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私は作家で社会学者の加藤諦三さんが嫌いです。というか彼は心理学者を名乗るにはあまりにも不勉強が過ぎると思います。

発達障害が元で対人関係で苦しんでる人のことはぜんぜん考えていない。

むしろ臨床心理士や精神保健福祉士とか専門の資格を持っていないからあれだけ断定的というか紋切り型というか決めつけの多い文章を書けるんだと思う。

自分の考えを本に書くのは勝手だけど、それを『心理学』という言葉を使って正当化しないで欲しい。

むしろ自分の狭い人間観で人間全て分かったようなことを言わないで欲しい。

私の友人はある脳の先天的な障害が元で対人関係なとで長年、苦しんできました。

彼に最近まで障害の自覚はなく、

「自分のこの苦しみは一体どこから来るんだろう?」

「人と同じことができないのは何故なんだろう?」

「自分は他の人と比べて甘えているからいけないのかな」

と悩み苦しみ、自信をなくしとても苦しんでいました。

そんなときに読んだ加藤諦三氏の本は彼を余計に落ち込ませ、苦しめました。

彼の対人恐怖や自信のなさの本当の原因は違うところにあったのに…。

加藤諦三さんはそういった人のことをぜんぜん考えていない。全ての人を一緒くたにして、

「出来ないのは甘えてるからだ」、「依存してるからだ」、「親離れできていないからだ」、「本気で生きていないからだ」

そういう言い方をする。友人の苦しみの原因は別のとこにあったのに。

加藤さんは、そういった人達のことまで一緒くたにして決めつけた言い方をする。

臨床心理士や精神保険福祉士の資格を持っていないから、ああいうふうな無責任な発言や決めつけた言い方ができるんだと思う。

自分の発言に責任が持てないなら安易に本のタイトルに「心理学」とつけないでほしい。

「心理学」と本のタイトルについていれば

「これは心理学の理論なんだ!」

「学問的に言われてることだから、この加藤っていう人が言ってる知識は正しいことなんだっ!」と勘違いする人が絶対に出てくる。

でも実際の加藤諦三という人は心理学者でもなんでもないし、安易に著書に「心理学」というタイトルをつけないでほしい。

自分の発言に責任が持てないなら安易に「心理学」という言葉を使わないで欲しい。加藤さんの無責任な発言のせいで友人がどれだけ振り回され、苦しんだのか分かってほしい。僕の考えが間違っているのでしょうか?

A 回答 (13件中1~10件)

僕は今、大学で心理学を学んでいますが、あなたの考えは間違っていないと思います。



これまで学んでみて分かった事は心理学という分野自体がまだ学問としては産まれて間もない分野だということです。数学などの歴史と比べると臨床心理学なんて近代になってからです。

だけど、学問である以上、明確な定義があります。

ですが、こういう本は本を売る為に安易に心理学という言葉を乱用して人を騙していると思います。

心理学と言っても社会心理学と臨床心理学ではまったく扱う分野が違いますし、

本当の社会心理学者は例えばイジメ問題とか集団の中でどう捉えるかを考えます。

臨床心理学者は問題の当事者の家庭環境や背景も考えながらイジメをする子の問題行動(逸脱行動)を起こす心について考えます。

でもどちらでも習う事は、絶対に相手をステレオタイプで見てはいけないということです。
ステレオタイプに当てはめてみる癖がつけばそのものの本質を見誤るからです。
このことは人格心理学を学んだ時にも出てきました。

だから、本当の臨床心理学者が書いた本では人を何かに当てはめこじ付け否定するような事は書きません。

本当に心理学を専攻していたらありえないような事を平気で書いたり言ったりして人を無意識にだとは思うけれど傷つける自称専門家がいます。

そして、実際に僕自身がクライアントの立場から経験した事を振り返ってみても、本当に臨床心理士の資格を持っていても、やってはいけない事をやってしまっている人もいます。

例えば、クライアントに無闇に見立てを言ってはならないとか、質問攻めにして威圧感を与えるような事をしてはならないとか、結局、臨床心理士も聖人君主ではありませんから、フランスの本場でフロイトの著作の原文を読んで来たとか自慢話ばかりする困った臨床心理士もいます。

