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進化の過程で『苦しまずに死ねるような』機能を生物が持つに至った理由は何ですか?

単純に疑問に思いました。ビートたけし著の『たけしの死ぬための生き方』で『食われている生物は最初は苦しそうだが最後には気持ち良さそうな表情になっている』と書かれていました。また、鮭などの魚は卵を産んで受精させた後には幸福ホルモンが出て死んでしまうそうです。人間でも非常に高い所から落下すると地面に激突する前に意識を失う人も多いそうです。

なぜ進化の過程でこれらの機能を持つようにいたったのでしょうか。また、これらの機能は生きていく上で、子孫を残す上では維持すべき程に大事なのでしょうか。また、子孫を残す上で必要なら、どの様に必要なのでしょうか。

変な質問ですがよろしくお願いします。

A 回答 (54件中31~40件)

(No.20)


>「 進化論の理論は煎じ詰めれば「有利な遺伝子は頻度を増して集団に定着し、不利な遺伝子は集団から淘汰される」というだけの、極めて単純で美しい理論です。」

これは、”その”循環論法になっていないか。したらダメとか言っていたのは誰ですか。b-w-step さん、判断してくださいな。簡単な論理ですよ。

(No.23)
>「 犬種ごとに要求されるそれらの「性格」(気質でも性質でも言葉は何でも良いですが)を、「そういう性格を示す犬を選択して交配に供した」という手法のみで、集団(それぞれの犬種)に定着させることができた、という事実が、「性格は遺伝する」ことの証拠だとは思いませんか?」

犬の話です(笑)

働き蜂の真面目な「性格」は遺伝子でしょう(笑)

そういう性質を「性格」と言っている科学者には何も発見できないよ。
それこそ次元が違うね。

犬の大人しさと、人間の大人しさが同じなの?

人畜混交だね。性質なら変換可能だよ。

(No.21)
>「 まあせっかく私の専門分野そのものに話題を振っていただいたので、風邪薬の話もします。
>>鼻水を止めたら病原菌が出て行かなくなります
> 体内で増殖している量に比べれば鼻水に排泄される病原菌の量は微々たるものなので、鼻水を止めても症状の転帰にはそして影響はありません。それより鼻水から排泄される病原菌は、「次の人」に対する感染源になるので、鼻水を止めることにはそれなりの意義があります。他人との接触を絶てるのなら無理に止める必要はないですが、症状が軽減されて楽になるのなら止めた方が良いでしょう、という程度のものです。」

風邪薬も専門なんだ?危ない噺家だねえ。
これは医学書には書けないわ。畜産の教科書と一緒になっているよ。

>「 また、毒素によって熱発しているような場合は、発熱によって免疫系が活性化されてもあまり意味がなく、発熱による身体のダメージの方が深刻な場合もあります。」

毒素による発熱の場合、意味がないとは、どういうことでしょうか。
というかメカニズムはどこに行ったのでしょう。まさか一転エビデンスがないで終わりでんすか。
こういう掴むと抜け落ちて、そのすきに逃げる生物がいたように思うのですが、思い出せません。カニとか昆虫はそんな感じでしたかね。


(No.23)
>「メカニズムはどうあれ、現象は確かに存在します。」

やはり獣医はそこらへんが違うのでしょうかね。獣医は根本的なところで、自然科学者よりも心理学者に近いのでしょう。
その現象というのは現象というよりも、ある科学者の観察結果だね。
現象というのは統計的事実とは違うのだよ。まだ分かっていないのか(笑)ようやくすこしづつ賢くなってきたようだが。

シュレーディンガーさん、獣医師のお礼欄で、講義してやりなさいよ。それこそ一般教養もない獣医先生のために。


実験報告した、その科学者の実力がこういう可能性もあるのですよ。
(No.13)
>「骨折等の大ケガをしたり死の痛みに耐える動物が騒がずにじっとしているのは、ある意味当然です。泣き喚いたり暴れたりすれば、体力を消耗するのでそれだけ死期を早めるからです。つまりそんな行動は「進化的に不利」なんです。」

なにが「進化的に不利ですか」?二者択一で間違っても専門家を続けるのかね。間抜けな動物は自然界なら一発で死んでるぜ。

自分の間違いは、素通りですか。それなら誰だって満点ですよね。

(No.13)
>「 信仰そのものは電子が直接生み出したものではありますまいが、信仰心を生むような精神構造は遺伝子によって規定されているでしょう。でなければ、それこそチンパンジーが信仰心を持ってもおかしくないことになります。」

その遺伝子が規定しない場合、チンパンジーがどうやって信仰を持つのでしょう?教えて欲しいわ、持ってもおかしくないと言える論理構造を(笑)


質問者に対し、出来る人の立場からご指導しているようですが、結局、先生こそ情報の羅列しかできないんじゃないの。


事後に正解を並べても助からないのが自然淘汰です。

事前にした間違い、それが自然淘汰の対象になるんだよ。

間違いをした専門家がいい気になっていられるのも文化という非科学に守られているからだ。不条理な大衆が、馬鹿な専門家を養っている。家畜となって。肩書きは、そういう家畜を支配するためにあるんだが。質問者さんは支配されていませんか。


b-w-step さん、あなたは信じる行為がお好きなようだから、
私も聴衆を2000人集めたとかハッタリ言いましょうか。学園祭の時はそんな感じだったかな。別に私目当てじゃないが。

勉強法は、ノートを取らないで、読書する一方ですか?PCと専門書が机の上で場所争いになりませんか。


(No.9)
回答者:Jagar39 回答日時:2011/06/11 18:47
>「No.5のJagar39です。ここも最後にします。」

もう、一週間になるじゃないか。言う事が科学的じゃないね。
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この回答へのお礼

<風邪薬も専門なんだ?危ない噺家だねえ。
医者というのは薬学も叩き込まれます。それで専門なのでしょう。犬や猫でも薬を用いた治療をするので薬についての知識も必要になってきます。また、犬や猫や人間は身体の基本的な構造は大体が等しいので薬の効き方もそう変わらないでしょう。一応、付け加えておきますが、薬学の専門家である薬剤師よりも並の医者は薬学について多く知っています。医者の勉強量はとてつもないですから。下手をすると医学部にいる間に入院になります。知人は卒業前に3週間入院しました。

<毒素による発熱の場合、意味がないとは、どういうことでしょうか。
感染の発熱の場合、発熱によって体内の化学反応の速度が上がって病原体を素早く殺せるようになります。熱で弱まる病原体はいくらでもいます。一方で毒素の場合は基本的に熱では殺せません。例えば黄色ブドウ球菌の毒素は熱してもまず壊れません。また、発熱によって他の臓器が障害を受ければ肝臓の毒素の分解、腎臓の毒素の排出にまでマイナスに影響してきます。そのために毒素による発熱は毒素の排出においてはそれほど意味が無いのでしょう。

<質問者に対し、出来る人の立場からご指導しているようですが、
実際、彼は私よりは上だと思います。

<間違いをした専門家がいい気になっていられるのも文化という非科学に守られているからだ。
<不条理な大衆が、馬鹿な専門家を養っている。家畜となって。
<肩書きは、そういう家畜を支配するためにあるんだが。質問者さんは支配されていませんか。
どうしようも無い気がします。また、彼らには彼らの言い分もあるのでしょう。この世は矛盾だらけです。それが人生です。悲しいのですが。

<b-w-step さん、あなたは信じる行為がお好きなようだから、
好きですね。人は憎しむよりも愛して信じてあげたいです。

<私も聴衆を2000人集めたとかハッタリ言いましょうか。
<学園祭の時はそんな感じだったかな。別に私目当てじゃないが。
あなたはまだお若い方ですか? その学園祭は羨ましいです。私の頃は貧乏でその様な学園祭はしませんでした。時代が下ると色々と変わるのですね。有難うございます。それほどの学園祭があることを知りませんでした。『say yes』は歌えますか? あれを歌えるとカラオケで盛り上がるのは必死です。プロポーズする際にも覚えておくと得をします。

<勉強法は、ノートを取らないで、読書する一方ですか?
授業中にノートをとるのはお勧めしません。ノートは大体は後で見直しませんし、下手なノートなら教科書や参考書の方が効率が良い読み物になってしまいます。東大生は美しいノートという本も出ていますが、あれはある意味本当である意味嘘です。私のクラスからも5人ほど現役で東大に受かりましたが、彼らは勉強しかしてこなかった人生です。生粋のエリートです。幼い頃から叩き込まれれば頭が良くなるのは当たり前です。ですので一部のそういう極端なエリートの理論は一般的にはそれほど使えないと思います。ノートを綺麗にまとめるよりもその時間だけ『頭の中に綺麗にまとめて』下さい。私は基本的にノートはまとめない主義です。と、いうよりもその筆記用具代が痛かったです。授業中は先生の言葉を一字一句聞き逃さないように一生懸命に聞いてください。先生の評価も上がります。授業中に覚えてしまうのがお勧めです。私は読書派です。あと、入試や資格試験ではまず過去問をやって下さい。過去問は『実力を試すもの』ではありません。過去問は『教材』です。過去問はしゃぶり尽くす態度が正解です。今、過去問はブックオフで安いです。

<PCと専門書が机の上で場所争いになりませんか。
PCは安物のノートです。また、専門書は床に置いています。寝室などの。

今の学園祭はそれほど大掛かりなのですか……。驚きました。学園祭のことを教えてくださって本当に有難うございました。もっと後世に生まれたかったです。

お礼日時:2011/06/19 16:47

 Jagar39です。



 別に私は凄くも、特に研鑽を積んでいるわけでもありませんよ。私より凄い人はどの分野にも、私の専門分野にもゴロゴロいます。私はその片隅に潜り込もうと必死になっているだけです。

>院レベルまで学ばずとも何事も学部レベルくらいは学んでおくべきと私は思っています

 そのために大学にも教養課程があるのでしょうけどね。
 あとは時間との兼ね合いでしょうね。

>一般書の場合は信頼性が怪しいと考えてしまいます

 玉石混合ですからね。
 同分野で数を読むしかないですね。ですから必然的に「あらゆる分野を徹底的に」というのは無理だと思います。
 専門書も必ず「間違い」は含まれています。版が古くて現在では間違いと判ってしまった記述があったり、著者や編者の指向が偏っているため、ある特定の説にのみ記述が偏っていたりしますから。
 分野にも依りますが、10年前の版だとほとんど「間違い探しクイズ」状態になってしまう本も多々あります。

