プロが教えるわが家の防犯対策術!

こんばんは。

質問の内容は、gooやyahoo知恵袋に多々ある、「死にたい」「自殺したい」といった内容の質問に対しての回答に、疑問をよく持つようになったからです。それを以下に挙げて、そして自分の考えを書きます。それに対して何かお考えを頂けると、自分の考える材料となるので嬉しいです。


1:「死ぬ気があればなんでも出来る」
一念発起して、返り咲いた人もいなくはないでしょう。しかし、そもそも「死ぬ気」と「なんでも出来る」というのは、ベクトルが違いませんか?凡人の私たちには、そうはうまくいかないと思います。

2:「生きれなかった人もいる」
今回の大地震のことを引き合いに出してくる人もいらっしゃいます。確かに、今回の地震で、私も生に対する実感、とでも言えばいいでしょうか、そういうのを感じました。しかし、やはり毎日嫌なことが起こってくると、こういう実感もたやすく打ち消されてしまいます。現に「地震で死にたかった」なんて言う人もいます。

3:「ネットで相談している分には自殺なんてしない」
なぜでしょうか。確かに、死にたいと言っているのに相談するということは生きたいの裏返しかもしれません。しかし確証はないと思いませんか。

4:「あなたが虚しく過ごした今日という日は昨日死んでいった人があれほど生きたいと願った明日」
有名な言葉だと思います。ただ気になります。その死んだ人は所詮、他人ではないですか。その人が大切な人ならまだ分かります。でも、この言葉を受けて死にたい人の明日が光り輝くというのでしょうか……

5:「生きていればいいことがある」
気休めの言葉です。

6:「自殺すると後処理も大変だし、飛び込みでもしたら鉄道からの多大な請求が家族に来る」
こちらのことを考えて自殺を踏みとどまる方もいらっしゃいます。でも、死んでしまえば後処理や請求なんてどうとでもよくなるではないですか。死後にはこういうことは持っていけませんし。

7:「死ぬと天国にいけない/地獄に落ちる」
天国や地獄はあるのかもしれませんよ?でも……私としてはそういう世界はないと思います。


ざっと思いつく限り、書いてみました。私は、自殺は最後の手段だと思います。誰しもが使えば、この苦に溢れる世界から逃げられるからです(苦があるからこそ、喜びもあると思いますが)。でも、死ぬ前にせめて誰かに相談してみる、というのが必要だと思います。結局のところ、自殺を止めるには、死にたい人の認識をうまく変えさせることだと思います。
ただ、上記の回答は、自分はあまり、乃至は絶対いいとは思えないものばかりです。
皆さんはどう思われますか?

読んで頂きありがとうございました。

A 回答 (19件中11~19件)

全ては自殺をほのめかす側の状況しだいじゃないでしょうか。


これから電車に飛び込みますという人には効果がないかもしれませんが、
もっと前の段階なら効果があると思います。

>死にたい人の認識をうまく変えさせることだと思います

ならば質問にある内容も効果は期待できると思いますよ。
文章によるQ&Aでは質問者の状況はあまり見えないのが普通ですから、下手な鉄砲作戦もありだと思います。

>乃至は絶対いいとは思えないものばかりです

全てのパターンに対応できる究極の回答があると?
しいて言うなら聖書をよめですかね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

確かに相手の状況によります。例えば「いじめられて死にたい」1つにとっても、その経過や年齢などで多いに変わってきます。

>ならば質問にある内容も効果は期待できると思いますよ。
可能性としてはありますね。

>全てのパターンに対応できる究極の回答があると?
あったら死にたいという質問は無くなるでしょう。あれば知りたいですが、私としては無いほうがいいと思います。それは質問者をまとめて画一化してしまうと思うからです。それは質問者を質問者として見ているのではなく、ただ人間としてか見ていないように思えるからです。
(わかりにくかったらすみません)

お礼日時:2011/05/15 23:02

>>1:「死ぬ気があればなんでも出来る」



質問者さんの書かれたとおりで、「死ぬ気でがんばれば、首相になれる」といっても、ある時点では首相はただ1人しかなれません。理論的には可能だけど、現実にはできない可能性が99%ってことは多いですね。

