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昔、巨人の星を見てて、小さい子供ながら感動したシーンがありました。それは、飛雄馬が高校入試の面接で、理事長(伴のオヤジ)に父親の職業を質問されて、「日本一の日雇い●夫です」と堂々と言い切った台詞です。貧乏なんか恥ずかしくない!立派な父親であることを誇りにしている飛雄馬がとてもかっこ良かった。
ところが最近の復刻版の漫画では、「日本一の日雇い労働者です」に編集されてました。ストーリの主旨は変わらないけど、なんか寂しいかったです。
昔の漫画で、せっかく良いシーンなのに、差別用語のせいでカットされることがよくあります。差別用語、差別用語って、そこまで厳しくする必要ってあるのだろうか?

A 回答 (9件)

やはり、差別の対象となる人にとってはとても嫌な言葉なんでしょうね。


一般人には理解できないことですが。
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差別用語を避ける理由は主に3つです。



1.差別の対象者が差別用語を聞いたときの不快感を避ける
「不快」と言っても色々なレベルがあります。
差別が原因で非常に苦境に立たされている人なら、何気ない一言の差別用語が自殺の引き金にもなりかねません。

2.差別用語を知らない人に対して情報を与えない
この方針が正しいか、間違っているかは別として、「知らない人にわざわざ差別用語を教える必要は無い」という考え方です。

3.提供側(放送局、出版社など)が過剰に反応している
過剰反応自体がすでに差別意識なんですけど…

現在では何故か「差別意識」よりも「差別用語」が敬遠されるというおかしな状況です。
「こいつ、目が不自由だぜ」と嘲笑するのは明らかに差別です。
言葉ではなく、意識の方を改革すべきなんですが…

たとえば名作「佐武と市 捕り物控」では全盲の市の紹介が「めくらの市っつぁん」であることからほとんど再放送不能です。
ここで使われる「めくら」に差別意識はなく、単純な言い換えが可能ですが「目の不自由な市っつぁん」では時代考証が合わないし、語呂が悪い。

差別用語の言い換えや差別用語の抹殺は下手をすると差別の隠蔽につながり、かえって差別意識を助長することがあるのですが、現状では言葉狩りが続いています。
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この回答へのお礼

>現在では何故か「差別意識」よりも「差別用語」が
>敬遠されるというおかしな状況です。
>「こいつ、目が不自由だぜ」と嘲笑するのは明らかに差別です。
>言葉ではなく、意識の方を改革すべきなんですが…

私が心に思っていて、言葉で表現できなかったのは、まさにこの事です。上手に表現できず、悔しい思いをしてましたが、toysmith様が自分の思いも代弁してくださったみたいで大変嬉しいです。
自分は、差別する人が大嫌いです。自分も差別を受けてきた人間なので。。でも負けません。
自分の友達に口の悪い人がいて、良く差別用語で自分の事を呼びます。でも、その人に差別意識はありません。口の悪い人だと知らなかった頃から、呼ばれており、最初はとっても腹立たしかった。しかし、本人に差別意識が無い事を知ってからは、親友のように付き合ってます。
逆もあります。口では優しいく話かけてくれるけど、内心は。。。そんな人は差別用語なんて口にしません。でも、意識は酷いです。そんな人は一般的な世間からは受けいられて、口の悪い人は、差別用語を話すだけで、悪人のように扱われる。
差別用語を話さないで意識ももたないのが一番良いのですが、なんか世の中の仕組みに納得できないです。
長くなってしまい申し訳ありません。ありがとうがざいました。

お礼日時:2003/07/27 00:26

自分もアニメ版を見ていていきなり音が途切れるのでびっくりしました。


あの手塚治虫さんの作品(ブラックジャックなど)も差別問題で発刊できないものがあるそうです。

貴重な作品なのにもったいないですよね。

あと、自分は映画マニアでもあるんですが、なぜか黒澤映画だけは特別扱いでTV放送の時でも差別用語OKなんです。

これって絶対おかしいですよね。
手塚治虫が黒澤に劣っているとでも言うんですかね?
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この回答へのお礼

長谷川町子先生は国民栄誉賞。でも、なぜか手塚先生は。。もっとも先生は賞が欲しくて漫画を描いていたわけではなので、関係ないのかもしれませんが、何か世間一般の手塚先生に対する評価が低いのではと思えてしかたありません。
ディ○ニイー社の「ライ○ンキング」や、スピ○バーグ監督の「A○」なんかは、どう考えてもある漫画の影響を受けているとしか思えませんし。。
もっと評価されても良いと思います。

お礼日時:2003/07/27 00:38

必要あると思いますよ。


私自身あまり気にしないタイプですし、
日本人同士は言葉で解決して終わりだからいいんでしょうけどね、それが外国になると、口論どころじゃすみません。訴えたりっていうのはまともな方で、暴力や、殺しにまで発展してしまいます。