 解熱剤の話ですが、補足に挙げられたハリソン内科学の引用はそのとおりだと思います。カッシング薬理学の引用もその通りです。これらも一般論ですから当たり前といえば当たり前ですが。
 でも、私が書いたことと矛盾はまったくしていませんよ。ついでに言えば風邪薬が必ず解熱剤の成分を含んでいるわけでもないのですが。
 一般論と治療はまた別です。統計的に解熱剤は治癒効果のエビデンスがない、70%の患者は解熱剤を服用しない方が治りが早い、という成績が存在するとして、それは一般論として「解熱はしない方が良い」という話にはなるかも知れませんが、目の前の症例は残りの30%かもしれませんし、統計的な「外れ値」の患者で一般論が何も通用しないかもしれません。
 それでも治さなければならないのが医療ですから、全てのケースについて疾病の原因、「症状」の機序を推定して効果的な治療法を考えなければなりません。まあある程度パターン化はしてしまうのですが。
 もちろん「知識」がないと何もできませんが、それらの知識が有機的に結びついていないと適切な判断もできません。

>『発熱よりも薬の方が身体への負担が大きい』と主張します

 長期的、一般的にはそのとおりかもしれませんけど。感染症で重篤化した時などはその限りではないでしょう。
 それに短期的には発熱の方が大きいでしょうし、何より発熱を抑えないと死ぬ場合もありますから。
 つまりこれもケースバイケースでしょう。「目の前の症例」は統計ではありませんから。

 赤ん坊が「死」を知っているか?という問題については、互いに不確かな論拠に流れすぎている感があるので、発達心理学をお勉強でしたら、一度きちんと整理して教えてください。
 私は赤ん坊が人見知りを始めるのが「自我の芽生え」であり、その頃にようやく「自分と他人」の区別がつき始める、と理解しています。
 つまりそれ以前の赤ん坊は、自分と母親の区別ができない、すなわち母親と一心同体である、と。出生直後で保育器に入っている時点では、その認知すらできまい、と考えているのですが。私も何冊かは発達心理学の本を読んではいますよ。

 赤ん坊が「死」を知っている、という質問者さんの主張は、少なくとも現在の発達心理学的にはかなり異端的な説のように思えるのですが、どうでしょう?
 ならば、それなりの「論証」が必要になりますね。

>私が1歳にならないうちに私の祖父が亡くなりました

 この話は、「経験談」であって科学議論ではありません。
 単一の事例であれば、私の父が亡くなったときに私の次男(同じ1歳頃でした)は何も変わった様子がなかった、という反例を1つ挙げれば、あとは水掛け論になってしまいます。

 質問者さんが病室にいて臨終に立ち会っていたのか、関係ない場所にいたのか判りませんが、1歳くらいの子供では周囲に大人がいる場合、彼らの注目を自分が一身に集めているのが普通の状態なので、大人達の注目が自分から逸れている、というだけで「普通ではない様子で泣く」理由にはなるのでは。周囲の自分への注目度は、自我が芽生えた後の子供にとっては死活問題ですから、注目が自分から逸れている場合はあらゆる手段でそれを取り戻そうとする、というのも発達心理学では一般的な見方だったと思うのですが。

 それは個別のケースの「解釈」であって、このケースが「子供が死を知っている」という論証に結びつけようとすれば、とにかく数が必要です。それぞれのケースの詳細な状況も整理する必要があるでしょう。
 誰かが亡くなったとき、近い親類に何人の子供がいて(それぞれの年齢も)、その内何人の様子が「変わったか」、さらにそのうち何人の「泣いた例」が、「原因不明」なのか、というデータですね。

 つまり、質問者さんの主張は、「経験談」に過ぎません。経験談はそれはそれで良いのですが、少なくとも「科学的な議論」の論証ではない、ということです。

 もし統計的に、「確かに1歳ほどの乳幼児でも「死」を認知しているらしい」という結論が出たとき、そのメカニズムは判りませんから、ここで初めて「このメカニズムは現代科学ではまだ判らない」という話になるわけです。
 データを集めて検証することは今でもできますから、それをしない、あるいは知らない段階で「科学でも判らないことがある」というのは、つまり「安易」だということです。

 横井さんの例も同じです。これが本当に「事実」であるという証拠がありません。本人の主観で書かれていることだからです。
 彼が嘘をつかない人かどうかは私は知りませんし、質問者さんだって本当には知らないでしょう。「嘘」は付かないまでも話を盛ったかも知れないし、本人の勘違いかも知れません。

 犬の育種の話を。

>この証明された、というのはどこが出典ですか?

 別に論文に載るような話ではありません。ドーキンスなどは著書の中で好んで引き合いに出しますが。
 証明された、というのは事実そのものによって、です。
 犬の品種の大半は、つい最近まで使役用途でしたから、犬種ごとに体型や体質だけでなく、気質も高度に専門化されています。

 警察犬や軍用犬であれば、非常に闘争的な犬が必要です。人に攻撃することも躊躇なくできなければなりません。しかし、主人の命令には絶対的に服従しなければなりませんし、主人が命令した対象以外を攻撃してもていけません。
 水鳥の狩猟の際に、撃ち落とした獲物を回収してくる犬が必要な場合は、水を怖がらない犬が必要です。犬は泳げますが、一般的には水を怖がります。また、勝手に獲物と闘争してはならないので(主人の楽しみを取ってはいけない)、闘争心はむしろ邪魔です。
 闘犬であれば、管理された檻の中で戦う犬なので、主人の命令に絶対服従する等の従順さは重視されません。何より「闘争心」が最優先です。そしてどんなに痛めつけられても悲鳴を上げてはいけません。そういうルールですから。

 牛と犬が戦うブル・バインディングという見せ物のために育種された犬は、食いついたら放さないという戦闘方法のために平べったい顔つきに改良されましたが、もちろん闘争心も非常に高くされました。
 でも、19世紀にブル・バインディングが禁止されてからはこの犬種は番犬や愛玩用になったのですが、番犬ならまだしも愛玩犬にするには闘争心は邪魔なので、今度は「穏和な性格」に品種改良されました。

 犬種ごとに要求されるそれらの「性格」(気質でも性質でも言葉は何でも良いですが)を、「そういう性格を示す犬を選択して交配に供した」という手法のみで、集団(それぞれの犬種)に定着させることができた、という事実が、「性格は遺伝する」ことの証拠だとは思いませんか?

>それほど遺伝は単純なのかと疑問に思ってしまうのです

 どんなに複雑であろうと、選択交配によって特定の形質を定着させることができる、ということは、その形質は遺伝する、ということの証拠です。
 ここで細胞質遺伝、エピソーム遺伝、多因子遺伝、ミトコンドリア遺伝、といった「メカニズム」をあれこれ考えてしまうところが、「知識の羅列」で勉強してきた弊害なのでしょうね。メカニズムはどうあれ、現象は確かに存在します。

 これを理解するのに細胞質遺伝やミトコンドリア遺伝(この2つはほ乳類だと同義語ですが)、エピソーム(ほ乳類の遺伝にはあまり関係ない)あたりの「知識」が出てきてしまうところが、「知識が繋がっていない」ことを示してもいます。
 犬の話については、「犬の飼い方」とかの科学書ですらない一般書を読んだ方が、よほど理解できると思います。
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この回答へのお礼

<専門書も必ず「間違い」は含まれています。版が古くて現在では間違いと判ってしまった記述があった<り、著者や編者の指向が偏っているため、ある特定の説にのみ記述が偏っていたりしますから。
そうです。だから今まで沢山指摘してきました。標準シリーズやギャノング生理学など1万円を超える本はたいていは十人以上が関わる共著です。それも日本の一流大学の教授が書いています。間違っていたらそれらの教授や大学の名が落ちてしまいます。しかし一般書ですと書いている人数が少ないので信頼性が、となってしまうのです。専門書というのは医学書院やメディカルサイエンス・インターナショナルなどが出している1万円を超える本を私は意図しています。シンプル生理学などの医学部生が使う本でも簡単な本は私はここでは専門書に含めていません。生理学書ならギャノングか標準生理学。薬理学ならカッツング。内科学なら朝倉も含みますがハリソン。精神医学ならカプラン。それぞれが日本のベストメンバーです。

<一般論と治療はまた別です。
私は治療は一般論を大切にすべきと思っています。フーリエ変換などで解を求めることを治療と仮定するならば、一般論の四則演算も大事だからです。私は繋がっていると思います。

<統計的な「外れ値」の患者で一般論が何も通用しないかもしれません。
こういうのは何にでもあります。例外は何にでもあります。

<感染症で重篤化した時などはその限りではないでしょう。
薬は身体に残るので私は身体への負担が大きいと考えています。重篤な症状が治るのには薬が排出される6ヶ月もかからないものです。

<私は赤ん坊が人見知りを始めるのが「自我の芽生え」であり、その頃にようやく「自分と他人」の区別<がつき始める、と理解しています。
私はカプラン臨床精神医学で発達心理学を学びましたが、赤子が母親と自分を一体として見ているという記述は見つかりませんでした。このあたりは私ももう少し他の本も学んでみる必要はありそうです。私は何冊も安い一般書(5000円以下)を読むなら1万円以上の専門書を1冊買って読み込むほうが良いと思うのですが……。沢山学ぶと一般書に食指が動かなくなってしまいます。一般書はあくまで一般人に向けて書くものです。専門家や研究者に向けて書くものではありません。ソフィーの世界もあれだけの値段・厚さですが実際は無駄に記述が遠まわしなだけで、実際には高校の倫理よりも内容は薄いです。(東洋思想が入っていないという点でも)倫理・哲学の雄と思われるソフィーの世界ですらその程度なのです。そういうことで私は一般書は買わない主義です。新書の理科シリーズよりもソロモンの有機化学の方が私は好きです。

<赤ん坊が「死」を知っている、という質問者さんの主張は、少なくとも現在の発達心理学的にはかなり<異端的な説のように思えるのですが、どうでしょう?
現在の心理学は非常に怪しいと私は考えています。フロイトの『リビドー』は『Oxford Dictionary of English』では『生命エネルギー』という文脈でしたが、日本の心理学書では半分以上が『性』にこだわった記述になっています。口唇期なども割と性的に解釈されています。ですので私は現代の心理学は眉唾物と思っています。カウンセリング論などの『受容』も怪しいと考えています。と、いうよりも知人のカウンセラーは能力的にどうかとも思っています。気にされた方がいらっしゃったらすみません。少なくとも赤子が死を理解できないとは書いてなかったはずです。

>私が1歳にならないうちに私の祖父が亡くなりました
<この話は、「経験談」であって科学議論ではありません。
<つまり、質問者さんの主張は、「経験談」に過ぎません。経験談はそれはそれで良いのですが、少なく<とも「科学的な議論」の論証ではない、ということです。
ここで経験談は科学議論に使えないというのは正しいのかと考えてしまいます。科学的な実験も経験談です。実験ですら経験談といって切ってしまうことも可能です。そう考えるなら、結局、様々な情報も経験談や水掛け論として切って捨てることは幾らでも可能ではないのでしょうか? 経験談を切るとしたら、そもそも医学的な症例も経験談なのですから無意味になってしまいます。症例も医者の主観が入るものです。