本当にきちんと学んでいる臨床心理学者であれば、発達障がいや精神疾患、脳腫瘍などによって様々な症状が出たり対人関係に不具合が生じる事は分かっています。分かった上であえてそれを断定的に決め付けた言い方をしないし、糾弾したりはしません。

大人の世界は汚いので、理想を言えば心理学という言葉を乱用して本を売る事だけを考えるのは悪い事なのに、平気でそれをやって本が売れればいいというのもあると思います。それが仕事だから加藤氏も無責任でも何でも辞められないだろうと思います。

思いやりや良心に従って辞めてくれたらいいんですけど現実は中々そうはいきません。詐欺師がこの世から無くならないのと一緒です。そういうのも大人の事情って奴なのだろうと思います。

だから、単に心理学という言葉を乱用しているだけの本は信じない方が良いと思います。
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今日はじめて本を買ったものです。



はじめの3ページ読んだだけで全部自分の批判に
思えて辛くなりました。
解決したくて買ったけど解決方法が書いてない。
あまりにも無責任に読み手を傷つけてると思いました。

こうゆうことがある、あったという事実だけなら
大学の講義ですればいい。
本というのは違うんじゃないかと思いました。

あまりに強烈なことが書いてあり、
目を通さずにいられなくなった人も多いと思います。

苦しんでいる人に向けてとは思えないし、
苦しい人が読んだらもっと苦しくなる本でした。

解決方法が分からないなら無責任に書くな!
以上です。
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すいません。

私も心理学というのは間違えていると思うのですが、きっと哲学というのが正解だと思います。チョツトインターネットでこの人の言葉を読んだのですが、間違えてない。これは断言できる。ただし、あなたのいっている通り障害のある人にはてきしていません。これは、あくまで言い方が悪くてすいませんが、普通の人に対して適応しています。加藤さんは、人は弱い存在だ。を大前提にいろいろと書いています。お友達いに伝えてあげてください。こんな本もう読むなと。そして私が代わりに謝ります。ごめんなさい。
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加藤タイゾウに だまされてる人多いと思う



僕も、タイゾウの本を何冊も読んでだまされたんだけど、

加藤タイゾウって精神科医でも診療内科医でもないだろ?
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考えが間違っているというか、求めているものが違ったので怒られているのでしょう



加藤さんの発言が無責任に感じるのは「本」に何を求めるかによると思います。
いわゆる「本」の中にすぐに役立つ答えや今すぐ実践できるhow toを求めるなら
それらのかかれていない加藤さんの本が役にたたなく感じると思います。

じゃあ何がかかれているの?というと、

・甘えのある人は特効薬を求めるがそんなものは無い
・問題に対する「気付き」
・自分を疑ってみること。自分が自分についている嘘に気付くこと
・成人した人の多くが抱える問題の原因は子供の頃に作られる(分離不安とか)
・問題の原因は無意識のものが多い

といった感じでしょうか

加藤さんは問題を解決するためには「気付き」が必要と考えていると思います。
人はまわりからガミガミ言われたところで何もかわらず、自分から変わろうと思ったときにはじめて変わるものですから、加藤さんは「気付け、気付け」と本の中で丁寧に繰り替えしておられるのだと思います。

ただ、なぜ気付きが必要なのか?気付きが重要なのか?はかかれていません^^;
苫米地英人さんの著書と合わせて読まれるとよいかもしれません
苫米地さんの方は問題に気付くことの重要さや問題に気付くことで人の脳がどうやってそれを解決してくれるかが書かれています。こっちを読みながらあっちを読み、あっちを読みながらこっちを読みというふうに読まれると良いと思います。

加藤さんの本も苫米地さんの本も、「同じことの繰り返し」といわれるのを見かけますが、無意識の問題を人が認識するときには繰り返し少しずつ違うことばで自分を見つめていく必要があるのだと思います。お二人の著書はそのための助けになるものだと思います。
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スレタイには、まあ一応同意ですかね。




