プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

 ◆(詩編 42:6-12) ~~~~~
  ・・・
  なぜうなだれるのか、わたしの魂よ
  なぜ呻くのか。
  ・・・
  あなたの注ぐ激流のとどろきにこたえて
  深淵は深淵に呼ばわり
  砕け散るあなたの波はわたしを越えて行く。
  ・・・
  なぜうなだれるのか、わたしの魂よ
  なぜ呻くのか。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~

A 回答 (15件中1~10件)

 常識を超えるとは常識を含んで超克超越ですね。


 そんな人を批判する事は誰にできるのでしょう。
 素晴らしい方でしょうね、そんな人が仮にいたなら。ブラジェン氏でしたか。そうでしょうね、御見それしました

 私は中一、いまから60数年前。
 唯一尊敬する、頼りにしている小学校の先生に
 『おまえはな、変人奇人っていうんだ。でも変人て普通を知っていて個性を生きられる人だ。孔子とか、イエスとか、そういう人だ。
 お前はな、その普通を知らない、理解もできない、そして普通になれないゆえの奇人。奇行奇癖でしかない奴だ』といわれました。

 大事な母たちにも『変わり者』って、二言目(ふたことめ)にはいわれました。
 私の言葉や発言を封殺(ふうさい)するための、一刀両断の科白(せりふ)ですね
 
 46年いた大学でも同僚の女性が、変わり者といわれたといって憤慨していました。
 まぁブラジェン氏は超越しているのですね。ならば誰も批判は出来ないのでしょうね。いえ私には。

 あぁ常識の超越でしたっけ、私はつまり非常識野郎ですので。あるいは無常識かもしれません。
 反常識で、叛乱、反逆、異端かな。超越って、そういう馬鹿にはならないんですよね。
 私は超越でないので、難しい。ブラジェン氏とともにご回答を待てませんので、草葉の陰で見守りましょうかね。
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この回答へのお礼

 くりやさん お久しぶりです。ご回答をありがとうございます。

 あはは。いやに恨み節ですね。弱音を吐いてらっしゃいますね。けれども
 ★ 草葉の陰で見守りましょうかね。
 ☆ これはないでしょう。いかに何でも 言い過ぎです。冗談とすれば おもしろいですが。


 そうですね。
 この質問は ふたつのねらいがあります。 ひとつは きょう――理由も意味も分からない事情のもとに――削除された同趣旨の質問を絶やさないこと。
 もうひとつに その分からない事情を明らかにすることが出来たらとの思いをも合わせて掲げること。

 前問は 《常識のない高齢者》でした。さすがそれらの質問が消えてなくなった今としては そのままを使おうとは思わなかった。きれいな表現に変えました。きれい過ぎましたか?


 ★ 唯一尊敬する、頼りにしている小学校の先生に
 ☆ この《人間関係》が原因ではなかったのですか? 《尊敬》が《唯一》というところです。言葉の内容を超えて ひとまづその特殊な関係をほどこうとした。こういうことではないのですか?

 ただその後も《変人奇人》のもんだいはあったとか。
 そうなると 別の事由をも考えなければなりませんが そうですね。《大事な母たち》とおっしゃってますね。この場合には ひとつに身内の言葉が極端な表現になったとしても それは割り引いて捉えればよいと思われること。
 もうひとつには むしろくりやさんがその《変人奇人》という表現が好きだった。その好きだったのを知っていて 何度もお母さんがたは口に出して言ってくれた。のではないか? とも考えられます。

 そもそも 中学生に対して そんな言い方はないでしょうと思われます。どうもよほど くりやさんがませていた。その事情によっていろんなあだ名や評言が浴びせられた。のではないでしょうか?
 いや 分かりませんが どうなんでしょうかねぇ。

 超越になさってください。

お礼日時:2011/02/14 15:36

 単刀直入に申し上げて、貴方の場合はむしろ哲学の世界とはことなるのではないでしょうか。


 お仲間、お茶の間などをご訪問されたり、ご訪問することで良いのではないかと存じます。
 非常に博識と論理性があるかのようですが、実は私も哲学などは無関係の奴なんですが、哲学ということとはどうも違うようです。
 率直な感想です。私に指摘する資格は全くないのですが。
 追究、求めるというところがどうも私には問題があるのですが、貴方もやはり違う意味でそこらが問題だと存じます。
 いえこのカテご訪問の多くの方にいえることです。
 貴方だけが特別だと思いませんし、自分を特別に表現すること自体にもう何か違うことが生じていると存じます。
 しかしそれにしても貴方の違いは、求めるものがソフィーでもなく、真理でもないような気がします。
 自己を省みずに、率直にいいました。私も同じなんですが。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 お応えは かんたんです。
 《哲学》ということを われらがものに変えて行けばいいわけです。