<もし統計的に、「確かに1歳ほどの乳幼児でも「死」を認知しているらしい」という結論が出たとき、<そのメカニズムは判りませんから、ここで初めて「このメカニズムは現代科学ではまだ判らない」とい<う話になるわけです。
ここであなたの回答NO.20を引用します。
<赤ん坊にとっては母親は「世界の全て」です。まだ自我が確立していませんから、母親と自分を区別す
<ることができませんから、「母親と引き離される」ことは自分のみを引き剥がされるのに等しい苦痛
<でしょう。
これで充分ではありませんか? これは充分な根拠ではありませんか? 世界の全てである母親が永遠に活動しなくなる。それだけで充分だと思ってしまうのですが。動かないのだから衝撃的で、それが即ち死である、と。

<データを集めて検証することは今でもできますから、それをしない、あるいは知らない段階で「科学で<も判らないことがある」というのは、つまり「安易」だということです。
それはいえるかもしれません。科学ではデータ集めが大事というのは勉強になりました。有難うございました。

<横井さんの例も同じです。これが本当に「事実」であるという証拠がありません。本人の主観で書かれ<ていることだからです。
経験談が証拠にならないのならば、殆どの症例も証拠にならないでしょう。症例も医者の主観で書かれてしまいます。医者でも実力が伴わない人も(失礼ながら)います。医師国家試験以外の応用が利かない人など。小野田さんは野次馬な日本人が散々ブラジルまで訪ねにいったそうです。よって横井さんも嘘やでたらめを書いてるなら間違いなく他の人に突っ込まれるでしょう。

<彼が嘘をつかない人かどうかは私は知りませんし、質問者さんだって本当には知らないでしょう。
<「嘘」は付かないまでも話を盛ったかも知れないし、本人の勘違いかも知れません。
嘘という可能性は捨ててはいけません。一方で私は彼の人となりは好きなのですが。また、当時の人々は今の人と違って素朴で嘘や飾りつけをしないものです。現代人とは違います。本に嘘や盛り付けをするというのは当時では考えられません。また、あれは報告書としての意味もあります。軍人として嘘を書けないという心情も汲み取るなら、私は99パーセント真実だと思います。大戦前の日本人という人種を理解すれば嘘が書けないことは自ずと明らかです。

<犬種ごとに要求されるそれらの「性格」(気質でも性質でも言葉は何でも良いですが)を、「そういう<性格を示す犬を選択して交配に供した」という手法のみで、集団(それぞれの犬種)に定着させること<ができた、という事実が、「性格は遺伝する」ことの証拠だとは思いませんか?
ここでの犬の話はまたまたためになりました。有難うございます。犬も深い歴史があったのですね。驚きました。しかし犬の場合は交配だけでなくそれぞれの指導方法まで考慮に入れることが大事だと思います。また、性格が遺伝するという一般的な性質を犬という一例で正してしまうのは良くないのではないでしょうか。それこそもっと多くの情報が必要ではないでしょうか。あなたは狼少女、アマラとカマラの話はご存知ですね? 彼らは『人間の遺伝子を持っているのに』狼の性格でした。と、なると性格と遺伝子の関係も怪しくなってきませんか?

<どんなに複雑であろうと、選択交配によって特定の形質を定着させることができる、ということは、そ<の形質は遺伝する、ということの証拠です。
<ここで細胞質遺伝、エピソーム遺伝、多因子遺伝、ミトコンドリア遺伝、といった「メカニズム」をあ<れこれ考えてしまうところが、「知識の羅列」で勉強してきた弊害なのでしょうね。メカニズムはどう<あれ、現象は確かに存在します。
<これを理解するのに細胞質遺伝やミトコンドリア遺伝(この2つはほ乳類だと同義語ですが)、エピソ<ーム(ほ乳類の遺伝にはあまり関係ない)あたりの「知識」が出てきてしまうところが、「知識が繋が<っていない」ことを示してもいます。
そうですね。確かに私はまだまだだと思います。

<犬の話については、「犬の飼い方」とかの科学書ですらない一般書を読んだ方が、
<よほど理解できると思います。
折角ですので獣医学部で使うテキストや参考書を教えて頂けると嬉しいのですが……。

何だかんだ言って厳しく書いてしまって申し訳ありませんでした。嫌な想いをしたでしょうが読んで下さって誠に有難うございました。

お礼日時:2011/06/19 16:19

(No.20)


>「 分裂で増えるような一部の生物を除けば、生物が「遺伝子を他個体に渡す」のは、生殖によって子に伝える以外の方法がないこともはっきりしているわけですから、「子の数あるいは生存率を向上させる機能を持たない遺伝子は集団に定着できない」というのも、当たり前の理屈です。
> この大原則に従って、「この遺伝子はどのようにして集団に定着したのか」というのを理論的に考察していけば良いだけです。」


この大原則に従えば良いだけです、と言われても出来ない人が科学者の中にもいるのですよ。


(No.13)(獣医師先生のご説明)
>「 骨折等の大ケガをしたり死の痛みに耐える動物が騒がずにじっとしているのは、ある意味当然です。泣き喚いたり暴れたりすれば、体力を消耗するのでそれだけ死期を早めるからです。つまりそんな行動は「進化的に不利」なんです。

説得力も零点。


専門家の先生の客観性には不審を抱きますね。

(No.20 )
(質問者)>「彼(医者)が嘘をついたとなると医学会が非常なる大問題を抱えていることになってしまいます
(Jagar獣医師)>そんなにたいしたことでもないと思いますけど。
> 誰だってウソやハッタリは言いますし、公の場で述べたのでない限り、影響はないに等しいですから、ただのホラ話だったとしても、それはそれで良いのでは。」

「それはそれで良いのでは」?どこが良いのだ!ハッタリ?
資格はそのままです。嘘がバレても詐欺をやっても、死ぬまで獣医師です。その程度の犯罪では、資格はなくなりません。


「気功師によって眠らされる動物たちの真偽」
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6768790.html
(No.2)(獣医師です。ベストアンサーです。鹿は年中観察していません)
>「 いずれにしろ、もう少しきちんとした「実験」を見せて欲しいところです。少なくとも「否定材料」がいくつもある状況下で、その材料に言及せずに証明したと称している姿勢に疑問と疑いを感じます。
> 日本医療気功学会の構成員には医学博士号を持つ人が多数いますから、彼らは「きちんとした実験の設計と提示方法」を熟知しているはずです。知っていながらそれをしないのは、本当は「きちんとした実験」をすれば期待する結果が出ないことを知っているのでは・・・?と勘ぐりたくなりますよね。」

読解力のない人のために読解すると。
「知っているのでは…と勘ぐりたくなる」の文意は、「医学博士号を持っている人が知りながら嘘をついているのならば、少しも問題ない」ということです。獣医師先生は、専門家の嘘つきは、悪くないと判断をしています。
笑い事ではありません。
ふつう逆だと思うのですが。専門化が嘘をつくなら資格は没収です。
悪びれていないのか、ぶっとんでんのか。これが専門家の正体なのです。
ところが実際、これのどこかがいけないのか、ピンとこない日本の大衆がいます。専門家ならいいではないかと思っているのが多くの馬鹿日本人の思考です。専門家もまた日本人ですから同様です。それくらい論理的に考えない民族なのです。「専門家」=「ただしい」それが根拠なのです。上から下まで救い難いのです。

この堕落は世間が馬鹿だから可能なのです。
19世紀のウォレスよりも、今、「動物は助けてもらえないから、苦痛に声を上げない」と説明する獣医師の間違いが我々にとって問題なのです。獣医師大先生は、その理由を、死期を早めるのが進化的に不利と解説しました。これにはウォレスも失笑するでしょう。ごちゃごちゃチャンピオンです。
わかっちゃいるけどやめられない。ではなく。
わかってないから終わらない。

(No.21)
しかし、獣医師先生は「風邪薬」が専門分野とは知りませんでした。本人が麻痺していても、ハッタリは許されませんよ。質問者が現象(症状)と言ってるのに、いや、メカニズムだ、というのだから、そのメカニズムを教えてもらいましょうよ。(笑)質問者さん、専門家に聞くチャンスですよ。


(No.20)
>「ですが、苦痛の大きさをもって「死を理解していた」ということは言えない、と思います。」
>「 赤ん坊が死を理解できるのなら、葬儀場での幼児の振る舞いはどう解釈されますか?」

赤ん坊が「葬儀」を理解できるわけないでしょ(笑)また話がすり替わる。


質問者さんも皆さんも矛盾に気が付いているなら質問されて下さい。次から次ですから、とても私一人には無理です。詭弁地獄です。


(No.9)
>「 また、No.5の前段の私の論述を「間違っている」と指摘するには、「論旨の目的である産子数を無条件に仮定してしまうのは循環論法です」と一言言えば済む話だったのです。」

言っても済みませんよ。”それは”循環論法ではないんだから。


(No.12)
>「というかですね、やってしまった自分で言うのもなんですが、この循環論法というやつ、「論理」を操る上ではかなり「致命的」とも言えるやっちゃいけないことです。論証したい結論を仮定条件に組み入れてしまうわけですから、どんな結論も思うがままに出て当たり前ですもん。「やや不十分」なんて生やさしいものじゃないんですよ。」

やっている人は他にいませんが。


(No.20)
>「 進化論の理論は煎じ詰めれば「有利な遺伝子は頻度を増して集団に定着し、不利な遺伝子は集団から淘汰される」というだけの、極めて単純で美しい理論です。」

なぜ、そのヘボ定義が、Jagar獣医師の目には、美しく見えるか?
教えてあげましょう。

それこそ、まさに「循環論法」の「理論」だからです(笑)
結局、先生は循環論法が大好きなのです。美しい理論に見えてしまう程度の科学者なのです。循環論法が美しく見えてしまうのです。宗教者の傾向です。
人に気をつけなさいと言っている場合じゃないのです。自分がいつまでも間違えているのですよ。そんなハッタリハッつぁんが人に言うのは、もう寄席です。


科学も常識も、ご自分が分かっていないのに立派な文章ですよね。こういう御仁の文体はなんというのですか。

私の指摘部分は、まだまだ氷山の一角です。先生の科学的説明は、ほとんどが、間違いです。
投稿を「終わり」にするどころか、ノリノリで稿を改めるそうですが、その前に改めるべき事があります。引き続いて、説得力がありませんね。自分に酔っているだけでは。


b-w-step さん、あなたも気がついているのなら、指摘しなさいよ。

「心理学者は遺伝子学者に取って代わられるだろう」という言葉は見事でしたね(笑)

大先生は、不都合な話は無視されて、いまだ、完璧な自己陶酔から覚めやらないのです。しっかり声をかけてやって下さいな。「余地」がないくらい。


(No.18のお礼)
>「そう考えてみた時、性格は遺伝が決めるというのは極端な概念ではないでしょうか。」

百点(笑)
今日まで、大先生は物事の相関関係の意味も知らないまま、プロとして結果報告してきたことでしょう。なぜ可能だったか。自分たちの嘘は許されると考えているからです。これからもです。この恐ろしさに鈍感なのが日本民族です。それだけ普段は抜けているわけですから、困った時に専門家の過失を問う資格などないのです。淘汰されないのはガラパゴス島だからです。



本の値段は参考になりました。ありがとう。ただ私の知る範囲では大体、半値なんだよね。
図書館にも本や辞書があるけどダメなんだ。借りる事もないわけ?信じられないくらいあるよ一般書なら。参考書もあると思う。

偉く感心な青年像を思い浮かべてしまうのですが(笑)酒もタバコもゲームもテレビもなしで本と暮らすってホント?