確かに「心理学」という言葉を本のタイトルに使っているのに、内容は専門書や教科書はおろか
副読本ですらなく、ただの人生訓みたいなものですからね。専門書と勘違いしてしまって、本に書かれている
内容をそのまま学問的なものとして余所で書いたりすると恥ずかしい思いをしてしまう。

内容自体も、毒が強いというか、読み手の粗・欠点を責めるような言い方をしているものがかなり多く
、それを学問的に普遍的な事実であるかのように語ってしまっている点はマイナスでしょう。


まあ、そうはいっても、読み手がインパクトを受け内容が記憶に残るようにする為には、断定口調的に
するほうが効果的という面はあります。

個人的には、あの人の本の大部分は著者自身に向けられているメッセージだと思います。
確か、著者の青年時代の日記をもとにしたものをそのまま本にしたものもあったようだし。
だから実際には自分自身の欠点を責めているのに、それが本として出版されてしまうと読み手を
責めているような感じになってしまうのです。


相手を否定したり責めたり、他罰的になったりするのがいけないという割には、断定口調で
いちいち「~してはいけない」「~ではだめだ」とか押し付けたりするのは、ふつうにおかしいとは思います。
自分が過去に否定的な扱いをされたからって、それを他人にしてはいけませんよね。



でもさ。


それと質問者さんのいう、発達障害には当てはまらないからインチキだ、っていう物言いは
また別じゃないでしょうか?

発達障害で人間関係を作るのが困難だというけど、例えばADHD自己正当化型とか、アスペルガー
とか、調べてみればわかるけど、
周囲に対しての言動・振る舞いに問題があるわけでしょう?自分自身の考えとか行動の偏り、癖etc
そういうものが周囲に対してしばしば加害的に振る舞われる結果、周囲から疎外されたとして、
その偏りを理解し合わせようとしない周囲が悪いのでしょうか?

発達障害は生まれつきの性格の偏りです。疾患ではない。
それ単独では、精神を病んでいるとかの状態ではないのです。人生訓とはいえ、加藤さんの
本は精神を病んで困っている人向けの著作では?


「発達障害」の人が生まれつきの性格特性によって周囲と軋轢を生じるからといって、
その責任とか対処の仕方まで求めるのはあまりに度が過ぎるのでは?


周囲の誰ひとりにも何一つ嫌な思い、迷惑をかけていないのにも関わらず理不尽な思いを
しているというなら、同情くらいは得られるかもしれませんが、発達障害とはそういうもの
じゃないでしょう?
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ご友人自身も自分が先天的である発達障害ということに気づかずに


健常者として加藤先生の本を読まれてたわけですよね。
それが調べてみると先天性の障害であった、
発達障害のことが書かれていないではないかと
読んだ本の筆者に不満を言うのは無理があると思います。

でも確かにそこの区別は難しい所があって本人の自覚がないような発達障害などもあり
人生相談の回答時にも加藤先生は発達障害かそうでないかははっきりさせておかないといけないと
よく言っているのを聞きます。

加藤先生は先天的要因ではなく生まれて育ってきた環境による性格形成(後天的要因)について書かれています
先天的要因についてかかれていないからなんの知識もないと言うのは間違いです

この質問で人と同じことができないのは何故なんだろうと悩んでいる人は
一度発達障害ではないかと疑うことも必要だと知ってもらえたらいいなと思いました
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間違っている部分と間違ってない部分がある、でしょうか。



まず、心理学という言葉の捉え方が間違っているように思えます。
心理学は多種多様であり、臨床心理学だけが心理学ではないんですよ。

加藤諦三さんは社会学者ではないはずです。
社会心理学者、なんです。
社会学者と社会心理学者は微妙に違うはずです。

確か、社会全般として、人が主に集団でどのように反応するか、一般論を語るのが、社会心理学者だったかと、…。
つまり、普通の範囲に属する人が、普通の範囲内でする行動が、専門なんです。

問題は、社会心理学者なのに、臨床心理学者や精神医学の専門家のように錯覚させてしまう著作が多すぎる、
精神医学的知識が結構とぼしいという点ですよね。

弁護するというより事実として、まず、発達障害について、日本で知られるようになったのはごく最近であり、
加藤諦三さんの著作は、その知識がないうちに書かれたものが大半なんです。