 たとえば あそびが必要でしょうね。おもしろみやおかしみが要りましょうね。
 
 ただし 論理はやはり大事です。骨格です。なければなりません。
 その上に 血も肉もつければよいのでは?
 あっ 情緒も言っておかねば。

お礼日時:2011/02/14 17:28

 そういう風に哲学というものが判らない私は、哲学は哲学としては成立しないと思いました。

中一でした。
 哲学は分野哲学しか存立できな、法律は法哲学として、・・・とか。
 それで哲学に進学することをやめまして、図書館学とか法学をやり、実践が必要だという事で労働運動とか社会福祉とかに突っ込んでいきました。
 そういう中ででしか哲学は畑がないと。
 その後、高一で民衆の哲学者という、決して自己の言葉と論理ではなく、その人の心の言葉と論理で話しかける奴に出会いました。
 これも既成の哲学ジャンルにはありません。
 そういう中で、認識と世界の現出、生きるという事を中心においてアマチュア的にヒンドゥの哲理にのめっています。
 そういう世界から見ると、貴方のことが食い足りないという、不遜な批判をしております。
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この回答へのお礼

 えっとですね。ご投稿へのお礼ははぶきますが 前回(No.2)のそのまま続きになると思います。

 分野ごとの具体的な実践哲学も
 民衆の中に入ってそのおつき合いをつうじてそのおつき合いそのことをあたらしい社会形成の力とその姿に変えていく人間哲学も
 あるいは わたしの言葉で経験合理性を超えてその合理的な根拠のない領域すなわち《無根拠》ということ これについても哲学が経験思想ないし経験科学として出来るだけ迫って行くという純粋哲学も

 大いにあたらしい《てつがく》に盛り込んでいけばよろしいのでは?

 ただし繰り返しますが 論理の勉強は 必須です。骨がなければからだは持ちません。

 それと 神秘思想というのは 低俗な表現で語って分かるようでなければ意味がない。これくらいに思っていて ふつうだというところでしょう。

お礼日時:2011/02/14 17:36

#1 あはは。

いやに恨み節ですね。弱音を吐いてらっしゃいますね。先生に対してですか?
 そう、小さい頃は尊敬し頼りにするばかりでした。大人に対しては。
 今、振り返ると恨めしいと存じます。私が今、そういう人に出会ったらそういうことばは慎みたいです。
 でも率直にブラジェンヌ氏には申し上げています。
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この回答へのお礼

 えっ?
 ★ でも率直にブラジェンヌ氏には申し上げています。
 ☆ 恨み節と弱音とをですか?

 いづれにしましても 過去は過去です。

 《あたらしいてつがく》。
 そういえば哲学という言葉も しっくりと来ませんね。何か考えてくださいな。

お礼日時:2011/02/14 17:38

 《変人奇人》という言葉を浴びせる事は、一般的にも、私や私の女性同僚にいう場合も、問答無用の一刀両断なんです。


 母もそうやって私を切り捨てることで、自己の存立があったのです。
 先生は、ご近所にお住いでした。簡単に言って、私が気障で鼻つまみ者であった、今もですが、という事でしょう。
 それに引き換え、いつも私を誘って先生の家に言った同級生はこのあたりの旧家のあと取りで、円満常識でしたから。先生はそこの家にいたのです。
 まぁいろんないきさつもあり、実際私はいつもあまり好かれないへんてこな岩石です。
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この回答へのお礼

 ええっ? そうなんですか? 
 わたしはてっきり《奇人変人》というのは 褒め言葉にもなると思っていました。もろ刃なのでしょうが。

 なあんだ。くりやさんも スサノヲでしたか。

 わたしは ガラッパチのところがありますから キザとはちょっと違います。
 鼻つまみ者――ううーん。そうだったかも知れません。わたしの知らないところでそうだったかも知れません。あまり気にしていませんでした。いえ まったく気にしませんでした。そこは 脳天気とお伝えしておるところです。

