プロが教えるわが家の防犯対策術!

過去のことをわすれられない。自分を自虐することでしかない。
うつびょうにかかってかれこれ5年です。
離婚が原因でしたが、複合的なことがありました。
あのときどうしてこうしなかったんだろうとか、あのときこうしてれば子ども達も幸せになれたのではないかと過去のこだわってばかりいます。
病院にはかかっていて、一種の自虐的感情で自分を保っているといわれました。薬はアナフラニールとコントミンとフルメジンです。
寝る前にハルシオンとロメラットを飲んでいますが、眠れない日もあります。そうするとコンビニとか買い物にいっちゃって、階段から落ちたりします。お酒も飲んでいるので。
どうしたら自虐的なことを考えないようになりますか?
医者にはアナフラニールを減らす方向に行ってますが、精神安定剤が増えるだけです。
わたしはうつびょうなのかもわからなくなりました。
どうしたら寛解になるんでしょうか?

A 回答 (6件)

過去の辛い体験をなくすことは出来ません。


それをどうにかしたいと思ってもどうにもなりません。
だから、そこにあっていいと認めてしまうことです。

そこにあっていいことなら次第に気にならなくなっていくと思います。
過去のことはどうにも出来ませんが、いまのことならいつでもどうにか
出来ます。
いま出来ることに手を付けられるようになれば問題は解決していくと
思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そこにあることを認める…難しいです。
認めているのだろうけど、ふと記憶が
戻ってとても自分が嫌いになります。

お礼日時:2009/06/03 06:57

とりあえず、限界に陥りがちな垂直思考を休ませて、新たに


余裕・ゆとりが生じる水平思考を採用してみてください。
(水平思考はネット上の辞書でわかります)
で、
その事実体験のすべてを書き出してみましょう。
それで、多様な視点・視覚から極限思考して
深く鋭く検証し、どのような選択肢があったのか
すべてを書き出してみましょう。
そうすることで脳髄の中での堂々巡りがなくなり
アタマが軽くなります。

それと、アナタさまの売り(=特技・才能・雰囲気)を磨き、
完全燃焼できるテーマ・目標を見つけましょう。

それでかなり軽減するかと思われますが、更に、効果をあげたければ、
そうした体験を材料にして、Requiem 的な小説を書きましょう。
多様な視点・視覚から5~6作は書けるでしょう。更に、シナリオも
書いて、TV・舞台・映画にすれば、そのころには、すっかり、
ネガティヴ・スパイラルから脱出できているでしょう。

※女性はしてもらったことは直ぐに忘れてしまいますが、してもらって
ないことは永遠に忘れないで[~してくれない]の くれない族 のように
エスプリに抱え込んでいますね。多様な Requiem として完成させて
しまうことで次のステージに進めるのではないでしょうか。
とりあえず、やってみてください。多少でも軽減したら、また、次の
方法を考えましょう。


他、専門書で、広く深く鋭く精神病理学の研究をして、アナタさま自身
精神科医レヴェルになってしまうのも1つの方法でしょう。
お序に、精神科医になってしまうことも含めてご検討ください。

[期待心][依存心][与えられる(=受ける)ことを希求する心]との
縁を断って、
[与えること][お役に立つこと]に専心するようにすれば、常に、
穏やかな気持ちで静かに暮らせます。

祈ってます。
〔[寛解]になれるかどうかは主治医に訊きましょう。
主治医が信用できなければセカンド・オピニオンをうけましょう〕
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
書き出したことはありましたが、
むなしくなってやめました。
>~してくれない
たしかにそうかもしれません。
でも今は一通りの生活はしているのですが、
というより生活に追われているのですが、
夜などにふと思い出すと自分を責めて
責めてどうしようもなくなります。

