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日本男児たるもの・・・・・

昔は弱いという事は悪とまでは言わないけれど、戒められる対象であったはずですよね。

現代は、弱さを共有しあう者同士の変な連帯感、或いは弱者に対する妙な無関心が漂っていないでしょうか。

弱さを認めるというのは、ある面でお前たち同士で何とかしろという分離であり、切り捨てなのでしょうか。

現代人は強くなりたくないのでしょうか。

A 回答 (17件中1~10件)

今でも、警察、自衛隊、消防は弱いことを認めません、強くないと仕事が成り立ちません。

一般市民を守れない警察、消火活動が出来ない消防
役に立たないと思いませんか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ならば完全になくして自警団でもつくりますか。

お礼日時:2009/09/24 16:27

質問文があまり理解できませんでしたが、


的外れでない回答だといいのですが。

「日本男児たるもの」の定義も、せいぜい数十年前の考え方ではないでしょうか。
常に時代は移り変わっていますから、何百年前にはまた、違う定義だったのではないでしょうか?私たちの記憶にはないだけで。

「強さ」という定義もまた、変わりつつあるのではないでしょうか。
武力が強さである時代もあれば、知略が強さである時代もあるように・・。

時代はある一定の方向に、ゆれながら進んでいます。
その最終目的地は、「愛」です。
最終的には、愛こそが強さです。
これまでずっと、その過渡期なのです。

「自分の弱さを認める」ことは、強がることをやめて、ありのままの自分を受け入れるという行為と解釈できます。
心の鎧を脱ぎ、武器をすてて、裸で相手と対面することです。

愛という観点においては、裸で相手の前に立てることこそ強さです。
もちろん、今はまだまだ未熟なものではあるでしょうが。
もちろん、それを強さとは呼ばない人もあるでしょう。


弱さを認めることから始まり、ありのままの自分を受け入れることに練れてくると、光明への発願、つまり悟りの道への入り口に至ることがあります。

うつ病になる人々は、物質界に失望している段階にあるのですが、その分、霊的成長の道、悟りへの道を求める可能性も高い人たちです。
なので、物質界における弱さが悪なのではなく、別の扉を開いているのです。人間は、ただの物質ではなく、体という物質を持った、多次元的存在です。
これを常に意識して暮らしていると、物質的に強い人、霊的に強い人などが、かなりすぐにわかるようになります。

物質世界における外的環境を操作する力が強い人ほど、物質や肉体的生命への執着が強く、悟りの道からは遠い傾向があります。このような方々は、物質界において強者であっても、霊的成長においては弱者なのです。

どちらがいい、悪い、ということではありません。
全ての存在は最高に強い存在であることは変わりません。
ただ、その人が今どの側面を経験しているか、というだけです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

強さの定義は別にしても、現代人にはそもそも強さというものを求めていないのではないかと思われるのです。
その結果の一つがうつ病なのではないかと疑っております。

お礼日時:2009/09/24 22:18

そうですねぇ、


「強さ=お金・地位など」の定義なのか
「強さ=体力・生命力・チカラ」なのか
「強さ=まじめ・地道・努力」なのか???

どの「強さ」が正解かはわかりませんが、
日本男児たるもの・・・な時代の「強さ」を持った人は
確実に減っているでしょうね。

個人的な見解ですが、
1.男=強い(女=弱い)であるべき、という「定義」が薄れた。
2.肉体を駆使して戦う敵(戦争)がなくなった
3.強さ以外に憧れる対象・選択肢が増えた(オシャレや知的など)
4.「子ども=将来の稼ぎ」から「子ども=守られる存在」へ
などが影響していると思われます。

日本男児たるもの・・・な時代の「強さ」に憧れる人は
少なくなったんだと思います。
別に「強くなりたい」って思わないわけじゃないと思いますよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

現代人は強さを求めているでしょうか?
世界はいまだに弱肉強食のままなのです。

お礼日時:2009/09/24 22:20

 弱い存在の「日本男児」とか「弱者を守るのが男の役目」とかいう、本能的な生き残り戦略による主張により、真の骨抜きになっているのが現代日本人の男です。

何度も言いますが弱い存在の狡猾にして本能的な生き残り戦略です。もちろん、本人(たち)には自覚はほとんど無いでしょう。あるいみそれらの存在はもっとも狡猾にして弱く、強い存在であると言えます。

 しかし、「弱者」と規定するその在り方、考え方自体が、その「弱者」を作り出している原因で無ければよいのですが...

 「自分が最も気になっていること」は、自分がその発生原因、根本原因であることが多いように観じます。自分が何を最も気になっているか、ですね、たとえば「アフリカの難民」が気になるとかね

 何を言ってるか解らないですか、そうですか
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

うーん、ちょっと私には難しいようです。

お礼日時:2009/09/24 22:23

強い弱いは観方でまったく逆になってしまうのですね。


戦前・戦中の男子は強かったというイメージが強くありますが強いといわれたものほど死んで残っていないのですね。
戦争に勝てば英雄・負ければ弱い敗残兵ですから、先の大戦で負けたのですからみな弱い敗残兵になってしまうのですね。
つまり、強い弱いは結果として付いてくるもので過程ではないのですね。
宮本武蔵などは本当に強かったので人生を全うしてますね。
一方、坂本竜馬などはあっさり切り殺されていますから強い人間ではなかったのですね。
おそらく信念があるかどうかが強い弱いの尺度になると思いますが、さりとてねずみの集団自殺のような集合信念は強いとはいわないですね。
民主主義の良いところは各自がそれなりの考えをもって生きているところですね。
メデイアに洗脳されるものあり、そうでないものあり多様なところが潜在的な力ですね。
そういう視点では現代の若者は戦前の若者以上にたくましく生きているようにみえますね。
現代のような複雑な社会で生きられるということは現代の若者は大変強いのではないかと思いますね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