 旧家のあと取りである同級生の家に住んでいた先生ですか。その同級生とちょっと差別したようにも感じられます。

 ただお母さんが 切り捨てるというのは 放っておけないお話ですね。これは そうそうはおしゃべりすることも出来ない相談でしょうから 当事者でないと分かりづらいことでしょうね。先にお手上げを宣言いたします。申し訳ないですが。

 ただ《奇人変人》という言葉だけで 《問答無用の一刀両断》だというのは すこし気が早いようにも見えますが ううーん そこんところは どうなんでしょうかねぇ。

お礼日時:2011/02/14 17:49

『常識のない・・・・・』の関連質問2件が消去されました。

ルール違反が発覚したのでしょうが 私にはどの部分が問題なのか全くわかりません。管理部署は真相を明らかにして欲しいのです。でないと 意味ある率直な質問あるいは回答にブレーキがかかります。そのことは 質問/回答の質の低下に繋がるのではないか と危惧します。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。
 そして お気を遣っていただきありがとうございます。

 理由としては 次のようだそうです。

 ● (OKWaveサポート担当)~~~~~~~
 個々の会員の方についてあるいは個々の質問についての批評や感想を募るよう
な投稿は、他の会員や閲覧者に不快な思いをおかけする恐れや、場合によって
は不要な議論や誹謗中傷、お客様同士のトラブルに発展する恐れもございます
ので、恐れ入りますがご遠慮いただいております。

 ご不快な思いをおかけし申し訳ございませんが、当サイトの運営趣旨に何卒
ご理解とご協力をお願い申し上げます。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 

 ☆ ただし通報も威力を持つというように思います。

 見解の相違で互いに合意できるということも 大事であるように思います。
 こんなところでしょうか?

お礼日時:2011/02/14 20:28

 ● (OKWaveサポート担当)~~~~~~~


 個々の会員の方についてあるいは個々の質問についての批評や感想を募るよう
な投稿は、他の会員や閲覧者に不快な思いをおかけする恐れや、場合によって
は不要な議論や誹謗中傷、お客様同士のトラブルに発展する恐れもございます
ので、恐れ入りますがご遠慮いただいております。

 ご不快な思いをおかけし申し訳ございませんが、当サイトの運営趣旨に何卒
ご理解とご協力をお願い申し上げます。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
一応理解はしました。しかし、個々の質問についての批評や感想を募るような投稿は この哲カテでは 多々発生するように思われます。なぜなら 個々の質問に使用されている言葉あるいは 言い回し あるいは意味が難解な場合があり より深く理解したい場合 自分の理解の徹底確認のためにその質問についての批評や感想を募るような投稿は 発生すると思います。アマ某氏とのやり取りなどは正に そのように思います。私のように 投稿はしないでやり取りの 読み取りから理解しようと思っている者には このように突然消去されますと 何だこのサイトはとなります。+直接には関わらない有益な回答、有益な補足、有益なお礼が瞬時に消されるのです。管理担当者には 私のような読者もいることも考慮されて 哲カテの質問/回答内容を理解の上 運営して欲しいと思います
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 ご希望がとどくといいですね。
 わたくしもそう希望します。

 そしていちばんの問題は 通報があるということだと思われます。
 と言っても 会員がどうすることも出来ないのですが。
 つまり 引用しましたようにひととおりの説明が返信として届けられるならまだよいほうで 却下のときには 理由などの返事をしませんと書いてありますから きわめて一方的な処理がなされるようです。
 ということは その人の虫の居所次第であると受け取らざるを得ないのが 現状のようです。

 でも削除のあとに 嘆願のようなメールを送って これまでに三回四件の質問が 復活しています。
 ただしこれも どうも推測によりますと あとで削除の通報をした人が 考え直してその通報を取り消したという事態であったかとも思ったりしています。真相は分かりません。

