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「神は乗り越えられる試練しか与えない」について
自殺する人は沢山いますが、この言葉は、本当なのですか?
別に、試練を乗り越えなくてもいいと思います。失敗は誰でもすることです。
しかし、自殺は別だと思います。神は、乗り越えられる試練しか与えないのでしょうか?
よろしくお願いします。

A 回答 (11件中1~10件)

この言葉は困難に直面した人に大変失礼な言葉だと思いますし、同時に神の否定につながります。



貧困・飢餓・戦争…本人がどうあがいても乗り越えるどころか、逃げる体力・気力すらない苦境はいくらでもあります。
これを“神が与えた乗り越えられる試練”だとしたら、神は自分本位(人は知らないが、自分ならできる)で考えているとしか思えません。

このような言葉を発する人は、今まで乗り越えられるような試練しか直面しておらず、かつ他の人の苦境を想像すらできない愚者と言えます。

きっと神がいたとしたら、怒っても不思議ではないですね。
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自分には、その言語の後に「そのつもりで頑張れ」と注釈がつくものと解釈しています。



因みに何の宗教にも参加していません。
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以前、他のかたの回答に質問者様の質問の「神は・・・」を


書き込んでしまったものです。

日本人の自殺率のほとんどが実は精神疾患者というはご存じでしょうか?
気休めに「神は・・・」と書き込んでしまいましたが
お相手の気持ちを想像できてなかったと反省しております。

わたしも精神疾患者で何度か自殺未遂しております。
日本の場合自殺のほとんどは、神もなにも、精神疾患で苦しんで亡くなる方が多いそうです。

「神・・・」の言葉は気休めにしかならないかもしれないです。

ただ、神にすがりたくなる気持ちもわかります。
私自身、宗教活動はしてないものの観音菩薩を信じています。

「お前は救えないし救われない」

と辛い時でも上の言葉の幻聴が聞こえますけどね。

「神は乗り越えられない試練を与えない」とはキリスト教系の教えです。

キリストが言ったのか、後の教徒が言ったのかは無知なので存じ上げませんが

もしもキリストが言ったのならキリストほどの辛い試練を乗り越えた人間が
言ったことです。

信じてみてはいかがでしょうか?
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いくら全知全能だからといって、一線をわきまえない神ではありません。


神がこの宇宙の森羅万象に働いている法則性や科学性を創ったことを考えても、一旦創ったからには、神自ら破るような神ならば、それを神とは呼べなくなることでしょう。
もし、この全宇宙や人間を創ることにおいて、二番ではなく、これ以上ない一番の理想世界があるとしたなら、最初からそれを創ったはずです。絶対的な神が相対的な存在を創るはずがないからです。
最初から一番です。一番と言うより、絶対これ以上のものがない基準で創造したといえましょう。
ということはつまり、あなたや私の生きているこの体や今のこの環境は、全能の神の全英知の産物であって、これ以上の優れた存在界はどこにも存在しないと容易に考えることができます。
惑星間の距離や地球の地軸が僅かに狂っただけでも、地球や人間は、生まれることすらできなかったのです。人が美味しい空気を吸えるのは、空気を前提にして創造された肺の構造と機能があるからであり、逆に肺の構造と機能を前提にして空気が造られています。その素晴らしい地球の大気は、宇宙の惑星の配置や惑星の軌道や運行が微妙に狂っただけでも存在しえないのです。
少し前置きが長すぎましたことをお許し下さい。
本題についてですが、神が人間に成り代わることはできません。
神は試練を人間に与えることができても、それを乗り越えるか乗り越えられないかは、神ではなく、人間側の責任領域となります。
神は人の気持ちが手に取るようにわかることでしょう。
今、この試練を与えたらその人間がどういう気持になるのかは痛いほどわかるはずです。
痛いほどわかるだけに、できれば、いっそのこと神自身が変われるものならその厳しい試練を身代わりに受けたいと思うはずです。
神の全知全能の力をもってすれば、身代わりになることも可能でありましょう。
しかし、ひとたび人間の責任領域に干渉すれば、人間に対する理想は消滅してしまうことになります。
神が手助けせず、自分で乗り越えるからこそ、初めて神が喜ぶ人間の姿をそこに見出すことができるからです。
人間がどんなに失敗したとしても、繰り返し繰り返し試練を与えてきたのは、神の想像を絶する愛と忍耐があったからでありましょう。
これ以上はない絶対的基準で創造したものである以上、何度やってもダメだから、一から作り直そうという発想はないのです。このどうしょうもない人間に神がキレるならとっくにキレていてもおかしくないのです。
人間に最適な試練を与えることが神の責任領域なら、その試練を乗り越えてあげるのが人間にしかできない責任領域なのだと思います。
神には見えているのです。人間にとってはいつの時でも試練はきつく感じるものであっても、それを乗り越えた先にある喜びがどんなにとてつもなく大きいものであるかを・・・それを人間にプレゼントしたいのでしょう。ロボットのようにインプットしてではではなく、「よくぞ越えた!それをお前が越えたんだ!」と言ってあげたい神であり、そうして神と人がともに喜ぶ世界を待ち望んでいるのだと思います。
不幸を与えたいがための試練ではなく、最高の幸せを与えたいがための試練なのだと思います。
神は気まぐれでいい加減な神ではありません。
頑張れば越えられる試練なのです。しかし、そうであっても越える越えないは人間側の真心次第なのです。
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そもそも「神」を信じる人だけに向けられた、宗教的な言葉だと感じます。



