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私は神になりたい

神になる前に人間になりたい、私が人間である確証がほしい…。
人間とはなんだろう…
物質(肉体)と非物質(精神・心)で別けて考えてみた。
もし、サル顔の人がいるとしよう、
彼は紛れもなく「人」だ。
もし、身体までも限りなくサルに似た人がいたとしよう、
彼もまた「人」であろう。
なら、サルの身体に人の精神が宿っているなら、
身体までも限りなくサルに似た人とどこが違うのだろう。
その反対に、
人に限りなく同じ形に作られた牛や馬がいるなら、
あなたはそれをなんと呼ぶのだろう。
なので、私は人の定義を肉体ではなく精神にあると決める。
となると、人の精神、人の心は何を持って人のだと言い切れるだろう。
我らは、いったん人として生まれたら、
虐殺や殺人のような酷いことをして“人でなし”と言われ様とも、
その罪人を本気で人ではない生物として認識したりはしない。
つまり、道徳や倫理や規範や常識などは
単なる人としての正しい道を示すだけに過ぎず、
それが人の非物質的な部分を定義してるわけではないはずだ。
ゆえに、
私は人の定義を探している。
その答えを得るために、
私は今、神様に会うための道を歩いている。
彼に会った時、私は気づくのであろう、
今私は彼と同じ道に立っていることを…。

今日この瞬間は、赤ちゃんのはいはいにも及ばない、
お母さんの羊水の中で目にも見えない程度の
小さな細胞ひとつのもがきのような動きに過ぎないかも知れないが、
かつで、月へ宇宙へ届くことを信じて夢見ていた先駆者のように、
私の道のりはここから始まる。
その道に辿り着くために、私の人生は、あまりにもはかなく短い。
しかし、
その続きの道は誰かによってきっと究められるはずだと信じる。


同じ道を探している同士を求む!!
(宗教の勧誘とか、どこかの宗教に入りたいつもりはありませんのでご了承ください)

A 回答 (16件中1~10件)

貴方の考えは『貴方にそうさせる者』が存在しているためです。

その原因を簡単に書いて見ますので参考にして下さい。

人間の自我意識は左脳に存在する意識です。その機能は言葉を持つ事によってかなり限定されるようになったとも云えます。何故ならば、論理的に分析的に計算できる能力で言葉が出来ているからです。つまり自我意識の機能には『有限』と言うソフトしかないと言う意味が有るからです。

処が貴方には『永遠』に対しての憧れが芽生えたと言う事になります。永遠への憧れが『神』になりたいという要求になっています。人間の悩みや要求の中には『心の矛盾』が含まれます。心の矛盾とは『二つの意識の違いに気付く』と言う意味になります。

この意識の違いが大きい時に深刻な悩みと言います。二つの意識の違いが分らないでいる人を『健常者』と呼んでいます。この意識の違いに気付く事を『神経質』な性格と言います。其れは自分自身に敏感と言う意味になります。

自我意識は左脳に存在する意識と言いました、顕在意識の事です。ですが人間にはもう一つ意識が在ります。その意識とは『無意識や潜在意識や、自分自身の命を働かせている』意識の事です。この意識の事をキリスト教では『神』仏教では『仏性』と呼んでいます。

自我意識が自分自身の全てと勘違いをしてしまう場合があります。この事を、迷える子羊と言います。或いは、水の中に居ながら、未だ水を求めていると形容する場合があります。具体的に書いてみます。

仏性は右脳に存在する意識の事です。その意識は普通では自我意識とは出会うことが難しくなっています。処が毎日何百回と無く会っています。その事で悟りを開いた事を『見知らぬ他国で、ひょっこり自分の親父に会ったという表現や暗闇で自分の妻に会った』と言う表現をしています。

自我意識と無意識が交代制を取っているために、或いはその交代が余りにも、巧妙に出来ているためにその切り替わりが分りません。意識は無くなった事を『自我意識は』意識できないからです。処が悩みや苦しみが深かった場合『心の奥深くに意識が入った場合に、意識が在るのか無意識なのかが判らなくなるほど意識が深く心の内面にいる時に、無意識と意識が分かれる瞬間に出会う場合があります。』。