2~6

質問者さんの書かれたとおりの反論は妥当でしょう。私もそう思います。

>>7:「死ぬと天国にいけない/地獄に落ちる」

自殺の場合、これは間違いです。本来の寿命が来るまで地獄にも行けません。通常は、自殺した場所に留まったり、遺族にとりついたりします。が、大きな意味では、それは正しいといえるでしょうね。


質問者さんが「でも……私としてはそういう世界はないと思います。」と信じるなら、もう説得することはできないと思いますね。
たとえば、あなたが「○○国の人は人間ではないので、殺しても罪にならない」と信じていて、友人・知人が「でも、そんな法律も、社会常識も無いですよ」という説得をされても「でも・・・私は罪にならないと思います。」と言い張るなら、多くの場合、あなたが殺人を犯すことを止められません。が、その後は、法律に則って処罰されるでしょう。

たとえば、「私は、傘を持っている。これでメリーポピンズのように空を飛んでいける。」と信じて4階の屋上から飛ぼうとし、周りの人から「その傘では空は飛べない。重力で真下に落ちるだけだよ。死んじゃうよ。」と説得されても「でも・・・私としては飛べると思います。」と反論して飛ぶことは可能です。そして、結果は物理法則に則って多くの場合、死ぬことになります。

つまり、客観的に存在するルールを「そんなものは無い!」と否定することは可能です。でも、そのルールを否定し、破るとルールに添った報いが訪れることになります。ただ、自殺した後の結果は、霊能力のある人は知ることができますが、多くの人には結果は分かりません。

自殺だけに限りませんが、人生の価値に関して根本的な部分では「この世」の論理では、そうした善悪判定を下すことができません。「あの世」を語る宗教だけが下すことが可能です。まあ、それを知ること自体が人生の目的でもあったりするのですけどね。

キリスト教圏では、「自殺は神にたいする罪」ってことで、教会の墓地に埋葬されなかったりすることもあるようです。仏教では「自殺禁止」を明確に言わないどころか、若いころの仏陀の教えでは「この世は苦しみばかり。仏教を学んで悟り、あの世は天国に行きましょう!」といったような、ある意味で、死後の世界を賛美するようなものだったらしいですから、日本で自殺にブレーキがかからない理由のひとつになっているかもしれませんね。(後年の仏陀は、この世の存在価値を説いています。)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

どんな言葉であっても、最終判断は当事者ですからね……難しいものです。どこまでも続く否定は何も生み出さないように思えます。

仏陀は死後の世界を賛美していたのですか。興味深いです。

「この世は苦しみばかり」というのは、私はショーペンハウアーを読んでなるほどなぁ、と思いました。勿論苦しみで満ちているとは思いますが、だからこその何かが人生にあると思います。

お礼日時:2011/05/15 22:50

自殺を初めて社会学的に調べた


デュルケームは、自殺はその有無は問題ではない。
多いか少ないかが問題なのだ、と言っています。

ちなみに、自殺は生きている苦から逃れるためだけに
あるのではありません。デュルケームは四つの原因を挙げています。
利他的自殺、利己的自殺、アノミー的自殺、宿命的自殺の四つです。
自殺は社会に原因がある場合が多いですから、個人がどうのこうの
しても限界があると思います。
犯罪は個人が起こすが、背景には社会的原因がある
のと同じですね。
不況になれば、平和であれば自殺が増え、戦争が起これば
自殺は減少します。

そして、個人という側面から考えると、1~7は
なぜ、自殺は悪いのか、に端的に
答えていないと思えます。
そして、何故悪いのかは宗教でも
持ち出さないと答えられないでしょう。

例えばキリスト教では、生命は神から
与えられたのだから、奪えるのは神だけだ。
例え本人でも、奪うことは許されないのだ。
と説明しています。

日本では自殺という言葉は存在しませんでした。
自死、自決、と言いました。
自殺、って言葉はなんか弱々しいですな。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「自殺論」まだ読んでいません。知ってはいるのですが……
4つの原因については、本書を読んでみようと思います。

