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裁判員制度は一般人の感覚で裁いてほしいために導入したようですが、一般人も生き方は人それぞれ違います。何を持って一般人といっているのでしょうか?また、裁判官だけに市民感覚が無いというその根拠は何なのですか?
よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

法律とは「要件と効果」を定めています。


「要件」というのは、法律の定めが適用される条件のことです。
「効果」というのは、「要件」を満たしたときにどんな法律上の判断や結論が導かれるのかということです。

この「要件」も「効果」も、個々様々な状況ごとに細分化したのでは無限大の条文が必要になってしまいます。
そのような膨大な条文では、適用する条文を探し出すことも困難で、運用できない法律になってしまいます。
そうならないよう、法律の要件と効果は抽象的に柔軟に扱えるように定めています。
抽象的であるがゆえに、法律を定めた意図にできるだけ正確に運用するには、専門的な知識を身に付けていることが求められます。
また、法の下の平等という原則があるので、同じ行為・同じ影響の大きさであれば処罰も同程度でなければ憲法上の問題が生じます。
そのようなことにならないよう、過去の判例についても十分な知識を身に付けていなくてはなりません。
その専門知識を身に付けている人が「専門家」です。
そのような知見が必ずしも十分ではない人が「一般人」です。
「専門的な情報に縛られない」という意味で「一般(自由な判断をする)人」なのでしょう。

裁判官も市民の1人なので市民感覚もありますが、専門的知識・経験を重ね、その専門性の発揮が使命なのですから、感情的な要素を極力排除して合理的な結論を下そうとします。
それゆえ「市民感覚が無い」と言われるのでしょう。

あと、裁判では過去の判例(とりわけ最高裁判例)に縛られたり、過去に類似事件があればそれと同様の判断を下そうとします。
当事者が「過去にそれで決着しているなら」と納得しやすいという効果もありますが、そうする方が紛争を招かないし、あえて過去の判例に逆らうと厳しくその合理性・妥当性が審査され、裁判官としての出世に影響するから、という人もいます。

一般人はそういったしがらみが無いので、そういう点でも「市民感覚」と「専門家の事情」とは異なるのかもしれません。
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>一般人の感覚で裁いてほしいために導入したようですが



私は「国民の司法参加」と聞きました。裁判所の説明もそのようです。
http://www.saibanin.courts.go.jp/qa/c1_1.html

どこかでは「一般人」という表現を使っているのでしょうか?あるとしても、いずれオフィシャルな説明ではないと思いますので、話半分程度に読むのがベストかと思います。

>裁判官だけに市民感覚が無いというその根拠は何なのですか?

「そう叫んでいる人がいる」ことじゃないですかねぇ?

私の実感では、裁判官はどうしても(自分の価値基準ではなく)「一般人の感覚」で判決を書かざるを得ない場合が多いですが(実は必ずしもそうではなく、その必要があるときだけですが)、それこそ質問者様のおっしゃるように一般人にもいろいろいるわけで、その「いろいろ」に属する方々はいろいろ言いたいのだろうと思いますよ。
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> また、裁判官だけに市民感覚が無いというその根拠は何なのですか?



過去にある変な判例とか。

例えば、
3人殺害して1審では死刑。
ところが、2審では犯行時に覚せい剤を使用していたことから、心神耗弱状態だったって事で無期懲役に。
とか。

殺人事件での裁判をしているのなら、殺意の有無について考慮するのは妥当だとは思いますが、
一般人の感覚だと、余計にダメじゃんって事になるとか。
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一般人について


世の中から無作為に選ぶことに対する、
誰もが納得できそうな、選ばれた人への代名詞に過ぎないと思います。
もちろん質問者様がお感じの通りに、
選ばれた人が、社会の平均値というわけではないです。

司法関係者の感覚について
関係者が市民感覚に欠如しているとは考えられません。
法律に則って適切に業務を行っていると思います。
ただ、
(法曹関係者 側)法律が犯罪者を更生させるために使われているのに対して、
(放送関係者 側)犯罪者への裁きを見せしめにしたい人達や
被害者や遺族の溜飲を下げるために使いたい人達とのギャップがある。
その上で、放送関係者(もちろんその話を信じた視聴者も)が
自分たちの無知を認知せずに、
圧倒的マイナーの法曹関係者の感覚がおかしいのだという主張だと思っています。
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法律の専門家と非専門家が共同して裁く方が、世論的に公平だと言いたいのだと思います。

私としては自分が他の人の罪にふさわしい罰を公平に決定する自信はありません。しかしその個々の心情的な、あるいは常識的なズレを司法は想定し、肯定しているのではないかと思います。ただ今後、弁護士(あるいは検事)がアメリカ的にエンターティメントなプレゼンテーターになってしまうことが気がかりです。
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はじめまして。


一般人です!

裁判員制度 でぐぐってみました。
http://www.saibanin.courts.go.jp/
に裁判員制度についていろいろと紹介されています。

一般人=有権者ってことだと思います。

いわゆる選挙で選ばれる××議員様たちは、さまざまな生き方をしている一般人の投票獲得数によって決まります。
と立法はオープンですが(選挙そのものの仕組みはむちゃくちゃ透明性が高いです)、司法もそうしよう!と言うところだと思います。
まぁ裁判官に限らず、××議員様たち、行政に関わるお役人様たち(地方公務員も含めて)市民感覚が欠如していると伝えるメディアがありますよね。(裁判官様も議員様たちもお役人たちも公務員様です)
実際のところは、わかりませんが。

海外の国の制度の真似っこにもみえますが・・・。
中学生の時に学校で「怒れる12人の男たち」の舞台を見たのを思い出しました。

参考URL:http://www.saibanin.courts.go.jp/
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