この事を見性と言います。自分の性を見たと言う意味になります。つまり悟りが開いたと言う事になります。自我意識の感情を沸かせていた者が自分自身のもう一つの意識だった事がわかる瞬間の事です。その者とは『永遠の存在であり又神や仏』でもあることがわかる瞬間の事です。

今まで抱えてきた苦悩や、疑問が全て氷解する瞬間です。自我意識や無意識の奥底からの矛盾が解消する瞬間です。或いは今まで抱えてきた漠然とした不安や、生き難い感じなども全て解消する事になります。その瞬間には体中に入っていた力が抜け落ちます。今までは不安の為に体中にいらない力が入っていた事が判ります。其れが心身脱落、脱落心身と言うことがわかります。

それ以後は自我意識の計らいでは生きてゆかないようになります。もう一つの意識が優位になった生き方になります。自分を働かせている者の自我意識を預けた生き方になります。禅で言う『分別を捨てた生き方』という事です。或いはキリスト教的に言うならば、神の僕になるという言い方でも良いと思います。

貴方が神になりたいという希望は、貴方の無意識からの要求です。貴方には既に神が存在しています。ただ貴方が気付くだけで良いと思います。貴方の脳の半分は神や仏や宗教で出来ています。

そうなるためには、貴方には試練があると思います。貴方の感情は湧かせる者の存在を抜きにしては湧上がりません。高い所に上がった時の情報はその者が送っています。不安や恐怖などもです。その者との出会いで貴方の人生は豊かになるはず、生きて行く事の本当の意味や、人生に対する原理原則も手に出来るからです。そうして何よりもの事が、苦悩しなくなる事です。どんな時にも何時も安心して生きる事が出来ます。自分の死でさえ肯定して受け取る事が出来るようになります。そうなった時には生きる事にも肯定的になります。

力強く、何ものも恐れずに生きてゆく事が出来るという意味になります。
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 失礼。



 なお、No.14さんの助言は人として全うするには申し分ないと思います。

 でした。
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 他の回答者と同じ言葉を、違う意味で使ってしまったようですので、補正しておきます。



×感謝を超えて、創造・分別できるようにまでなれば、神の仲間入りです。

⇒感謝を超えて、識別による認識能力が増し、精妙な感性が養われることにより自然と行われる創造ができるようにまでなれば、神の仲間入りです。

 絵の具の色を見分けることが出来なければ、白黒の絵しか書けないですからね。

 なお、No.12さんの助言は人として全うするには申し分ないと思います。
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 あらゆるモノの中に意思とエネルギーを感じ、まずは第一歩を踏み出したということでしょうか。



 更なる成長を願います。

 感謝を超えて、創造・分別できるようにまでなれば、神の仲間入りです。
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No.4です。



私もギーターを愛読しています。私の師匠も講談社より訳本を出しています。
訳本を沢山読みましたが、田中嫺玉さんの翻訳ががわかりやすいです。
これと併せて、歎異抄をお読みになるとよいかと思います。

神になるには、求め心よりスタートして、後に自力を捨てる必要があるかもしれません。
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この回答へのお礼

皆様、ありがとうございました。
いつも瞑想の中では無意識に
自分の中に存在する神様を求めてばかりでしたが、
今朝目をさめたら
自分の記憶の中の今まで出会ったすべての人の中から
神の姿が隠れていたことに気が付きました。
今まで触れたすべてのもの、
今、自分の手の届くところにあるすべてのもの、
今、自分の目の前に置かれてあるすべてのものから、
神様からのメッセージが感じられます。
で、これから出会うすべての人やすべての生命の中に
宿っている神様を敬う気持ちで生きていくことにしました。
ここに助言を書いてくださったみなさま、あなたはぼくの神様です。
あなたの中から神様を見つけてくれたのはぼくの中の神様のお助けでしょう。
すべての相手(命+物)を敬う気持ちで、
その中の神様とメッセージに出会い感銘した言葉を日記に残して生きたいと思います。
特定の宗教や思想の方には合わないかもしれないぼくの所見ですが、

