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昔の日本人の学生服は羽織袴のイメージなのですが、実際に羽織袴は学生服でしたか?
先生が持っていた私物に羽織袴に下駄と西洋風の革製かばんの女性が自転車に乗っているところが描かれたものがありました。なぜか私はそれが通学中の女子生徒に見えたのです。

また、成人式などに羽織袴を着られる方がブーツを履いているのをよく見ますが、実際そういう着方もあったのでしょうか。

教えてください。
(カテ違いでしたら申し訳ありません。)

A 回答 (4件)

 戦前、自転車は一般庶民が子供に買い与えるほど安くはなかったですね。

ただ、高等女学校の生徒は一般に地主や裕福な家庭の子女が多かったので、自転車に乗って通学する人もいましたが、その頃(=昭和初期)には、女学校の制服も洋服でスカート(今で言うセーラー服)になっていました。

 袴で旧制中学生や女学校の生徒が学校に通っていた頃は、明治期ですから、自転車に乗った女学校の生徒というのはほとんどいなかったと思います。

 日本が第一次世界大戦で急速に国力を伸ばし、社会の近代化も進んだ大正期には、生活も洋風化が進み、自転車の普及なども進みました。
 ですから、女学校の制服がセーラー服になるのと同じ頃に、自転車に乗る女学校の生徒がある程度一般化してきました。

 ということで、『袴で自転車に乗る女学生』というのは、時代の移り変わる一時期だけのものと思います。それも、かなり稀で、「ハイカラで活発なお嬢さん」と言う感じで見られ、地方などでは注目の的と言う感じのものではなかったかと思います。
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この回答へのお礼

なるほど。私が見たのは実際の写真でなく判子に掘られた絵でした。
気軽に着物を着られない時代になったのは痛いです。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/03/01 19:50

母校が明治時代創立の女子校だったのですが、学校史やOGの座談会を読んだとき、制服が洋装(セーラー服)になる前の話がありました。



それによると、当時(明治~昭和初期)の校服は紫色の着物に海老茶色の袴で、袴の腰に校章をつけたスタイルでした。夏服は白地に矢絣柄(「はいからさんが通る」に出てくる着物の柄、と思って頂ければ)の着物だったそうですが、夏服は生徒からは不評だったとOGの方は語っておられました。「生徒は袖の長い着物など贅沢な服装を慎むべし」という校風だったので、通学用に短い袖の着物を誂えた方もいたそうです。だから振り袖の着物に袴、という姿で学校には通学していなかったようです。

足元は、良く覚えていないのですが下駄と靴が混在していたような・・・。持ち物も風呂敷包みを持った生徒の写真を見た記憶があります。この辺はうろ覚えでごめんなさい。

余談ですが、例年母校の卒業式では、女性の先生方は色無地の着物に袴姿で式に出席されていました。こんなところにも昔の女学校時代の名残があったかもしれません。
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この回答へのお礼

だいたいイメージがつかめてきました。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/03/07 13:14

>>実際に羽織袴は学生服でしたか?



 袴は、男女ともに書生姿(=学生服)の一部だったようです。下記の明治村などの写真でも分かりますが、僕の祖母の高等女学校時代の写真を見ると、袴をはいています。
 http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei= …

 上着(というか、本当は袴の下に着る訳で、今の上着に見える部分)は、絣の着物が多かったようです。足回りは正装では、白足袋に草履、男子の不断の服装では朴歯の高下駄に素足か紺色の足袋だったように思いますが、詳しい方にお願いします。明治大正昭和の初期に「ブーツ」はなかったのではないでしょうか。

 頭に山高帽、体に着物、足に編上げ靴というのは田舎の村長さんのスタイルで学生服とはちょっと違うような気がします。
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この回答へのお礼

なるほど。ブーツを履き始める人がいるのは最近のことなんですね。
金田一耕助スタイル...

お礼日時:2011/02/27 14:38

羽織袴の意味は分かってる?

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この回答へのお礼

すみません、質問ないように間違いがございました。
すべての「羽織袴」から羽織を引いて読んでくださいますようお願い致します。

意味とは何でしょうか?わかりかねます。

お礼日時:2011/02/27 01:26

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