意識はあるがその場で認知した出来事を記憶することができなければ、後日その経験を思い出すことはできません。その状態は意識がない状態いわゆる無意識と区別ができるでしょうか。
もしできないとするなら、無意識とは記憶がない意識状態ともいえます。
例えば、生まれる前にあの世で生活していたとしても、あの世の経験は現世の脳にはインプットされていませんので記憶がないのは当然ですが、それはもしかすると記憶のない意識状態だったかもしれないとは言えないでしょうか。
だとすると出産(受精でもいいですが)と意識の発生のタイミングは必ずしもイコールとは言えないのではないでしょうか。
あくまで主観的にみた場合です。
No.5
- 回答日時:
目の端を一瞬通り過ぎた影さえも、その時点では意識できなくとも、脳の一部に記憶(刻印)されると理解しています。
認知まで行かなくとも、感覚器官の感知領域に触れるものでさえあれば記憶されるでしょう。
ただ、「記憶したかどうか」ということ自体をその瞬間に認知、またはそのあとに記憶できるとは限りません。
つまり、「記憶はしたが現段階においては呼び戻せない状態」を、無意識領域の記憶、と呼んでいいように思います。
また、このような記憶の状態を無意識と言ってもいいかもしれません。
ですので、
>意識はあるがその場で認知した出来事を記憶することが
:
できない、ということは(認知した以上)ないと思いますが、
>出来事を記憶することができなければ、後日その経験を思い出すことは
:
できない、ということは言えるでしょう。ここで言いたいことは、
「意識はあるがその場で認知した出来事を記憶することができなければ、後日その経験を思い出すことはできません」
という文の内容に矛盾があるため、
>その状態
:
というものが特定できない、ということです。
しかし、おっしゃりたいことの骨子はわかりますので先に進みます。
>無意識とは記憶がない意識状態ともいえます。
:
そう表現しても良いのでしょうが、個人的には、記憶が意識によって抑圧・抑制されている状態、と捉えたいところです。
認知され、あるいは感覚されたものは、全て一応記憶される、という考え方です。
>例えば、生まれる前にあの世で生活していたとしても、あの世の経験は現世の脳にはインプットされていませんので記憶がないのは当然ですが、それはもしかすると記憶のない意識状態だったかもしれないとは言えないでしょうか。
:
そうですね。
DNA によって記憶がどこまで継続されるのか、という脳生理学に依拠するしかないでしょうが、「>記憶がない」と明確に言い切れるだろうか、という疑問は正当なものである確率が高いかもしれません。
たしかユングだったと思うのですが、同一民族内などで連綿と受け継がれるとされるいわゆる集団無意識という形態を語った人もいるようです。
体型や顔の形状だけが遺伝して、記憶が遺伝しないというのは、宇宙人はいないと言うのと同じぐらい非合理な考えになってしまうでしょう。
>だとすると出産(受精でもいいですが)と意識の発生のタイミングは必ずしもイコールとは言えないのではないでしょうか。
:
そう思います。
>あくまで主観的にみた場合です。
:
客観的にもいずれ解明されるでしょうね。
どちらになるかはわかりませんが、意識も、その土台となる素材の一部は記憶され引き継がれる、という推測には、個人的には大いに同感です。
ご質問の意図を正しく把握していないようでしたらご容赦ください。
ご回答ありがとうございます。
もうひとつのお題に夢中になっていたらお礼が遅くなりました。
私は精神と記憶を分離できると考えているのですがどうもそれは難しいのかもしれません。
精神が最も価値あるものかと思ったら、記憶が裏番長みたいに思えてきました。
全く記憶というのは厄介です。
記憶と精神の関係をもう少し考察してみたいと思います。
No.7
- 回答日時:
>意識はあるがその場で認知した出来事を記憶することができなければ、後日その経験を思い出すことはできません。
これはそのとおりです。ただ、記憶したかどうかを確認することは出来ません。その場では忘れていても、数年経ってから思い出すこともあります。意識があれば5感に触れた現象はすべて記憶している可能性があります。ですから
>その状態は意識がない状態いわゆる無意識と区別ができるでしょうか。
無意識状態(5感が働いていない状態)とは厳密に異なっているといえます。
厳密な無意識状態では外界からの情報は取り込みようがないので、それらを記憶することは不可能です。ただ自身の記憶を反芻したり思考したりしていれば、その状況と展開を再記憶することは可能かもしれません。その状態でも記憶能力がないとはいえません。
>もしできないとするなら、無意識とは記憶がない意識状態ともいえます。
ですからこれは × です。
>前世での記憶の残留の有無は別の問題になると思います。ただ、DNAに当人の記憶が残る可能性についてですが、たとえば、日本人の子孫に他国人よりも日本語の習得が早い傾向が見られないということを考えれば、疑問は多々あります。
ご回答ありがとうございます。
ちょっと確認なのですが、
>無意識状態(5感が働いていない状態)とは厳密に異なっているといえます。
つまりこれは五感こそが意識であるということでよろしいでしょうか。
また、五感が働いていない有意識状態というのは想定できないでしょうか?
