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「人は1人で生まれ、1人で死ぬ」と言う人がいますが、実際、我々は誰一人、1人で生まれていません。
産婦人科か助産院か、自宅出産でも、必ず誰かが側にいないと生まれてくることができません。
お腹から1人しか出てこないから1人だと言ったところで、双子や三つ子の方は複数名です。

死ぬ時は1人と言っても、病院で亡くなる人が大半であり、医療スタッフが側に来て臨終を確認します。孤立死・不慮の事故死の場合は確かにたった1人で亡くなりますが、大抵の場合、仕事の処理は誰かが行います。

生まれてくるときは例外なく誰かと一緒で、死ぬときは誰かに後始末をしてもらう。

なぜ、明らかに事実と異なる言葉が多用されるのでしょう?
また、こんな言葉を聞くと、傲慢と感じませんか?

A 回答 (9件)

》 「人は1人で生まれ、1人で死ぬ」



「だから、生きている間は<皆で一緒に>人生を充実させましょう」という意味なのです。
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この回答へのお礼

納得できる解釈をありがとうございます。
「人は1人で生まれ、1人で死ぬ だから、
生きている間は<皆で一緒に>人生を充実させましょう」→○

「人は1人で生まれ、1人で死ぬ だから、
孤立死でも何が悪いの?」→× 

後者の使い方をする輩が多く、違和感を感じています。辞書を改編してほしいです。

お礼日時:2015/02/24 17:34

生まれるときは「産まれてくる人」と「産む人」の最低でも2人は必要です。


野生で生きている動物だってそうです。
そんな分かり切った事実を無視しているんじゃなくて
「心構え」の事を指しているのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。

>「心構え」の事を指しているのではないでしょうか。
はい。仰る通りです。

この言葉を使う人の多くは勘違い個人主義者のような気がしてなりません。

お礼日時:2015/02/24 17:50

その言葉が出てきた意味と



質問者が言いたいことは

種類が違う。わけが違う。

質問者は現実的な、物理的な?科学的な?医学的な?話をしてるけど

そういう意味じゃないよ、ってことだと思います。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。

わかります。そういう意味ではないことは。
わかりずらい質問で申し訳ありません。

とにかく、孤立が進み過ぎた社会でさらに孤独を助長するようなこの格言が大嫌いです。

お礼日時:2015/02/24 17:48

「人は1人で生まれ、1人で死ぬ」というのは、あなたが書いている意味ではありませんね。


あなたが書いているように、人間は生まれてから死ぬまでいろんな人のお世話になっています。
それはその通りです。
冒頭に書かれたことの意味はそういうことではなく、親や兄弟、友人、そして自分の配偶者、子供がいたとしても結局は自分の力で生きていくことが必要。孤独にさいなまれてはいけないという意味です。
自立するという意味もありますね。
つまり、人に頼って生きていてはいけないということです。
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この回答へのお礼

納得できる回答をありがとうございます。

>つまり、人に頼って生きていてはいけないということです。

はい。それはわかります。しかしながら、現代では「人に頼らず、金で解決する。それが美徳であり自立!大人の義務!子供に頼る親は毒親!人と暮らすのはわずらわしい。めんどくさい」という
世論を助長する言葉に成り果てていませんか?

お礼日時:2015/02/24 17:47

質問者様はご存知だと思いますが、それは田山花袋の格言じゃないですか。


「人間元来一人で生まれて一人で死んでいくのである。
大勢の中に混じっていたからって孤独になるのは、わかりきったことだ。」
が原文ですよね。
大事なのは、後半部分の「大勢の中に混じっていたからって孤独になるのは、わかりきったことだ。」
ですよね。
だから、双子だろうが三つ子だろうが、おそ松くんちみたいに五つ子だって、それぞれ人格があって、それぞれの人生を歩んでいき、それはその本人のみのものだよって事を言いたいんでしょ。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。