宗教的回答ですか。私たちの生活にはキリスト教と言いましょうか、宗教がいたるところに入ってきていますからね。

確かに自決だと重くなりますね。不思議ですが。

お礼日時:2011/05/15 22:44

要するに、相手の話を聞いてあげて、それに対する共感と解決策を一緒に考えることこそが、一番大事だということなんですかね。


上にある7つの例はどれも大きな力にはならないと私も思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

共感と解決策を提示するのは大事だと思います。
しかし共感は難しい。「○○さんの気持ちとても分かります」と書いて「はぁ?この私の気持ちが分かるっての!?」と言う人もいるからです。ましてや文章ではよりこれを伝えるのは難しいと思います。

お礼日時:2011/05/15 22:40

万全な一つの回答があったなら、「一見同じにみえる」ような質問がくり返されるわけはないでしょう。


「一見同じに見える」自殺は、当事者にとってそれぞれ異なっているからこそ、質問がくり返されるのでしょう。。。

自殺を否定する側にしても、肯定する側にしても、「自殺」という行為自身が、単独で切り離されて認識されるわけではないということです。すなわち、「いままで生きてきたことの全て」、これから「生きていくときの全て」が、自殺という概念に対比させられているからこそ、思い留まるときの概念の変遷、認識の変遷を導く言葉がそれぞれに異なるということになるでしょう。。。

ただ、一点言えることは、「死をもってしても、決して切り離すことのない(全体と)繋がり合っている」という感覚が、呼び覚まされる必要はあると思います。

それは、(貴方にとって)一見無意味に見える多くの回答の向こう側から「思い」を寄せてくださる人々を思うときに呼び覚まされるかも知れません。言葉や言葉の意味、論理性などは二の次なのです。「死すら分かつことのできない思い」というものを感じ取った瞬間に、転機が訪れるのではないでしょうか?

既に調べられた質問・回答かもしれませんが、私の言葉が質問者様に受け入れられた投稿もご参照願います。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/5473977.html
    • good
    • 0

私は「自殺を止めるために、こう言えばいい」というお手本は存在しないと思います。

自殺を止めるためだけに限りませんけれど。
人が人を説得しようとすれば、受け手の性格によっても、互いの関係によっても変わってきます。同じようなことを言っても発信者の表現方法や経験によって説得力が変わってきます。
極端な言い方をすれば、「自殺を止める」のではなく、「自殺ということに対する考え」を述べることで、相手が勝手に思いとどまるのだと思います。

質問者さまが挙げられている例を、私が使うとしたらどんな時か、書いてみますね。

1:死ぬ気があれば何でもできる
自殺を考えている人の自殺理由によります。
「なんでもできる」と言うのは「不可能なことがない」と言う意味ではなく、「自殺を考える原因を解消できる」と言う意味合いですね。たとえば「学校でいじめられている」なら「死ぬくらいなら学校に行かなければいい」「死ぬくらいなら、いじめっこを殴れ」といったものですね。
「なんでもできる」で止めはしないと思います。具体的な方法を提案します。過激すぎて不特定多数相手のネットには書けないものもあります。

2:生きれなかった人もいる
これは自殺理由と自殺をしようとしている人の考えによりますね。
単純に「逃げ」をうっている人、自分だけが不幸なんだと思っている人、に言いそうです。

3:ネットで相談している分には自殺なんかしない。
ネットに限らず、単なる口癖やいやがらせで「自殺」をほのめかしていると感じた時に言います。これを言うようなら、相手との付き合いは終わらせる時です。ネットでは書かないですね。書くくらいなら回答しないと思います。

4:あなたが虚しく過ごした今日と言う日は、昨日死んでいった人があれほど生きたいと願った明日
私は使いませんね。
自殺を止めるためには的外れな意見だと思います。ひきこもりだの、何もせずに退屈だのを連発している人には適切かもしれませんけれど。
基本的に、借り物の言葉は言われた側の胸には響かないと思っています。

5:生きていればいいことがある
うつとか病気で、不幸なことがあって、一時的に死にたくなっている人に対して使いますね。別に自殺までではなくても、滅入っている人にも言うし、自分自身にも使います。
気休めで良いのです。どうしようもない巡り合わせで、一時的に不幸な場合は、とにかく「今」を乗り越えることが大事ですから。

