は圧倒的に顔がかわいくない子供が多い」 カリフォルニア、マサチューセッツ調べ

「私は始終絶望感に襲われた。私のように大きな鼻、分厚い唇、小さな灰色の目を持つ人間が
この地上で幸せを得るとはとても思えなかった。
人間の成長に外見ほど強烈な影響力も持つものはなく、容貌の美醜がその人間の自信を左右する」
 作家レフ・トルストイ

「実のところ容貌の魅力的な人は醜い人に引き換え、人付き合いがうまく、自信があり、否定的な意見にめげることがない。
運命や環境に支配されず自分で人生を切り開いて行けると考え、積極性がある。
人間の行動には自己暗示的側面が強く、絶えず人から敬意を表され同意され親切にされる美人が、自分には力があると思っても不思議はないだろう」
臨床心理学者ナンシー・エトコフ
「他人は、人間は容姿ではなく中身が大事だと言う。しかし、実際は容姿が遥かに 重要視されているではないか。私は63年生きてきたが、それはいつの時代も 変わらない。私は身を持って知った。」
(BISHOP, Ian 1923-1992 故画家イアン・ビショップ 8月の日記より)

「私の大きく曲がった鼻、牛のように飛び出た目、獣のように醜い歯
ただれた皮膚。この醜い私が唯一才能として認められていたのは、4歳の時から
作曲家である父に教えられてきたピアノだった。しかし私の愛するマデリーンは ピアノを習い始めたばかりの美しき若者ヨハンを深く愛している。 私の才能が認められようとも、愛する者に愛されないのでは私が生きている 意味など無いに等しい。」
(HONEYSETT, Graham 1948-1989 事故死 グラハム・ハニーセット 日記より)

「神は美しい者ばかり。そして悪は醜い。私の酷く辛い人生は、私の醜い姿が 源だったのか。姿も心も美しい者達がいる。彼らはたいてい人生が酷く恵まれている。」
(HUGHES, Bonnie 1953-1982 ピストル自殺 故芸術家ボニー・ヒューズ メモより)

A 回答 (40件中31~40件)

人生は外見で決まるか?とのことですが、これはあなたが接する相手によって違ってきます。



例えばあなたが出会った人が
「人は外見だ」という考え方の人であれば、外見で決まりますし
「人は外見ではない」という考え方の人であれば、外見だけでは決まりません。

世の中外見で選ぶ人が多いじゃないか!と言われるかもしれませんが、人間は情報の9割を視覚から得ているので、そこを追求しても意味はありません。
何より今の日本では、人を見た目で選ぶも中身で選ぶのもどちらも自由です。
だから人を見た目で選ぶ人がいたとしても、その人を責めるのはやめましょう。

>こんな僕は死ぬか整形するか、もしくは整形してちょっと生きながらえてから死ぬしかないんでしょうか?

きっと今までおつらい思いをされてきたのでしょう。
今後あなたにルックスの悪口を言ってくる人がいたら「そういうことを言われると不快なので、やめてくれ。失礼だ」と毅然とした態度で言いましょう。
馬鹿な輩は幼稚園から通いなおせばいいのです。
でも人間は変わろうと思えば(もちろん出来ないこともありますが)大抵変わることが出来ます。
今まで大変な努力をしてきたとは思います。ですが、方法が間違ってたのかもしれません。
これはあなたが悪いのではありませんし、違う方法を探してみましょう。

もうご存知かも知れませんが、今や性別すら変えられる時代です。
最近出た本=「私、男子校出身です」の著者の椿姫彩菜さんは、元男性です。子供の頃から自分の体に悩んでずっと「女性になりたい」と思ってたそうです。
そして10代で家を出て歌舞伎町で働いてお金を貯め、1人で手術をタイで受けました。
彼女は「なんで男に生まれたんだ」と自分の生まれた体を恨むのではなく、「どうすれば自分の理想の体になれるか」と考え努力し、そして実現させました。

夢と目標は違います。ただ漠然に「ぶさいくが嫌だからかっこよくなりたい」では、夢で終わってしまいます。
夢ではなく、具体的な期限と目標を立てましょう。
例えば「3年以内に木村拓也のルックスになる」等・・
そしてそうなるには、どうすればいいのか具体的なプロセスを箇条書きにするのです。
例えばですが・・
(1)2年間で100万円を貯める
(2)エステに通う、美容整形をする。雑誌で自分に似合うファッションを研究する
(3)週1でスポーツジムに通ってスタイルを整える   等々・・これはあくまでも1例ですので、ご自分で考えてみてくださいね。
女性だと、好きなタレントのヘアスタイルやファッションをまねたり、エステに通ってる方は多いです。男性より大変です。みんな何かしら努力していますよ。
相談者さんが憧れる身近なタレントを目標にするといいと思います。

あなたがいい目標が決まって実現できるといいですね。

参考URL:http://www.tsubaki-ayana.jp/
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長文を読むのは苦手です。

だから斜め読みなので訳の分からない回答だったらお許しを。

最後の勝負は「人間性」だと、個人的には信じ込んでいます。
この質問を立てた時点で、あなたは自分に負けていますよ。
こんなに「負」の文章を拾ってくるぐらいならもっと出来ることはあるはずです。

