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 研究という名にあこがれるだけの名ばかり研究者が増加していることに危惧しています。努力という言葉も、研究のために寝食忘れるという言葉も死語になりつつあります。果ては大学院生で同棲だの研究を馬鹿にしていると思える輩が出る始末。そこで質問があります。
 成功する研究者に必要な能力とは何でしょうか。子どもの頃から身につけるべき能力とは何でしょうか。天性の勘(感性)ってものも必要でしょうか。
その能力は20代でも取得できる物なのでしょうか。

A 回答 (15件中1~10件)

 必要な能力とは「天性の勘ってものも」でなくて、初めに「天性の勘・閃き」がないと無理でしょう。



 その能力は後から所得する物ではなくて、潜在的に持っている能力で努力して得られる能力とは似て非なるものだと思います。

 その「天性の勘・閃き」は、その後の研究で厚みを増すものであることはノーベル賞受賞者の研究が、20~30代前半には出来上がっていたのを見ても明らかです。

 ただ全ての人間がそのような人間ではないので、「成功する研究者」という括りなら「切っ掛けを掴む能力」のある研究者が厚みのある研究を重ねれば、自分の努力でソコソコの評価は得られるでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
「20~30代前半に最も研究しないと行けない時期なのに、今の学生は遊んでいる者ばかり」と私の知り合いの教授は嘆いていました。私は30代ですが、それを聞いて下から入ってくる者が私に追いつけず、しかも、親ばかですが、私の子どもが追い抜くかもしれないと思い、陰で笑っております。
努力した時間こそ財産と思っています。

お礼日時:2001/03/05 01:21

>成功する研究者に必要な能力


 まずは応用力でしょう。あらゆる可能性を探していろいろ試してみれるだけの好奇心と結果予測が出来る事が研究者に求められると思いますから、一定の数式や法則に縛られるのではなく、それ以外の観かたも柔軟に取り入られる事が出来なければ成功する研究者になる事は難しいと思います。

>子どもの頃から身につけるべき能力
 とりあえず、文章内容解読能力と応用力を身に付けて行く事が大事だと思います。SF漫画やSFを片っ端から読み漁って、その中で疑問に思った内容や科学的解釈等に対して、徹底的に調べて突っ込めるだけの知識を得、そして得た知識で留まるのではなく、そこからさらに進んで「自分なら、どうする、あるいはどうすればそれを再現したりそれを超えた物を作り出せるのか?また、それを作った結果がどうかるか?」といった風に考えをもてる様になれば研究者になれる近道になるかも知れません。
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一応研究者ですが、耳にいたいですね。

正直名ばかりかもしれません。なので、思っているけど実行できないことを。
まず、研究者はかくあるべしという考え方はおかしいと思います。大学院生で同棲(してませんでしたが)とかは個人の生活ですから業績に関係ないですよね。というか、研究者の場合、結果は研究業績なのですから態度は無関係だと思います。
では、必要な能力は、というと、着眼点の良さ、様々な分野から知識を引っ張ってこれる知識量と応用力、それをまとめあげる構成力と最後まで結論を持っていける持続力、結果をアピールするプレゼンの能力、と全部そろえば無敵でしょうね。
でも、これはその仕事を好きであることでクリアーできるのではないかと思います。使い尽くされた言葉でしょうが、それを持続することが難しいと思います。そしてこれはだれでも持てる才能だと思いますけどどうでしょう。
でも仕事持つとつらいんですよね、これは。
自信ないけど私はそう考えています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
研究者は研究業績あってのものと私も思います。しかし、遊んでいてはダメなのではと思っています。
特に「必要な能力は、というと、着眼点の良さ、様々な分野から知識を引っ張ってこれる知識量と応用力、それをまとめあげる構成力と最後まで結論を持っていける持続力、結果をアピールするプレゼンの能力、と全部そろえば無敵でしょうね。」
の部分はまだまだ私は修行中です。

お礼日時:2001/03/05 01:25

私は、製品開発に従事する者ですが、研究者(学者的)なのか?技術者なのか?どっちにも属するような仕事をしています。


内容的に、tefutefuさんと同様の意見です。

理系大(大学院)を卒業し、純粋な研究者(学者)または技術者(開発研究を含む)に進むかで若干異なった考え方が必要ではないかと思います。
前者は、真理を探究するため「研究のために寝食忘れる」タイプで、場合により融通のきかない頑固者タイプ。後者は、前者と同様ですが、若干柔軟性が必要と思います。