世の中は神様であふれていますね。
こんなうれしいことがまたあるでしょうか?
なんで今まで探すのに苦労しても、見つからなかったんだろう…
こんなにいっぱい存在しているのに。
                 ・・・2010.06.12 ある早朝の時刻に…

気持ちが高ぶって適当な言葉で閉めくぐってすみません。
誤打などあっても、気を悪くせずにぼくをお許しください、
ここに訪れた神々へ。

お礼日時:2010/06/12 06:50

 もっとも大事な先生を書かなかった。


 閑院純仁殿下のところで、風格も品もあり、率直なやさしい先生。
 野田雄弘先生。以上の先生方については、何かの折にはご参考になるでしょう。
 その時、ご質問があれば、答えられる事はお応えします。
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 【krya1998のお教えに触れることになったのも】krya1998⇒教えとか触れるとかはとても恐縮です。


 先達さんたちが聞いたら、冷やかすかも知れません。みなさん、人を冷やかす人ではありませんが。
 聖なる科学、スワミ・シュリ・ユクテスワはパラマハンサ・ヨガナンダのグルジですね。
 薄い本でして、どう理解するかはなかなか難しいと存じます。
 同じ出版者のあるヨギの自叙伝もいいと存じます。大師の講和集も。
 これらはみな同じ先達さん格調高い日本語の訳本です。
 おとなしい、控えめの方なので、自分の解釈をいれていません。
 こういう本としては、ストイックに自分を出さないで、翻訳する事はとても難しい事です。
 しかし先達さんは、分りやすくやさしく、翻訳しております。
 個人の情報を私がここで出せませんが、森北ですか?
 お伺いになれば教えてくれるかも知れません。
 でもだんだん分ってくるので、最初から突進する必要はありません。私より15くらい上でしょうか。

 田中 嫺玉さんは存じません。ギータって口伝ですからね。人によりとても違います。ギータはたくさん出ています。友人も田中 嫺玉さんのを読んでいるようです。

 私のURLではありませんで、若い友人のですが、田中 嫺玉 (著, 翻訳)関係のを出しておきます。
 http://yodaka.com/ から http://yodaka.com/interest.htm へいき
http://www5.plala.or.jp/gayatri/hp/index/india/t …
に到着するはずが、今は開きませんね。でも
http://www.bhagavad-gita.org/index-japanese.html にはこられます。
 視覚障害者のためか(URLの彼は晴眼ですが)、音声なんですね。
 先を急がずに、少しずつでやってください。宇宙の果てに早く着けばいいのではありませんして。
 どこのどこからも宇宙は始まり、そして終わっていますからね。そのときの自分でいいんですから。

 このラージャのヨガの前は、閑院純仁殿下のところで、ハタヨガや理論を習いました。ウインター先生や藤田鳳子先生です。
 でもYogaとは自己を知り、それが神だと実際に知る(なる)ことですので、最終はラージャになります。
 ジャーナ(ギャーナ)やカルマ、バクティもありますが。
 神になる、人間になる、というご意図には必ず合致すると存じます。
 
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 KamiSagashiさん。


 ANo.6です。
 宇宙のどこかで安楽にご鎮座などされていませんから、探しにどこかに行く必要はありません。
 ごろっと、もさっとそこらに転がっても居ません。
 KamiSagashiさんが何者かが、自分で覚悟したときです。
 私も英語は苦手。しかし取っ組みました。いえ現在進行完了形です。観念や思想としてでなく、対することをお薦めします。
 創造し創造になり、元に戻る。だからそれを多くの意識ある人が行ってきています。
 家郷ということです。異郷、異境のスラムでの彷徨で自己を忘れていることが嫌になって来るでしょう。
 私たちのSelf-Realization Fellowshipは当たり前のことでしかないのです。
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この回答へのお礼