>後半部分の「大勢の中に混じっていたからって孤独になるのは、わかりきったことだ。」

明治・昭和時代はその言葉の意味を誰もが理解できたことでしょう。
しかし、2015年の現代でその言葉は通用しないような気がしてなりません。

「>だから孤独死してもOK!・格差のために結婚できなくてもOK!」というような恣意的なスローガンに成り果てているような気が・・・。

お礼日時:2015/02/24 17:42

「人は1人で生まれ、1人で死ぬ」は、その人から見ればそうなりますが。



産婦人科か助産院かのスタッフも一緒に生を受けるわけではないし、医療スタッフなども共に生を閉じるわけではない。

一人の人間としてこの世に生を受け、いつか必ず死をもってこの世から消滅する。

まあ、当たり前の話ですけど。

>生まれてくるときは例外なく誰かと一緒で、死ぬときは誰かに後始末をしてもらう。

生・死の状況、ということからすればそうなりますね。

「人は一人では生きられない」に通じるでしょう。

>なぜ、明らかに事実と異なる言葉が多用されるのでしょう?

見方の違いでしょうね。
自分中心に生死を見ているのか、第三者的に生死の状況を見ているのかです。
どちらも事実でしょう。
多用されているかどうかは分かりません。

>こんな言葉を聞くと、傲慢と感じませんか?

見方の違いですから、まったく「傲慢」とは思いません。
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この回答へのお礼

論理的な回答をありがとうございます。

>見方の違いでしょうね。
>見方の違いですから、まったく「傲慢」とは思いません。

そうでしょうか。恣意的で危機感を感じる言葉に思えませんか?
このサイトのコラムでも、痛々しい限り、「その人の生き方」・「自由が一番」・「孤独死が不幸とは限らない」と勘違い個人主義のスローガンとして使われています。

お礼日時:2015/02/24 17:39

「人は1人で生まれ、1人で死ぬ」というのは、「周りに人がいて面倒をみてくれる」ということを否定するものではなく、「永く連れ添った夫婦も死ぬときは一人」というような例で、「生も死も個人個人が単位」ということだと思います。


 例外的には、生まれるときは「双子で生まれる」とか、死ぬときは「心中する」というように、一人ではないことはあるでしょう。いえ、一緒に生まれた双子でさえ、自分の命は自分一人で生きなくてはなりませんし、双子だから一緒に死んでくれるわけでもありません。一人ひとりが単位です。「他人の助けを借りないで生きられる」という傲慢さを指すものではありません。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。

>一人ひとりが単位です。「他人の助けを借りないで生きられる」という傲慢さを指すものではありません。

はい。生きる孤独を表した言葉であることは間違いありません。
しかし、問題は使い方にあります。
現代では「人は1人で生まれ、1人で死ぬ だから、他人の助けを借りなくても生きられることが美徳だ!家族に迷惑をかけずすべて金で解決するのが美徳!」という思想のスローガンとして使われていませんか?

お礼日時:2015/02/24 17:44

ご質問文のような実務上の意味ではなく、


もっと抽象的な、隠喩的な、哲学的な意味で使われているのだと思います。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。
ごもっともです。
ただ、隠喩的過ぎる表現ゆえ、現代には合わないように思います。

昔ならいいのです。今となっては、孤立死・少子化を増長する体の良いスローガンでしかない
ような気がします。

お礼日時:2015/02/24 17:31

そういえばその語源ってどこから来てるのでしょうね。


由来というか。
まずはそこからじゃないですか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
小説家の田山花袋の言葉ですが、なぜ皆さんが語源も知らず、彼のファンでもなく、事実と異なる言葉を使うのか教えてください。

また、もしお子さんや要介護の親にこの言葉を使われた、気分を害しませんか?
「何言うとんじゃ。生まれたとき立ちあったじゃん。病院スタッフさんが一生懸命看護してくれてるのに」と。

お礼日時:2015/02/24 11:49

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