企業の製品開発部門的な発想で申し訳ないですけど、私のような部署では、純粋な研究者は多く必要ありません。(全員がその必要がないという意味です。企業には、この様な人材も必要です。基礎実験などには非常に重要な人材です。)

製品開発には、得意先、開発期限、目標設定が複雑に関係しており、真理探究だけでは製品はできません。また、トラブル発生時の対応など柔軟な発想が必要であり、固定観念はタブーです。

どちらにしろ、研究部門に従事する人は、「柔軟な発想」「豊富な知識」「知識を組み合わせる知恵」「緊張感の持続力」「体力的な持続力」「豊かな表現力」「適度な懐疑心」が必要と思い、日々心掛けるようにしています。でも実際には、すべてをクリアできるような人材は非常に少ないと思います。
しかし、趣味(自分の興味があること)に対しては、誰でもその様になるのではないでしょうか? やっぱり、やることに対して興味を持ち、好きになる(努力をする)ことが重要と思います。

子供の頃からの能力と言うよりも、性格的な因子もあると思いますが、思想的に「どうして? なぜ?」と思う探求心、好奇心が必要と思います。大人になっても、そのように思うことは可能ですから、身近なことから考え直してみることで習得できるのではないかと思います。例えば、人の言うこと、考え方を全部そのまま信用せず、自分で確かめてみるなど・・・・。

生活態度との関係は何ともいえませんが、精神的な安定が満たされ、社会常識や仕事、成果に対して悪影響がないのであれば、プライベートは無視できると思います。精神的に安定することで、成果も上がるのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
kawakawa氏の文書と共に参考にさせていただきます。

お礼日時:2001/03/05 01:27

前の質問も見ました。


そこでもここでも同棲を否定していますね。

私はまだ大学生なのですが
今年卒業する院の先輩に同棲している人がいます。
ですが研究に対してはすごいまじめな人で
教授にもべた褒めされていますし、頼りにされているみたいです。
パソコンにも強いみたいなのでなおさら。
ちなみにうちの研究室は休みは日曜だけで、
その先輩は日曜もしょっちゅうきていたらしいですし。
(休みは研究に関係ないと言われればそれまでですが)
とても尊敬できる先輩です。
もちろん私の先輩のような方が全てではないと思いますが。

ですから同棲=研究をばかにしている
というのは間違っていると思いますし、
そのような事を公共の場で書くあなたの方が常識のなっていない馬鹿な人間です。
そもそもあなたの文章は特定の一人に対しての不満を
書いているだけのようにしか見えません。
ここは不満をぶつける場ではなく討論をする場ですから。
私はあなたが自分の周りにしか目がいってない井戸の中のかわずのような気がします。
視野の広さも研究には必要だと思いますよ。
そんな年になってこのような幼稚な文章しか書けないんですね。

質問の回答ですが
>成功する研究者に必要な能力とは何でしょうか。
研究が好きであると言う事と博学だということじゃないでしょうか
好きであればしょっちゅう考えているでしょうし
専門分野だけでなく他の分野の知識もあれば
普通と異なる方向から対象を見ることができますから。
まだ学生の身ですが新たな分野について学ぶ時それを実感しています。
学生実験でもその分野の知識がある人間は誤差や失敗に関して
どこでへまをしたのか色々考えることができます。
研究もその延長上と考えてよいのではないでしょうか。
また勘(感性)は知識の上になりたつものではないでしょうか。
つまり博学であればあるほど勘も優れる。

>子どもの頃から身につけるべき能力とは何でしょうか
自ら学ぶには集中力と好奇心が必要ですから
まずは集中力をつけることが大切だと思いますが
あまり小さな頃から英才教育させるのもどうかと思いますが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。しかし、なぜ、非常識のように私を非難するのか分かりません。あなたは研究というものを知らなすぎるのでは無いでしょうか。
学部生では分からないのは無理のないことかもしれませんね。研究者は土日、朝出、残業は当たり前じゃないでしょうか?大学院の先輩がどのような業績を上げられたのか分かりませんが、同棲していなかったらもっと業績があがったかもしれませんね。教授にいくら好かれていても、業績が無ければへの突っ張りにもなりません。
kexeさんもkawakawa氏の回答を読んで、研究者のなんたるか学んでください。
私はkawakawa氏の回答には感動すら感じます。
 最後に、あなたのような現役の大学生の考えを知ることが出来て、日本の理科教育や研究の将来について考えさせられるところがありました。その意味で感謝したいと思います。