またまたのご訪問とコメントありがとうございます。
昼間は普通の仕事をしていて、
週末もそれなりに普通の生活に追われていて、
(普通の人として生き方も、案外忙我するほど煩走)
静かに旅に出る(瞑想や空想の中に浸る)時間も
主に寝る直前の刹那な時間しかなくて、
図書館でゆっくりと本も探せない…ハハァ(苦笑ぃ

krya1998のお教えに触れることになったのも
この旅程の中での何かの縁だと思いますので、
とりあえず、
以下の本をアマゾンで購入して到着を
楽しみに待っている次第です。


【聖なる科学―真理の科学的解説】
ギァナアヴァター・スワミ・スリ・ユクテスワ・ギリ

【人間の永遠の探求―パラマハンサ・ヨガナンダ講話集】
パラマハンサ ヨガナンダ (著)

【神の詩―バガヴァッド・ギーター (TAO LAB BOOKS)】
田中 嫺玉 (著, 翻訳) :他の人が書いたギーターとは違って、余計な解説なくギーターをそのまま翻訳しただけ…


特にギーターはいつの日が原書と接する日が来ると信じています。
英語は弱いと言いましたが、別に避けたり、怖気づいたりしてはいません。
たんなる自分自身の思い込みでしょうけど、
まったく知らない言葉で書かれている本であろうとも、
瞑想する気持ちでその本と向き合うだけで
何だかその内容(その本が声)が
頭に入ってくる不思議な体験も経験したことがあります。
※普通に読むより時間が膨大にかかってしまうのが欠点でしょうが…
まだ、何も食わず飲まずに生きられる存在ではないので、
真理を探究するだけの贅沢な時間を使える身分ではないですが、
いつか、社会生活を引退できる日がきたら出会うべき存在(真理)と自由に恋愛でもしてみたいです。

すみません、雑談が長くなりました。
それでは、またのコメント本当にありがとうございました。

お礼日時:2010/06/10 10:14

神の心を手に入れたいということなんでしょうかね。



何のために、神になりたいんですか?
神っていい存在なんですか?
あなたが「神」になったとき、具体的に何がどう変わると考えてますか?
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この回答へのお礼

ご意見、ありがとうございます。
ご意見に対するお礼に兼ねて補足いたしますので、ご了承ください。

>何のために、神になりたいんですか?
そうですね、何かの目的のために神になりたいのではなく、
今を生きている目的、そのものが神になるたいとでも言うべきでしょうか。
それも、この霧のかかったかのようなもやっとした気持ちを
正しく表現できているかと言うと、よくわかりません・・・
目的というより単なる衝動に近い感覚と言うか・・・
すみません、言葉で表現しようとすればするほど、
どんどんこの感覚からはずれていくような気がしてきました、
自分に文学の才が相当ないのが悔しいです。

>神っていい存在なんですか?
いやぁ~、そこ(神)に良いも悪いもあるでしょうかね。
世の中の良し悪しもすべて、
我らが勝手に神の行動規範の一部を借りてきて、
これは良い事だこれは悪いことだと
勝手に思い込んでいるだけではないでしょうかね?
これすら、自分の勝手な思い込みかもしれませんけどね。

>あなたが「神」になったとき、具体的に何がどう変わると考えてますか?
変わるも変わらぬもすべて今の私が知られざる摂理の上で
動くものであれば、少なくてもその摂理をこの目で
確認することくらいはできるでしょうね。
これも、だった今思いついて喋ってるだけなので、
よくよく考えたら、またこれでもないよなぁ~と思えたりします。
めっちゃくっちゃ軟弱(よくて柔軟)な思想の上で自分の想世界を
構築しているので一般受けするような考えではないかも知れません。
しかも、今この石頭は考えることをはじめたばかりの赤ん坊のような状態なので、
皆様のご助力をいただき成長していきたいと思っております。

みなさまの色んな角度からの意見やご指摘により、
思想に羽がついているように楽しい瞑想の夜を向かえております。
この場を借りて書き込みしてくださった、みなさんに感謝いたします。

お礼日時:2010/06/10 00:29

会話ができるのと規範意識に従えるならば人間でしょう。



それ以外は他の生物と同じです。協力する場面…悪行を重ねる場面…共に暴力に基づいています。
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