お礼日時:2009/06/03 07:12

治療の効果が停滞した状態が長引くと、この先良くなるのか、悪くなるのか、


そもそもうつ病でないから抗うつ薬が良く効かないのか、わからなくなることがあります。

うつ病はいずれ良くなります。


あなた自身が理解しているとおり、自分を虐げていることが
あなたの病気の回復を遅らせている原因のひとつなのかもしれません。


過去の失敗の記憶の頻回の呼び起こしは、自己敗北的な回路を強化するように思います。
このことはうつ病の中核症状のひとつなのかもしれません。


わたしはうつ状態のとき、こころを守るために一種のまじないのようなものを考えました。
過去の失敗を思い出し後悔するたび、ただ機械的に思い起こしていました。


(1)後悔することは無意味だ。あのときこうすればよかったという仮定は観念の中にあるだけだ。


(2)過去の失敗は認めよう。しかし、しつこく何度も思い出すことは合理的ではない。
   罪が深いから何度も想起されるのではなく、病気によって脳の自己敗北的回路が強化されたため
   むやみに想起されているのかもしれない。ここにそれ以上の意味を求める必要はない。


(3)わたしはたくさんのことをちゃんとやってきた。失敗だけではない。


(4)過去にうまくいかないことがあっても、今後はうまくできる。
   わたしは失敗から学び成長することができる。


(5)いまは気分が良くない日が続いているが、本質的には病気のためだ。
   それ以上の意味を求めても意味がない。


こころの盾は、ことばでつくる必要があると思います。
素敵なことばでこころを守ってください。


ゆううつな気分をそのまま信じてはいけません。
この病気の理解の難しいところは、わたしたちが普段盲目的に信じている気分そのものが
障害される病気だという点です。


しつこい嫌な気分を伴う記憶は、病気が回復するとちゃんとコントロールできる
ようになります。
あなたにできることは、今も、これからも、たくさんある、という事実を受け入れてください。


お酒を減らすかやめてみることはできますか?
アルコールと気分障害には相関があるといいます。

また、ご存じだと思いますがアルコールは精神科のお薬と一緒にとらない方が良いのです。
睡眠の質を下げる原因になったり、肝臓を酷使して疲れの原因になることがあります。
ふらふらになって、転んでケガをするリスクもあります。
(ケガについても、軽視すべきではありません。)


うつ状態では、なにかと困難を感じるかもしれませんが、
できることから小さく取り組んでみる価値はあります。
病気の軽快をお祈りしています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
わたしもおまじないをやってみようと思いました。

お酒と薬は医師にも指摘されています。
でも、薬を飲んでも眠れないことが
多く、焦ってお酒を飲むことがあります。
それで外出までして階段から落ちました。
肋骨にヒビで済みましたが、そのことを
覚えていません。
薬は怖いですね。
はやく薬なしで眠れるようになりたいです。

お礼日時:2009/06/03 07:18

自虐的な思いを自分自身に向けないようにするのが一番良いと思います。



今もそうかは分かりませんが、20数年前、私が高校生の頃、中島みゆきさんの歌が失恋したての女性の間で流行っていました。
すごく落ち込んでいるとき、彼女のとても悲痛な歌が、悲しみのどん底にある女性達には応援歌だったそうです。
自分よりもっと不運な女性の心情を聞いて、私なんかこれくらいでめげていてはいけないなと元気になったそうですよ。

失恋をした女性達は、きっと、歌の女性と自分を重ねて、どっぷりと不幸に包まれて共感しつつ、現実にはこの歌に女性のようにもっと辛い人もいるんだ、このぐらいならまだ不幸と言い切れないんじゃないかと、自分も強くなりたいと、勇気が湧いたのではないかと思います。


私が子供の頃、家では両親が不仲で喧嘩が絶えず、小学校に行けばいじめのターゲットだったので、あれでよく鬱にならないなと言うような生活を送っていました。
その頃、私が楽しみにしていたのは、(古すぎてご存じないかもしれませんが)花登筺さん脚本の商人ドラマでした。
「細腕繁盛記」「あかんたれ」等をよく見ていました。
高校受験を控えていた頃は「氷山のごとく」を見ていました。

当時は、どんな苦境にも耐え抜いて、知恵と度胸で乗り越えていく主人公に元気づけられ、勇気が湧いたものです。
自分ならとても耐えられない様な、どうやったら切り抜けられるか分からないような難問を解いていく、その姿に憧憬の念を抱きました。

多分そうすることで、現実の自分を痛めつけずにすんだんだと思います。
そして、幼いながらも気の持ち様や工夫で物事は良い方向に変えていけるのだと学んだのだと思います。