ノートに書いて勉強するのが基本ですか。ルーズリーフ、コピー、プリントアウト、切り抜きとかしますか。
それともPC内の作業ですか。私はPCでは勉強にならない気がするのです。デカイ本とPCが机の上でケンカにならない?参考にしたいです。

ちなみに大学受験じゃないですよね。邪魔したら悪いからさ。
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この回答へのお礼

<「それはそれで良いのでは」?どこが良いのだ!ハッタリ?
<資格はそのままです。嘘がバレても詐欺をやっても、死ぬまで獣医師です。
<その程度の犯罪では、資格はなくなりません。
本当なら医者は公の場でなくとも嘘やハッタリを言ってはならないのですが。

<読解力のない人のために読解すると。
<「知っているのでは…と勘ぐりたくなる」の文意は、「医学博士号を持っている人が知りながら嘘をつ<いているのならば、少しも問題ない」ということです。獣医師先生は、専門家の嘘つきは、悪くないと<判断をしています。
<笑い事ではありません。
<ふつう逆だと思うのですが。専門化が嘘をつくなら資格は没収です。
<悪びれていないのか、ぶっとんでんのか。これが専門家の正体なのです。
<ところが実際、これのどこかがいけないのか、ピンとこない日本の大衆がいます。専門家ならいいでは<ないかと思っているのが多くの馬鹿日本人の思考です。専門家もまた日本人ですから同様です。それく<らい論理的に考えない民族なのです。「専門家」=「ただしい」それが根拠なのです。上から下まで救<い難いのです。
何事でも専門家は資格さえ取ったら精進をしなくなるものです。そもそも博士号は研究結果によって得られる称号であって実力があるとは限りません。逆に言えば資格というのは定められた手順を踏めば取れます。完全な実力勝負になった時、資格のある人はどうなるのでしょうか。知人は大学教授としては間違いなく不安です。

<赤ん坊が「葬儀」を理解できるわけないでしょ(笑)また話がすり替わる。
死と葬儀は等しくないですね。死とは命の破滅。葬儀は儀式。その2つを論理として結びつけるのは正しくないでしょう。死という破滅を考える時、儀式を持ち出すのは正しくないといえます。破滅の理解と儀式の理解は全く別物です。

<本の値段は参考になりました。ありがとう。ただ私の知る範囲では大体、半値なんだよね。
<図書館にも本や辞書があるけどダメなんだ。借りる事もないわけ?信じられないくらいあるよ一般書な<ら。参考書もあると思う。
住んでいる所が田舎なので図書館に良い本がありません。図書館よりもブックオフの方が品揃えが良い状態です。その代わりなのでしょうが、ブックオフでの値段付けが非常に甘いです。田舎ということで専門書は買う人がいないのでしょう。それで値崩れしている、と。

<ちなみに大学受験じゃないですよね。邪魔したら悪いからさ。
年齢からは人生リタイアした印象も感じられますが、将来的に絶対に受験しないとは言えません。60,70で東大に入った人や40位で医学部に入った人も知っています。国立医学部なら年齢は関係ないそうです。(中年や老年でも東大医学部は入学を許可してくれると教えてもらいました。)留学も出来ればしたいとは思っています。

何だかんだ言って色々と教えてくださって有難うございます。私もまだまだと分かりました。再び精進します。

お礼日時:2011/06/18 09:26

 Jagar39です。



>だいぶ厳しく書いてすみませんでした。

 いえ、私の方も字数の問題もあって理屈だけを述べるような無愛想な書き方をしているので、それはお互い様です。

>専門分野だけ学ぶのではなく『全て』を学ぶことは私は強く勧めます

 私も音楽はやりますよ。現役でやっていた頃は某市民会館の大ホールに1000人くらいの聴衆を集めたこともありますし、今でもバーで弾くと一緒に来た仲間だけでなくその場に居合わせた見知らぬ人も静聴させるくらいの腕はあります。弾ける楽器もギターくらいになりましたし、レパートリーも激減してますが。昔に比べてずいぶん腕は落ちましたが、CDの曲を聴いて譜面を起こせるくらいには音楽の勉強もしました。
 他にいくつか趣味もありますが、そちらの専門雑誌からたまに原稿依頼が来る程度にはそちらの方面の勉強もしています。

 ただですね、「全ての分野を徹底的に学ぶ」のは物理的に不可能です。人間の一生はそんなに時間がありませんから。
 専門分野は責任があるので徹底的に学ばねばなりませんが、一生を費やしても上っ面を撫でた程度にしか入れない、とつくづく実感しています。曲がりなりにも「深く」入っていけるのは、その専門分野の中でもさらに狭い領域だけです。それで一生を使い果たすくらいしか、人の人生には時間が足りない。

 その狭い1つの分野に深く(といってもたかが知れていますが)入って判るのは、「科学」とは「知識」ではなく「論理」だということです。
 専門書にまだ書かれていないこと、書かれているが異議があることなどを「立証したい」と考えたとき、どういうデータを出せば良いのか、そのためにはどういう実験をデザインするべきか、あるいはどういう調査をすべきなのか、サンプル数はいくつ必要か、得られたデータをどのように分析してどのような論証をすべきか、ということを考え抜くわけです。
 もちろんこのようなサイトで科学課題の話をするときは、レビュー的な手法が普通でしょう。つまり、どういう現象が見られていて、それらは現在はどのような解釈が一般的か、という書き方や、見られている現象や報告されている研究成果について、自分はどのような解釈をしていて、従って結論はこうだ、みたいな書き方です。
 「知識」そのものではなく、その過程の思考方法が「科学」なんです。

 専門書は専門家が「辞典」として使用するものです。どんな専門家でも専門分野のあらゆる「知識」を記憶しているわけではないですから、その知識が必要になったときに使うわけです。
 あるいは大学の教養部あるいは学部生の講義とか。

 だから上に述べたような「本当の勉強」は、大学の専門課程でも後半の講座(研究室)に配属になって卒論のテーマを与えられてから、です。

 それで初めて、知識の羅列にしか見えない「専門書」の1行1行の「背後」に何があるのか、を朧気に実感することができ、単なる羅列だった記述が繋がるわけです。

 私が「専門書」ではなく「一般書」をお奨めしたのは、専門書は「知識の羅列」でしかないからです。まさにそういう用途のために書かれた本ですから。
 一般書は、「知識の量」は専門書に遠く及びませんが、特定の知識の「背景」、つまり動機や現象や論理、論証のやり方、反対意見に対する再反論などが詳しく、その著者の目線で書かれています。
 その代わりピンからキリまであって、酷いのに当たると5年くらい騙されることもありますが、それは数を読むことで自ずと「目」が養われるでしょう。

 専門書には基本的に「知識」しか書かれていませんから、その知識の外には何もないような錯覚を抱きがちです。だから「科学は万能ではない」というセリフを"安易に"吐いてしまうのです。
 科学が万能ではないことは、知識の境界付近で「知識の領域」を拡大しようと格闘している科学者自身が、誰に言われなくても一番身に染みて判っています。ですが、知識の外側は「何も判らない」のではなく、そこに手を伸ばしてたぐり寄せる「方法」があるわけです。それが「科学」であって、知識そのものが科学なのではない、と思います。
 知識そのものは「科学の成果」であって科学そのものではありません。

 知識の領域が拡大していくに連れて、「古い知識」は間違っていたことが判明したり、修正されたり、再確認されるでしょう。
 知識が拡大すればするほど、その基盤が強化されていく「古い知識」もあります。進化論はその典型です。相対性理論だって大筋ではそうでしょう。
 境界付近に位置する知識(つまり最新の知識)ほど、次の知識によって覆ったり修正されたりしやすいですから、専門書も古い版はかなり「間違い」が書かれています。中には1冊丸ごと「大間違い」になってしまう本もあります。

 というのが「総論」です。

 というわけで「各論」を。

>実際、理解している現象がどれ位あるのかと私は思っています

 もちろか理解していない現象もたくさんありますが。
 私がここで書いた「現象」は、重力とか進化論といった、この世界全体を貫く大原則のようなマクロ的なものだったので、「風邪薬」はちょっと違うな・・・と思いました。
 「風邪薬」は「現象」ではなく、既に微細な「メカニズム」なのでは?

 まあせっかく私の専門分野そのものに話題を振っていただいたので、風邪薬の話もします。

>鼻水を止めたら病原菌が出て行かなくなります

 体内で増殖している量に比べれば鼻水に排泄される病原菌の量は微々たるものなので、鼻水を止めても症状の転帰にはそして影響はありません。それより鼻水から排泄される病原菌は、「次の人」に対する感染源になるので、鼻水を止めることにはそれなりの意義があります。他人との接触を絶てるのなら無理に止める必要はないですが、症状が軽減されて楽になるのなら止めた方が良いでしょう、という程度のものです。そもそも風邪薬は「症状を楽にするもの」であって、風邪を治すとは誰も言ってません。

>熱を下げたら抵抗力が下がります

 全てにおいてそうではありません。そもそも熱を上げることは、身体にとっては「戒厳令」のようなもので、一時的に通常機能を減退させても免疫系を活性化させようという機能です。従って、総合的な「抵抗力」は発熱によって確実に落ちます。
 さらに、上部気道に感染するウイルスは、増殖の至適温度が34℃近辺にあるものが多いので、体温を上げることはウイルスの増殖を抑える上で効果的なのですが、細菌の中には自ら発熱物質を放出して宿主の体温を上げようとするものがいます。
 これらの細菌は、増殖の至適温度が40℃くらいであるものもあるので、「熱は下げるべきではない」というのも状況によって様々なのです。
 また、毒素によって熱発しているような場合は、発熱によって免疫系が活性化されてもあまり意味がなく、発熱による身体のダメージの方が深刻な場合もあります。
 まあ要は、そんなに単純じゃない、ということです。
 このあたりの話は「現象」じゃなく「メカニズム」だという私の言い分(そんなに明確な基準があるわけではないですが)、お判りになります?