イギリスではゴミの袋が黒だから「ブラックバック」って言っていました。しかし、数年前、
「それは黒人に対しての差別用語だから」
という理由で、「ビンバック」という名前に変えられました。
私達は何気なく使っているわけです。
だって、まさしく黒いんですもん、何も黒人の顔を想像してブラックバックなんていったことありません。

そして、よくジャマイカ人の友達とつるんでいる白人は、大抵服装やスタイルがジャマイカ人と同じなので、上流階級の白人から嫌がられるんです。
「黒人寄りして」って、よく、「ウィガー」という言葉を投げつけなれるらしいです。
これも、差別用語で、言われた白人は、その場で刺したり銃で殺したり・・っていうのが何度かあったみたいです。

黒人→ニガー、パキスタン人→パキ、中国人→チャンキーなど、その呼び方は差別用語です。
ただ単に小さく呼んでるつもりでも、本人たちにとっては馬鹿にされけんかを売られているのと同じです。
日本人の事をJAP(ジャップ)って言いますよね?
日本人の性格上、それをなんとも思わなかったり、思っていても腹が立たなかったりしますがね、
第二次世界大戦中、アメリカ人が日本人を馬鹿にして呼んだのが始まりですから。
海外に住んでいる日本人はその言葉が嫌だと思っていると思いますよ。

日本人は愛国心がないといわれていますよね。
人は人みたいな。
だから、たかが一言で大事になること滅多にありません。
でも、愛国心があって、自分に誇りを持っている人たちなら、即効で大きな事件になります。
周りの人がどう思わないと、自分が昔のスタイルが好きだろうと、誰かは傷ついているんじゃないでしょうか?
それが、日本ではにらまれるだけで終わるだろうから、何かされないだけある意味ラッキーかもしれませんが・・。
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calonsegur2003さん、よくぞ言ってくれました。


私も以前より、ずっと感じていた事なんです。
言葉面だけ整えたら、それでOKって感じがして、とっても不快感も覚えます。
アニメでは昔の作品の多くが、シーンごとカットされてたり、ブチブチ音声が途切れたり、声優さんが健在なキャラは吹き替えられたりしていますね。
特に、音声が途切れるようなシーンは、ほんとに台無しって思う時もあります・・・。
しかし、CSで放送された「どろろ」では、冒頭で、オリジナル性を尊重して、差別用語をそのまま使っているけど許してね、みたいなテロップが流れてました。
やはり「言葉狩り」の無意味さに気付いたスタッフもいるのでしょう。
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こんばんは。

あまりご質問とは関係がない話と思われるかもしれませんが、
ご容赦ください。

先日「放送禁止歌」(森達也著、知恵の森文庫、SBN4334782256)
という本をざっと立ち読みしました。
日本のテレビ・ラジオには、電波に乗せてはならないタブー扱いになっている
歌曲が多数あります。そうした歌は俗に「放送禁止歌」と呼ばれています。
「網走番外地」「竹田の子守唄」「自衛隊に入ろう」等等……

しかし、「放送禁止歌」によれば、この名前で呼ばれる放送禁止リストは
公式には実在しないこと、実際には「放送要注意歌謡」というごく短いリストがあるだけ。
公式に「放送禁止歌」扱いされていると思い込んでいた、
膨大な歌曲は「放送要注意歌謡」の中には見当たりません。

つまり、「放送禁止歌」なるガイドラインは、日本の業界団体が勝手に
萎縮・自粛して作った、根拠のないに等しい代物なのです。

確かに、あからさまに特定の国・民族・階級を嘲笑するための用語は
廃絶されてしかるべきです。しかし、すでに確立された作品の中から
鵜の目鷹の目で「言葉狩り」をすることに意味があるのでしょうか。
それが漫画やアニメだから、自由に表現を変えられると思うのは
あまりにも了見が狭いし、傲慢だし、何より作者への冒涜に他なりません。

このように差別問題に対して「臭いものには蓋」という対応を続けるばかりでは、
差別は人々の意識の下へ下へと潜っていき、解消するどころか
いっそう陰湿で厄介なものになっていきます。
これは米テレビ局 ABC のプロデューサーだったデイブ・スペクター氏も
同書で指摘していることです。ダジャレは好きじゃないけど、ここでの彼は格好いい。

また彼は、著者との対談でこのようなことも言っていました。
この対談こそ、本書の中の白眉と言えるでしょう。

(著者:アメリカ最大の人種差別は黒人問題だね)

その通り。だが、(アレックス・ヘイリー原作のテレビドラマ)「ルーツ」では
「ニガー」(黒人への侮蔑語)が使われているが、
それを他の語で言い換えることなど想像もつかない。
このドラマから「ニガー」を抜くと、
作品全体が意味を成さなくなるからだ。

だいたいこんなようなことだったと思います。PC(政治的正しさ)に敏感な
アメリカの放送界においてすら、勝手に語句をすりかえて換骨奪胎するという
ふざけた真似はしていません。