 こんな状態です。

お礼日時:2011/02/14 21:44

超人ブラジェンマン

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この回答へのお礼

 地べたから物申すということばがありますが この地べたからの目線でものごとを取り扱おうとし始めました 社会人となったあとでしたか。

 その視点から見てピンと来なくて浮ついた話は 相手にしない。かもしくは 見方を変え表現し直せば なるほどと分かるようにできると知りました。

 蟻のいとなみだったのですが けっこう遠くへも行けましたし 空中戦にも或る程度は耐えられるようにもなりました。


 えむえむけーわいさん こんにちは。ご回答をありがとうございました。
 

お礼日時:2011/02/15 09:29

●◆(詩編 42:6-12) ~~~~~


  ・・・
  なぜうなだれるのか、わたしの魂よ
  なぜ呻くのか。
  ・・・
  あなたの注ぐ激流のとどろきにこたえて
  深淵は深淵に呼ばわり
  砕け散るあなたの波はわたしを越えて行く。
  ・・・
  なぜうなだれるのか、わたしの魂よ
  なぜ呻くのか。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~




あっ、声聞こえました?


(b^-゜)(*^-^)b♪(*^ ・^)ノ⌒☆

ヾ( ´ー`)(*^_^*)三 (/ ^^)/

:*:・( ̄∀ ̄)・:*: (|||_|||)

┐(´ー`)┌ (//▽//)… … …φ(.. )




よんでいる~♪ 胸のどこか奥で~♪


『いつも何度でも』
http://j-lyric.net/cd/zB002F04TXC/t337206.html

『何度でも』


【QNo.6462184「よく生きる」とはどういうことか】
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6462184.html

QNo.5
 《変人奇人》という言葉を浴びせる事は、一般的にも、私や私の女性同僚にいう場合も、

問答無用の一刀両断なんです。
 
母もそうやって私を切り捨てることで、自己の存立があったのです。




ちょっと想像してみた。

《変人奇人》って…

中一のころといえば…未成年。

とすれば… 成年に達しない子は、父母の親権に服する。(民法第818条1項)

なおかつ、時代が時代、理不尽な命令にも絶対服従を強いられる。
親や先生に口ごたえするなんてもってのほかだったことだろうね。
子が勝手な振る舞いをしようものなら、お母さんの立場もなくなる。
共働き世帯・一人親(母子・父子)世帯が増したいまでは想像しがたいけれど、
その昔は、夫は外へ勤めに出るのが役目。
妻(女性)の努めはしっかり家を守り、子どもを育てること。
そうすることで家庭の中にいるお母さんであっても社会の一員である
ことが認められ保障されていたんじゃないのかな。
子どもからしてみれば、問答無用の一刀両断のごときことば『変わり者』と
我が身に浴びせる親をなんと理不尽なことをいう大人なんだと腹立たしく
おもわれたこともおありでしょうが、お腹立ちとは別にそのとき何を感じ、
何を思い、どんな大人になろうとどんな大人になるまいと思われましたか?
『変わり者』って、言葉を発したときのお母さん、我が子をみて羨ましく
おもっていたのかもしれない。ときには子どもに戻って好きなように好きなことを
言ってみたいし振舞ってみたいと。何ものにもとらわれずにってね。
大人になり、人の親になってくると、だんだん言えることが限られてくる。
それだけに短い言葉のなかにいくつものおもいがこめられていたのかもしれませんね。



権利(けんり)とは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%A9%E5%88%A9

一般に、ある行為をなし、あるいはしないことのできる資格。法律上は、一定の利益を主張または享受することを法により認められた地位、あるいは、他人に対し一定の行為・不作為を求めることができる地位をいう。日本において権利は権限を含む。対義語は義務。各個人が有する権利とは、通常は社会などの制度との関係において、それが保障されるか否かが問われるものであることから、法治主義のもとにおいては、権利は法に基づき各個人に付与される特権として理解される。権利の一つの区分けとして人権と呼ばれるものがあり、基本的人権などの用法においては、社会や国家などの制度に先行して存在するものとして理解されることがある。なお、より一般的な用語法として、各人が何らかの個人の見解・要求を主張できる根拠があることをして、「権利がある」という用いられ方をすることがある。
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この回答へのお礼

