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小麦の食料自給率は30年ほど前までは40%ぐらいだだったのに、現在では10%台となっています。
この低下の原因は何だと考えられるでしょうか?

A 回答 (3件)

減反と小麦の世界流通の頻繁化。

アメリカの稲作の開始もでしょうね。あるいは卸値買い取り価格も関係してくるんでしょうかね?
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小麦・小麦粉の生産・加工などの流れ



小麦・小麦粉の流通(日本の生産量、日本の輸入量)
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麦の流通は、「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律」の一部改正により、平成19年4月1日から次のように変わりました。ただし、引き続き麦の需給及び価格の安定を図るため、政府は麦の需給見通しを示すこととされました。

《国内産小麦》
 国内産小麦については、この法律の一部改正により、政府無制限買入制度が廃止され、平成19年産からは麦の政府買入は制度として無くなり、全量民間流通となっています。民間流通麦とは、政府を経由することなく生産者及びその団体と製粉企業等の実需者が売買契約をして流通する取引方法です。その契約時期は、産地銘柄ごとの播種前契約が基本となっており、収穫の前年に契約が結ばれます。

《外国産小麦》
 外国産小麦については、平成7(1995)年に、ウルグアイラウンド農業合意との関連で、食糧管理法に代わって「主要食糧の需給および価格の安定に関する法律」が施行され、小麦は「関税化」され、政府以外の者が輸入する場合は、「関税相当量(TE)」を支払わなければならないため、実際の小麦の輸入システムは、今までと大きな変化はありません。
 しかし、この法律の一部改正により、政府が輸入する食糧用の小麦については、今までの一般の輸入方式に加え、一部の銘柄(プライムハード小麦及びデュラム小麦等)を対象として、既に米穀において導入されている政府との売買同時契約(SBS)方式を導入することができるよう制度が加えられました。
 また、外国産小麦の政府売渡価格は、この法律の一部改正により、今まで政府が年間固定の売渡価格を定める標準売渡価格制度が廃止され、過去の一定期間における買入価格の平均値に、年間固定のマークアップを上乗せした価格で売り渡す価格変動制とされました。従って、小麦の国際穀物相場・海上運賃や為替レートなどの動向に連動して売渡価格は変動することとなります。
 なお、平成21年度の価格改定は、21年4月と10月の2回行われました。(内容は本ホームページの「主な更新内容」の「輸入小麦の平成21年10月からの売渡価格について」を検索して下さい)。
 おって、最近の外国産小麦の政府の輸入食糧小麦入札結果(政府の小麦買入価格【一般方式】をいう。)の概要は、農林水産省・総合食料局ホームページの米麦の輸入(http://www.syokuryo.maff.go.jp/archives/index.ht …
を検索し、「輸入麦関連情報」を閲覧して下さい。
  また、入札の原料小麦銘柄と小麦粉としての用途との関係図は、本ホームページの「小麦・小麦粉の種類と用途」欄を、検索してください。


このように、小麦は、輸入して、米国を儲けさせなければなりませんから。。
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30年前の小麦の自給率はちょうど10%で、現在の14%より低かったですよ。


小麦の自給率が4割前後あったのは昭和37年頃までですので、30年前ではなく50年前ですね。
http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/fbs/other/2-5-1.xls

この頃から小麦の生産量が急速に低下した理由は、冬から初夏にかけては麦、初夏から秋にかけては米というように、水田を1年に2回使って食料を生産する2毛作が、この頃から廃れてきたからです。

2毛作が廃れてきた理由は、こちらのページにある参議院農林水産委員会での副大臣答弁を読めばわかるでしょう。
http://www.kami-tomoko.jp/sitsumon/174/100408.html
「以前はかなり二毛作ということで小麦の生産が行われていたことがございました。
例えば、昭和の十九年でいいますと八十七万ヘクタール、最大の面積を数えておりますし、三十年でも七十五万、四十年でも三十八万ヘクタールというような大きな面積で二毛作が行われておりました。
これは、当時、まだお米というものが戦後の混乱のときも含めまして完全な自給に至っていなかったという中で、米の代用食料として、押し麦、大麦でありますとか、あるいはうどんに使われました小麦が生産、消費をされていたというふうに考えておりまして、関東以西の水田地帯では米と麦の二毛作が広く普及をしていたというふうに思っております。
しかしながら、米の完全自給が達成をされる中で、米の代用食料としての麦の需要が減退をしたことがございます。
他方、パンの需要が増加をしたわけでありますけれども、同じ麦といいながら、パンに適した小麦の品種が国内にはその当時なかった、さらに米の作柄を安定化させるために田植時期を二毛作ではなくてずらさせた、前進をさせたということから米と麦との作期競合が生じた、以上のようなことから、二毛作による麦の作付けというものが大きく減少をしたというふうに今のところ考えているところでございます。」
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