映画のエンドロール観る派?観ない派?

国家ってどうしてあるのでしょうか?


人は生まれながらにして、自由で平等であると福沢諭吉さんは言いましたが

現在の社会はそうなっているでしょうか?

人々は様々な法律に縛られ、それを逃れるために抜け道を探します。

また、経済的には貧富の格差はさらに大きくなっていると言えるでしょう。

こんな社会になるんだったら国家などいらないと思う人もいるかもしれません。


また、一応、僕が調べたどうして国家が出来たのかということも述べておきたいと思います。

17世紀にイギリスでは清教徒革命がありましたが、これを経験したトマス・ホップスという人が国家観につて考えました。あるべき国家像を考えるにあたってホップスは人間とは「理性的存在」でも「社会的存在」でも無くて「自己保存を追求する利己的存在」であると捉えたのです。
人間には利己的な欲望を追求する権利があります。しかし、その権利を無制限に認めるならば、ついには互いの権利が衝突し合って「万人の万人に対する戦い」といった事態が起きます。
この事態を回避するためには、人間は自己の権利を放棄して、主権者という一個の人格としての国家にその管理を委ねた方がいいとホップスは考えました。

これが、結構マシな回答だと思ったのですが、他にも意見があったら、教えてください。またこの考えを補強できる考えでもいいです。

よろしくお願いいます。

A 回答 (25件中1~10件)

自由に権利を主張し合っていましても、個々人だけによる発想は貧弱で、デルファイ法の遣り方もが諭してくれています通りに、知識の出し合いによって様々な文化が発展していきますよね。



従いまして、たとえ特定の集団の外部に共通の仮想敵の存在が認められていませんでしても、御互いの譲り合いによる団結が文化・技術の発展の為に必要なのではないでしょうか?
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<しかし人間には社会性がある。

皆が協力し合った方が、効率のよい社会が作れると分かると、お互いに強調し合う様になるのです。わたしも、こうして国家が作られたのではないかと思います。>


例えば大国主は国(支配地域)の支配権をアマテラス側の勢力に譲り退くことで、民族の存亡を守った。
アマテラス側はあくまで平和的解決をしたことを強調している。


成田空港。
高度成長期で日本は諸外国に追いつけってことで上昇気流に乗っており、オリンピックを開くことで、大きな躍進をするので、そのためには大きな国際空港が必要ってことになり、それで成田空港が作られることになった。

土地が必要なので、成田の土地を買い上げることにした。
住んでいた農民にお金を渡して土地を明け渡すように要求した。
多くの住民は十分なお金をもらって土地を明け渡したが、中には買収に合意しない人達もいた。


「何故? もっとお金が欲しくてダダをこねているのか じゃあ やるから退け。」
でも退かない住民に国は理解不能に陥ったわけです。

「なんて非国民なんだ。成田空港ができたら日本は発展し、日本の生活水準が上がるのに何故協力しない」って。

なんで協力しなかったのわかるのに20年以上かかった。
1995年 国は住民に謝罪した。


>利己的な欲望を追求する権利があります。しかし、その権利を無制限に認めるならば、ついには互いの権利が衝突し合って「万人の万人に対する戦い」といった事態が起きます。

国や成田以外の人々の利己的な欲望と住民側の利己的な欲望が対立し流血事件が起きた。
成田の住民 VS その他の国民とが衝突し、マイナーとメジャーの戦いで、メジャーが勝つかというとマイナーもなかなかやるよのぉ で敗北しなかった。

成田の住民は長いものには巻かるべきであり、国民である以上 多数者の利益のために個人は権利を放棄すべきってのがホップスの主張でしょうか?


でも、知りたくありません?
立ち退かなかった住民が手放すわけにはいかなかったもの。
土地じゃないんです。
目に見えないもの、心でしか見えないものだったので、それがわかるまで時間がかかたんです。
何かというと、<思い>なんです。

成田に住んでいた人達は、敗戦後大陸からほうほうのてで引き上げてきた人達。
何も持たず何も無い状態から、山を切り開き、岩をどかし開墾していったんです。
ただの土地じゃない。汗と泪がしみこんだ思いのつまった土地だったんです。

金に換えられるもんじゃないのに、金に変えろって。

住民は何度も「聞いてくれ」って説明しようとしたが、国は「聞く必要は無い」と耳を貸さなかったので、聞けば何故反対しているのかわかったのに、聞かなかったので長期化してしまった。