No.8
- 回答日時:
生きている間の出来事につきましての考察には、
現時点で申し上げられることが、余り残されていない、と思われますが、
生前と死後との頃に於ける意識の有無につきましての部分が
未だに拾遺されていない、と感じられましたので、再度の送信を試みました。
意識さえもが脳神経の機能の内に留まっておりますので、
誕生前とか死後とかには脳神経叢が生きていられない以上、
たとえ意識が記憶に依存しておりませんでしても、
遺憾乍ら、意識が生前とか死後とかに存在し得る訳では御座いません。
「無心」の概念にも話題が及んでおりますので、
関係性の存在が窺われますから、下記のページをも御覧になって下さいませ。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6533937.html
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6550099.html
そしてそれ等へ参加して頂けると、連動で盛り上がるのではないでしょうか?
ご回答ありがとうございます。
私の知る範囲では未だ脳の中に意識の存在を確認していないそうです。
なので、私は前世もあの世も否定しません。
もっとも今回の質問は思考実験の意味合いが強いのですが。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2756493.html
No.9
- 回答日時:
shift-2007さん、krya1998と申します。
ご質問文で【あくまで主観的にみた場合】っておっしゃっていますね。
このことですが、【主観的】って“個人の経験”とかでもなく、【客観的】というのとも違うんですね。
【理論や科学的】とも違うんですね。
意識の中に記憶するって記銘(つまり刻印)と想起(意識上に浮かびあがらせる事)で、対(つい)になっている動作ですよね。
まぁハード的には肉体の一部である大脳の中の動作ですよね。
そしてその記銘って、どのレベルかとか、どういう側面とか、どんな性質とかっていうように場所や場面ってあるんでしょう?
そして想起にも同じことが言えますよね。
だから通常の経験では、・・・・
記銘がの強弱や場面、側面では、ある時には想起できないこともありましょうね。
それだからって、その事項があったことを記銘していないともいえないし、意識がなかったともいえないですよね。
【意識はあるが記憶がない状態と無意識は区別できるか】というご質問文を、
“意識があって記銘がない状態、これを無意識と呼べるかどうか”と理解させてもらうと、無意識と呼べないと存じます。
意識があっても、或る事項に注意がいっていなかったが故に気付きもしなかったし、記銘もしていなかった。という場合がありますね。
それは経験していても(行為したり知覚していても)そのことを記銘できないですよね。
とても当たり前なことや、希薄な事柄については往々にしてそうなりますね。まぁ意識がなかったといえましょうし、意識(注意)が向かなかったとか。これを無意識というのですか?
【意識はあるがその場で認知した出来事を記憶することができなければ、後日その経験を思い出すことはできません。その状態は意識がない状態いわゆる無意識と区別ができるでしょうか。】
この状態も無意識というのかどうかわかりません。
意識(注意)がその事柄に差し向けられていなかったというのでしょうか。
そして無意識でなくても、記銘を保存刻印していない状態や想起できない状態もあるでしょうね。
【無意識とは記憶がない意識状態】は部分的には正しいのかしらね。
【無意識では記銘がされない】とはいえるかも知れません。
【生まれる前にあの世で生活していたとしても、あの世の経験は現世の脳にはインプットされていません】が、何かのどこかに、そして別の刻印の仕方で記銘され、形象化されているかも知れません。
ですので【記憶のない意識状態】とはいえないのだろうと存じます。
そうなると、記憶(記銘・想起)ということの範囲や定義が問題かもしれませんね。
意識って、光の照射であり、それで顕れた(現象や経験した)事項は意識の内容事項になるんでしょうね。
いしきの光はどこに源があり、それはどんな存在か。
それを私たちのSelf-Realization Fellowshipという哲理は究求しております。
一つは生命であり、存在でありましょう。
意識のない状態は創造界では存立しえないかな。
意識がその内容を持たない、或いは創造界に照射しない状態はあるが、無意識っていうのは創造者がいない状態でしょうか。
それはありえない。
そんなふうに私は総合的に理解しています。
つまりヒンドゥから伝わるバガヴァッド・ギータの私個人の読解の一部ですが。
ご納得頂けないかも知れませんが、先ずは私の感想を書かせていただきました。
説明はできないかもしれません。
ご回答ありがとうございます。
話が少し脱線しますが、
krya1998さんの言葉をお借りして「意識があって想起のない状態」、この状態って何かに似てませんか?