ディズニーアニメ「ノートルダムの鐘」日本語版に付記されている
「原題」は「The Bell of Notre Dame」。しかし、本家本元の
ディズニーのパッケージタイトルは「The Hunchback of Notre Dame」、
つまり「ノートルダムのせむし男」そのものなのです。
世界一商標管理に厳しいディズニーを相手に、
こういう愚かしい「自粛」を日本のマスメディアはしているのです。

その他、アメリカの放送局で放映禁止扱いが公式に定められているタブーワードは
驚くなかれ、たったの5語にすぎません(ここには挙げませんが)。

この本を褒めてばかりも何ですので、わが国における最大のタブー、
「天皇制批判」についてまったく触れていないという逆批判もあることを付記しておきます。
http://www.ywad.com/books/1161.html
http://www.fujitv.co.jp/jp/nonfix/368hosok.html

重ねて言いますが、出版社なり放送局なりが圧力団体から来るであろう
クレームを恐れて、作品中の表現から「差別表現」と思しき語句を
削除したり差し替えたりしたところで、真の差別解消に利するところは何もないのです。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334782 …
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放送禁止用語の基準には2つの系統があります。



民放側は在京TV5社の「テレビ五社会」と在京ラジオ5社が作る「ラジヲ五社会」、そしてこの2つが集まる「五社五社会」が策定する「放送忌避用語」を元に各放送局が独自判断で運用します。

NHKは独立して判断します。

また、スポンサーを持たないNHKは若干規制がゆるいようで、放送禁止とされる言葉は「差別用語」と「隠語」に限られます。

たとえば、「網走番外地」は放送禁止歌曲ですが、原因は「きすひて、きすひて、きすぐれて」という歌詞です。
これは「酒飲み、酒飲み、飲んだくれ」と言う意味の隠語です。

「竹田の子守歌」に関する規制の原因は2つ考えられますが、民放側では「この在所こえて」の「在所」に注目しているようです。
NHK側では歌詞の成立経緯を認識し、「何の説明もなく放送することはしない」という運用です。
実際に、NHK(教育テレビだったかも?)で「竹田の子守歌」が放送されたことはあります。

「つんぼさじき」や「めくらめっぽう」を放送禁止とする規約は民放側で、NHKでは「差別意識のない差別用語は使用回避を心がける」にとどまります。
また、「作品の趣旨を尊重して独自編集を行わない」という運用はNHK側が始めた運用です。

民法では視聴者よりもスポンサーに対する過度な気遣いがあるようです。

放送とは関係ないのですが、私は中学校の時に被差別地域の友達と机を並べて勉強していました。
普通に友達であり、互いの家に遊びに行ったりもしました。
「差別なんかははじめから無い」と理解させた上で「行政の間違った指導によって不幸な歴史があった」と教育するべきだと思います。
その意味で「言葉狩り」は「現在も続いている差別」を強調するだけです。
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「日本一の日雇い労働者です」


これでは、作者の言いたいことが伝わりません。
星飛雄馬が、
「日本一の日雇い●夫です」
と、勇気を奮い起こして、あえて、そう言うことに意味があったと思います。
(つまり、作者は、差別というものに怒りを感じていた。)

※ちなみに、私が他に知っているものとして『タイガーマスク』という作品があります。
 この作品の謎の悪役(虎の穴の親分)は、かつて、あまりにも強すぎて、誰も戦う相手が現れず、プロレス協会から追い出され、その復讐として、あえてハングリーな孤児を利用して、プロレス協会に挑む、というものでした。
 しかし、いつの間にか、変えられてしまっています。
(悪役が主人公なのは、まずい、という理由です。)

他にも、『スペクトルマン』
 この作品も、最初は『ゴリとラー』という作品名でした。科学者ゴリとラーは、自分たちの星が滅んでしまい、行き場を探す、というものでした。
 しかし、悪役が主人公はダメということで、彼らを退治するスペクトルマンが主人公となりました。

どちらの作品も、作者の本当に言いたいことが、伝わらなくなってしまいました。

まるで、教科書検定のようです。
※教科書検定がいいか、悪いかは、ご存知ですよね。
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マスコミという


全国民を対象にする媒体では
ある程度の配慮は必要なのでしょうが
使わない用語を辞書のような分厚い本にまとめて
封印してしまうことに一体どんな意味があるのでしょう?
そこには、どんな問題意識もなく
それは「事なかれ主義」以外の何物でもないでしょう
要するに言葉を抹殺していくのですから・・・

その言葉の持つ差別性という風なものさえ風化させてしまうわけです

どういう言葉が差別的でどういう言葉がそうではないかと考えたときに
僕が導き出した答は
湿った言葉よりは乾いた言葉
ウェットよりドライな言葉のほうが
“差別的でないように聞こえる”というものでした
例:「おんな」と「女性」
「めくら」と「目の不自由な人」
などです
それは、より分類的、記号的な言葉へと向かっていき
やがて我々の日常から離れていってしまうのです

ようするに祭り上げるわけですな
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