知識人は政治家と違い、興味を持ち調べて国に教えてあげた。
「なんとそういうことか。聞いてくれって住民は説明しようとしていたのに無視してきた、その結果がこの有様か」とわかった、何十年後かに住民の要求に応じて会合に席にやっとつき、開口一番に耳を貸さなかったことを謝罪した。


人間の歴史を振り返ると、インドの先住民のように新参者に服従しカースト制度の最下位(シュードラ)として生きることに甘んじ土地を離れないか、新参者と戦って負けた場合、別の土地に移ってそこを母国(例:イスラエル人)とするか どっちかのようです。


ピューリタンは新天地を目指してアメリカにわたったが、ごく少数。
ほとんどはヨーロッパで吹き荒れるキリスト教による支配から逃れるためにアメリカに渡った。
ピューリタンはアメリカ政府が「清教徒もアメリカで自由に信仰していいと認めますよ」と言っても「結構です。」と断った。

もう人間に支配者されるのはこりごりってことですね。

「国があなたがたの宗教を擁護するって言ってるんですよ 受け入れなさい」

『いえ 守ってもらう必要はありません。あなたがたは擁護する代償に、無理強いを私たちに飲めと言うでしょう。それがわかっているので承諾しないんです』

個人の権利を放棄し、国の決定権をゆだね、国の決定に放棄した者が従わされる。
その歴史をピューリタンはいやというほど味わったから、アメリカにわたったわけだし、アメリカでも個人の権利を放棄しなかったわけです。

清教徒は人間を主人としていないんです。
そこがホップスにはわからなかったんだと思う。
聞けばわかることなのに、聞かないから無理解になっているだけ。
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国家が必要な件は他の回答者様にお任せして、世界統一国家に成りえない理由を述べさせていただきたいと思います。


人間が統一国家として集団になれる大きな理由は文化です。
その中でとりわけ言葉と言う物が大きなウェイトを示してます。
日本でも北海道と沖縄で方言がかなり違い、共通語として成り立てる距離に制限が有るように思います。
自動車や電車等の交通の発達で距離は広がりつつ有りますが、自動車等が無い時代に既に文化が構築されたので世界統一国家は不可能だと思います。
小学生も転校生が仲間はずれにされる傾向に有るのはそういった人間の本能だと思います。
もし、アメリカが世界統一国家を達成したとしても、ローカルな各国が国家を形成するのではないかと思います。
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『権利を無制限に認めるならば、ついには互いの権利が衝突し合って「万人の万人に対する戦い」といった事態が起きます。


この事態を回避するためには、人間は自己の権利を放棄して、主権者という一個の人格としての国家にその管理を委ねた方がいいとホップスは考えました。』

newtonって本があって、昨日時間について書かれているものを読みました。
拡散が始まる無限に広がるかのように思える。
しかし、その状態にあっても外部から影響を受けずにはおられないわけです。
すると拡散が止まり規律が生まれる。

主張以外に共調するって性質も人間にはある。

その本に書かれていた説明はこうだ。
ねずみには生命時計があり、それで昼間寝ていて外敵が寝ている時間の夜に活動をする。
ところが生命時計が壊れているねずみは、行動がランダムで無秩序。

人間は太陽の光が無い夜になるとある物質を作り始める。
朝太陽の光を感知したとき目が覚めるが物質は作られ満タンになっている。
太陽の光を受けている限りは作られない。
日中どんどん消費される。
夕方になりさびしく感じるのは、物質がかなり減っており、眠くなってきたからじゃないかと。
で、寝る という太陽光線という時計を使って規則的な活動をする。
(この生命時計が壊れると 夜になっても眠らず、無秩序な生活になってしまう)


で、人は生きている限り 外部からなんらかの刺激を受ける。
ニートが両親を殺すって事件があるが、あれは外部と遮断された世界にいるので、外部から刺激を受けず、自分のやっていることに対する内省が起こらないからじゃないかと。
生命時計が無いので無秩序。
だけど、外部から定期的に刺激があると秩序を持つようになる。


プラトンだったと思うが、えっと、、、、
検索します。。。。

http://oshiete.sponichi.co.jp/qa4135030.html
<かといって民主主義も弊害がある>から下の部分。
特に「そっちにふらふら あっちにふらふら。こうして彼の一生は秩序もなければ必然性も無い。」あたり。

ゆえに、絶対君主制にしないと、人は無秩序になる というのがプラトンに思想で、それはキリスト教に受け継がれたので、キリスト教は絶対君主制で縛りの社会なわけです。
「外部の言うことは聞くな 聖書だけ読んでいろ。私たちの言葉だけ信じて従え」となったわけです。