お礼日時:2001/03/05 01:39

単なる技術者と研究者の違い。


それは、マニュアルを忠実にこなす者と、マニュアルのないところで活動するものの違いでしょうネ。
文系・理系に係らず、ブルーカラーとホワイトカラーの違いと言えるかもしれません(アメリカではマニュアル通りにしか仕事をこなせない銀行員はブルーカラーとして認識されていますネ。マニュアルを作る立場の上級官吏職だけがホワイトカラーです)。
研究者という種族は結構嫌な性格のもので、他人の意見はまず疑うことからはじめるという習性を持つものです。マニュアルがあっても、それは妥当であるのかを、まずは疑って検証しなければ収まらないという厄介な種族と言えるでしょうネ。
他人の研究成果についても、論文の行間を読むのが習性となっていますネ。

研究者に必要なことは;

問題点を見つけ出す能力。
どんな些細なことであっても、あらゆるものに問題点は潜んでいます。それを問題点として認識する能力は欠かせません。

次いで、その問題点を解決するための手法を考える能力がなければどうしようもありません。いくら、問題点が見つかっても、解明のために何をすればよいかがわからないと、何も進みませんからネ。

本当の研究者として生きるためには、時間は常に足りないものです。土日祝日なんて関係ありませんし、1日24時間のすべてが研究のためにあるものです。
勿論、息抜きは必要です。私の場合はこのOKが息抜きの場の一つなのでしょうネ。

科学的な知識は相続財産ですから、前の世代の研究者達の血と汗と涙の結晶である理論などを基礎知識として習得することができます。そして、それを如何に応用するかということも大切な能力です。

子供の頃から、最も必要とされることは、好奇心でしょう。何事にも疑問を持ち、調べようという意欲は大切なものです。子供に『これは何?』と聞かれて『木や』と答える親の環境では、中々育たないかもしれませんネ。

感性は後天的に生活環境の影響を受けて作られるものです。ですから、資質さえあれば、二十代であっても、研究者であるための能力を取得することは可能であると信じています。勿論、どうあがいてもダメな場合もありますが、多くの場合は、よい指導者(親を含めて)に恵まれなかっただけであり、いくつかの例で、当然のことと思っている事象の中にも問題点が沢山あるということを示す事によって、開眼するものです。

私の研究者としての座右の銘は『論文を読まなくなったらオシマイ』というものです。発表される論文は莫大な量です。けれども、少なくとも関連分野については読まなければなりません。
英語やドイツ語や中国語で書かれた論文を辞書を使わずにあっという間に読めるほどの能力を身につけているのであれば、別に同棲していようが、何をしていようが構わないでしょう。けれども、自分の意志で院に進学し、研究者としての道を歩む気持ちがあるのであれば‥。それだけの語学力・専門力・理解力がなければ、とうてい、他のことに割くことができる時間はないと思うのですが‥
私の関係している某K大学の院生さんレベルであるならば、問題ないのですけどネ。勿論、理系の院生ですが、英語・フランス語・ドイツ語・ロシア語・中国語あたりは辞書なしで日本語と同じ位に読むことが出来、更に、一を聞いて二十を知るというような頭の回転を持っています。でも、そこまで行かないレベルであるならば、そういうレベルに達するまでは勉学と研究に専念すべきものでしょうネ。
そして、そういうレベルに達し、自分の理論構築ができるようになったときには、過去の業績は過去のものであると認識して、新たな問題点を見つけて解決することを目標とする。
その積み重ねによって、周囲がどのような判断を下すかということが、成功と成功でないことの違いであろうと考えます。

最後に専門バカでよい時代は過去のものであると考えます。周辺分野や場合によってはかけ離れた分野の知識も必要であると考えます。そうすると、ますます時間が足りないですよネ。
まだまだ修行中のkawakawaでした
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この回答へのお礼