「美女と野獣」ではありませんが、そんな取り合わせも多くあります。野獣ですよ。へなちょこではありません。心を強くしましょう。
こんな文章拾うより、もっと違うことに力と時間は使いましょうね。

人の持ち味は様々です。勝負はそこからです。
スタートラインが違うと気づいたのなら、違うレーンで、違う競技に参加してもいいのですよ。
100メートル走で勝てない、と感じたら、ハードルに変えてもいいのです。だって、自分の人生ですから。
そこであなたは、思いの外それが上手だったりする。

ここで、そのハードルに自分より外見のいい人が参加してきたら、と考えたら、あなたの人生は終わりです。ドン詰まりです。解決策はどこにもありません。

頑張れ!
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>最後の勝負は「人間性」だと、個人的には信じ込んでいます。

最後っていつでしょうか?その「最後」は多分、一生かかっても来ないように私は思います。


>ここで、そのハードルに自分より外見のいい人が参加してきたら、と>考えたら、あなたの人生は終わりです。ドン詰まりです。解決策はど>こにもありません。

そうですね、どん詰まりです。現在この状況です。もう行くハードルが見当たりません。

お礼日時:2008/09/03 21:52

ずいぶんいろいろな人の箴言を集めたものですね。

皮肉ではなく、ちょっと感心してしまいました。
…ええ、確かにそういう面も確かにあると思います。それは否定できません。ただ言えることは、その種の苦悩は、あなただけの深い苦悩ではなく、結構広く存在するものだということですね。
ではどうすれば良いかということに対して、一義的にはっきりした答えを導くことは難しいのではないでしょうか。でもそういう今現在の現実を受け止めた果てにどうなるのかという問題も存在しますね。
ちょっと面白い本があるので興味があったらどうぞ。
本田透『喪男の哲学史』
http://www.7andy.jp/books/detail/?accd=31822235
ある種の偏ったバイアスをかけて、古今東西の思想を縦覧するというネタ本的な野心作です。一言で言うとモテないということでしょうが、どうしようもない理不尽なことというのは世の中に沢山あります。それに対する向き合い方がいろいろと出てきます。
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正直どうだろう?


でも人間って外見がしっかりしていると
中身までって連想しますからね
しかし自分は思うに
外見がブサイクではなく
どんな格好してようとも
人前でもしかりとした意見が言える事の方が重要かと。

ですのでなにかを言えるには
無様でも自分をさらけ出し
堂々としている事なんかじゃないかな
羞恥心を自分はカッコイイと認識してますけど
それはけして外見ではなく
おバカである自分を受け入れ
そして気兼ねなく生きているからですよ。

うちの親は片足が少し短いだけで
それ以外は正常なのになにかと障害者だと言うのですが
簡単に言えば外見だけでなく
心まで障害者と思い込んでいますので
自分的ではありますがひがんで心までブサイクに
なる必要や必然はまったくないと思います。

自分は昔、仲間内ではブサイクって言われてましたが
自分はまず心だと思っていたからあまり気にしてませんでした
それなりの知識はあると思うので自信は持っていいですよ
ただ、自分がどうあるべきか真剣に考え
他の人に誇れるものを身に付けれるといいと思いますね。

まわりくどかったけど
見た目もそれなりに時に重要だけど
一番肝心なのはまずは中身から。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>無様でも自分をさらけ出し
>堂々としている事なんかじゃないかな

すみませんが、そんなブサイクを世間一般では勘違いバカと言われます
私はそんなブサイクを何人も見たことあります。(私自身も含め)

お礼日時:2008/09/03 21:46

自分でも認める不細工です。


でも、自分でいうのはなんですが学歴は非常にいいですよ。
誰もがうらやましがるエリートコースです。

確かに対人関係は「外見」で第一印象は決まります。
そして道端ですれ違う人にとっては「それがすべて」です。
付き合いのある友人は、俺が高学歴なのは知っていますが、道ばたですれ違う他人は「ただの不細工」としか見ていないでしょう。
それはどうしようもありません。
ただし、大事なのは自分が接する人達にどう見られるか、です。

俺は学生時代は必死に勉強して、今の位置にいます。
見た目がだめなら、何かで優位性を持ちたいですからね。
高校時代は運動もそこそこでしたが、勉強に力をいれていたため、頭はかなりよかったですからね。女子からも避けられてはいなかったです。
もてはしませんでしたけどね。話しかけれられることはない、なんてこともないし、普通に話しはしていました。

大学でも知り合いはそれなりにいましたし、彼女もいましたからね。
それなりに面白キャラでしたからね。
ルックスはだめだめでも、キャラがあれば受け入れられます。

人生経験をつんでいけば分かりますが、見た目で判断する人間、女性ばかりではないですよ。

ちなみに、第一印象が悪いなら悪いで、逆に「付き合ってみると実はいい人」という印象を与えているだろうなというのは想像できます。
面白そうな映画を見に行って、つまらなかったから「金を返せ」って思いますが、つまらなそうが映画を付き合いで見に行って予想以上なら感動します。
不細工もそうで、いい面があれば、逆に相手には好印象を与えますからね。