>薬は肝臓と腎臓に負担になります

 それはそうですが、発熱もいろいろな臓器に負担になりますよ。

>公の場です。それも教育現場で述べました。それを受け入れた生徒がそのまま卒業したらどうなってしまうのでしょうか。

 医学部のですか?だとしたらそれはちょっと軽率ですね。
 でも、学生も愚かな人ばかりではないので、内心(うっそぉ~)と思いながら聞いていた人もいるかもしれませんし、それはおかしい、と思って詳しく勉強する人もいるでしょう。
 聞いたままをそのまま盲信するような学生は将来がちょっと心配ですが。

 その他の「性格の遺伝」や「臨死体験その他」については稿を改めます。

この回答への補足

<全てにおいてそうではありません。そもそも熱を上げることは、身体にとっては「戒厳令」のようなも<ので、一時的に通常機能を減退させても免疫系を活性化させようという機能です。従って、総合的な<<「抵抗力」は発熱によって確実に落ちます。
<さらに、上部気道に感染するウイルスは、増殖の至適温度が34℃近辺にあるものが多いので、体温を上<げることはウイルスの増殖を抑える上で効果的なのですが、細菌の中には自ら発熱物質を放出して宿主<の体温を上げようとするものがいます。
<これらの細菌は、増殖の至適温度が40℃くらいであるものもあるので、「熱は下げるべきではない」と<いうのも状況によって様々なのです。
<また、毒素によって熱発しているような場合は、発熱によって免疫系が活性化されてもあまり意味がな<く、発熱による身体のダメージの方が深刻な場合もあります。
<まあ要は、そんなに単純じゃない、ということです。
<このあたりの話は「現象」じゃなく「メカニズム」だという私の言い分(そんなに明確な基準があるわ<けではないですが)、お判りになります?

あなたの考えは正しいと思います。今まで私がメカニズムにあまり着目しないで知識を網羅する姿勢だったのは見直します。有難うございました。しかし一応、下の記述についてのあなたの見解を聞かせていただきたいと思います。
『解熱薬の使用が感染からの回復を早めたり免疫システムに補助的に作用するという根拠も存在しない。……中略……解熱薬のルーチンの使用は,十分に治療できていない細菌感染を隠してしまう可能性がある。解熱薬を中止することで,特殊な熱性疾患が診断しやすくなる場合がある。』
引用:ハリソン内科学第3版,125ページ

と、なれば風邪薬などが本当に人体にプラスかどうかは分からないとは思いませんか? 今のエビデンスの導き方でも実験方法や対照群の選び方が私は不完全だと考えます。私は色々と勉強してもソクラテスの無知の知を覆すことは非常に難しいと考えております。『我思うゆえに我在り』という言葉も考えてしまいます。

>薬は肝臓と腎臓に負担になります
<それはそうですが、発熱もいろいろな臓器に負担になりますよ。
しかし薬の体への負担と発熱の体への負担を比べると薬のほうが体への負担が大きいとは思いませんか? 昆虫もキリギリスあたりは感染をすれば発熱をします。ちなみに脊椎動物だけが免疫能力を成長させられるそうです。(出典:Janeway's Immunobiology 7th)発熱は生物にとっては自然でありふれた現象です。一方で薬を使って治療をするのは人間だけです。つまり薬の方が生物には不自然なものなのです。発熱という自然な手段よりも薬という不自然な手段の方が体に負担がかかるとは思いませんか? 進化の中で薬という不自然なものに対する耐性を得られるとは私は思えないのです。昆虫や鳥はアセトアミノフェンを摂取しようがありません。彼らにはアセトアミノフェンは作れませんから。薬の分解では様々な代謝経路を経ます。完全に排泄されるまで最低6ヶ月もかかる薬もあります。(出典:カッツング薬理学)そう考えた時、私は
『発熱よりも薬の方が身体への負担が大きい』と主張します。

だいぶ厳しい文面で申し訳ないのですが、この質問に答えていただけると非常に嬉しく思います。読んでくださって誠に有難うございました。

補足日時:2011/06/18 21:07
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この回答へのお礼

<私も音楽はやりますよ。現役でやっていた頃は某市民会館の大ホールに1000人くらいの聴衆を集めたこ<ともありますし、今でもバーで弾くと一緒に来た仲間だけでなくその場に居合わせた見知らぬ人も静聴<させるくらいの腕はあります。弾ける楽器もギターくらいになりましたし、レパートリーも激減してま<すが。昔に比べてずいぶん腕は落ちましたが、CDの曲を聴いて譜面を起こせるくらいには音楽の勉強<もしました。
<他にいくつか趣味もありますが、
<そちらの専門雑誌からたまに原稿依頼が来る程度にはそちらの方面の勉強もしています。
あなたがそれほど凄い人とは知りませんでした。

<専門分野は責任があるので徹底的に学ばねばなりませんが、一生を費やしても上っ面を撫でた程度にし<か入れない、とつくづく実感しています。曲がりなりにも「深く」入っていけるのは、その専門分野の<中でもさらに狭い領域だけです。それで一生を使い果たすくらいしか、人の人生には時間が足りない。
ただ、専門分野を学ぶ時に専門分野以外の知識が多いほど色々と繋がってきます。理系と文系も密接に関連してきます。そういう意味でお勧めなのです。逆に専門分野だけしか学ばないと視点が狭くなります。院レベルまで学ばずとも何事も学部レベルくらいは学んでおくべきと私は思っています。

<「知識」そのものではなく、その過程の思考方法が「科学」なんです。
知識よりも思考を重視するのが科学ということですか? 確かにそういう姿勢を持つことは大事ですね。私には欠けていた部分です。教えてくださって有難うございます。

<専門書は専門家が「辞典」として使用するものです。どんな専門家でも専門分野のあらゆる「知識」を<記憶しているわけではないですから、その知識が必要になったときに使うわけです。
<あるいは大学の教養部あるいは学部生の講義とか。
辞典として使うのですか……。私は問答無用で医学大辞典や看護大事典や社会学辞典や英英辞典などを隅から隅まで読み込む勉強をしていました。実際の症例を通しても力がついているのは自分でも分かったのですが……。実際はどうなのでしょうか。全てではありませんが、専門家(大学教授や研究者)や現役の医者や薬剤師などと話をしても正直言って彼らの実力は伴っていないと感じます。少し議論すると彼らに勝ってしまったり。彼らのあらがすぐに見えたり。だからこそ自分の勉強法に無駄な自信を持ってしまったのでしょう。辞典を読み込むという勉強法はあなたから見てどうですか?

<それで初めて、知識の羅列にしか見えない「専門書」の1行1行の「背後」に何があるのか、を朧気に<実感することができ、単なる羅列だった記述が繋がるわけです。
それは感じます。勉強すればするほどにだんだん繋がってきます。逆に言えば背後が見えてくるのはかなり勉強した後ですね。

<私が「専門書」ではなく「一般書」をお奨めしたのは、専門書は「知識の羅列」でしかないからです。<まさにそういう用途のために書かれた本ですから。
<一般書は、「知識の量」は専門書に遠く及びませんが、特定の知識の「背景」、つまり動機や現象や論<理、論証のやり方、反対意見に対する再反論などが詳しく、その著者の目線で書かれています。
<その代わりピンからキリまであって、酷いのに当たると5年くらい騙されることもありますが、それは<数を読むことで自ずと「目」が養われるでしょう。
だからこそ一般書を勧めるのですか。やっと意味が分かりました。有難うございます。しかし他の方の回答の通り、一般書の場合は信頼性が怪しいと考えてしまいます。その様な科学的姿勢を養うよりもどうしても知識を得たいと思ってしまいます。

<専門書には基本的に「知識」しか書かれていませんから、その知識の外には何もないような錯覚を抱き<がちです。だから「科学は万能ではない」というセリフを"安易に"吐いてしまうのです。
正直、安易といわれると辛いです。私は非常に勉強していて、症例なども調べていて、海外の洋書まで手を出して徹底的に考察した上で万能ではないと述べています。ただ、あなたから見たらやはり安易なのかもしれません。その意見を受け取った上で自分の態度に修正をかけたいと思います。恐らく、あなたは相当研鑽したのでしょう。だからこそそう見えるのでしょう。

<科学が万能ではないことは、知識の境界付近で「知識の領域」を拡大しようと格闘している科学者自身<が、誰に言われなくても一番身に染みて判っています。ですが、知識の外側は「何も判らない」のでは<なく、そこに手を伸ばしてたぐり寄せる「方法」があるわけです。それが「科学」であって、知識その<ものが科学なのではない、と思います。
<知識そのものは「科学の成果」であって科学そのものではありません。
そういう考え方は教わったことがありません。有難うございます。

<「風邪薬」は「現象」ではなく、既に微細な「メカニズム」なのでは?
少なくともただの現象という上っ面をとらえるのではなく、メカニズムをしっかりと理解すべきでした。教えてくださって有難うございます。

<体内で増殖している量に比べれば鼻水に排泄される病原菌の量は微々たるものなので、鼻水を止めても<症状の転帰にはそして影響はありません。それより鼻水から排泄される病原菌は、「次の人」に対する<感染源になるので、鼻水を止めることにはそれなりの意義があります。他人との接触を絶てるのなら無<理に止める必要はないですが、症状が軽減されて楽になるのなら止めた方が良いでしょう、という程度<のものです。そもそも風邪薬は「症状を楽にするもの」であって、風邪を治すとは誰も言ってません。
このあたりがとても勉強になりました。有難うございます。

<このあたりの話は「現象」じゃなく「メカニズム」だという私の言い分(そんなに明確な基準があるわ<けではないですが)、お判りになります?
分かりました。知識があるよりも如何にメカニズムや流れを汲み取るか。いかに知識を繋げるか。それらが如何に大切かが分かりました。本当に有難うございました。

色々と目から鱗が落ちました。本当に有難うございました。私はあなたのような人に教えてもらえればよかったとしみじみ思います。私は教師には恵まれない人生なのかもしれません。

お礼日時:2011/06/18 07:03

 Jagar39です。



>ですので現代の科学もまだまだで、これからも意外な事実が明らかになってくるでしょう

 もちろんそのとおりです。
 しかしですね、現代の科学で何が判っていて何が判っていないか、どれだけ正確に知っていますか?
 このことについて、世界中探し回っても全てを知っている(何が判っていて何が未解明か知っている)人はいません。それぞれ自分の専門分野、あるいは得意分野しか知らないわけです。
 だから、それぞれ知識のバックボーンが違う人が議論するのは有意義なんです。

 科学を知らない人ほど、「科学では判らないことがある」という言葉を"安易に"使います。
 知っている人は知っているところまで話をしているだけなんです。

 それと、全てを知らなくても現象は理解できます。

 人類は重力のメカニズムについてまったく何もと言って良いほど知りません。なぜ質量がある物体同士に引き合う力が生まれたのか、なぜ質量に応じて周囲の空間が曲がるのか(そもそも空間が曲がるってなんなのさ)、なぜ重力を受けると時間の進み方が遅くなるのか、それらの「なぜ」には科学はまだ答えることができません。
 それでも惑星の軌道は正確に計算できるし、小惑星に探査機を正確に到達させることもできるし、GPSは正確に地球上の自分の位置を3m以内の誤差で示すことができています。