その辺をよく考えて、冷静に判断すべきではないでしょうか。

人として一般論で書かれたものか主であり、
過大評価は決してしてはならないが、
一定の価値は確かにある、
その程度が適切な判断だと思いますよ。

臨床心理の専門家ではなくても、そんな話をする人は多いし、
精神科医を名乗っていても患者の気持ちがあまり理解できてない程度の癖にTVでコメントしてたりする、…。

それに比べりゃ、加藤諦三さんはまだ良心的なほうでしょうね。

ただ、ちゃんと抗議文を送っても、黙殺ですか、…。
まあ、その程度の御仁なんだと考えるべきでしょうね。
回答する義務はないんですよ。
逆に、回答が返る人が非凡なんです。

発達障害を持っていると、何でも徹底的になるというタイプは多いですよね。
私も大学在学中は心理学という名前がつく講義は軒並み取ってみたことがあります。
ただね、普通の人は色んなものを簡単に流せるんですよ。
自分に責任の一端があっても、「自分が悪いんじゃない」と自己弁護して、それを思い込んでしまう、…。

だから、「この人も、その程度でしかないな」と冷静に考えるべきではないでしょうか。

同じ発達障害を持つ者としては、気持ちもわかるけれど、…。
若い人は純粋ですが、
発達障害を持つと純粋すぎてしまう、…。

それでは、人も自分も身が持ちません。
だから、ほどほどを意識してほしいと思います。
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間違ってはいないです。



加藤氏が本のタイトルに『~の心理学』を多用しているのが問題ということですよね。

本のタイトルが『心理学』でなく『方法』だったら全く問題なかったのではないでしょうか。

例えば

『自立と孤独の心理学』→『自立と孤独について』とか。

『自分を活かす心理学』→『自分を活かす方法』

『「自分の居場所」をつくる心理学』→『「自分の居場所」をつくる方法』

『自分を許す心理学』→『自分を許す方法』とか。


加藤氏が批判される原因は、自分個人の意見をあたかも心理学の理論であるかのように誤解される書き方をしてしまっていることだと思います。

もちろん心理学の理論も人間が作ったものなので全てが正しいとは思いません。

(同様に心理学者でないから心理学を語れないとも思いません)。

しかし、もし、病気や医療に関する本などであった場合、加藤氏のような本の書き方は完全にアウトです。

心理学の理論は実証と検証によって導き出されたものです。

事実とまだ証明されていない仮説とは明確に区別されるべきです。

若者向けの人生論や、普通の自己啓発本なとでしたら加藤氏のような話の進め方でも問題ないと思います。

あくまで個人の考えなので正しい、間違ってるというのもないと思います。

しかし、本のタイトルに「心理学」とつける以上は内容にそれなりに責任が伴ってくると思います。

一般の読者に誤解を与えないためにも加藤氏は「~の心理学」のバーゲンセールはやめるべきだと思います。

ただ本の内容自体についてはタイトルが『~の心理学』でなければ全く問題はないと思います。

加藤氏が自分の意見に説得力を持たせるために心理学の権威を借りているだけなのであれば、『~の心理学』というタイトルは絶対にやめるべきだと思います。
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加藤諦三さんの本や発言に問題があると言われる理由はおそらく、自分独自の考えをあたかも、「それが心理学の理論である」というような書き方をしてしまっていることだと思います。



一般の人が気軽に編集できるインターネット上の百科事典ウィキペディアでは医学や医療関係の記事には必ず「ご自身の健康問題に関しては、専門の医療機関に相談してください」と書かれています。

加藤さんは精神病や神経症について多くの著作で触れていますが、それが心理学の理論なのか、自分独自の考えなのか、ということをはっきり明記すべきだと私は思います。

医者や専門家ではないのだし、間違った知識を安易に書くのは良くないことだと思います。

心理学は統計や文献研究などを用いたれっきとした確立された科学の一分野です。

個人的なエッセイとも取れる内容を何の区別もなく併記する加藤氏のやり方は問題があると思います。
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