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自然と人工的は対義語になっていると思います。がしかし、人工的=人が作ったもの と定義すると、人は自然の一部なので人工的というのは自然の一部となり、対義語が成立しない。 この矛盾を説明出る方、回答をお願いします。

A 回答 (8件)

>人は自然の一部なので


それは日本人的というか東洋的発想ですよ。

聖書では
>神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
となっていて、人間は自然を支配するために創られたものなのです。その聖書の思想を受け継ぐ西洋人が「自然(nature)」と「人工(art)」を対義としたわけで、何の矛盾もありません。
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哲学のジャンルの問題ではないかと思いますが。


そういう矛盾を抱え込んでるのが人間の特徴なのでしょう。

だから死とか恋愛というような動物としてのプログラムに直面した時に心を動かされる。だからそれは芸術の大きなテーマであり続けているのだと思います。
でもそこで「自分は動物だった」などと考えるのも人間ならではなのだと思いますが。

単なる言葉上の不具合ではなくて、けっこう人間そのものに関わる疑問だと私は思います。
事物が対立概念を両方含んでいるのはこの例だけではないでしょう。

これを矛盾と思うのはそれが人間というものに内在しているからだと思います。

人工という場合は「工」を行なっているわけですよね。そうしてできた事物にも新品時から実はそういう矛盾は含まれていると私は思います。
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>人工的=人が作ったもの と定義すると、



自然=人の手が加わってないもの、と定義すればいいだけの話だよ。
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人間の言葉は、単なる記号間の論理の整合性だけではなく、その文化の持っている世界観を表現することも出来るのです。

その世界観を抜きに、単なる記号間の論理だけを弄んでも、人間の使う言葉を理解したことにはなっておりません。言語についての認識に関して質問者さんにはその辺りに混乱があるように思えました。

この言葉を、まずユダヤキリスト教の世界観を持った方の言葉としてみます。その場合には、神は人間とそれ以外のその他の自然を別のものとして造り給うた。すなわち、人は神に似せられて造られ、自然はそれに奉仕するために造られた。この世界観を持った方には、自然と人工的を対義語として何ら問題がありません。西洋では、人々は千年以上に渡って、このように世界を捉えて来ましたから、この歴史的な世界観を持った文化によって造られた言葉に対して、今でもその惰性で西洋人は人工的という言葉を自然に対義語と考えて何の不思議もないと思います。

次に、「ゆく河の流れ」と言う代表的な言葉で集約されている、「変化」をその中心に世界を眺める日本人の持っている世界観から見たらどうでしょうか。日本人に取って、自然とは自ら然りと自然体で収まる所に収まっている存在です。従って、自然は何かの命令に従ったりする物ではありません。一方、人間はいろいろな規則を自ら作り上げて、「ああせい、こおせい」という法律を造ったり、あるいは自然界の物を集めて来て、その物が自ら収まると所に収まるかどうかに無関係に、この物はここに、その物はそこにと言う具合に、それを眺めている外部の者として、物を作り上げます。その結果、そうして出来て来た物は、自ら収まる所に収まって来たと考えることが出来ず、すなわち、日本人の自然観から見て、そのように作られた物は不自然なものであると感じているのです。そして、その不自然に感じている制作物を人工的な物と呼んでいるのです。別な言い方をすると、日本人は「自然」を自然と感じ、「人工物」を不自然と感じているのです。その世界観から見ると、自然と人工的は立派な対義語になっております。

どうですか、人間の使う言語は単なる記号の羅列ではなく、その裏に世界観と言う巨大な歴史を背負った存在なのです。その世界観の重みを理解せず、記号の間の論理的整合性を如何に論じたところで、それは言語の持っているほんの一面を語っただけに過ぎず、言語の持っている巨大な世界をまだ語ったことになっていないことがお分かりになりましたか。
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>この矛盾を・・・


矛盾していないと思います。

「人工」の対義語は「天然」だと思います。
どちらも「自然」の範疇です。

質問の前提に無理があります。
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人間⊂自然


自然物⇔人工物
自然的⇔人工的
自然⇔文化
文化=人間が精神性をもととして作りあげたもので生活様式など既定の有形無形の産物

>人は自然の一部なので人工的というのは自然の一部となり、対義語が成立しない
意味がはっきりしない文章です。ともかく
論理的に正しくありません。
一部に飛躍があります。
人は自然の一部ですが、その所産である人工物は一般には自然には含まれません
人工的であるが実は自然物であるという場合が沢山あります。
人がつくったもののように見えることを人工的ともいいます。
人工的とはそれ自身ではとりあえず自然にも人間にも属してはいません。

ご参考まで。
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ご尤もなご見解です。


ただ、人は自然から生まれた自然の一部であるには違いありませんが、「意志」を持つ生き物である、という点が純粋の自然とは異なる点だと思います。
「意志を持つものと持たないもの」という意味で対義語として矛盾はしていないでしょう。
  

この回答への補足

自然には意志はない? 

補足日時:2010/05/10 21:17
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 矛盾ではないです。

簡潔に言うと,「自然」の一部の意味が「人工的」と対義語になっているからです。
 ですので,対義語であるというのは,厳密には正しくないと思います。
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