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こんにちは。私は中国語を学習していますが、最近、中国語の重要異性に関する質問の回答の中に「漢文を現代中国語で読み解釈するのは邪道」という意見がありました。
しかし、私は違うような気がします。というのは、漢文は5字ずつ区切って韻を踏んだものが多いのに、日本式の訓読では それが台無しになるので、邪道なのはむしろ日本式の訓読ではないかと思います。そして、少し大袈裟かもしれませんが、更に漢文の日本式の訓読という悪習が英語にも引きずっていて、文法と和訳を中心に学習するので、日本人は英語を折角勉強しても話せない人が多いのだとも思います。
皆さんはどう思われますか?

A 回答 (5件)

こんばんは、疑問はつきませんね。



さてご質問の件ですが、現代の中国文学を専攻する者の多くは、現代中国語を学習すると思います。現代中国語で、古典を詠むことは、直接的にはあまり意味のないことです。

他の方も書かれていますが、音韻を大切にする唐詩なども、平仄は現代中国語とはおおむね構造が崩れています。平が後に二つに分かれ、現代中国語の「第1声」「第2声」となり、仄の中に含まれていた現代中国語の「第3声」になる「上声」、「第4声」になる「去声」は現代に続いていますが、「入声」は現代語には残っていません(南方には方言として残っていますが)
さらに、突っ込みますと、平仄などを大切にする「唐詩」自体、当時の音韻と平仄が乖離してしまっていたため、辞書を引きながら唐詩を創っていたと聞きます。これは、中国語のみならず日本語でも同じで、日本の古典をどのように発音するか、あまり論議されていませんが、同じ問題が存在します。「きょうは」の「は」は、奈良時代には「パ」と発音されていたことが分かっています。

ただ、質問者様がご指摘になっているように中国語である漢文を、語順を崩さず頭から読み下していくと言うことでは、非常に意味があることとされています。それを推進された方が、倉石武四郎先生だったかな?漢文訓読調一辺倒であった中国文学研究の場に、現代中国語を持ち込まれた方だと記憶しています。この方の業績で、日本漢文学会でもようやく中国語が話されるようになったと、聞いたことがあります。(外国の中国研究の学会では当然のごとく、中国語が話されてていると聞きます)

また、英語が日本に入ってきたときに、漢文訓読よろしく、返り点をつけながら、学習したこともよく知られています。(すぐに廃れてしまいましたが)。しかし、考え方として残っているのかもしれません。そういった意味では、質問者様のご指摘も、当を得ているのかもしれません。(あいにく判断するだけの、知識を持ち合わせていません)
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wy1さんはあくまで小中高の子供たちに教える場合について書かれたのだと思います。

決して、大人の漢文学習という文脈の中ではなかったと思います。
http://okwave.jp/qa4666155.html
pastel11さんは子供たちに漢文を教える場合ではなく、大人たちが漢文を学習する場合のことを考えて質問されているのでしょうか?
高校で漢文に割かれている時間なんてたかが知れていて、四声にはじまり、有気音、無気音、そり舌音とかきちんと教えていればもう発音だけで授業時間は終わってしまいます。とても中国古典を読む余裕などないでしょう。
今や、大学の中国文学科では現代中国語音で漢文を読むことが常識になっています。中国語が堪能な人はそれでいいと思います。
ただ、中国語がろくにできない人までそれをやれというのはどうでしょう。
そもそも、古代中国音と現代中国音は非常に違います。「甲」という漢字がありますが、この字音仮名遣い(旧かなづかいです)は「かふ」で、実際の発音もkap(カップ)に近いものであったと考えられます。ところが現代中国音ではjia(チアーもしくはジアー)、あまりにも違いすぎませんか? 散文はとにかく、漢詩は中国音で読まないという意見もよく聞きます。しかし、そもそも、漢詩で重要であった平仄は現代中国語では消えています。古代では仄音であった入声は子音で終わる音でした。この入声が完全に消滅した現代中国語音で読んではたしてほんとうの漢詩の感じがつかめるのでしょうか? Wikiを参照すると、「現代中国語における四声と中古四声を含む『平仄』とは、その概念において全く別物である」と書かれています。まったく別物の音で読んでどうして他の読み方を邪道と言えるのでしょう?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BB%84
ラテン語を読むとき、今では古代ラテン語の読み方で読むことが普通になっています。イタリアでは今なおイタリア語式に読むことが多いのですが、他の国の人がイタリア人にならってイタリア語式で読む必要などまったくないのです。漢文も中国人にならって現代中国語で読むのではなく古代音で読むのが理想でしょう。
お経は漢文で書かれていますが、普通呉音で音読されています。ただ、残念なことに意味の切れ目で切ってないですね。同じ呉音で読むにしても意味の切れ目で読めばもっと意味がわかるのにと思うのですが、音読しながら意味を取るなんてことは誰も考えてないようです。
漢籍についても漢音を工夫して、古代音に近い音で読めばいいのではと思います。
また、漢文と言っても、中国の古典だけではなく、日本人が書いた漢文もたくさんあります。「敵在本能寺」という漢文があったとして、これをティー・ツァイ・ペン・ノン・スーと読んでわかった気になるより、やはり「敵は本能寺にあり」と読んだほうがよくわかるのではないでしょうか?
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この年の言いだしっぺは私です。

以前かNHKのテレビの漢詩の番組を見ていて、読み下しと並行して中国語での読みを聞かせておりました。その時は、このような方法もあるんだな程度でした。しかしながら、現代中国語で李白や杜甫などを音声にして、現代の中国語の単語/文字の意味で解釈したとすると、本当にその時代の言葉を理解して表現しているのか疑問を持つようになりました。私は、あいにく中国語は勉強したことはありませんが、蒸気のことは、ひょっとすると 旧仮名使いの日本語を現代仮名使いで発音するようなことに似ているのでは?と感じたのです。私が多少知っていると考えている、ドイツ語でも1000年も前の文章を現代語の発音では読まないと、授業で教わった記憶がありますし、意味も変遷がある筈です。
漢時代等の中国語と現代中国語に知識をお持ちの方のご意見を伺えれば幸いです。
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日本式の訓読が邪道なのは間違いないでしょうが、現代中国語(普通話)読みがよいかといえばそうでもありません。


普通話の発音は古代の中国語とは大きく異なり、音節末の子音が貧弱です。
古代中国語の発音はむしろ日本語の音読み(特に旧かな遣い)に継承されています。
例えば日本語読みでは区別のつく「衣(イ)」「翼(ヨク)」「一(イチ)」が普通話ではみな[yi]です(アクセントは異なるが)。
そのため普通話で読んだとしても詩の韻は大分失われます。
もしかすると漢文を読むのに一番向いているのは日本語の音読みかもしれません。
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あくまでも私の意見として




漢文は当時の中国語(文語)で読み解釈するのが一番理想なので、そういう意味では現代中国語でも日本式(文語)の訓読で解釈するのもどちらも邪道と言えると思います。

日本式で解釈する時は質問者の方のような問題が出てくると思いますが、現代中国語で解釈するのも、日本の古文を現代日本語で解釈するのと同様に問題あると思います。


まあ、どっちが邪道か… というのは各自の判断かと思いますが
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