そうしないと信者はどうしようもなく無秩序でただ生きているだけの物でしかないと考えた。

だけど、外部から影響を受けないで存在し続けることは不可能だった。
キリスト教国でなく、絶対君主の統治していない集団には秩序は生まれないのかというと、じゃあ日本は無秩序か、無秩序社会ではないってことは日本は僭主独裁制ってことなのか。

日本は外部と共調しつつ独自の文化も保有している。

トマス・ホップス、イギリス人だったそうですが、エリザベス2世は多くの国の元首ですよね。
独裁者か?
民衆の意見に耳を傾けつつ舵を取っていますよね?
外部からの刺激を考慮しながら船を進ませているので独裁者ではない。
結婚中みだらに浮気しまくった嫁が事故死したとき、国民はエリザベス2世を冷淡だと言った。
セックス中毒だった嫁は離婚後一般人になったのに、その一般人を国葬扱いにしろと国民は言う。
エリザベス2世は国民がそんなこと要求するなんて思わなかったわけです。
「あの アバズレセックス中毒女のどこに品があるというのだ」とは言わなかった。
「あの一族が起こしたアパルトヘイトのおかげでイギリスは潤ったから、その一族の1人の葬式を国葬にしろ? その価値があの女にはあるというんですか」とは言わなかった。
この茶番騒動を静観しつつ、威厳をもって国民の要求の一つをやってあげた。
このだだっことのかけひきをうまくやってのけたので、いまだに多くの国のクイーンとして尊厳されているわけです。

この回答への補足

>主張以外に共調するって性質も人間にはある。

 とあなたは言っているがその通りでしょう。これはトマス・ホップスが言っている事に一定の理解を示しながらも、その主張にある種の批判をしていると言えるでしょう。ばらばらの人間はばらばらに自分の権利を主張しているだけだったら、縄文時代の狩猟採集社会で何の問題も無いわけです。
 しかし人間には社会性がある。皆が協力し合った方が、効率のよい社会が作れると分かると、お互いに強調し合う様になるのです。わたしも、こうして国家が作られたのではないかと思います。

補足日時:2010/06/01 18:50
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 ANo.20


 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/5933739.htmlとか、同じOKWaveですが“創価学会はなんで無料”とか“創価学会はなんでダメなんですか?”とかも、国家という事についてご高察する上でご参考になるかと存じます。
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 ANo.12です。


 皆さんのご回答を拝読して、とんまな私もご質問の趣旨が国家の役割、機能、存立根拠、正当性、理念目的の事に関連しているのだと理解します。
 このことの一部については、ただいま、http://oshiete.goo.ne.jp/qa/5933350.htmlにおいて投稿しましたが、なおその投稿に補足します。
 このことについては、古代から古今東西たくさんの所論が為されています。
 近世、所謂る欧米的国家論の席捲により、ジャンルとしては社会思想史的には国家論、そして分野哲学としては法哲学や国家論が扱っております。
 私はその歴史と一、二の概論のほかは、ラートブルッフしか読書をしていませんが、この偉大人は国家理念のカテゴリパターンを三つに分類していたと存じます。
 無論、相互にどれか一つということは存立が、現実は難しいよりもありえないでしょうが。
 1. 超国家論(国家には国家機関や国民等が窺知しえない実現要請理念(当為)がある。全てはその実現の為にあり、それにより存在しえ、正当化される)
 2. 構成員の文化と福利、発達のためにある
 3. (呼称を忘れたが)芸術や学術など成果のためにある。

 というものであったと存じます。(弁解:50数年前の読書ですので)

 なお、1960年代、朝日訴訟が大きく取り上げられ、多くの社会保障訴訟が戦われました。
 そういう中で福祉国家論というものも多出してきております。
 
 そういう用語を使うとすると、平和国家論とか、文化国家論というのも多出しております。

 質問者もご存じでしょうが、近代・現代は多く成文憲法を持ちます。稀に判例憲法や普通法憲法もありますが。
 憲法ではその国の存立根拠、目指すところ、理論や理念などがうたわれております。
 それはその国の性格を成文的に決めているものです。
 憲法の標榜は、当然ながら多岐に渡って、その理念と原理をうたいます。
 民主主義であり、宗教の自由であり、福祉国家であり、平和協調国家であり、・・・というわけです。
 日本国憲法も、無論、大日本帝国憲法も近代憲法ですから、そういうことを成分的に定めています。
 ご質問のことをしっかりご研究されていると存じますが、憲法条文にあたることもその勉強に為りますが、それぞれの解釈論や判例、コンメンタールをも当然ご研究の媒体と為ります。
 特に宮澤俊義先生などの憲法学者のご本は大へん有効です。
 東大出版会のラートブルッフ全集には、法哲学という題名のもあり、その他ご質問のご参考になるものがたくさんあります。
 法社会学の中にも貴重なものがあります。社会学史、社会思想史も有効です。
 ご研究の成果をお祈りします。
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新たに質問が下記の二点に絞られたので、それぞれについて私見を述べます。