 おかあさんも自由が欲しかった。わが子の自由奔放がうらやましかった。
 ――えらい差し迫った家庭だなぁ。のんびり屋だったからかなぁ わたしの場合の見方は。


 ◆ (詩編 57:7&9)~~~~~~~

 わたしの魂は屈み込んでいました。

 かれらはわたしの足もとに網を仕掛け

 わたしの前に落とし穴を掘りました

 その中に落ち込んだのはかれら自身でした。




 目覚めよ
 わたしの誉れよ

 目覚めよ
 竪琴よ
 琴よ。

 わたしは曙を呼び覚まそう。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~


 りとうきすさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。

 省エネ応答。あぁ らくちん。

お礼日時:2011/02/15 09:51

 ANo.1でのお礼コメントでは


  『あはは。いやに恨み節ですね。弱音を吐いてらっしゃいますね。』とあり、
 ANo.5でのお礼コメントでは
  『わたしはてっきり《奇人変人》というのは 褒め言葉にもなると思っていました。もろ刃なのでしょうが。』と書かれています。

 両コメントの一貫性と脈絡が通らないという私の受け取りです。
 《奇人変人》という言葉で誉め言葉になる場合と、そうではない場合とあります。
 旧東京師範をでて直(ちょく)、ご赴任された恩師は、職員室でも奥さんにもそしてご兄弟達にも私を自慢されています。
 何かというとお共同行を指示されております。朝の朝礼でも私を壇に立たせて全校生徒にコメントさせていました。
 ご趣味の登山にもキャンプにも卒業後も同行させられ、一晩中、先生のお宅で歓談し、風呂にいき、散歩にでます。

 歓談での先生の奇人変人論で私は、普通を心がけました。
 それが、下村湖人の≪白鳥入蘆花≫、偈の≪白馬入蘆花≫に繋がり、創造意識のhumble,unassumingとhuman的aggressiveの対置になっています。
 ですから、ANo.1でのお礼コメントでの
 『あはは。いやに恨み節ですね。弱音を吐いてらっしゃいますね。』とあったとき、一瞬何のことかわかりませんでした。
 いろいろ模索して、私が先生のコメントに恨んでいるのだとブラジュン氏は解釈されたのか。
 と思いつきましたが、恨みなんてそんな次元の話はなかった。
 どうしてそんなことをブラジュネ氏は思いついたの、少し自己の解釈カテゴリーの改善をご忠告も仕上げます。

 私がこの60数年も前のことを出したのは、質問文での常識を超えるって言うのは、常識を自己内に抱懐し、それを超越した立場ですか、ユーモァでなければ自ら言うのはおこがましいのではないですか?
 という指摘の流れで、変人ではない奇人の話を出しただけです。
 それでもこの常識を超えたご自分を主張し続けますか?
 それは殆ど、誰の目にも付きにくい、希薄な世界の存在で肉体的にはその人が見えても越えていることや偉さは全く判らない。
 いえ寧ろ心身全部が希薄ノアカーシャに同化していて鈍重な私たちには不可視でしかない。
 そういう白鳥入蘆花の世界ですよね。
 ブラジュンネ氏が自らそう名乗るのはおこがましくないですか?
 少し照れくさくないですか。
 
 それと、自己のカテゴリーでの独断的把握は貴方の場合は食い違いが多々あることを、縁の下の小さな虫の私から、声なき声を上げさていただきます。

 忌憚なき批判を!という事ですので、敢えて私自身を省みないで、日頃の叫びと唸りの思いを投稿します。
 人の奇異に思う奇岩奇石。莽翁 寒岩(一笠一蓑一杖)より
 莽翁はマハバーラタの盲王、ドリタラシュトラであり。寒岩は婆子焼庵の枯木寒岩のことでして、人にはあまりすかれていませんね。いやなことをいう奴なんです。
 すみません。

この回答への補足

 【Q:“終わりは始まり”(2)】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6529122.html

 ★(くりやさんによるNo.11のお礼欄) ~~~~~~~~~~~~~
 ご訪問を感謝します。
 どうも私にはブラジュエンヌさんの仰せのことが理解できませんで申し訳ありません。

 共通のことば:ことがって共通でないければ言葉でありませんね。
 鎖国:でも私はいろいろ受け入れ、皆さんのところにも出かけておりまして。

 ブラジュエンヌさんの文章やご質問はわからないのです。
 だから先の越常識が同のというのも、ブラジュエンヌさんのコメントは申し訳ないが、拝読しないで投稿しております。

 独り言ですね。失礼をお詫びしながらでした。コミュニケーションって難しいですね。

  投稿日時 - 2011-02-19 15:43:48
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ こうなります。