またしても、的確な回答ありがとうございました。私も研究者としては未熟者、修行中の身ですので、ご意見を参考にさせて頂きます。実験・文献検索・文献を読む事・雑用と時間が足りません。実験に集中すると他がおろそかになったりとアンバランスの毎日です。語学力(私の場合、英語のみです)があれば、論文もスラスラと書くことも可能なのでしょうが、論文を書くのにも時間がかかってしまいます。
子育ての最中で、なるべく子どもの質問にはわかりやすく正確に答えているつもりですが、好奇心をどうやって延ばすか難しい問題だと思います。また、kawakawaさんの言うことに関連して、子どもの頃から勤勉さや持続力をいかに延ばすかが必要と思いました。
私も先輩の方々から、もっと研究しろ、勉強が足りないと怒られてここまできてしまいましたが、後輩は「遊びや怠け、これくらいでよいだろうという心」を持っており、ガミガミ言っても聞いてくれないでしょう。私の知り合いの大学教授の話では、下記の回答のkexeさんの様な考えの方々が普通の学生さんらしいので(kexeさん例に出してスミマセン)、なおさら私の言うことは通じないでしょう。kawakawaさんは今の学生さん達をどのように指導されているか興味があるところです。
とにかく、研究者は勤勉で、時間を有効に使えないといけないことを私は痛感しました。

お礼日時:2001/03/05 02:01

ぼくは長いことビジネスマンをしていたのですが、あるとき思うところあって、学位を取りに某大学に通い始め、始めて研究生活を送ると共に、「研究者」という人種(失礼)に接触しました。

そこで感じたことを率直に言わせてください。(分野は理科系と文化系の学際領域)

1)イニシャチブの重要性
これは、自分の専門領域を乗り超えるという意味です。
観察では、殆どの研究者が自分の領域の中で、重箱の隅を突っつくような研究をしています。指導教官の影響もあるのでしょうが、これはトマス・クーンの「通常科学」の檻の中で右往左往してるわけですから、今のような革新の時代に、日本からイノベーティブなものが出るわけがありません。かってベル研究所で優秀な研究者の条件を調べたら、「イニシャチブ」という答えが出ました。メルク社でも同じ答えが出たそうです。著名な学者の経歴を調べても、
かなりの人が”分野超え”をやってます。日本の学会に論文を出すと重箱の隅を突っつかれるので、海外に出すことにしました。すると「これは面白い」と、まずは着想に注目した評価の返事が来ます。ぼくは研究者はまず、クーンやハンソンの本をよんで、目から鱗を落とすべきだと思います。

2)方法論として「推論法」(abduction)が重要
これは1)を”哲学的に”突っ込んでいくとぶつかる「第3の方法論」なのですが、好例としてハンソンが、「どうやってケプラーは法則を発見したか」をきめ細かに分析しています。ぼくの場合、ケーススタディという方法論は、学位論文の方法論として容認できるか?ということが審査員間で問題になりました。帰納法・演繹法ではない推論法ーー数少ない事例から新しい理論構築をする、ゲシュタルト心理学の応用ーーということは、まず日本の学界では許されないでしょう?ですけど、通常科学を超越してニュー・パラダイムを出す上で、この方法論が実に有効かを学びました。面白いもので調べていくと、これをサポートする論文がかなり見つかるのです。例えばスタンフォードのEisenhardtは、ニュー・パラダイム創出にはこれ以上有効な方法論はない、とまで言い切っています。そこでぼくが感じたのは、ビジネスと同じで、日本の学術界も、whatよりもhowに拘っているということです。いま世界が必要としているのはwhatではないのでしょうか?

3)論文を英語でじゃんじゃん書く
日本人は勉強家ですから、論文をよく読みます。しかしほとんどが日本語論文。どうしてもっと英語の論文を読まないのか?しかしそれだけでは”勉強家”の域を出ない。細切れでよいから、英語でじゃんじゃん論文を書いて海外の学会に投稿する。この間自分の分野の、アメリカの学会の年次大会に出てがっかりしました。何千人も集まって、中国人、インド人はわんさといて、発表にも積極的。それなのに日本人は殆ど見られず、やっとホテルで見つけたら奥さん連れで、観光旅行から帰ってきたところでした。
ぼくの分野にも、世界的な人がちらほらいます。ところが残念なことに、その人たちが活躍し、良い論文を書いたのは、ハーバードに留学したりそこで研究していた頃なんです。いまは専門の日本語を英訳してくれるところもあるのですから、問題は研究者の意識に絞られていると思います。

ちょっとグチっぽくなってきましたので、この辺で止めますが、日本は研究界もアジアに抜かれるんではないかと、気が気でない気持ちで投稿しました。
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この回答へのお礼

貴重な意見ありがとうございました。日本でいかに成功しようと、実際は世界が相手です。
 日本では科学技術立国のため大学院重点化などの施策が行われていますが、大量の意欲のない学生を入れる結果となり、高学歴のはなっても何らよい結果は得られていません。研究者は海外の学会に出席し、投稿する事を目標にするべきではないかと思っています。

