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建物の敷居をまたがず、踏んだ彼・・・。

どうでも良い質問かもしれませんが・・・彼に言う前にこちらでお聞きしたいです。
先日、結構大きめのお城に彼と行ったのですが、そこで気になることがありました。

お城の入り口に大きな門がある所がありますが、そこの敷居を彼がまたがず踏んだことに違和感を感じました。
また、お城の中の別の敷居は「踏まないでください」と注意書きがしてあったのに、
気付かなかったのか踏んでいました。踏まない時もあったので、
敢えて踏んでいる訳ではなく、踏まないほうが良いという事を知らないのだろうかと感じました。

私は小さい頃から、敷居は踏んではいけないよと親などから言われて育ってきました。
また、初詣とかで大勢の方が神社などを訪れる時も、神社は大きな門がある所もあり、
敷居をまたぐのがちょっとめんどうな場合もありますが、
それでも敷居をまたがず踏む人をほとんど見た事が無かったので、ちょっと驚きました。

次回また敷居を踏んだりしたら、本人に伝えようかとは思っていますが、
そもそも、敷居をまたぐ(踏まない)のは常識かと思っていたので驚いています。
頭(学歴)も良いですし、サラリーマンとしてコミュニケーション能力もある感じなのですが・・・。
敷居をまたぐのは常識ですよね・・?それとも結構いるものなのでしょうか。

A 回答 (23件中1~10件)

私は敷居や畳の縁を踏まない理由は、躓き防止だと思ってましたが、建物を傷めないも確かに一理あると思いました。


質問の主旨を外れてしまいますが、ちょっと余計な事を書かせて下さい。

・割りばし
口に咥えて割る方法が、江戸っ子の粋(いき)な仕種として落語にも出て来ます。噺家は扇子を割り箸に見立てて、パチンという音を出します。でもあれはマナー違反とされています。粋なのかも知れませんが上品ではないのでしょうね。
それから割った割りばしどうしを摺り合わせて角を取るのもマナー違反とされていますね。安物の割り箸は割った角がエッジになるので、口を切らないためにしているので、ある意味理に叶っていると思えるのですけど、やはりみっともない行為とみなされる様です。
ではどうやって口を切らない様にするのか。答えは端先を口の億深くまで入れない事の様です。でもそんな食べ方は難しいですけど。

・エスカレータ
杖突いてエスカレータに足っていようものなら、後からどっ突かれます。地域によって激しいですね。杖突く様な年寄りはエスカレータに乗るなと言われているみたいです。若い時には階段の駆け登り駆け降りもできたんですけどね。年取って足腰が弱くなると、辛いです。

・引き摺ったパンツ
この話聞いて思い出したのが、江戸時代に大名が殿中で履いていた長袴。引き摺ったパンツ所ではありません。足先から1メートル以上長いのを引き摺って歩くんですから。両手で腿の辺りを摘まないとまともには歩けません。なぜあの様な不便なものが正装だったのか。
私が考えた屁理屈です。あれは殿中(江戸城内)で大名に乱暴狼藉を働かせないためではなかったのかと。長袴では走れませんからね。もし松の廊下での刃傷の時、浅野内匠頭が長袴でなかったら、多分吉良上野介を仕留めていたのではと。

・ことわざの常識
若い人達(今は既に部長クラス)の入社後教育の時に、良く言われる諺について聞いた事がありました。
1)袖摺り合うも「たしょう」の縁:この「たしょう」を漢字で書いて下さい。
若い人達、「多少」と書きましたね。行き過ぎるだけでも少しは縁があるのかと。
正しくは「他生」です。今生(現世)では通り過ぎただけの人でも、前世ではあるいは恋人どうし、来世で夫婦になるかも知れない人。
一期一会の縁であっても大切にすべしとの意味なのでしょう。