高校生くらいのガキは、おそらく見た目重視です。不細工なんかは平気で中傷できますからね。
大学でも、イケメンを追いかける女性ばかりですが、それなりに大人な方もいます。
そして社会人になれば、外見で判断する人はほとんどいませんよ。
雰囲気(変質者、キチ○イは雰囲気でやばいと分かるもの)で避けることはありますが、見た目で避ける女性はほとんどいないですね。いるのは、白馬に乗った王子様を夢見ているようなちょっと足りない女性くらいです。
大抵は、中身で”友達”付き合いを考えてくれます。
そして、その先の、外見を気にせず恋人付き合いをする女性もそれなりにいますからね。
社会に出る頃になれば、そんなに外見のコンプレックスは気にしないものですよ。
俺は前述のように不細工で、高校時代、大学時代は綺麗な女性にはまったく縁はありませんでした。(大学時代の彼女には失礼ですが^^;)
でも、社会に出てから付き合いのあった女性は、本当に綺麗な人も何人かいましたね。
自分でも、「こんな綺麗な人とも付き合えるものなんだ」と感動したくらいです。

まあ、嘆くなら社会人になってからにしてみては?
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あのさ、人間みんな「向き不向き」ってのがあるじゃないですか。



195センチの人間が、バレーボールやらないで体操の金メダルを目指しても無理だし、体重150キロの人間が相撲をやらないでファッション・モデル目指しても無理だし。

同様に顔だけが良くて、頭はおバカな人とか、見た目は良いけど運動神経鈍い人とかは、やはり顔で勝負しないで頭やスポーツで勝負しても勝てません。

ブサイクな人間は容姿の美醜で勝負してもダメですよ。
顔の美醜で評価されない分野で頑張らなきゃ。

幸い世の中には顔の美醜とは関係ないところで評価が決まる分野ってたくさんあるでしょ。
中にはブサイクを逆手にとって売りにしてるお笑い芸人とかも居るじゃないですか。

顔の美醜だけで人生決まるほど、世の中単純じゃないですよ。
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この回答へのお礼

確かにそうですね、「向き不向き」。これが一番いい言葉のように思います。
つまり生まれつき体格に恵まれない選手がNO1を目指す資格はないということでしょう。
イケメンはいいですね、なんにでもなれて・・・・・

お礼日時:2008/09/03 21:38

この手の質問を見る度にいつも思うんですが…


あなたは価値が皆無の人間なんですよね?
で、ここに書きこんだのは、他人の意見を求めてのことですよね?

だったら、つべこべ言わずに心と体を磨いて下さい。
「だって」「でも」は禁句です。
(価値が皆無のクズだというのでしたら、正常な判断はできないでしょうから、自分の主張を持つ意味がありません)
唯々諾々と、ここでアドバイスされたことを実践しましょう。
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こんばんは。



難しいですね。
が、私は、外見では決まらないと思いますよ。
外見より勝るものがあるはずでしょう。
もちろん、質問者さんの仰るとおり、優遇されることもあるかもしれません。
例えば、接客業のバイトの面接とかかな?
>ウサギと亀でいえば、がんばり屋のウサギと同じがんばり屋の亀が競 争したところで亀に勝ち目は絶対にないのと同じです。
あれ、これはちょっと意味が分かりませんでした。
質問者さんは、うまくいかないことを外見のせいにしてるように感じました。
最初から価値が無い人なんていませんし、そうだとしたら、
努力する人なんか誰もいませんよ。
汚らしい言葉で、そんなに悲観的になってると、本当に幸せなんて勝ち取れないし、
これからもっともっと辛いことも大変なこともあるのに、
乗り越えていけますか?
そんな悲観的では、整形しても何も変わらないと思いますよ。
あと、一番強く思うことなのですが、
私は、外見っていうのは、中身が表に出るんだと思ってます。
だから、いつも心穏やかに周りに感謝しながら生きていれば、
そういう穏やかな顔になってくるし、品だって出てきます。
でも、いつもマイナス思考でくよくよしてたら、
自然とそういう面持ちになってきますよね。

もう一度考えてみてはいかがでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます
>ウサギと亀でいえば、がんばり屋のウサギと同じがんばり屋の亀が競 争したところで亀に勝ち目は絶対にないのと同じです。

この質問の意味が理解できないということでしたので、説明します。
例えばこれは「才能」とか生まれ持ったものでも同じだと思うんですよ。
才能が無い人と、ある人、どちらもがんばり屋さんだと、才能ある人には絶対に勝てないじゃないですか。
恋愛もそうですけど、
ブサイクだけど性格がいい人と、イケメンでしかも性格もいい人とでは、後者のほうをだれもが選ぶと思いますよ。

お礼日時:2008/09/01 00:02

だからどうした?って感じですね。


これほどの名言を集めたあなたに敬意を。
要するに、あなたを励ましたくても、反論を持って否定するんだろうなあという印象しか残りません。単なる同意を求めたいだけなのでしょうか?
ここは質問するところですよ?
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それは質問ではなく意見です。

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