お礼日時:2001/03/07 00:40

それは「愛と正義」ではないかと思います。



ただし、今過ごしておられる毎日が充実していれば、今までの人生は成功していたと言えるのではないでしょうか。そのまま、邁進されることを希望いたします。若い世代の方にも大切なことと思います。私も研究者のはしくれとして、日夜、研究に励んでいる者ですが、他の皆さんのように白熱した議論は苦手です。何らかの足しになればと思って述べさせて頂きました。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございました。充実した毎日を送るためには、若い頃からの積み重ねが必要だと思います。そのこと胸に日々邁進したいと思います。

お礼日時:2001/03/07 00:42

お話が白熱しており、驚いています。

(前回の続きになりますが・・・)
話題の方向性が、純粋な研究者についてだったようで・・・。

私のところでも、特許の出願、関連学会で講演、論文発表と年中忙しくしておりますが、さらに開発製品のフォローもあり、真剣にやりすぎると本当に体を壊してしまうほどです。ハッキリ言って、研究部門はハードだと思います。
トラブル対策のときは特に短期間での決着を必要とするため、昼夜関係なく実験をした事もあります。また、帰宅後も必死で対策を考え、翌日の実験にそなえたものです。

私の知っている研究機関の方も、必死で論文を書かれているようです。やっぱり、国内の学会よりも海外の方に投稿されているようです。なにやら、国内の学会ではレベルが低く、ポイントにならないと聞きました。
日本のレベルは、海外から見るとこんなもの? これからの日本は、どこに行ってしまうのだろう? と思ってしまいます。

また、近年の新入社員を観ていて思うことは、「自分で考える奴は見込みがある」と言うことです。研究部門に就職したのだから当たり前のことですが、「言われるがまま」の人材も多く、仕事の分担で困ることも多々あるのも事実です。

研究者を目指すのなら、「必死になって自分で考える」事を学生の時に、もっと身につけてきてほしい技術だと思います。(もちろん、一般常識、専門知識も重要です。)

変な文章になりましたが、申し訳ありません。
でも、自分が学生だった頃、毎日授業に出席し、卒業研究に励んでいても、1日/週程度しか学校に来ない文系学生に対して「それでいいの?」なんて思った事もありました。私と同じ学部、学科にもその様な奴もいましたが・・・。
今回の質問に対しても、文系型人間と理系型人間では、全く違った回答を用意するだろうと思います。
また、男女差の意見もあるのでは?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。まさに寝食忘れて研究している様子ですね。
大学のレベルが下がると,日本の研究レベルが低下していきそうな気配を感じています。科学技術大国になると言うかけ声ばかりで,日本人の美徳であった「勤勉」という言葉は古い言葉になってしまったように思えます。
時間を忘れて「必死になって考える」ことは非常に重要なことだと思います。
ノーベル賞学者たちが書いた「科学者の熱い心」?ブルーバックスを読めば,研究に対する思いの迫力に圧倒されます。まさに研究に生涯を捧げる人生です。

お礼日時:2001/03/07 07:37

virulenceさんのいう「志しが低い(もしくはない)院進学希望者」は確かに


います。それに対して怒りを覚える気持ちも理解できます。ただ、大学院生で
同棲云々について、少し疑問に感じることがありましたので意見を。

質問の回答ではありませんので申し訳ありません。回答としては他の方と
ほぼ同意見なので、同棲について述べさせていただきます。

私の疑問は責任の薄い同棲という行為が悪いのか、研究者の卵である院生が
同棲を含めて研究には関係のないことにうつつをぬかすのが悪いのか、
ということです。

文面から推測すると後者のように感じられますが、であれば、例え結婚して
いたとしても、同様に研究を馬鹿にしているということですよね。
これは言い過ぎかもしれませんが、院生ではなくても院生以上に研究実績が
求められるポスドクや助手のときに結婚する人達も、研究を馬鹿にしている
ことになってしまいますね。

私の意見は同棲程度なら研究を馬鹿にしていないというものです。
もっとも、なにをもって成功している研究者としているのか分りませんが
世間的に評価を受けている私の周りにいる方を例にあげてみると