6:自殺すると後処理も大変
借金で自殺を考えている人、自分が生きていることが人に迷惑をかけていると思っている人に言います。1と合わせて使いますね。「自殺するくらいならバックレよう」とか「自殺するくらいなら自己破産しよう」と続けます。
後、「自殺」を妙に美化して悲劇の主人公気分に浸っている相手なら、現実に引き戻す効果があるかもしれませんね。「飛び降り自殺なんてグチャグチャにつぶれて、肉片飛び散って人に踏みつけられて、野良猫とかカラスとかに喰われるかも」とか。
類似パターンでは、自殺することの大変さを言う場合もあります。「飛び降り自殺って、脳内ホルモンの関係で凄く長く感じるんだって。落ちていく瞬間をずーっと意識してるのって怖そうだよねー」って感じで。ちなみに、これは事実だそうです。知人で3階から転落した人がいるのですが、落ちている間の意識があって、妻子のこととか両親のこととかグルグル頭の中で考えていたそうです。

7:死ぬと天国に行けない
質問者さまは説得されないそうですが、宗教を信じている人は説得されるでしょう。言う相手を選ぶべき言葉ですね。私は使いません。死んだ後のことなど分かりませんから。
余談ですが、自殺をすると楽にはなれないと主張する人も多いようです。死んだことが分からず、自殺をしようとした苦しい状態のままで何度も自殺を繰り返すのだとか。この説を信じそうな人になら、効き目があるかもしれません。



他に私が使うとしたら、次のようなものが思いつきます。

・「○○さんが死んだら私は悲しい」「私は○○さんには生きてて欲しいけど」
自分が知っている相手に使います。結局、自殺を止める理由ってこれだと思っていますから、その気持ちを正直に伝えます。こんな所で表現に凝っていても仕方ないですし。

・「死んでやるなんて悔しくない?相手は、きっと何とも思わないよ」
いじめとか対人関係で悩んでいる相手の時に使います。


質問者さまの「意見」を作り上げる参考になれば幸いです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

1:具体的案を提供するのはいいですね。回答者はイメージしやすいと思います。

3:確かに自殺する気はないけど死にたいと書く人もいますよね。

6:死の恐怖は何物にも勝ると思います。脅しでしょうが、1つのストッパーになるかもしれませんね。

「○○さんが死んだら私は悲しい」
これは知人でしか使えませんよね。他人の人が書かれても効果は薄いと思われます。

「死んでやるなんて悔しくない?」
これは効く人は効きますね。この言葉で立ち上がれる人は大きく成長できると思います。

お礼日時:2011/05/15 22:38

人の生きる目的は、精神的充足量の最大化であり、自殺による


死は、充足量0になるので、最悪の選択です。
ただ、現実には、死による充足量0の状態から、自由意志に於て
「精神的充足量の最大化」を目指して生きているはずが、いつの
間にか苦痛から逃げる事によって他律的に生かされる生に堕して
しまったのです。
確かに、苦痛=マイナスよりも、死=0の方が、充足量のプラス
方向には違いありません。

しかし、本当に0に還元するしかプラスへの道はないのでしょうか?
社会は、本当にあなたを死に追いやるほど攻撃的なのでしょうか?
あなたの着ている服は、遠く中東で産出した石油を中国で精製し、
紡績し、日本で縫製した、世界中の皆さんがあなたを助けるために
一所懸命働いてくれた、「助け合い」の成果ではないですか?
衣食住、どれもそうです。
もはや人類は社会的生命であり、生きる事は助け合いなのです。
誰かを殺して得する人は誰もいません。

しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、
どれほどいるでしょう?
人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”と
いう虚構の価値であって。
原始共産制の助け合いから、組織が分業&拡大する上で、人の
意識の社会性を発達させずに、お金や権力といった“馬車馬の目
の前のニンジン”で、他律的に社会行動をとらせる道をとったのです。

お金は、本来助け合うために集まったはずの社会において、自己
チューな意識のまま社会行動をとらせるための「拘束衣」として発達
したものなので、社会生命として生きる事である労働(助け合い)を、
お金をもらうために嫌々働くものにしてしまうのです。
社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、
弱肉強食のジャングルに変える、悪魔のツール。