 ○ 《私にはブラジュエンヌさんの仰せのことが理解できません》あるいは《ブラジュエンヌさんの文章やご質問はわからないのです。》けれども 《独り言》として 投稿した。もしくは

 ○ 《ブラジュエンヌさんのコメントは申し訳ないが、拝読しないで投稿しております。》

 ☆ これが直されないかぎり 無視することを明らかにしておきます。
 ブロックしてもよいのですが それだとまた ぼやきが止みませんから。

 

補足日時:2011/02/19 16:38
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この回答へのお礼

 ええっ?
 ★★(ご回答No.1) ~~~~~~~
 私は中一、いまから60数年前。
 唯一尊敬する、頼りにしている小学校の先生に
 『おまえはな、変人奇人っていうんだ。でも変人て普通を知っていて個性を生きられる人だ。孔子とか、イエスとか、そういう人だ。
 お前はな、その普通を知らない、理解もできない、そして普通になれないゆえの奇人。奇行奇癖でしかない奴だ』といわれました。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ――まづはご回答をありがとうございます。――《変人て普通を知っていて個性を生きられる人だ》が そのような変人ではないと言われたんぢゃないのですか?
 ★★ お前はな、その普通を知らない、理解もできない、そして普通になれないゆえの奇人。奇行奇癖でしかない奴だ』といわれました。
 ☆ のでしょう? あぁ その《奇人》であるだけではなく 《おまえはな 変人奇人っていうんだ》というように《変人》でもあるということですか?
 つまりは 《奇行奇癖でしかない》のではなく 《孔子やイエスのごとき〈変人〉》でもあるという意味なのでしょうか?

 もしそれなら 《恨み節》でもなければ《弱音》でもないですね。むしろ自慢たらたらということになります。

 はっきりしませんね。

 でも今回お聞きしたことは その先生から将来を嘱望されていたということのようですね。だったら 《自信満々 たらたらのたら》のようですね。ようござんした。ごちそうさんでやんした。
 これでいいんですね?

 ただしその挿話は それ自体が目的ではないとおっしゃる。
 ★ ~~~~~~~~~~~~~
 私がこの60数年も前のことを出したのは、質問文での常識を超えるって言うのは、常識を自己内に抱懐し、それを超越した立場ですか、ユーモァでなければ自ら言うのはおこがましいのではないですか?
 という指摘の流れで、変人ではない奇人の話を出しただけです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ わたしのことを《常識にとらわれない者》と言ってくれた人もいましたが そういう意味で《常識を超えた》と表現しました。

 ★ ~~~~~~~~~~~
 それでもこの常識を超えたご自分を主張し続けますか?
 それは殆ど、誰の目にも付きにくい、希薄な世界の存在で肉体的にはその人が見えても越えていることや偉さは全く判らない。
 ・・・ 
 ~~~~~~~~~~~~
 ☆ そこまでの掘り下げた意味はありません。ただ《常識を超えられるかどうか》 これを考えるとき わたしは ほかの人たちとは違って それが出来ると思っています。
 たとえば【Q:往生の主体】という質問があります。いわゆる世間一般の常識でみなさんは回答を寄せていますが わたしは (1) 親鸞の言おうとした意味をきちんと明らかにした (2) そこでは《臨終とそのあとこと》などはどうでもよいと述べられていると明らかにした この二点でわたしは常識を超えています。そういう意味です。

 《誰の目にも付きにくい》とか《希薄な世界の存在》だとかあるいは《偉さ》だとか そんな意味には何ら関係ありません。《常識》というもの・あるいはその水準があって それを超えるかどうか。このひとつの意味にしぼった表現です。
 誤解を生み語弊があったのかも知れませんが そうではない使い方もあると 一度は思っていただかなくてはいけません。そうではないでしょうか? つまりなにはともあれ 疑問はそのつどすぐさまただちに明らかにして伝えていただかなくてはなりません。これが エチケットでしょう。初対面の人には 当てはめにくいでしょうが。

 ということではありませんか? 
 朝礼のごとく みなさんにもコメントをよろしく願います。


 ★ いやなことをいう奴なんです。
 ☆ いやなことを言う奴がいなくなったら 世の中どうなるんですか!

お礼日時:2011/02/15 10:28

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