2)情けは人のためならず:だから人に情けを掛けるべきか、掛けるべきでないか。
多くの若い人は人に情けを掛ける事はその人のためにはならないと答えました。
本当の意味は、人に情けを掛ける事は、その人のためだけではなく、己のためでもあると言う意味です。人に情けを掛ければ、それが回り回って自分も人から情けを受けるかも知れない。そう言う意味なんですけどね。

ここOKWaveを見付けて回答を書き始めて早半年。ある意味人に情けを掛けているのかも知れません。自分が回答を書き、また他の方々の回答を拝見する事は、この歳になっても何か人生の勉強をしている様な気がします。回答を書く事は、人のためだけでなくて、自分自身のためなのかなとも思っています。

この質問に対しての話ではありませんが、回答を書いても「お礼」がない場合が多いですね。聞きっ放しで締切らない質問は半分あるのではないでしょうか。フィードバックがないのは、あるいは無価値と思われているのでしょうか。
大金を取って演壇で話せば喜んでくれるのに、ただで話しても価値さえ感じて貰えないのが実状の様です。化粧品の過大な包装と同じですね。立派に着飾って高い値段を付ければ売れます。
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私も社会人となってからしばらくした時、ある人に敷居は踏まないでと


注意されるまで知りませんでした。
畳の縁に関しては読書欲に応じ裏・表千家を読んで知りましたが、両親は私に教えずとも、その手のことは知っていたようです。
もしも、現在の彼と結婚して連れ合いとして行動をすることがあり、教えなかったことにより
、恥の2乗にならぬ為に、今のうちにそれとなく諭してはいかがでしょうか?
もうひとつは、一般家庭の敷居は知っていても、神社や城の敷居については、
どれが敷居か知らないケースも考えられます。
また、注意事項は守る人と、禁じ事項を犯すのが好きな人もいます。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりすみません。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2012/09/26 15:45

この敷居の話は心得ています。

日本文化に関係する仕事をしていますので誰に教わることなく知っていました。

こんなエピソードを思い出します。ある料亭の女将さんから聞いた話ですがお客様が帰る際に玄関の敷居を踏んだり、上に乗ったりしているのを見て注意したそうです。後に私に「あのお客様はいい年してそんなことも知らないとは」とがっかりしていました。

これをしたからどう、しなかったからどうよりも、一般的に礼儀、常識とされていることをしないとまわりから変な目で見られるということでしょうか。

親の育て方とかでしょうね。
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彼の肩を持つつもりはありませんが、その人は北海道出身ではないですか?



私は札幌生まれ、札幌育ちの生粋の道産子ですが、そんな文化は皆無です。
知識としては知っていましたが。
九州に移り住んだ友人とこの前話したとき、まさにその話題が出ました。

友「現地の人はホントに跨いでた。」
私「へぇ~、やっぱりホントなんだ・・・」

って感じ。
北海道が特殊なんですよね、きっと。


人間誰しも知ってること知らないことあるので、常識がない、と簡単に
切り捨てるのではなく親切に教えてあげていただきたいと思います。
無知は罪ではありませんから。

他の人の迷惑になると解っていて、ゴミとかタバコをポイ捨てする人に比べれば善良だと思います。
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私はごくごく普通の家庭で育ちましたが小さいころから敷居は踏むものじゃないと教わった記憶があります



常識まではいかないものの、それなりに知識として広まっていることだと思っていたので、聞いたことない方が以外に多いんだなぁという印象を受けました

私としては、神社等で敷居を踏んでいる人を見かけても、「この人は知らないのかなぁ?」と思う程度ですね

むしろ、彼氏さんは頭もよくコミュニケーション能力に長けている方ということから、彼氏さんのプライドを傷つけないように教えてあげれば悩むこともないかも?^^
今度の会ったときやメールなどで、「敷居って踏まないほうがいいってテレビで言ってたけど、私ぜんぜん知らなかったょ^^;」って言って私なら笑い話しにしちゃいますかね

知っていても知らなくても、次回からは彼氏さんも敷居を踏まなくなるのではないでしょうか?
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あなたはエスカレーターを歩いて乗っていませんか?


