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我が家の家系図を調べていたところ過去帳に下記人物が記載されていました
戒名「唯常院妙宣日説大姉」
中村平八祖母鳴尾 没正徳元年辛卯十二月十一日(1711年)
右ノ墓石ハ紀州五代太守八代将軍吉宗公ノ御建立

お寺は和歌山の報恩寺です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%B1%E6%81%A9% …

先祖は紀州徳川家に仕えていた(らしい)のですが、調べようもなく困っております。
なにかの手がかりになればと思い質問させて頂きます。


関連があるかわかりませんが下記も記載されていました。
戒名「秋月院風山道雲居志」
唯常院様御志霊 没寛文六丙午八月二日(1666年)

過去帳に記載されている人物は古い順に
中村藤吉
中村※七 ※草かんむりに勝
中村平八
中村九右衛門
中村三郎兵衛
中村善良
中村新十郎
中村新十良
※きりが無いのでこのへんで

A 回答 (1件)

こんにちは。


私は、自称「歴史作家」です。

まずは、吉宗の正室および側室からお話ししますと、
正室・・・理子(まさこ)
     伏見宮二品兵部卿貞致親王王女。
     元禄4年(1691)8月18日~宝永7年(1710)6月4日
     寛徳院殿玄真日中大姉

側室・・・お須摩の方
     大久保八郎五郎忠直女(紀伊藩士の女)
     元禄9年(1696)~正徳3年(1713)10月24日
     深徳院妙順日喜大姉
     9代将軍家重の母

    ・お古牟の方(おこむのかた)
     竹本茂兵衛正長女(紀伊藩士の女)
     元禄9年(1696)~享保8年(1723)
     本徳院(以下、不明)
     次男宗武が田安家初代となる

    ・お梅の方
     谷口長右衛門正次女(京都の浪人の女)
     元禄14年(1701)~享保6年(1721)
     深徳院慈潭性水大姉
     4男宗尹が一橋家初代となる

    ・お久免の方
     稲葉彦五郎定清女(紀伊藩士の女)
     元禄10年(1697)~安永6年(1777)
     教樹院(以下、不明)

    ・名不詳 
     出自不詳     
     生没年不詳

    ・お咲の方
     出自不詳
     生没年不詳

以上が、吉宗に関係した女性たちですが、

>>戒名「唯常院妙宣日説大姉」
中村平八祖母鳴尾 没正徳元年辛卯十二月十一日(1711年)
右ノ墓石ハ紀州五代太守八代将軍吉宗公ノ御建立

(1)この墓が「名不詳」または「お咲の方」かどうか・・・??
(2)和歌山県田辺市の市指定文化財に「中村家文書」というものがあります。
旧「大塔村(おおとうむら)」の中の、さらに、その昔は「下川上村」の庄屋であったとか。
吉宗は、「灌漑」「治水」事業等を積極的に推進しましたので、そうした事業に、例えば、資財を投げ打って協力し、それにより、吉宗より「墓」を送られたか。
(3)ただ、私も「中村家文書」を実際には見ていませんので、「中村家」の誰が記録として残したのかは不明です。従って、あなたの記載された氏名と一致するかは分かりません。
(4)また、現田辺市の市指定文化財になっていますので、大学教授とか、よほどの人物でない限り、閲覧はできない、と、思います。
(5)しかし、何らかの糸口になれば良いのですが・・・。
(6)なお、私も兄と一緒に我が家の家系図を作成しましたが、例えば、<中村平八祖母鳴尾 没正徳元年辛卯十二月十一日(1711年)>の兄弟を探す、とかしていくと、判明する場合もあります。

>>戒名「秋月院風山道雲居志」
唯常院様御志霊 没寛文六丙午八月二日(1666年)

これも吉宗との係わり合いは見い出せません。

吉宗の子女

・家重(9代将軍)
 正徳元年(1711)12月21日~宝暦11年(1761)6月12日
 惇信院殿仙蓮社高譽泰雲大居士

・宗武(田安家初代)
 正徳5年(1715)~明和8年(1771)
 悠然院

・源三
 享保4年(1719)~同年夭死
 凉池院

・宗尹(一橋家初代)
 享保6年(1721)~明和元年(1764)
 覚了院

・芳姫
 享保6年(1721)~享保7年(1722)
 正雲院

・竹姫(養女)
 ?~安永元年(1772)
 浄岸院

・利根姫(養女)
 享保2年(1717)~延享2年(1745)
 雲松院

・尊胤入道親王(猶子)
 正徳5年(1715)~元文4年(1739)
 最勝光院

先にも申し上げましたが、寺の過去帳だけではなく、親類、縁者などの家系図等の周りから調べていくと、判明する場合もありますよ。
          
          
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この回答へのお礼

早速ご意見頂きありがとうございます。

過去帳の中にもう一つ気になる人物が
実成院妙智信女
唯常院様ノ御母 六十九才 没寛文十年庚戌九月二十七日(1670年)

ここでいう唯常院と中村平八祖母鳴尾の戒名である唯常院は無関係でしょうか?

戒名「秋月院風山道雲居志」
唯常院様御志霊 没寛文六丙午八月二日(1666年)
こっちにも唯常院がでてきますし謎は深まるばかりです

しかし家計図調査って自分のルーツを解き明かしているようで本当に楽しいですね

お礼日時:2009/05/01 10:20

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