自我のない状態、つまり解脱です。
自我を通さずに世界を見ることができたとすれば「意識があって想起のない状態」或いは「意識があって記銘のない状態」が出現するかもと想像します。
自我にとっては蚊帳の外なのでそれ(自我)からすると無意識といえるかも・・・・
ちょっとへ理屈ですかね。
No.10
- 回答日時:
・・いまいち自信ないのですが
返事もらったのをもとに考えると、
やっぱあまり自信ないのだけど
現実に目が覚めていて、かつ意識的な自覚がなく記憶がない、というのであれば、それは完全性の一種だと思います。
なので、死後とは違うと思います。
僕はお風呂の例をあげたけど、これが24時間続いてる人は、悟りを開いてる人、完全な信仰のある人の精神レベルじゃないかなと思います。
前に何処かで書いたんですが、人の内面が仮に意識と精神で出来てるとすると、(この精神は=無意識と読み替えてもらってもいいんですが、おおまかに)
起きてる時は、意識ー精神
寝てる時は 精神ー意識
という風に、優先順位がひっくり返ると思うのですが、
それは、覚醒ー睡眠でひっくり返るように、生前ー死後でもひっくり返ると思います。
夢がそうであるようにです。
夢の内容が、例外を除きほとんど記憶がないように、死後、生まれてくる前の記憶はありませんが、
でもその記憶の無さは、意識が不活発で、ループしない、つまり、自分で自分のことを認識することが全く許されないような条件の制限下にいるからと思います。
夢はまさにそうですし、精神ー意識の順で、自覚を司る意識的なものが主従の従として控えてる状況でも記憶は生まれないとは思います。
一方、質問文で言われてるような状況では、意識と無意識の境目壁がなくなってる状態だと想像します。自己の完全な統一です。
この場合、記憶がない、というのは不正確だと思います。
主観的心理的に表現するなら、悟りや完全な信仰下においては、未知こそこの世の本質であり、一切合切なんも分からん、という状態だと想像するなら、
わかってても分からない、未知だから記憶はあってもない、そんな感じになるんじゃないでしょうか?
いわゆる我が消滅すれば、記憶は、有るともないとも言えますよね?
記憶は、自分のことを考えても、そもそも不安だから記憶します。恐怖が記憶の原動力のように思います。
恐怖がないなら、記憶する必要はありません。
また普通に言う記憶というのは、意識が意識を意識するというような、ループの結晶です。
意識が対象を意識してるだけの状態は、つまり不安のないときは、認識はしてもそれが記憶にならないのかなとも思います。
ループしない、認識しただけ、という一方通行の矢印はあると思うし、それは自分の全体性そのものとして残ると思いますが、その永遠にあるものには、改めて自覚して記憶に~有限の記憶に変形させない限り、それは記憶と普通に呼ぶものとは違うと思います。
記憶とは、現実に見た真理と比べると、必ず個人のフィルターを通して歪められ、無限が有限に変形したものですし。記憶は、真の現実のある種の象徴に過ぎないです。
すべての経験が自分自身であり不安がなく自覚の必要もないのなら、すべてが分かっているなら、それを覚えることもないかと。それも心深くの本音の自分において。
心の底のそこのそのまたそこまで恐怖が払拭されたら、記憶に回すエネルギーが馬鹿馬鹿しいのではないでしょうか?
完全性を持つ人は多分それがわかってるので、意図して必要なとき以外は記憶しないと思いますし、
質問で言われてる人の内面状態は、これに相当するか、・・あるいは一番近いんじゃないかと思いました。
別の言い方だと、記憶とは、普通の人は精神集中が低いために、無理やり象徴によって作った高い集中の物質的結晶宝石みたいなものかと。
つまり、質問文にあるような状態は、悟りや信仰のある人のように非常に高い純粋な精神状況下では、成り立たない、あるいは変質するのかなと思います。
うまく説明するのが難しいですが、
記憶という名の高い集中の結晶を、例えば石とします。水=集中とします。
この石をコップなどに入れて、水もちょっとだけ入れると、石があると見て取ることができます。
でもコップに水をなみなみと注いで石が見えないくらい入れたら、石はあるけど無いことになります。
つまり、純粋になって集中が極限まで上がれば、記憶と司る機能や記憶そのものが、自分と一体になるので、記憶はあってないものですし。
より深い意味で記憶は記憶でなくなるのなら、それは記憶がないと表現するより、有るともないとも言えないという方が正確と思うので。
乱文になったので、チョットまとめます。
記憶がない状態と、記憶があるともないとも言えない状態は、違うのでは? という憶測です。
記憶のない状態と、記憶のある状態は、いつも対として存在しますが、記憶があるともないとも言えない状態は、また別物です。
途中から自分でもちょっとまとめ切れずに、回答になってるかどうか・・
ご回答ありがとうございます。
ご意見は参考にさせていただきます。
お礼に書いたお風呂の問いに対してはどのような回答が出るでしょうか。
証明できる、できない、できるなら何をもって証明するでしょう。
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