エスカレーターは止まって乗るように設計されていますが
誰もそんなこと知らないでしょ?
マナーなんて知ってるか知らないかだけで
誰でもいろいろあるもんです。
自分の知ってるマナーを他人が知らなきゃ常識の無い人に見えてしまいますが
自分の知らないマナーも他人が知ってれば常識の無い人に見られているはずです。

敷居のことも知らなきゃ竹踏みと同じで
支圧を体が欲するのかもしれませんね。
家の敷居をなんとなく踏みたくなるのはわかる気がします。
土踏まずが気持ちいい。。
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なんとなく聞いたことがあるような気がします。


でも、意味はしりませんでした。
昔の文化の名残で今も守るべきものと認識している人が多いのであれば
こだわりなければ守った方がいいものでしょう。
でも、常識はずれというには、それをしなくてはいけない絶対的な理由が私には見いだせないので強制はできないと思いますね。

昔の常識にはそれが生まれるべき背景があり、
その背景がすでに現在はない場合、常識だけが残ってるのは抜け殻に過ぎないと思うからです。
それを常識はずれの嘆かわしいこと、と解釈する人がいる(というか多い)のも確かですので、その人たちの神経を逆なでする必要もありませんから、差し支えなければ従っておけばよい、というのが私の考えです…
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恥ずかしながら私も知りませんでした。


注意書きがあったのにも関わらず踏んでいた、というのは、そもそも「敷居」がわからないのでは。
というのも、私自身が「敷居をまたぐ」=その敷地内に入る、といった観念では捉えていたものの、「敷居」って・・・どこ?と思ってしまったからです…。
もしひどく非常識なことを言っていたらすみません。

結婚して旦那の実家(田舎で大家族が暮らしている大きな家です)に入ってから、知らなかった日本の文化や習わしの多さを痛感しています。
私も勉強はできなかった方ではなく、両親とも良識のある人間だと思っています。
ですが核家族で、近所付合いなども皆無と言っていいほどでした。
ですから、育ってきた環境の違い、ではないでしょうか。
大人になって、社会に出たからといって身につくものとはまた違う気もしますから。

今更なかなか他人に教えられることもないでしょうから、あなたが素直に彼に忠告するといいと思います。
ただ、マナーと言われればそれまでですが、そのような迷信じみたというか、理屈が理解できない「常識」は私は気持ち悪くも感じますけどね
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ニュータウン育ちですが、子供の頃、地元民の農家の子の家に遊びに行ったときに教えてもらいました。


家に帰って両親に「何で教えてくれなかったの?知らなかったの?」と聞いたら、「常識としてみんな知ってるけど、わざわざ教えるほど大したことでもないかなーと思って」と答えました。「気にする人は気にするのかなー」とも言っていました。
そういうライン上のことなんだと思います。
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オレは敷居は踏まないし、畳の縁も踏まない。


だけど、そういうのを知らない人もけっこういると思うし、ここの回答でもそうだよね。

日本語で「常識」というと、一般的に知られていることという意味に今ではなっているから、その意味では敷居は踏んではいけないというのは、畳や敷居のないマンション育ちが増えれば「常識」とは言えなくなってくるかもしれない。
AKB48のメンバーが何人かなんてのは10代~20代には「常識」かもしれないけど、40代以上にはそうではないだろう。

常識は、もともとは英語の「コモン・センス」、つまり「一般の人に共通する感覚や価値観」という意味。
「知識」よりは「感覚」のことなんだよね。
たとえば、「食事中におならをすべきではない」なんてのは年齢や国籍を問わず比較的広く認められるコモン・センスだと思う。
だから、敷居を踏んではいけないというのはコモン・センスとは言いにくい。

知らないことは本人に伝えればいいだけのことだよ。
彼が外国人だったらそうするだろ?
「良識」が欠けるなら問題だと思うけどさ。
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