 ダーウィンは「遺伝子」というモノの存在を人類がまだ知らなかった時代に、進化のメカニズムを非常に正確に考察することができました。現在、進化論は世界中の多くの分野の科学者に、よってたかって微修正、補強をされていますが、ダーウィンが考えた進化論は本質的には益々「正しい」と確信され続けています。
 知らないこと、解明されていないことは多くても、論理を駆使することによって物事の本質はかなり正確に知ることができる、と思います。

 ですから、何かひとつ「謎」が解明されると同時に、それに付随して多くの新たな「謎」が浮上するのです。

 今回の質問である「快楽死(または安楽死)するための機能(もしくはメカニズム)」は、未解明の要因がたくさんあるでしょう。オピオイドだけでなく、アドレナリン分泌もそのような機能を持つように見えるかもしれません。まだ他にもありそうです。
 その具体的なメカニズムは全て解明されたわけではなくとも、それが「進化的に獲得した経緯」は原則論としてであればきちんと論証できる、ということです。

 進化論の理論は煎じ詰めれば「有利な遺伝子は頻度を増して集団に定着し、不利な遺伝子は集団から淘汰される」というだけの、極めて単純で美しい理論です。
 それは何も難しい理屈ではなく、「有利な遺伝子は、十分大きな集団と長い世代数で見れば、平均して産子数が多くなるから(産子の生存率が高くなることも含む)、集団の中で増えていくだろう」という、子供でも理解できる単純な数学的帰結です。
 分裂で増えるような一部の生物を除けば、生物が「遺伝子を他個体に渡す」のは、生殖によって子に伝える以外の方法がないこともはっきりしているわけですから、「子の数あるいは生存率を向上させる機能を持たない遺伝子は集団に定着できない」というのも、当たり前の理屈です。

 この大原則に従って、「この遺伝子はどのようにして集団に定着したのか」というのを理論的に考察していけば良いだけです。

 遺伝的浮動やウイルスによる遺伝子の水平伝播というレアケースはありますが(「ウイルス進化論」が正しいという意味では断じてありません)、それらはあくまで「レアケース」ですから、進化の原動力の主役にはなれません。

 「性格」という複雑怪奇な代物が、これもやはり「遺伝子によって規定されている」ことも、既に判っていることです。
 ま、「規定」という言葉は、いかにも遺伝子によって性格の全てが決定されているような印象を与えるのであまり良い言葉ではないかもしれませんね。
 性格の「姿」については、私が以前に示した「塊と彫刻」のイメージが良い線いっている、と自分では思っています。(別の質問の回答でしたっけ?)
 ですから、性格については遺伝と後天的影響のどちらが大きいか小さいか、という問題ではなく、両方が揃って初めて形になる、というイメージです。「性格」によっては遺伝の影響が甚大なものもあるでしょうし、遺伝子がどうあれどうにでもなるようなものもあるでしょう。そのあたりも「塊と彫刻」の例えは上手く説明できると思っているのですが。

 また家畜、特に犬の育種によって「ヒトが望む「性格」を選択交配という手段のみを用いることによって集団に定着させることができる」ということも既に証明されてしまっています。これはすなわち、「ヒトになつく」とか「攻撃的」、「水を怖がらない」、その他諸々のあらゆる「性格」が遺伝する、ということを証明しているわけです。

 具体的なメカニズムなんて判っていませんよ。「ヒトになつく」という「性格」が、どの遺伝子がどのように機能して発現されるのか、なんてまだ誰も知りません。でも、現象を理論的に理解する限り、「性格に影響を与える遺伝子が存在するらしい」ことは確実だということは判ります。

 ちなみにウォレスが最終的にダーウィンと袂を分かったのは、「ヒトも他の生物と本質的にはまったく同じ生物である」ということを受け入れられなかっただけです。ダーウィンが「ヒトも他の生物と同じである」→「ヒトは他の生物から進化したのに違いない」と考えていたのに対し、それをウォレスは受け入れられなかっただけです。
 そして「事実」はダーウィンが正しくウォレスは間違っていた、というだけのことです。ヒトが類人猿から進化したことをまだ信じない人がいるなら、その人にとってはウォレスはまだ目があるでしょうが。

 理論が明確に示すモノを感情で曲げてもあまり良い結果にはならない、ということです。

>彼が嘘をついたとなると医学会が非常なる大問題を抱えていることになってしまいます

 そんなにたいしたことでもないと思いますけど。
 誰だってウソやハッタリは言いますし、公の場で述べたのでない限り、影響はないに等しいですから、ただのホラ話だったとしても、それはそれで良いのでは。
 公の場で述べていたら袋叩きに遭うかもしれませんが・・・
 まあ、プラセボ効果は末期ガンのような甚大な苦痛には効かない、というのが一般的な見解でしょうし、中にはプラセボ効果の実在そのものを疑っている人さえいますから。
 また効き具合にも個人差があるでしょうから、希有な例としてそんなこともあった、ということだったとしても不条理ではないでしょう。

>あなたは相当怖かったでしょうし、苦しかったでしょうから、それを大したことではないと書くのは申し訳なさも伴うのですが

 いや、そもそも覚えちゃいないのでいいのですけども。
 「脳が死ぬには酸欠が数分」と書かれていましたが、脳が死んでしまったら臨死体験から生還することはできませんよ。私の場合は10分ほど止まっていたらしいですが、まあいずれにしろ覚えていないので怖いも何も。
 まあ記憶がないので自分のこととして受け取れないのではありますが、10分間の呼吸停止はそのまま死んでいてもおかしくなかった、ということは理解できます。

>と、なるとやはり赤子でも死の恐怖は知っているのです

 この論旨は破綻していると思います。
 兵士が震えるのは子を理解しているから恐怖しているのであって、苦痛の大きさが「死を理解しているか否か」と結びついているわけではありません。
 もしそうなら、「死を受け入れて安らかに逝った人」は、死を理解していなかったから受け入れることができた、という理屈になってしまいます。

 赤ん坊にとっては母親は「世界の全て」です。まだ自我が確立していませんから、母親と自分を区別することができませんから、「母親と引き離される」ことは自分のみを引き剥がされるのに等しい苦痛でしょう。さらに肉体的な苦痛も味わうわけですから、重傷を負って死を目前にした兵士より遙かに大きな苦痛と恐怖を味わったであろうことは想像できます。
 ですが、苦痛の大きさをもって「死を理解していた」ということは言えない、と思います。
 赤ん坊が死を理解できるのなら、葬儀場での幼児の振る舞いはどう解釈されますか?

>自分が消えることすら理解できない赤子でも死は大人と同じように怖い

 自分が消えることを理解できないのなら、赤ん坊が怖がったのは「死」ではなく、苦痛と母親の喪失であると考えるのが自然だと思います。

>しかしジャンヌ・ダルクあたりの物語を考えると宗教が人間が勝手に創造したものとは言えない気もします

 まあこれは「お話」ですから・・・何が冷然たる事実で何が後世の創作か、今となっては判別は難しいでしょう。
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この回答へのお礼

<しかしですね、現代の科学で何が判っていて何が判っていないか、どれだけ正確に知っていますか?
ある程度しか分かりません。逆に言えばある程度は知っています。

<このことについて、世界中探し回っても全てを知っている(何が判っていて何が未解明か知っている)<人はいません。それぞれ自分の専門分野、あるいは得意分野しか知らないわけです。
私は専門分野や得意分野を設けていません。全ての分野を徹底的に学んでいます。学問だけでなく、楽器も弾きますし、人間観察も好きです。専門分野や得意分野だけしか学ばないと総合的な観点から物事を見ることが出来ません。英語を学んで見える日本語の性格。中国語やアラビア語と比較した比較言語論。言語によって学問はどう違うか。音楽を生み出す言語の背景。音楽と心理の関係。専門分野だけ学ぶのではなく『全て』を学ぶことは私は強く勧めます。ホーキング氏も物理しか学んでいない故に彼らの理論はあやふやだという意見もあります。ですので全てを学びましょう。偏ってはまずいと思います。

<だから、それぞれ知識のバックボーンが違う人が議論するのは有意義なんです。
確かに他の人と議論して初めて見えてくることは多いでしょう。私も今回は色々と教えてもらえました。有難うございます。

<科学を知らない人ほど、「科学では判らないことがある」という言葉を"安易に"使います。
科学を本当に知らなければ科学で判らないことがあると安易には使えません。科学万能を刷り込まれた人は科学で判らないことがあるという考えすら分かりません。子供は科学では判らないことがあるということすら分かりませんから。私もそうでした。逆に言えば科学では判らないことがあると言える人はある程度は科学を知っている人です。よってこの部分は間違っているのではないでしょうか。

<それと、全てを知らなくても現象は理解できます。
実際、理解している現象がどれ位あるのかと私は思っています。風邪薬を考えてみましょう。風邪薬を飲んで風邪が治りますか? 鼻水を止めたら病原菌が出て行かなくなります。熱を下げたら抵抗力が下がります。薬は肝臓と腎臓に負担になります。風邪薬では風邪は治せません。そういうあやふやさが巷には出回ってます。

<人類は重力のメカニズムについてまったく何もと言って良いほど知りません。
そうですね。少なくとも私が学んだ物理学では不明でした。

<何かひとつ「謎」が解明されると同時に、それに付随して多くの新たな「謎」が浮上するのです。
素晴らしい文章です。有難うございます。

<今回の質問である「快楽死(または安楽死)するための機能(もしくはメカニズム)」は、未解明の要<因がたくさんあるでしょう。オピオイドだけでなく、アドレナリン分泌もそのような機能を持つように<見えるかもしれません。まだ他にもありそうです。
そうですね。生体内のフィードバック機構の解明はせいぜい10分の1です。まだまだ分からないことだらけです。

<進化論の理論は煎じ詰めれば「有利な遺伝子は頻度を増して集団に定着し、不利な遺伝子は集団から淘<汰される」というだけの、極めて単純で美しい理論です。
確かに単純化すればそうなります。

<性格の「姿」については、私が以前に示した「塊と彫刻」のイメージが良い線いっている、
そうですね。とても分かりやすいたとえだと思います。

<また家畜、特に犬の育種によって「ヒトが望む「性格」を選択交配という手段のみを用いることによっ<て集団に定着させることができる」ということも既に証明されてしまっています。
この証明された、というのはどこが出典ですか? 一応、教えてください。と、いうのも遺伝というのは様々な要素があります。細胞質遺伝、エピソーム遺伝、多因子遺伝、ミトコンドリア遺伝まで考慮すると(出典:医学大辞典、第二版、非メンデル遺伝の項)それほど遺伝は単純なのかと疑問に思ってしまうのです。 遺伝はもっと複雑な減少ではないか、と。

