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テレビで若いタレントさんや女優さんが、何かの感想を求められた時、
「私的にはこれが一番好きです。」
「私の中ではそうしたいと思っています。」
という言い回しをします。日本語として正しいのでしょうか。
少し控えめに謙譲の意をこめて云っているのかもしれませんが、
他に云いかえるとしたらどういう言い回しが良いでしょうか。

「私はこれが一番好きです。」

「私としてはそうしたいと思っています。」

自分の主観をのべるのだからこれでよいと思いますが、きつく聞こえるのでしょうか。

A 回答 (8件)

1.


「私的」は「してき」で形容動詞でしょうから、「私的な用件」などであれば自然なのですが。
この場合の「的」は、
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E7%9 …
の、
1-(2)それについての、その方面にかかわる、などの意を表す。「教育―見地」「政治―発言」「科学―方法」
に該当するのだと思います。
そして、これが本来の「私的」の意味なのでしょう。

「私的にはこれが一番好きです。」
と言う場合の「私的」はたぶん「わたくしてき」と発音する場合が多いと思います。
この場合の「的」は、上記 URL の、
1-(1)そのような性質をもったものの意を表す。「文学―表現」「詩―発想」
に該当するように思います。
つまり、「私そのもの」ではなく「私のような性質を持ったもの」というニュアンスがそこにはあるでしょう。
使う側も、そのつもりで使っているはずで、そのため「私」の要素が稀薄になりますから、結果としておっしゃるように、
>少し控えめに謙譲の意をこめて云っている

つもりなのだと思います。

「的」は名詞に付いて、形容動詞の語幹をつくる用法で、かなり汎用性のある言葉らしいので、どんな名詞・名詞句にもつなげることができるようです。
ただ、「私」という一人称、つまり自身のことを表現するのに、「的」の曖昧性を当然の如く活用しようとする姿勢に違和感を覚える人も多いのは、むしろ自然でしょう。その意味で、
「私(わたくし)的にはこれが一番好きです」は、間違いとは言えないだろうが、やや違和感を与えても致し方ない表現である、と考えます。

おっしゃるように、
「私はこれが一番好きです。」が最善でしょう。
「私は」が主観としてきつく聞こえるのではないか、という懸念が生じる場合には、私も実はよく使うのですが、
「個人的にはこれが一番好きです。」
などと言うこともできるでしょう。

2.
「私の中ではそうしたいと思っています。」
私の中だけの考えであって、他の方に押し付けようとするつもりは全くありません、という意図が含まれているのでしょうね。
「心の中」を略したわけでしょうが、きれいな日本語には聞こえません。
おっしゃるところの
「私としてはそうしたいと思っています。」が自然でしょう。
直截性を避けたいのであれば、上と同様に、
「個人的にはそうしたいと思っています。」と言うこともできると思います。
  
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この回答へのお礼

回答有難うございました。

「的」について詳しいYRLの解説を教えて頂きまして、本当に良い勉強をさせて頂きました。
質問した甲斐があったと嬉しく思っております。

世代が違うのだから仕方がないと聞き流さず、少し引っ掛かってみる感性を失わずこれからも
勉強していきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

お礼日時:2011/05/12 17:11

「私的には」‥‥軽薄な流行語であり、誤りです。


「私の中では」‥‥誤りと断定できませんが、上等な日本語とは言えません。

自分の主観を率直に述べることは、たいへん良いことであり、日本人はもっと欧米人に学ぶべきです。
相手を牽制しtたり非難する調子にならなければいいと思います。
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この回答へのお礼

回答有難うございました。

そうですね特に政治家は、はっきりと明解にものを云って欲しいですね。

相手をけん制したり非難する事ばかり野党も懸命でこまりますね。

建設的な意見はまず言葉づかいからでしょうか。

お礼日時:2011/05/13 13:37

今回は質問者さんとして登場ですね。

こんにちは。

>>>きつく聞こえるのでしょうか。

そうなのだと思います。今の若い人達の世界では、です。
私はすでにおっさんなので、「俺的にはぁ」「僕の中では」なんて今さら言えませんが(笑)

ほかにも「とか弁」と言われている「語法」がありますね。
「太郎君、彼女とかいる?」
というような言い方です。
「とか」は本来、複数のものを列挙するときに使う言葉なので、
「太郎君、彼女とかセフレとかホモダチとかいる?」
とすべきなのでしょう。
しかし、単独でも「彼女」の後ろに「とか」をつけることによって、「彼女」という単語をやわらげている効果がある、ということなのでしょう。
感覚的にわからなくもないです。
同様に、「俺的にはぁ」「僕の中では」もわからなくもないです。

一方、旧来から、文末に「が」をつける言い方はありますよね。
「僕は必ずしも、そういう意味で言っているわけではないのだが。」
などです。
「が」は「けど」と取り替えることもできます。
「が」、「けど」は、本来、「しかし」の意味でのみ使われる言葉だったのだと思います。
だからこそ、言葉の強さをやわらげるためにも使われるようになったのではないでしょうか。