回答の前提は、拙者が地球上の国家のありかたを決める係だったとしての意見です。


>国家が、これほど事細かに人のやることに介入しなくてもいいのではないか?
「これほど」というのがどれほどか知りませんが、私は私有財産を認め、かつ遺産相続を認めないことにします。
死亡時に国家のものとなる財産を若い世代に売却することで税収をまかないます。
22歳以前に親が死亡した場合は、22歳まで個人別GDPの0.5人分を国が給付することとします。
なお、国家の議員を選出するための選挙権は18歳~68歳までの国民に対して選挙権を与えるものとし、所得税を年間1000万円以上納付するだけの経済的能力のある人材に対して、特別選挙権を与え、経済政策決定委員会委員を選出させます。

それ以外は、犯罪に対する報復を認めることとします。ただし報復は被害の50%までというガイドラインを出します。したがって、子供を二人殺された人は、犯人の子供一人までは殺しても良いことになります。
また、義務教育を廃止し、教育を受ける権利を保障します。
徴兵制度は無くし、かわりに18歳~22歳の間に2年間の強制労働を義務化し、社会福祉、医療などのサービスを体験させます。


>どうせ国家を作るなら、将来的には地球連邦国家にして地球の人々全体の利益を図る組織にした方がいいのではないか。
国家の定員を一千万人と定めます。一千万人を超えた国家には特別の重加算税を掛け、分割の圧力がかかるようにします。また、国家間の移籍の自由を認め、移籍料(脱退金)は、国家からもらった福祉金額の150%と定めます。
同時に、国家と物理的な領土の関係を自由にし、例えば九州の土地に同時に3つでも4つでも国が存在できるようにします。それぞれの国は土地を共有しながら、徴税と教育・福祉を実施します。法律も国家で勝手に作ることができます。物理的に地面にくっついている道路などのインフラに関しては、その土地を共有する国家達が、割り勘で建設・維持するものとし、割り勘の計算根拠は各国家の人口とします。
人口一千万未満ですから、平均6,800,000人の人口とすれば、地球上に1000カ国ができることになります。
それぞれの国が小額の会費を負担することで、1名の代議員を送ることができる地球国家連盟を構成しますが、これは単に情報共有機関であり、各国が自国のBest Practiceを発表し、代議員が勉強する場とします。


結構マシな構想でしょう?
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#11です。



質問者さんの理念は善し、正義感善し、情熱善しですが、自分を含めて人間とは何かに付いて思索の押し込みが未だ不十分であると思えますので、相変らず上からの目線で物を書きます。辟易することでも、今まで貴方が考えてたた事とは全く違う意見は、自分と同じような意見よりも、その人にとって常により多くの情報量が入っております。そのような反対の意見の方のが貴方の思索を生産的に形作る肥やしになります。要するに、「ヘー、そんな聞いた事もない考え方をする人もいるのか。だったら、私の意見のここの部分を補強して、自分の意見をもっと説得力のある物にしよう」とする事が出来るのです。世界的に超著名だった私のヨーロッパ人の先生は、「自分の研究生活で最も重要だったのは、人との遭遇と、もう一つは、同じことに興味を持っている人達との議論であった。批判的な意見を聞かないと、自分に思うような答えしで、しかも現実とは全く無関係な意見しか見付からないからだ」と言っておりました。

さて、自分の心の中だけから出て来る理念に基づいて人間世界を見てしまう場合の最大の失敗は、その理念に基づいて行動したために「予期せぬ結果」(英語では、unintentional consequence)を導き出してしまうことです。人間社会は途轍もなく複雑であり、現在までの科学的、合理的、ないし歴史的経験に基づいた論理で御しきれる物ではないと言うのが、今までの人類の経験則です。予期せぬ結果とは、論理的にはこうなるはずだと合理的に予測して、善かれと思ってそれを実行しても、そうならないどころか、その反対の結果を導き出してしまうことです。人類の歴史を振り返ってみると、予期せぬ結果の連続に次ぐ連続でした。