その傾向は今でもあります。去年の今頃も気落ちしそうなときは、韓流ドラマの「ソドンヨ」を見ていました。

ただ全面に明るい物語よりも苦境を乗り越えて幸せを掴んでいく物語の方が、私は元気になれるのです。


病気そのもののことを考えるよりも、一見何の関わりのない様な物事に目を向けるのも良いと思います。
病名なんかどうだって良いじゃないですか。
病名は治療方針を定めるための指針とだけ捉えれば良いと思います。
無茶をするのは良くないですけど、病気だと意識しすぎるのは良くないと思います。
意識しすぎていると、常に自分に暗示を掛けているようなものです。

一つの物事を意識しすぎてしまうのは、病気の所為ではあると思いますが、眠っている感性がきっとあると思います。
それを呼び覚ますためにも、何か他の心動かされることに目を向けてください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
大変でしたね。
よく頑張ってこられましたね。
私などいいほうなのかもしれません。
でも
それでも思い出しては苦しくなります。
乗り越えたい。
はやく乗り越えたいのです。

お礼日時:2009/06/03 07:20

欝になる脳の部分と記憶の部分は近いそうです。



だから5年も前のことでも、
まるで昨日のことのようにリアルであるかもしれません。

私は躁鬱病ですが、
欝相のとき、15年前のことが
昨日のようによみがえり、
その時したことを後悔して、タイムマシンにのって
やり直したいという気持ちで頭の中が一杯になりました。

でもタイムマシンはない、という結論で終わるのですが、
それでも、ずっとそのことが頭から離れず、
もう人生はあのときから狂ってしまっていて、
取り返しがつかなくって、もうこの先は
欝ばかりが続く人生だから死にたいと思い込んでいました。

私は躁鬱病ですから、
その気持ちは1年半ほどで治まりました。
私の場合は症状でした。
欝は後悔を増幅します。

私はそういう気持ちで頭が一杯になりながら
一日一日をやり過ごすことだけでした。
自分はなんでこの町でこの家族と住むはめになったのか
サッパリわからず、記憶も15年前のことはハッキリしているのですが、それから現在までの記憶があいまいになって
写真を見てやっと思い出すぐらいになってました。
15年前で人生は終わって、あとは記憶にも残らない日が続くのだと思うと絶望的になりました。

気休めだったかもしれないけど、
般若心経を読んだり。
お釈迦様はこんな昔から人生は苦しみがたくさんあるって
言っているから、そうなんだろうな・・なんて。
苦しみって認識だけですから、
どうにでもなりそうだけど、
どうにもならないのが鬱病かもしれません。

あとは、もしかすると、現実はもっと厳しくて、
過去を後悔することで、現実逃避できているのかもしれません。
これは自分を守っているということです。逃げているのではないと思います。

でも不思議とその症状、治ったんですよね~。
なんだったんでしょう。

どうか戦いすぎないで生き延びてください。
お酒だけは、なんとか飲まない日が作れればいいと思います。
アルコール性の欝になるかもしれません。
無理に乗り越えようとするより、
受け入れるほうが早いかもしれないです。
早いって言っても、どれくらいかかるかわかりませんが。
お大事に。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私もそのとおりです。
昨日の事のように鮮明に覚えています。
私は薬を飲んだ後にお酒を飲むことで
ハイになり、その場を忘れようとしているのかもしれません。
真剣なお返事参考になりました。

お礼日時:2009/06/03 19:38

No.4です。

お礼と優しい言葉をありがとうございました。m(_ _)m


No.5さんの回答すごく参考になりました。

>欝になる脳の部分と記憶の部分は近いそうです。

だから5年も前のことでも、
まるで昨日のことのようにリアルであるかもしれません。


本当にそうなのでしょうね。
私も、以前、鬱状態になったときに、心療内科の先生に過去のことを忘れにくい人は、鬱傾向を示しやすいと教えて頂きました。

鬱傾向を示しやすい人は、人に気を遣う人が多いのだそうです。
人と対立するのも、何か大きな失敗をするのも嫌なので、自分にとってマイナスであった出来事は、今後の行動パターンのマニュアル作りをするために、ストックしてしまう習性があるのでしょうね。
失敗を避けるためのデータだから必然的に辛い内容ばかりになってしまいます。
それは処世術の上で必要なことでもあったし、自分を支えている面もあったので、なかなか改めようにも出来ないことなのでしょうね。