>>>日本語として正しいのでしょうか。

その時世での使用人口がかなりあれば、正しくないとされていたものが正しいとされるようになることは、よくあることだと思います。

それにしても、「ら抜き表現」は一体いつになったら、文化庁が正しい日本語として認めるのでしょう。
不思議です。
使っていない人はごくごく少数なのに。

ちなみに、No.4のお方が挙げられた「私って~な人じゃないですか」は、自分の性質を自分一人で主張するのではなく、相手の力も借りるということなんでしょうね。
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この回答へのお礼

回答有難うございました。いつも丁寧な回答を付けていらっしゃるのを拝見して
勉強させて頂いたおります。

私も~とかは回答でよく使っています。余り人のこと云えないなーとおもいました。
言葉も世につれ変わるのは仕方のないことかもしれませんね。

日常の会話でも「OOなんですが」「OOなんですけど」なんて云ってますね。相手にげた預ける様な
感じで使っています。

お礼日時:2011/05/13 09:56

私の意見としては、



「私の中では」については、「私の心の中では」の省略形と考えて、ぎりぎりセーフです。

「私的には」はアウト。「~的」と使うには、その「~」の部分に共通理解がいるはずです。「個人的」ならば、「個人」というものについての認識は誰でも持っています。しかし「私」がどんな人であるかについては、全員に周知されているとは言い難いでしょう。それを、まるで「私」を誰でも知っているかのように使っているのは許せません。
「私的には…」「ちょっと待って。その「私」ってどんな人? そこから説明してよ」
と言いたくなります。

まあ、流行語で多くの人が使っていますから、いちいち文句は言いませんが、使っている人に対しては、上記の理由から、言葉についての認識の浅い人だ、という感想を持ちます。


「わたしって、○○な人じゃないですかぁ」に至っては、
そんなこと今初めて聞いた。なんでそれを共通理解のように言えるのだ。私がそれを知らなかったことを非難しているのか? と思います。

言い換えについては、他の回答者様方に賛成です。
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この回答へのお礼

回答有難うございました。
「私の中では」の語感とかニュアンスをどう感じるかですね。
普通「OOの中では」と云う時何かを選択する時の言い回しという語感を
強く感じると違和感ありでしょうね。心の中も心中とか胸中という言葉もありますので、
引っかかります。

「私的には」は広辞苑に、接尾語的に・・・として、…においての意を表す。例「わたしーに」
となっていましたが、私もこれは認めたくないですね。

「私って、OOな人じゃないですか」これはもうこちらも「勝手にすれば」というしかない
感じです。

お互いに血圧上がらないように用心しましょう。

お礼日時:2011/05/12 22:52

「私的には~」は間違いではないと思います。


しかし、「私の中では~」とすると、まるで私が複数いて議論した結果のようで違和感を感じますが、好意的に解釈すれば「中=心の内」の代用と考えることが出来ます。そう考えると違和感は薄れますが、やはり特異な表現ではあると思います。

******************

ここで確認しておきたいと思います。
ご質問の「私的」ですが、これは「わたしてき」と読んで宜しいでしょうか。
すると読みこそ違いますが、これは、
《公的に対しての「私的(してき)」=個人に関わっているさま。おおやけでないさま。プライベート。》―― という意味で良いと思います。
意味は同じでも、「してきには~」とすると語感が仰々しくなるので、「わたしてき」として、堅さを取る効果を狙った表現だと言えます。


「私的にはこれが一番好きです」とは、つまり、
「皆さんはどうお感じになるか分かりませんが、私はこれが一番好きです」
ぐらいの意味であり、
「私の中ではそうしたいと思っています」についても同様に、
「皆さんはどうお考えになるか分かりませんが、私はそうしたいと思っています」
という解釈になると思います。
「私的には~」 「私の中では~」ともに言い換えるならば、「私見ですが~」とすることが出来ます。「私見」とは、自分一人の意見・見解という意味になりますが、謙遜の表現でもあります。

ですから、どちらの表現も共に、人目・他人からの評価を気にしつつ、自己主張しているということになります。
しかし、「私的には~」 「私の中では~」 という表現は、謙遜しているようでありながら相手に深く入ってこられないように牽制しているような印象があります。
ですから、違和感を覚える表現に感じられても仕方がありません。

私は普段意識していませんでしたが、うち解けた間柄ならいざ知らず、ここのように見ず知らずの人が利用する場では使ったことがある様な気がします。
「私的には~」 「私の中では~」のどちらも、見ず知らずの人の前で常に視線を気にしなければならない立場の人、アイドルや若い芸能人から広まって行き、若者から一般に普及したとも考えられますよね。

他には自身の例を挙げましたが、これらの表現が広まっていった理由の一つとして、パソコンや携帯が普及してネットが誰でも使える環境になり、誰もが見ず知らずの人と会話することが可能になったという時代背景を考慮に入れる必要があると思います。
そう考えると、生まれたときからネット環境にある若い世代の人から見れば、芸能人の影響は、さほど大きくないと考えられます。