<ちなみにウォレスが最終的にダーウィンと袂を分かったのは、「ヒトも他の生物と本質的にはまったく<同じ生物である」ということを受け入れられなかっただけです。ダーウィンが「ヒトも他の生物と同じ<である」→「ヒトは他の生物から進化したのに違いない」と考えていたのに対し、それをウォレスは受<け入れられなかっただけです。
この話は知りませんでした。有難うございます。

<して「事実」はダーウィンが正しくウォレスは間違っていた、というだけのことです。ヒトが類人猿か<ら進化したことをまだ信じない人がいるなら、その人にとってはウォレスはまだ目があるでしょうが。
もし進化論が正しいのなら、なぜローマ教皇はそれを認めないのでしょうか。少なくとも現代の進化論ではローマ教皇やその辺のクリスチャンやムスリムなどを説得できないということではありませんか? 彼らを説得できないのならばやはり進化論も厳密に言えば完全では無く、事実でない可能性もあるとは思いませんか? 本当に事実なら、彼らを説得できます。

>彼が嘘をついたとなると医学会が非常なる大問題を抱えていることになってしまいます
<公の場で述べたのでない限り、影響はないに等しいですから、
公の場です。それも教育現場で述べました。それを受け入れた生徒がそのまま卒業したらどうなってしまうのでしょうか。

<脳が死んでしまったら臨死体験から生還することはできませんよ。
何を持って脳死とするか、でしょうね。たとえば人間を冷凍保存するという人口冬眠技術もありますし、ただ単純に生かすだけならまた別ですし。脳が機能を停止したときを脳死とするか。それとも脳内の神経回路が破壊された所までを脳死とするかでまた話が違ってくるかもしれません。酸素不足で機能停止ならまだ生還することは出来るのではないでしょうか。

<10分間の呼吸停止はそのまま死んでいてもおかしくなかった、ということは理解できます。
そうですね。

<苦痛の大きさが「死を理解しているか否か」と結びついているわけではありません。
確かにそうかもしれませんが、苦痛の大きさをもたらす要素は他に何が考えられると思いますか? 私自身、その理由を知りたいとも思っています。

<赤ん坊にとっては母親は「世界の全て」です。
母親以外の世界も出産後には赤子は見ています。たとえば幼児洗礼を受けた赤子は母親以外の人からも愛され、他のクリスチャンにも愛着(attachment)を感じるようになります。発達心理学的な関連からいくとそうなります。よって上の論理はやや曖昧と言えます。

<まだ自我が確立していませんから、
<母親と自分を区別することができませんから、「母親と引き離される」ことは
<自分のみを引き剥がされるのに等しい苦痛でしょう。さらに肉体的な苦痛も味わうわけですから、
これが母親のみに対して愛着が形成されるような印象を与えられてやや? と思ってしまいます。赤子は母親が本当に世界の全てでしょうか。父親にも愛着を感じるのが赤子です。自分を全面的に愛する存在には赤子は愛着を形成しませんか? そもそも子供が人見知りを『出来るようになる』のはある程度成長してからです。もっと言えば赤子が自我を確立していないのなら母親から引き離される恐怖を感じるのでしょうか。もしこれが正しいのならば大体の赤子は激しい苦痛を感じませんか? 現代の出産時には大体の赤子は母親から引き離されるはずです。親戚の子もそうでしたが。

<重傷を負って死を目前にした兵士より遙かに大きな苦痛と恐怖を味わったであろうことは
<想像できます。
と、なると母親から引き離されて多大な痛みを味わった赤子は皆が一晩中泣くのでしょうか? 当時でも赤子に使える鎮静剤や赤子をなだめる工夫があったはずです。赤子を一晩中泣かせておいて何もしないとしたらそれは医者としてはむしろ不自然ではありませんか? たとえば未熟児は保育器に入れるということで母親と引き離されます。また、未熟児でかつ何らかの疾病をかかえていれば肉体的な苦痛も味わうでしょう。しかし保育器で一晩中泣き叫ぶという症例は私は知りません。

<赤ん坊が死を理解できるのなら、葬儀場での幼児の振る舞いはどう解釈されますか?
そうでもないようです。私が1歳にならないうちに私の祖父が亡くなりました。その亡くなる時間の頃、私が泣いて泣いて仕方が無かったようです。いつもとは違った様子でどうしても泣き止まなかったそうです。と、母が言っていました。そう考えた時、赤子でも死を理解できるとは思いませんか?

<自分が消えることを理解できないのなら、赤ん坊が怖がったのは「死」ではなく、
<苦痛と母親の喪失であると考えるのが自然だと思います。
母親の喪失がそれほど赤子に多大な影響をもたらすのでしょうか? 保育器に入った赤子は誰もが情緒不安定でしょうか? ……そういった症例は私は知りませんが……。

<まあこれは「お話」ですから・・・何が冷然たる事実で何が後世の創作か、
<今となっては判別は難しいでしょう。
そうですね。しかし横井さんが地元住民に助けてもらって日本に返してもらう間に仲間の兵隊の霊に襲われた(御幣はありますが)事実を考えると、やはり霊などは存在するのかと思ってしまいます。横井さんは嘘を書く人ではないでしょうし。これは事実と考えてよいはずです。(参考:明日への道、横井庄一作、250ページ)単純に遺伝子と学問的理論だけで今までの現象や生物の現象を説明するのは無理があるような気もします。

だいぶ厳しく書いてすみませんでした。しかし色々と教えてくださって有難いです。

お礼日時:2011/06/17 08:30

また出てきました。

オピオイドという言葉を口にした、mrsamamaです。
まだ、この質問が開いているので、見てみたら、
すっごい議論状態になっていて、ビックリしました。
パソコンが調子悪くて、ノートではとても読む気になれないミニフォントなので、
プリントアウトして、議論の中身をじっくり読もうと思っています。

なので、拾い読みしただけで回答(?)というより意見を書かせていただくのですが。

とにかく私たちが一番わかってなきゃいけないことは、
「科学は脆弱である」ということだと思います。
質問者さんの言葉の拾い読みにも、そんな印象がありました(違ったらごめんなさい)
ダーウィンがあそこまで解き明かしても、結局は「観察と推論」に過ぎず、
私たちも同じことを、今ここでやっているわけですよね。

ただ、一つ思うのは、
人間の価値観(社会性とか、ヒューマニズムとか、倫理とか)が出来てからのアタマで
損得、意義、因果…という意味合い大前提で考えると、間違うよなー、と思うこともあります。

もう一つわかってなきゃいけなくて、忘れがちなのは
「地球にやさしく」(する方の立場だ)と言えてしまう傲慢さです。
パンのアオカビよろしく、地球表面の小さな生物なだけなんだけど、
「意識」長じて「知性」というのは、とんでもない間違いをしますよね。
ヒューマニズムは知性との「抱き合わせパック」なんだけど、
例えばアフリカの飢餓を救おう、ということは誰も疑わない善行です。
一方、げっ歯類(ネズミとか)は、群のサイズをきちんと維持し続けていて、
人口が増えてくると、身内殺しを初め、最後には集団暴走して
川に突進、大量溺死…ということをやるのだそうです。
これは、環境の中で「周囲に対して、自分らのサイズを守る」ということが
血縁維持よりも(いわんや、ヒューマニズムなんかよりも)ずっと
大切なことだと、ネズミごときがわかっているからで、
それが閉鎖環境の中での、最優先の掟、ということですよね。
推論で因果とか意義を優先させてしまうと、こういう大きな意味合いを忘れるんですよね…。
血縁維持の法則は間違いないものなんだけど、それを絶対としてその枠で考えていると
「それ以上に重要なきまりごとがある」という環境との関係を見失いますよね。
だから、アフリカの飢餓を無条件に救おうとする行為は、
ヒューマニズムでは是、生態学では否、
外枠をどこに設定するかによって、飢餓救済は悪になってしまう、人間だけの「善行」ですよね。
「世界人口」というサイトの、一秒より早く増えていく人口カウンターは、
本当に見ているだけで空恐ろしくなってくる、非情に増え続けて地球を食いつぶす
恐怖のカウンターですよ。


オピオイドは、出産でも出ていると思いますよ。
私は大して痛い思いをしたことがないんです。
でも、イザ生まれる、というときだけで、その前数時間は死んでました。
アドレナリンもあるでしょうね、メスにとって、生涯最大の正念場ですから。

ダーウィンの進化論は進化論として、突然変異と自然淘汰を軸に存在して、
でもそれだけじゃない何かがあるから、アルフレッド・ウォレスは
ダーウィンとは違う見解(人間よりも高度の知性)なんてことを言っちゃった。
ダーウィンが正道、ウォレスが異端と断ぜられたのは、
単に現代の科学的な価値観が、ダーウィン寄りであるというだけでしょう。

神様を前提とするかしないか、みたいな唯物論に話を落としたくないのですが、
こういうことを書くと、すぐにそのあたりだけを見た感情的なツッコミをくらい、
アホ臭いのでもう話したくない…という風になってしまいますが、
世界を広~~~く見る視点を持つと、私には

 オピオイドの本質と意義と獲得の必要性
 遺伝子継承に何が有利で不利で、どれはあるべきかないべきか、

なんてことは、どうでもいいんじゃない?それは世界全体の、たった一行に過ぎないよ、
という気がしてくるのも事実です。

質問者さんは、そういう話まで受け容れられる懐のある方に思われ、
あえてこんな意見を書かせていただきました。
知識のない人ほど、「科学で説明できないものはない」と言いきります。
でも、この質問のやりとりは、私にはとても価値ある方々のやり取りに見えます。
ちょうど今、そういう「たわごと」を書き綴った本を出版する準備をしています。
夏くらいには出てしまうので今更なんですが、このやり取りがとても興味あります。
こういう場を設けていただいて大変感謝していますし、
今しばらく、このやりとりが続くことを願っています。
質問に回答するのでなく、議論に口を挟むかたちになってしまい、申し訳ありません。

パソコンの調子が悪いために、あまり参加できませんが、
週に1度くらいは、この質問を追ってのぞきたい思っています。

回答者さん方も含め、みなさんどうもありがとうございます!
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この回答へのお礼

<とにかく私たちが一番わかってなきゃいけないことは、
<「科学は脆弱である」ということだと思います。
どうしても現代人は科学は立派であるという前提に立ってしまいます。この2行はとても勉強になります。有難うございます。

<ただ、一つ思うのは、
<人間の価値観(社会性とか、ヒューマニズムとか、倫理とか)が出来てからのアタマで
<損得、意義、因果…という意味合い大前提で考えると、間違うよなー、と思うこともあります。
それは人間の価値観であり、絶対的に正しい価値観では無いからでしょう。