そうした幻想の「拘束衣」こそ、世界中の人に衣食住を助けてもらっ
ていながら孤独を感じ、苦痛に囚われ、死をも選ばせているのです。
自己チュー化により社会は精神的に荒廃し、自殺者が増えています。
人は、他人から自由になろうとして苦しむが、自分(虚栄心、我欲)から
自由になった時、既に他人からも自由になっている事に気づくでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

死んでしまえば生産性は失われてしまいますから、最悪ですね。死んだ本人は最善だったのかもしれませんが……

確かに日本製でないものは身近にありますね。でも現代ではそれが当たり前のように扱われるようになったと思います。

こんなに人で溢れているから逆に孤独を感じる人が多いと、私は思います。

お礼日時:2011/05/15 23:21

つまり


人の生き死にに対して、本当に適切な助言をするためには
相当な智慧がないといけません。
よくものを考え、かつ、真理を探究するような生き方をしてきて
生命の本当の意味や神秘に
触れる領域にまで至っただけの、知恵と経験のある人しか、答えられない質問なんだと思います。
でも目の前に死にたがっている人がいたとして、
どうしてそういうことが言えるのか自分でもはっきり分からないけれども
「死ぬな」というしかないというのが大抵の人間なのではないでしょうか。
世の中には「じゃあ死ねよ!」なんて平気で言う人も結構いますが・・・。
根拠は分からない。 でも、止めるしかないし慰めるしかない。直観知です。 
これが普通の人間と言われている人々です。
例えば大学入試で、物凄く難しい論述試験に回答しなければならない。自分が今まで考えたことも直面したこともないような問題である。よくわからないけれども、試験に受かりたければ、適当なことをもっともらしく書いて誤魔化すしかないのです。それと同じ状況なんでしょう。

質問者様があげておられるような回答は
全てそうした人間が挙げる紋切型の回答パターンです。言っている本人も
よくわかっていないのです。

その問いに関して真の答えを持っている人間は少ないのです。
目隠しをされたまま生きている人間がいかに多いかということです。盲人が盲人の手を
引いてもろくなところには辿り着きません。

質問者様は
ご自分で良いところに気が付かれています。
「死にたい人の認識を変えさせるしかない」
では、それを他人に頼まないでご自身で探究されてみてはいかがでしょうか。
今まで他人にそれを聞いてうまくいかなかったのでしょう?死にたがっているあなた本人のほうが
しっかりしているじゃないですか。頼るなら自分より賢い人にしましょう。


まずは興味のある本から読めばいいのです。無理はいけません。
少なくともそこに気づいたあなたは 適当な回答で流せる他人よりよっぽど知性があるのですから。

つまり、貴方自身が本当に納得の出来る回答を探されてみてはどうでしょうか、という事です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

>でも目の前に死にたがっている人がいたとして、
>どうしてそういうことが言えるのか自分でもはっきり分からないけれども
>「死ぬな」というしかないというのが大抵の人間なのではないでしょうか。
仰る通りだと思います。私もそうしてしまうでしょう。

>今まで他人にそれを聞いてうまくいかなかったのでしょう?死にたがっているあなた本人のほ>うがしっかりしているじゃないですか。頼るなら自分より賢い人にしましょう。
死について考えている人というのは、自殺を(程度こそあれ)考えたことがある人ですよね。
確かに私は死にたいと考えたことのある人間です。知恵袋を見ると毎日毎日増えていく「死にたい」という質問の多さには驚きました。
私としても何かいい回答を、と思いますが、上の方が仰っているように、万人にあう回答はないのですよね……だからこそいいとも思えますが。

お礼日時:2011/05/15 22:30

死ぬことと生きることのメリットやデメリットを考えたときに、少なくとも現状を苦しいものに感じている人にとって死ぬという選択肢が魅力的に見えるのは当然です。


つまり生きることのほうが素晴らしいともっていくのは非常に難しいのです。実際に質問者さんにみごとに論破されてますしね。
だから、こういう場では質問者さんの言う1~7のような意見を回答していくことがベストではないですけどベターな回答であると僕は信じています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
確かに人間は生きているだけでも素晴らしいですが、死を考えるとどうしても
このことは薄くなってしまいますよね。

お礼日時:2011/05/15 22:23

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す