*****************

ご質問の題目にある表現と一緒に定着していった表現に、
「私って~な人じゃないですか」があります。
「私って~な人じゃないですか」を見たり聞いたりする度に、

「自分のことは自分がよく知っているんじゃないのか」
「そんなこと、他人が知ったことか」
と突っ込みを入れたくなることがよくありました。
―― 質問者さんが今回ご質問をなさったのは、まさに、これなのではありませんか。

先ほど挙げた話題に戻りますが、今の時代、私たちが若かった頃と違って、常にどこかで誰かに見られているという緊張感があるのではないでしょうか。
自分のことは自分がよく知っている。
けれども、自分が知らない人が、どこかで自分を見ているのが当たり前のような環境。…ネットの普及と共に、一人が一人ではないような、個人が個人ではないような、ネットを知らなかった、高度情報化社会に生まれたときから身を置いていなかった立場の者から見ると、曖昧で不可思議な表現が自然と浸透していったと考察できます。

対面している人だけではなく、その向こうの見えない人までも意識せざるを得ない時代が生んだ言葉、それが、
「私的には~」 「私の中では~」 そして、「私って~な人じゃないですか」
なんだと思います。
それが馴染まない世代には、必要以上に共感を求めているような寂しさ、個の埋没を感じて違和感がありますが、使っている側は危機感なく使っているのでしょう。―― 自分のことなのに言い切れないというのは、ストレスが溜まりそうですよね。ご質問にあるような例だとご呈示なさった様な形で言い切って良いことは沢山あると思いますが、自信を喪失する人、気を遣う人が増えたのでしょうね。
歯切れの良い言葉には、力と明るさがありますね。
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この回答へのお礼

回答有難うございました。

ご確認の件、会話でしたので、「わたしてき、わたくしてき」です。
おっしゃる通り用心深くバリアを張りながら、あちらこちらに目配りして、
物を云わなければならない環境に時代が変化しているのでしょうね。
「わたしって~なひとじゃないですか」1対1の対談などでよく使われていますね。
NHK当たりでも聞きます。なんかあまったれた感じがします。
「だからなんなの!」なんてつっこみいれたいですね。

まさに「ネットを知らなかった、高度情報化社会に生まれた時から身を置いていなかった立場の者」
の感じる落差なのでしょうね。

これからも気を使いながら、歯切れのよい言葉使いたいですね。
よろしくおねがいいたします。

お礼日時:2011/05/12 16:33

あくまでも私個人的考えですが。

(笑)
日本語として間違っているとは思えません。

「私的にはこれが一番好きです。」・・・、が周りの好みもあるので妥協するかも。
「私の中ではそうしたいと思っています。」・・・が、場合によってはほかの考えも。

「私はこれが一番好きです。」だから、ほかには譲れません。
「私としてはそうしたいと思っています。」だから、他の考えはありません。

何となく個人の意志や考えの強さ加減の違いを感じられます。
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この回答へのお礼

回答有難うございました。ご意見参考にさせて頂きます。

お礼日時:2011/05/12 13:05

初めまして、大学の日本文学部の学生です。




「私的~」の「的」という語意を新明解国語辞典で調べたところ、(名詞に添えて)「何かに関する」という意味合いがあることが分かりました。

すなわち、「私的」と言った場合「私に関する」と意訳できるので、これは正しい日本語かと。

一方「私の中では」の「中」には物理的意味合いがあるので、こちらは日本語として正しくない用法だと思います。

ですが、「全然」という語彙が肯定文として使われるのが当たり前になってしまったように、語彙の正しい用法は次第に(時代の流れに乗って)変わってしまうので、これらの語彙の用法も変わることがあり得ますね。

難解な文章になってしまっていたら、ごめんなさい。長文失礼致しました。
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この回答へのお礼

丁寧な回答をして頂き、有難うございました。
的は個人的とか公的とかに使われているのは了解していましたが、
接尾語的に使われるとして「私的」にはも、辞書に載っていました。
おまけに、人名や人を表す語について、親しみや軽蔑の意を添える。
とありました。辞書も世につれの感があります。

中国語では的は日本語の「助詞の」にあたるので、日本語を学習する中国人は
動詞に(の)を付ける癖があり、一つの難関です。

「私の中では、」はやはり馴染めないですね。
わたしはの助詞「は」には、対比の意味も含まれています。
私はOOだと思います。と云っても、思わない人もいると言うニュアンスを含んでいるので
それでよいとおもいます。

お礼日時:2011/05/12 12:58

正しいも何も「流行り」だから仕方ありません。


通じるのですから、使われるのです。きつく聞こえる等の意識はないと思います。
「ハナクソは来年、来ました。」なら確実に間違った日本語です。
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この回答へのお礼

回答有難うございました。

お礼日時:2011/05/12 12:21

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