その例を思いつくままに挙げて見ましょう。

1)18世紀のイギリスで農業労働者の人権を守るために、小作料に上限を設ける法律を作った結果、地主達は小作人を多く雇うことが不利になり、小作人の数を減らした。その結果、多くのホームレスを出してしまった。

2)かつて米国でビデオの機械を一般家庭に販売することを許す法律を作ろうとしたら、ハリウッドでは、その結果映画館に来る人間の数が減ることを危惧し、政治家達に多大な献金をして、その法律の通過を阻止しようとした。しかし、それが失敗したお陰で、今までハリウッドの倉庫に眠っていた誰も見ない古いフイルムがビデオとして売れるようになり、ハリウッドは大儲けをした。

3)自動車に安全ベルトを付けることを認めてしまうと、自動車は危険な物であることを認めてしまうことになるとして、自動車が売れなくなることを恐れた世界中の自動車会社が、安全ベルトの非合理生を指摘して、それを阻止しようとした。しかし、法律で安全ベルトを義務づけた結果、自動車が前よりも安全な乗り物になったと人々は認め、自動やの売り上げを増やすことに役立った。

4)1834年、サイラス・マコーミックが米国労働者の労力を軽減して綿の生産を今までの効率の4倍にする刈り取り機を発明した結果、綿の生産量が飛躍的に伸び、今まで大変少数でしかも開放の方向に向かっていた黒人奴隷の需要が飛躍的に伸びてしまった。その結果、それ以前はヨーロッパ並みに前進していたアメリカの奴隷開放政策を完全に後退させてしまい、アメリカを奴隷経済国家の典型にしてしまった。

5)実力主義と目標設定による自己評価主義を取り入れることによって、会社の底力を上げることが出来るとの論理のもとに、富士通がそれを実行したところ、従業者は自分の能力よりも低い所に目標を立てることによって、達成度の評価点を高くしてしまい、富士通の収益能力を大幅に下げてしまった。

6)第一次世界大戦の苦い経験を繰り返さないために、平等の精神に基づいて全ての国に対等な発言権を与えた国際連盟を創出したが、その平等の結果、意見百出で重要な議題に結論が出せず、結局第二次世界大戦の勃発を許してしまった。その結果、第二次世界大戦後の国際連合では、大国に拒否権という不平等な権力を与えることにより、今のところ、大惨事世界大戦の勃発を防いでいる。

7)ゆとり教育と言う素晴らしい理念の元に、日本の若者達の学力を大幅に下げてしまい、またゆとりで空いた時間を塾通いさせられて、以前よりゆとりのない多くの子供たちを作り出してしまった。

こんなのは序の口で、似たような事例は貴方ご自身でも限りなく指摘できます。こと程左様に、理念や理屈だけに頼ると危険なことが多いのです。マキュアベリの言うように、我々は理念や理屈で学ぶばかりでなく、人類の歴史的な経験から学ぶことも必須なのです。その過去の歴史から学べることは、世界連邦国家の概念は甘みのある理念だけに、予期せぬ結果を招く危険性を孕んだ最たる物だと言うことです。

この回答への補足

人間がなんたるかを考えるのは議論を有意義なものに出来ると思いますので、そのことについて言及したいと思います。

私たち人間はそれぞれが別々の人格を持った人間で、各々が基本的人権を持っていて自由に思索することができる権利を持っています。民主主義国家に統治されていれば誰もがそのことを認めるべきです。この観点から考えても私たちの政治、経済、また結社の自由は認められて然るべきで政府の介入は最小限になるべきなのです。あなたも人間は予測不可能な、また悪を為す人間もいるので、それを抑えるべく規制することは必要なのだと説きたいのだと思いますが、私は規制のもたらす弊害の方がはるかに大きいと見ています。
悪い人がいるからと言って、規制すると善い人までわりを食ってしまうのです。活動が不自由になり委縮してしまうのです。その弊害の方がはるかに大きいと思っています。
私は規制をあまりかせなくても、悪い人たちは社会的な制裁を受けることになると思います。世の中、見ている人は見ているものです。悪い人は不正な事をやって一時期は利益を上げるかもしれませんが、そのような事が長期的に見ても成功するとは思いません。やがてははじょうをきたしてしまうでしょう。