アメリカのカ大で2年でPh.Dを修得し、D社の中央研究所で日本人第一号に
なった人は同棲ののち博士課程入学時に結婚をしてますし、昨年のある学会で
表賞を受けたH大の教授は私の恋愛相談のときに「博士課程の学生はヒモみたい
なもの」と結婚を勧めていましたし、36歳でO大の助教授に就任した方は
どうみても女好きの方でしたし、霊長類のゲノムプロジェクトの中心人物で
ある某研究所の方も恋愛話しが大好きだし、浜崎あゆみのファンだったり
します。それ以外にも私の所属する機関でも合コン好きな研究者がたくさん
います。

もちろん、全てがそうではありませんが、私の感想としては研究のために
恋愛をしないという人はそれほど多くないですね。

ただ、思うのですが、なぜvirulenceさんは同棲をこれほど敵視するのでしょうか?
virulenceさんの周りにどうしようもない学生がいて、その学生が同棲している
のか、virulenceさん自身が同棲の経験があり、それが自分の研究に悪影響を
およぼした経験からの話しなのか、それ以外なのか。

現在の研究者の環境は以前のような専門バカでは、研究費が集められない状況
です。そういう意味では幅広い知識と世間的な常識も必要かと思います。
私は学部から院にかけて6年近く同棲した経験がありますが、私の場合は
彼女といると研究を完全に忘れられ、その方が新しいアイデアが湧いたり
論文もより新鮮に添削できて、研究に悪影響を及ぼす程ではなかったです。

どちらかというと私の周りはだらだらと時間をかけて実験するより、メリハリ
をつけろという方が多いので、このような意見になりました。

最後に、失礼な意見で恐縮ですが、
自分の意見に反対するものには皮肉を、賛同するものには感動を、というのは
第三者として見ていると、少し悲しいです。まあ、進化で強烈な学説を唱えた
先生はそういう方だったらしいですけどね。
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この回答へのお礼

ご意見を頂きお礼を申し上げます。後段に指摘していただいた部分については、感情的になり反省をしています。
私は結婚して、子どももいます。私の時間の中でどうしても裂かないといけない時間が生じます。ある程度は家庭を犠牲にしないといけない部分もあります。24時間研究に費やせる時間を持つことは、私の場合、不可能でしょう。
 今までのようにだらだらと生涯の時間を研究に費やせるのなら、何をしてもかまわないと思います。しかし、現実には、私の場合は、研究職からの転勤。大学の教官の場合はリストラと生涯の間に研究する時間は実際には短くなるでしょう。その意味で私は生き急いでいるのかもしれない。
 大学・大学院で学ばなければいけないことは多いと思います。特に大学院ではきちんと教育をうけ、研究者として自立できるようになって卒業して貰わないといけません。noribouさんの周りには、同棲をしてもきちんと研究をこなせる人がいるようですが、私の周りには学生時代に同棲をしていた連中はどうしようもない研究者ばかりです。失恋したから仕事をしない者もいました。私の周りは絶望的な状況です。
 noribouさんは、成功するという意味はどのように思われているのでしょうか。
私の分野では、日本では成功していても、世界には通用しないような例が多々あります。そのためにも、論文は海外の学会誌に書くべきだと思います。私の知り合いの教授は「博士は自分で実験計画をたて、海外に投稿を出来る能力をもつもの」と定義しています。私のような何の才能もない凡人にとって、恋愛ごっこにかまけて、このような能力が付くのか私には疑問です。能力を身につけた助手やポスドクには結婚をする資格があると思います。
 恋愛することが世間的な常識の様な意味にとれることを書かれていますが、恋愛が世間的な常識に定義されるのか私には理解できません。見聞を深めるためには、社会運動や労働運動のほうが恋愛よりも優れていると思います。運動は研究時間を少なくするため、必要悪ですが。
 私の師であった方も、今から10年以上前には「ヒモに成れ」と言っていました。昔の学生と今の学生は経済的に大きな違いがあります。昔の学生は学費に困ったために、同棲をし、ヒモになるしかなかった。それを取り違えてはいけないと思います。今の同棲は何なのでしょうか。
 有馬朗人編著「研究者」で有馬氏は、学生はアルバイトをするなとも書いています。
 noribouさんがいくつくらいの方か想像つきませんので、共通の土俵において話し合えるかどうかは疑問に思っております。私はkawakawa氏の意見に近いと思います。
 参考に、以前、私が質問した「大学院と学力低下」を見ていただければ、悲惨な現状を理解していただけると思います。
 

お礼日時:2001/03/07 01:33

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