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例えば、『本来ならこの絵は絶賛されるはずだった』
これが、『この絵は絶賛された(されなかった)』なら過去形だとわかるんですけど……、

過去形って実際起こった事を語る時に使うと思っているので、
過去の出来事のもしもの場合は違うんじゃないかと思うんですけど、どうなんでしょうか?
検索すると過去形っぽいんですけど。

A 回答 (5件)

主語に対し、過去のことに目を向けて話す場合、その文体は過去系になると考えて良いと思います。



「はずだった」は、言い換えれば「見込みがあった」とも言えます(他にも言い方は様々あるでしょうけど)。「見込み」が「在った」わけです。これは過去系ですよね。

また、「はずだった」って、これは勝手にそう誰かが「思ったこと」とも取れますよね。「思った」という表現は過去系です。人が「思ったこと」なんて、とても主観的です。例えば、友人が「おれはその時○○だと思ってた!」と、あなたに言ってきたとします。あなたは知らなくても、それは友人の中では確かに過去に「在った」ことなのでしょう。

実際に起こった事とは、客観的な要素も主観的な要素も指して良いと思います。

『本来ならこの絵は絶賛されるはずだった』
この文の主語は「この絵」です。この絵について、過去に視点を向けて「この絵」を語れば、それは主観的な要素があっても、過去形の文体で間違いはないと思います。

英作文などでも、このような考え方をすれば、ある程度は日本語の意味から英語を組み立てられます。しかしそのまま英語にしては、日本語で言うカタコトの英文になってしまうので、受験生などは注意が必要でしょうけど。

私も日本語を専攻しているわけではないので、間違いがあったら申し訳ないですm(_ _)m
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下記の辞書に忠実に直訳すると、


「絶賛されるはずだった」は、
「当然絶賛されるべき道理があった」
ということになるでしょう。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%8 …
「もしも事情が違っていれば絶賛されるという道理が(過去のその時点では)あった」
ということです。
  

  
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「本来ならこの絵は絶賛されるはずだった」はずだった、はずであったと言う言葉には、


だが、しかし、実際にはそうはならなかった。と言う意味が言外に含まれています。
ですから「筈だった」は過去の出来事と言うことが出来ます。
「この絵は絶賛されるはずです。」と云うと何らかの客観的な理由があってかなり確信がある推量を
しているから未来の出来事。
現在絶賛されているのならの筈はいらない。はずは過去か未来の出来事の推量につきます。
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例文の


>『本来ならこの絵は絶賛されるはずだった』
と言うのは、
過去形で「当時絶賛されずに、現代においては絶賛されている」と言う意味を読み解く事だと私は思います。当時の価値観と現代の価値観が違う時に使われる言葉だと思います。
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 評価された時に本来絶賛されるはずだった。

とすると

 そのときの評価は過去の物すなわち過去形。

 将来的に評価基準が変わると絶賛されるという未来の希望もありますが、あくまでその時は過去形。

 あまり上手く説明できませんが参考になれば・・・。
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