政府があまり口を出さずとも、やはり真っ当に商売をしている人の方が悪いことをしている人よりも長期的に見れば儲けることが出来るというのが私の意見です。

補足日時:2010/05/31 04:31
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補足でご質問を頂いたので書かせていただきます。



>経済において、不当な事がなされる実際的な事例を挙げてもらえるでしょうか。

最近の事例としてはアメリカのいわゆるリーマンショックに代表される経済不況の直截の原因とされる低所得者への強引な住宅ローンに観られる、そういう金融業界のむごいまでの商売、金融商品の例は多いと思います。すべて米国の金融業界への法律的規制のゆるさが原因だというのは定説です。
それ以前でも、世界的にアジアのマネーを食い荒らして儲けるだけ儲けて去っていった国債金融マフィアたちはまさしく無法地帯を狙って犯罪的な経済活動を行ったと言っていいと思います。
日本では法の不備を狙ったねずみ講事件が一時頻発しました。株の世界ではいわゆるインサイダー取引きが規制されていなかった時代には相当の財産家がこれを行っていただろうと推測されます。

>また、規制によってそれらの悪が撲滅できるか、意見を聞きたいです。

現状として既に山ほども資産をつくりあげた人間たちの表裏にわたる権力を一気に削ぐことはオバマ氏でも困難だろうと思います。根気強く合法的な法律の力でそれを行っていくしかないだろうと思います。

この回答への補足

リーマンショックについて述べられていたのでそことに言及したいと思います。低所得者への住宅ローンが焦げ付いた事がこの事件の引き金になったのは誰もが認めるところですが、これは悪意ある貸出だったというのはあなたの穿った見方なのではないでしょうか?確かに貸金業者の見積もりは甘かったのだと思います。家を買ったからと言って、その人の所得が急に伸びる訳ではないのです。それなのに途中からかなり高い金利を徴収するように設定してしまった。しかし、これは貸金業者の方の人為的なミスで私は悪意ある取り立てだとは感じられませんでした。誰が返される見込みのない金を貸そうとするでしょうか?それは自分の首を絞めることになります。このことを常識から考えたってこれは貸し手側の見積もりの甘さだと考えた方が道理にかなっていると思います。

人間のやることは失敗もあります。完全ではない場合の方が多いかもしれません。しかしだからと言って法で必要以上に人間のやることを縛ってしまい。がんじがらめにしてしまっては、活動が不自由になってそれこそ大変な事になってしまうと思います。やはり私は政府の規制は最小限にするべきだと思います。

補足日時:2010/05/31 04:49
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補足を頂いたので、何らかのご返事が必要かと思いここに書かせていただきます。



>なのでわたしは一定の治安を守るための警察の存在や法を監視する司法の存在についてはありだと思います。ただ政策や法律で人を縛りすぎるのは良くないのではないかと思ったのです

結局、一定の国家的管理組織が必要だということは共通認識になったようです。
ところで、人間の悪の実態ですが、悪とは社会において単にものとりやら肉体的暴力をなすものばかりではないことはお分かりかと思います。日本の6法全書を読まれたかどうか知りませんが、人間の悪はそういった単純な悪ばかりではなく、むしろごく普通の社会活動の中に深く、分からないように潜んでいる場合が多いので、それらをしらみつぶしに法で罰して悪をなさないようにするために国家の法体系はより細かい規制をつくり上げてきたという経緯があるのです。その副作用として規制強化ということも起きたのでしょう。
貴方があこがれる自由国家アメリカは、そういった規制が少ないゆえに、様々な悪(経済悪)が自由に暴利を貪っているすさまじい社会だというイメージが私にはあります。アメリカのそういった悪は日本などとは比べ物にならない、ビル・ゲイツを赤ん坊扱いにするほどの、中位の国家くらいの資産を持ち、最も効率がいい稼ぎである当たり前の日常のシステムの中で巧妙に利益を稼いで今なお一方的に財産を膨らませている、そんな巨悪がいくつも存在するのです。彼らは当然ながら国家組織の中にも合法的に食い込んで国家をわがものにし、更に世界中から利益を貪っています。
アメリカのそういった現状を知ったおサマー・ビンラディンなどが反発したということでしょう。もちろん私はアルかいだの手先ではありませんが(笑)。
貴方が理想の世界を築こうというのなら、まずこの悪を潰す必要があるでしょう。

この回答への補足

経済において、不当な事がなされる実際的な事例を挙げてもらえるでしょうか。

また、規制によってそれらの悪が撲滅できるか、意見を聞きたいです。

補足日時:2010/05/30 19:38
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