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私は、学会3世で、今年の夏前まで熱心に学会活動をしていました。
しかし、途中で『友人への選挙の依頼』や『新聞啓蒙、折伏』などがエスカレートし、相手に嫌われるのが目に見えてるにもかかわらず、「選挙の確約とって、本当に行ったかどうか再度聞け!」毎週「新聞啓蒙、折伏の確約取れた?」と言われ、次第に疑問を抱くようになりました。
そして、さまざまな活動に嫌気がさし、今となっては親と毎日学会の話題で対立するようになりました。
学会の人はいい人が多く、いつも潔白であって欲しいと思っていましたが、張り詰めた糸が切れたかのように学会活動が嫌になりました。

さらに、幹部から上の役職を強く依頼され、何度も断ったにもかかわらず、長時間も役職と学会の凄さの話を聞かされて疲れ果てました。

ここから質問です
(1)役職を断った人はいますか?

(2)断った場合、その後の学会員との付き合いはどうなりましたか?(愚痴を言われる、関わりが薄くなった・・・etc)

(3)今は学会に(役職問わず)携わっていますか?

(4)何故しつこく押し付けてくるんでしょうか?

以上長くなってしまいましたが、回答を宜しくお願いします。

A 回答 (1件)

私も創価学会の者です。

総合的に回答させていただきます。

創価学会といっても、残念ながらこれだけ人が多くいると、すべての人や組織がいい人・いい組織であるとは限らないのが現実です。一つの社会を形成しているということで、どうしても官僚主義などの矛盾が生じてしまうものです。私も、役職の高い者に、社会的立場があることなどを鼻にかけ、偉ぶった態度をされて嫌な思いをしたことがあります。

池田先生は、「幹部は学会員のために尽くすのだ。威張ってはいけない」と事あるごとに、役職のある者は学会の同志に慈愛をもって接していきなさいと指導しているにもかかわらず、わからない者がいる。そういう者は心根が「自分中心」に陥っている。そしてやがては命が闇に染められて暗き心と化し、自暴自棄になって学会を退転・反逆し、転落していく者もいます。私の周囲にも、そのような愚かな幹部がいて、結局侘しい末路で終っています。

池田先生は、「信心の筋金が入った人間とは、どういう人間をいうのでしょうか」との、ある幹部からの質問に対し、こう指導されています。

「それは、一生涯、学会についてくる人間のことです。また、広宣流布に生きる先輩についていく人間のことです。たとえ、だれから怒鳴られようが、あるいは、蹴飛ばされようが、学会から引き離されようが、どんなことがあっても、学会につき切っていくことのできる人間が、信心の筋金の入った人だ。それしかない!」

「法に依て人に依らざれ」です。信心実践にあたっては、幹部などの人の態度に振り回されるのではなく、あくまでも日蓮大聖人の御書の仰せを根本としなければなりません。また、大聖人の教えを我見をはさむことなくそのまま教え、いろいろな理由で信心のやる気をなくした者に対して「くじけてはならない」「最後まで信心を貫きなさい」と、慈愛をもって指導してくれる師匠(池田先生)に直結すべきなのです。「人ではない。幹部でもない。環境でもない。自分である。すべては自分で決まるのである」。これも先生の指導です。

「始より終りまで弥信心をいたすべし・さなくして後悔やあらんずらん、譬えば鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩をはこびて今一日に成りて歩をさしをきては何として都の月をば詠め候べき」(新池御書)

ともあれ、縁あって、逢い難い大聖人の仏法を唯一正統に実践する、創価学会の一員となったのです。それなのに、幹部などの人間関係の軋轢に紛動されて、創価学会という三世の幸福への軌道から遠ざかってしまうのは、あまりも残念なことです。疲れたというのなら、とりあえず活動から離れるのは仕方がないかも知れません。その間も、御書や先生の指導を研鑚し続けることです。そして「何のために信心を実践するのか」がわかった時に、また活動の一線に復活すべきだと思います。他ならぬ、あなた自身のためにです。

質問の趣旨からやや離れた回答になったことをお詫びします。
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この回答へのお礼

素晴らしい回答、ありがとうございます。
確かにこれだけ組織が大きくなるといい人ばかりってわけにはいかないですし、特に幹部次第で学会のイメージが決まりますよね。
ただ、役職を強引に押し付けてくるのと活動の多さには、正直嫌気がさします。
なので、信念がある限り、周りの幹部等は気にしないで堂々と前へ進みたいと思います。

お礼日時:2009/11/17 00:06

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