「試練」もあくまで試みであり練す事であり、戦争や死を意味するものだとは思いません。
貴方が神を信じる人で「試練」がどこまでを差すか?によって「失敗」と同一のものと言う扱いをしないなら神のみぞ知るという一言に尽きるでしょう。

個人的には神様も勝手にそうやって言葉の主語に良いように使われてお気の毒ね、です。
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「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。

神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである」

新約聖書の「コリント人への手紙」の一節です。
もちろんこれには「前後」があり、これはその「途中」のものです。
このすぐ後には「だから偶像崇拝をしてはいけません」と書かれています。
神への愛をゆるがせるような行為をしてはなりませんよ?と諭しているのです。

これの「一部分」だけを抜き出して、例え話で使ってしまうから、話がおかしくなってしまうのですよ。
全体の意味を無視してしまうと、そういうことになります。
あるドラマの中で、この文の一部が使われていたそうですが、なんとも馬鹿げたものです。
こういうのを「誤解」もしくは「曲解」というのでしょう。

さて本題です。
使い方が間違えているわけだから、そも、それを信じてしまうことが大問題なわけです。
これで「本当かどうか」についての結論は出ています。
曲解なのですから「嘘」ですね。

「試練と同時に逃れる道もあるよ」と書かれているわけです。
誰も「乗り越えよ」などと書いてはいない。
自分で何とかせよ、とも書いていない。
今までに「この世であった出来事」には、あんたたちが出会った困難も含まれてるんだし、方法はちゃんと用意されてるんだから、頑張りすぎなさんな…神様はちゃんと見てるんだから、平気だよ?ということなんでしょう。

つまり、あなたが考えていることは「あやまち」だということです。
自分だけの苦しみと思っているのでしょうが、そうじゃない。
同じ人間だから、誰かが同じように苦しみ、その中には答えを見つけ、そこから出ることが出来た人もいるんです。
自殺だろうがなんだろうが、考え方次第で人はどうとでも変われますし、救われるもんですよ。
ただの文章ひとつに踊らされてはいけません。

あと、せっかくですから聖書を読まれては?。
こういうと不謹慎かもしれないけど、聖書だって「書物」に違いない。
読んでみればなにか発見できるかもしれませんよ?。
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> この言葉は、本当なのですか?



 『神』の存在自体を信じていない私からすれば『うそ』となります。

 不幸にも、この世の中には人間が『乗り越えられる試練』ばかりではありません。乗り越えられない試練もあるでしょう。

 ただ、私は「乗り越えられなければ、逃げれば良い」って思って生きてきました。幸い?どんな“壁”も必死で探せば逃げ道はありました。このまま死ぬまで逃げ続けられれば私の“勝ち”です。死の床では「ザマアミロ!」って言って舌を出してアカンベしてやろうと思ってます。

 人生って何とかなるモンです。

 なんともならないのは自分の死です。こればかりは時期も死因も自分じゃ決められません。自分の希望より遅いなら何とかなるのですが、早いと手の打ちようがないのです。今逃げ道を探しています。
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こんにちは。



>この言葉は、本当なのですか?

これを正確に答えられる人が、この世にいるとは思えません。
しかし、私自身に関しては本当でした。

子供の頃から、人に話したらドン引きされそうな経験や病が次から次へと降りかかってきましたが、今はとても穏やかで幸せな日々を送っています。
しかし、私が経験した複数の苦難のどれか一つが原因で自殺した人がいたという話もまたよく聞きます。
なので「神に試練を与えられた人は、必ずそれを乗り越えられる」というのはちょっと違うと思います。

お金・病気・人の裏切り等々、自殺の原因となる事柄が、過去または世界のどこかで誰も経験してなくて、その人だけが人類で初めて経験した苦難であるということは、まずないと思います。
そして、それを経験した人が全員自殺しているということも、まずないと思います。
過去または世界のどこかに、その苦難を乗り越えた人は必ず存在するはずです。

「神は乗り越えられる試練しか与えない」というのは、そういう事だと思います。
「あなたが直面している苦悩は、神が創造した人類の誰かは必ず乗り越えているのだ」ということではないでしょうか。
「神は“人類が”乗り越えられる試練しか与えない」というのが本当だと思います。

ちなみに、よく「○○が原因で自殺した」という言い方をしますが、最近読んだ記事では、正確には自殺の直接原因は全て「鬱病」ということです。
借金苦をきっかけに鬱病になり、鬱病が原因で自分を取り巻く状況に対して正常な判断ができなくなり、自殺に向かってしまうそうです。
なので、後から周りの人が「借金なんかで死ぬことないのに」とよく言うように、その時は「借金があるから死ぬ」のではなく「正常な判断ができないから死ぬ」んだそうです。
もっと莫大な借金をかかえていても、自己破産などきちんと判断・行動できている人がほとんどですからね。

なので、苦難に直面した時に自殺しないで済む方法は、とにかく鬱病にならないように、自分と周りが心のケアに努めることが重要なのだそうです。
まさか神も鬱病までは想定していなかったのではないでしょうか。
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この問答はキリスト教の神を信じるか、信じないかという事が前提にあると思いますよ。



キリスト教の神を信じている人

→聖書に書いてあるから正しい

キリスト教の神を信じていない人

→そもそもの神の存在を否定しているのだから命題自体が成立しない
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「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉を信じた人には本当です

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