自殺者は3万人、うつ病はそこいら中に蔓延しています。
とすると、強弱の二極化が進行しているのでしょうか。
それとも、自分のことで精いっぱいの強さ加減なのでしょうか。

お礼日時:2009/09/24 22:27

仰ることがよく理解出来ていないままですが、質問者様のご不満は、


現代社会が強者を更に伸ばす方向へ向かわず、
弱者を底上げする方へ偏向している、
社会に求められているのは強者を更に強くして国全体の総合力を高めていかねばならない。でないと日本は他国に負けてしまうだろうというようなことでしょうか。
一理あるお考えだと思います。
確かに、戦中派といわれるひとたちの思想にはそういったことが感じられました。兵役検査では身体能力で甲乙丙丁とランク分けされて、甲乙はともかく丙は弱者、焼くたたずとののしられ、丁に到っては人間並みには扱われなかったと聞いています。弱者切捨ての時代でした。

現代は多様化の時代で、何か特別な能力があれば車椅子でも社会に貢献でき、ヒーローになれるわけです。戦時中には考えられなかったことです。弱者の定義が変ったのですね。

現代の弱者は、徹底して経済的な弱者を言っているようです。財を作る能力の多寡がそのひとの世間的な地位を決定するわけです。何をやったって、金持ちになれば勝ち組だ。これだって絶対的な人間の価値評価ではないと思いますが、この能力を天秤にして過大にスケール化したのが小泉政権であり格差社会の発生なのですね。
かくて敗者たる弱者は構造的に発生し、経済的弱肉強食社会において固定化され、更に差が広がって、それを不満とする敗者は結局階層間の暴力に走るしかない、戦争が不可避になってくるということでしょう。
弱者を自己責任で放置するのはそのように社会全体にとって悪であるということです。救済が必要なのです。

>現代人は強くなりたくないのでしょうか。
そんなことはありません。
現代は社会として強くならなければならない時代なのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

この質問で言う弱者とは自殺者およびうつ病患者を指します。
このように書くと怒られるかもしれませんが私はそのように感じたのです。
年間3万人の自殺の内、理由の一番は病気だそうです。
しかし、病気だから自殺しましたでは理由にならないと思います。
日本人だけが病気になるわけではないのですから。
この世界はまだ、弱肉強食なのではないでしょうか。
彼らは死ぬことによって社会を変えようとしているのでしょうか。

お礼日時:2009/09/25 22:28

>>自殺者は3万人、うつ病はそこいら中に蔓延しています。


とすると、強弱の二極化が進行しているのでしょうか。
それとも、自分のことで精いっぱいの強さ加減なのでしょうか。

これは、おそらく「自分のことで精いっぱいの強さ加減」だと思いますね。他や明るい社会のことを主に考えるようになると外に眼が向きますからうつ病などなりえないですね。自殺にしてもおなじでしょう。
他人が悪い・社会が悪い・政府が悪い、格差社会が悪いなどとのたまう悩乱した大人が多すぎるためでしょうね。若者を内にこもりやすくしているのは暗黒思想を作り出しているマスコミや大人たちですね。
政権が変わろうがビジョンが提示できなければおなじでしょうね。
未来の明るさや未来の明るいビジョンを大人たちが提示すればたちどころにうつびょうなど直り自殺も減ってしまうことでしょうね。
そういう視点で「自分のことで精いっぱいの強さ加減」なんでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

自分のことで精いっぱいならほとんど綱渡り状態ですね。
人は社会から自由に離れないのでしょうか。

お礼日時:2009/09/25 22:31

>>自分のことで精いっぱいならほとんど綱渡り状態ですね。


人は社会から自由に離れないのでしょうか。

生まれてきた以上死ぬまで社会から自由にはなれませんね。
唯一自由になるのは「各自の心」だけですね。
心のありようでいか様にもなるということでしょう。しかし正しい心のありようなど学校では教えないですからね。
むしろ、心などない脳がすべてという学者や教育者も多いですからね。また、神仏もいないや猿から進化が蔓延してますけど、つまり、心のありようは各自の責任でということですね。
その結果が出ているだけでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

結局自分自身の心に戻ってきてしまいました。

社会システムや政治に頼るよりは健全ですね。

お礼日時:2009/09/26 21:09

NO.6 です。


質問者様のご主旨がなお理解できないままですが、自殺者が弱者の範疇に入ることはその通りでしょう。彼らに「日本男児だろう、死ぬな!」と仰りたいのならその通りだと思います。
死なねばならない必然性が社会の中にあるのならそれは可能な限り改善していかねばならないでしょう。経済政策、最低賃保障、生活保護----例えば病気に対する安全ネットは日本は世界的に見て完璧とは行かないまでもトップレベルにあると思います。それでなおかつ弱さから死なねばならないとしたらやはりそれは個人の責任に帰さねばなりますまい。これは社会的には認知されていない思想かもしれませんが、私は人間には死ぬ自由があり、これについても日本は世界に冠たるものがあると思っています。
ご参考まで。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

システムでは人は救えないのではないかと危惧しているのです。
知らない間にシステム依存になっていなければいいのですが。

お礼日時:2009/09/26 21:14

まずうつ病と弱さは全く無関係ですよ。


弱さを認めると言うのは切り捨てというより救いじゃないでしょうか。自殺はまた別ですが。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

強さの定義が時代によって違っているのではないかというご回答をいくつかいただいています。
その時代に合った強さを身に着けていなければ結果的に社会の流れに負けてしまい弱者となるのではないでしょうか。

お礼日時:2009/09/26 21:18

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