前回、回答を書いていても、こんなことでは質問者さんのお気持ちは楽にはならないかもしれないと、何処か白々しさを自分でも感じながら書いていました。
大人の悩みと子供の悩み、本質的な大きな違いは、「責任感」と言うことだと思います。
私の場合は子供の頃のほうが、出来事の一つ一つは辛いことではあったけれど、時が解決してくれる面もありました。
これが今の自分に降りかかったら、とても耐えきれないのではないかと思います。これに責任感もプラスされるのだからギュウギュウです。


質問者さんは、ここで書かれたお礼を見ていると、優しくて真面目な方とお見受けします。
なので、これまでも何か事件が起きると、相手の気持ちになろうと真剣に考えて行動なさって来たのだと思います。
そして、自分の配慮が足りなかったから、事件を回避できなかったと後悔なさっているのだと思います。

でも、人間の心は、どんなに配慮を重ねても、自分が相手と完全に同じ人には成り切れないのだから、すれ違いはどうしても起きてしまいます。
自分が発した言葉も、本当の意味が相手には届かないこともあります。
その逆もあります。
自分ではどうにも出来なかった、望んだ結果にはならなかったからと言って、全て自分の所為だなんて思わないでください。

同じ人であったって、辛くてささくれ立った精神状態にあるときは、いつもと違う言動をすることがありますよね。
相手が本心から言った言葉ではなくとも、自分でも耐えきれない精神状態にあるときは、真に受けて傷ついてしまいますよね。
そして、裏切られた気分になって余計に悲しくなってしまいます。
逆に、それを相手にしてしまうときもあります。
そうすると自分で自分に嫌気が差して、余計に落ち込んでしまいます。

でも、これはどうしようもないものだと思います。
悲しいけれど、辛いけれど、人の心は自分の力ではどうしようも出来ない事ってありますよね。


質問者さんに何が起きたのか、質問だけでは良く分かりませんが、どんなに自分の過去のデータを取り出しても、未経験のことなら上手く対策が立てられないことがあったって仕方ないじゃないですか。
人生経験を積んで初めて出来るようになる事、分かる事ってありますよね。
たまたま巡り合わせが悪くて、辛いことが重なって出来なかったからと言って、自分のことを無能のように思ってはいけませんよ。

たくさん悔いていらっしゃるのは、悔いることで許しを請いたいからなのだと思います。
でも、本当に質問者さんを許してあげられるのは、ご家族ではありません。

質問者さんがお子さんに感じていらっしゃる引け目は、自分の心の中で作り出した部分が大きい事を忘れないでください。
「あなたはこんな人よ」と言われて、自分に全て当てはまっているなどと思ったことはないと思います。
人は、自分にとって都合の良い様に解釈して生きていることが多いと思います。

質問者さんは、お子さんに申し訳ないことをしたと思ってしまうから、自分を責めて欲しいと思ってしまうのだと思います。
でも、現実にはそうはならないので自分で自分を責めてしまうのだと思います。
質問者さんが思うほど、お子さんは質問者さんを責めてはいないのではないかと私は思います。


質問者さんを本当に許してあげられるのは質問者さんだけです。
質問者さんは、自分を痛めつけることで許しを請いていたのだと思います。
でも、お子さんはそんなことを望んでいらっしゃらないと思います。
子供は、親がボロボロになっていくところを見るのは辛いものです。
子供が悲しいと思うことをするのはもう辞めて、自分を許すことをして下さい。
親が子供に幸せになって欲しいと思う様に、どんな子供だって本心は親には幸せになって欲しいものなんです。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。
こうやっていろいろな方が私のようなものの
質問に真剣に答えてくださることは
本当にありがたいことです。

>人と対立するのも、何か大きな失敗をするのも嫌なので
その通りです。
いつも穏便に済ませたいと思っている自分がいます。
上手くいかないことっていっぱいありますよね。
受け入れなくてはいけないんですね。
乗り越えるのは難しいですが、
みなさんの回答を見ながら少しづつ考えて
プラスに考えていければいいなと思います。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2009/06/04 19:41

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