<「地球にやさしく」(する方の立場だ)と言えてしまう傲慢さです。
ビートたけしは地球に優しかったら人間を殺せといっています。真理はついています。地球を壊せるのは人間だけかもしれません。そもそも根本的には地球に優しいとは何かを定義しなければなりません。昔々、酸素がほとんど無かった頃にはシアノバクテリアの登場ですら地球を『酸素で汚染』しました。現代社会では酸素濃度が高いことを善としている面がありますが、2,30億年前は酸素は完全に悪者です。酸素は基本的に毒なのでどんどん生物が死滅したそうです。

<例えばアフリカの飢餓を救おう、ということは誰も疑わない善行です。
しかし発展途上国を救うと人口が増えすぎて後で困るという大人の事情(今思うとこの言葉は嫌な言葉です)もあります。そのためにあまり発展途上国には積極的に介入していないそうです。救命艇の倫理だそうです。

<一方、げっ歯類(ネズミとか)は、群のサイズをきちんと維持し続けていて、
<人口が増えてくると、身内殺しを初め、最後には集団暴走して
<川に突進、大量溺死…ということをやるのだそうです。
と、いうことは利己的な遺伝子という前提はねずみには当て嵌まらないのですか? 利己的な遺伝子では少しでも子孫を増やそうとします。上の回答ではげっ歯類は利己的でない気がしてならないのですが……。

<ヒューマニズムでは是、生態学では否、
<外枠をどこに設定するかによって、飢餓救済は悪になってしまう、人間だけの「善行」ですよね。
そうですね。有難うございます。

<「世界人口」というサイトの、一秒より早く増えていく人口カウンターは、
<本当に見ているだけで空恐ろしくなってくる、非情に増え続けて地球を食いつぶす
<恐怖のカウンターですよ。
そのサイトは知りませんでした。お礼後にすぐに行ってみます。有難うございます。

<オピオイドは、出産でも出ていると思いますよ。
そうですね。二人目からは大分楽そうですが、誰でも最初のお産は相当苦しむようです。

<メスにとって、生涯最大の正念場ですから。
改めて言われてみて納得しました。ちなみに現代ではメスにとっては配偶者を見つけることももうひとつの生涯最大の正念場という気がしてなりません。こういう時代では。

<アルフレッド・ウォレスはダーウィンとは違う見解(人間よりも高度の知性)
その人の名前は知りませんでした。後で調べてみます。

<ダーウィンが正道、ウォレスが異端と断ぜられたのは、
<単に現代の科学的な価値観が、ダーウィン寄りであるというだけでしょう。
割と学問でも強者にとって都合の良いものが採用されます。キリスト教でも異端審問が何度もあったように。

<神様を前提とするかしないか、みたいな唯物論に話を落としたくないのですが、
<こういうことを書くと、すぐにそのあたりだけを見た感情的なツッコミをくらい、
<アホ臭いのでもう話したくない…という風になってしまいますが、
<世界を広~~~く見る視点を持つと、私には
確かに広い目を持たなければいけなさそうですね。

 <オピオイドの本質と意義と獲得の必要性
 <遺伝子継承に何が有利で不利で、どれはあるべきかないべきか、

<なんてことは、どうでもいいんじゃない?それは世界全体の、たった一行に過ぎないよ、
<という気がしてくるのも事実です。
そういう視点で見たことはありませんでした。そういわれてみればそうかもしれません。

<質問者さんは、そういう話まで受け容れられる懐のある方に思われ、
<あえてこんな意見を書かせていただきました。
有難うございます。とても勉強になりました。

<知識のない人ほど、「科学で説明できないものはない」と言いきります。
知識が少しある人(私など)は科学のあやふやさを知っています。専門的な医学書では『……はわかっていない』や『……と思われる』という記述が非常に多くて驚きます。大体1ページに7,8回は出てきます。

<でも、この質問のやりとりは、私にはとても価値ある方々のやり取りに見えます。
そうですね。他の回答者の方々の意見も非常に価値があって勉強になります。

<ちょうど今、そういう「たわごと」を書き綴った本を出版する準備をしています。
<夏くらいには出てしまうので今更なんですが、このやり取りがとても興味あります。
もしよければ書名を教えてください。買ってみたい気もします。

<質問に回答するのでなく、議論に口を挟むかたちになってしまい、申し訳ありません。
新しい風を吹き込んだと思っていただければ嬉しいです。謝っていただくのはむしろ恐縮です。

<回答者さん方も含め、みなさんどうもありがとうございます!
有難うございます。

オピオイドという情報、そして今回の俯瞰という視点や科学の曖昧さや自殺行為の情報を提供してくださって本当に有難うございました。

お礼日時:2011/06/17 06:42

私は最初の回答(No.4)から指摘していることと同じ観点ですが、死に際に「幸福ホルモン」が出る事実は「信仰心遺伝子」よりは現実的なのでしょうか。




(No.17)
>「 Jagar39です。
>>生理学ではわかっていないことの方が多いくらいだそうです。
> 判っていることの中で、の話です。」

その話者の飛躍が問題なのです。専門家の場合は特に。

私は最初の回答(No.4)から指摘していることと同じ観点ですが、死に際に「幸福ホルモン」が出る事実は「信仰心遺伝子」よりは現実的なのでしょうか。


(No.17)
>「 Jagar39です。
>>生理学ではわかっていないことの方が多いくらいだそうです。
> 判っていることの中で、の話です。」

その話者の非科学的飛躍が問題なのです。専門家の場合は特に。


(No.14お礼)
>「と、いうことは循環論法は間違った自己の正当化の手段という面もあるということですか?」

何に使おうが使っているインチキ人の勝手です。その場が済まされればいいというものですから。


b-w-step さんは、生物学の回答を、ご自身が書く「小説の文体に活用したり」しているのでしょうか。それであればその旨を明示されておくのが、回答者への誠意に思います。ほとんど回答者は、質問者の生物学的疑問を解決するつもりでタダ働きしているのですから。小説の足しにされようとは誰も知らなかった事です。
誰の言っている事が、支離滅裂なのか、まだ判らないのですか。


>「正しくないことを指摘する場合には相手の反論の余地の無いようにすべきだと私は考えています。」

そうなんですね。私は違う考えですが、合わせましょうか。


>「その通りですね。悪を批判したら悪です。嫌な人間を否定するのも悪です。このあたりは何度も教えてくださって有難うございます。私のいたらなさを何度もかみ締めています。」

これもまた嫌味ですか(笑)肯定文で馬鹿にする方が悪質なのでは?質問者さんはそういう嫌な相手を肯定する論法を乱用されない方がいいと思いますよ。読解力というか認識力が落ちますよ。つまり原型をとどめない現状認識に陥るということです。そしてあなたの言葉を文字通りに信じられなくなる!

疑問形は、理由を質問しているとは限りませんよ。あなたの思想を持つ理由を聞いている文脈ではないでしょ。それでほんとに小説を書けるもんなのですか。私のその文は特別、凝ったものではありませんでしたよ。


(No.9)「ここも最後にします」この約束が消えている。自分は善くても、他の人は覚えているのですが。自分の脳ミソがすべてなのでしょうか。言葉をなんだと思っているのでしょう。そんな人の説明が信用おけますか?碁石の事なんか覚えているわけありませんよ。国家資格を持つ成人が自分から言ったことも、忘れるんだから。遺伝しません。国家資格はそのままです。


(No.13お礼)(専門家を信じている素人)
>「他の動物は暴れても助けてもらえない。その差は何がもたらすのでしょうか? 」

詭弁がもたらします。


(No.13)(獣医師先生のご説明)
>「 骨折等の大ケガをしたり死の痛みに耐える動物が騒がずにじっとしているのは、ある意味当然です。泣き喚いたり暴れたりすれば、体力を消耗するのでそれだけ死期を早めるからです。つまりそんな行動は「進化的に不利」なんです。
> ヒトが泣き喚いたり暴れたりするのは、「苦痛を訴えれば助けてもらえる可能性がある」からです。呪術師の祈祷まで遡れば、「医療行為」はおそらく数万年前まで遡れるでしょう。喚けば誰かが何とかしてくれるかもしれないから喚くので(その行動もまたヒトのような社会では有利に働くでしょう)、動物は喚いても誰からも助けてもらえないのは確かで、喚いただけ体力を消耗して死期を早める、あるいは死ななくても良いケガで死ぬ羽目になるからじっと耐えるのです。」

苦痛を感じる動物が声を上げないそうです(笑)恐れ入りました。これが現実です。
動物は仲間に知らせないそうです。こうなると、先生自身が黙っておられた方が得と言えます。

骨折したり、大ケガをしたりした動物が騒がずじっとしているのは、当然ですよ。馬鹿以外にこの理由を間違いません。これもうマジにトンデモなのです。素人の皆さんは、正しい理由が分かりますよね(笑)

「死の痛みに堪える動物」での「死期を早める行動が進化的に不利」だそうです(笑)結局、繁殖と進化の関係をいくら説明しても、毎回「零点」の再現です。判断力のみならず学習力さえありません。

「祈祷師の呪術」も説明と関係ない例えだというのが判りませんかね(笑)他の動物が医療行為しますか??支離滅裂。何の話?これが、詭弁ですよ。

高性能の矛盾製造マシーンです。下手な修正も終わりにして欲しいね。指摘・修正前が、それが実力なんだから。
本は、読んだだけでしょ(笑)読んだ科学者の実力は、間違いだらけじゃん。


(No.13)(Jagar39さんの精神構造)
>「 信仰そのものは電子が直接生み出したものではありますまいが、信仰心を生むような精神構造は遺伝子によって規定されているでしょう。でなければ、それこそチンパンジーが信仰心を持ってもおかしくないことになります。」
(No.17)(Jagar39さんの精神構造・II)
>「 遺伝子が宗教を直接作ったわけではないでしょうけども、これらの宗教の成立に必要な要素それぞれは遺伝子によってコードされているでしょうし、これらの要素が揃ったときには宗教が成立するのも必然的なように思えます。」
>「 ですから、ヒトでなければ宗教は成立しない、と思いますし、事実そのようです。」

トンデモ遺伝子教徒の布教ですからね、注意しておきますが。
もはや「遺伝子念仏」です。遺伝子を伴えば、無理を通せると信じきっている信者です。他にないのでしょう。

「信仰心を生む精神構造が遺伝子で規定されていなかったら、チンパンジーが信仰心を持つ可能性がある」?

「それこそ」どういう仕組みで、チンパンジーが宗教を持つの?「それこそ」どういう精神構造なのでしょう。
馬鹿じゃない人は、この話の矛盾にも気付きましたよね。
こればっかりです(笑)治らないでしょう。そのために世代交代があるのです。遺伝しません。

>>「信仰そのものは電子が直接生み出したものではありますまいが、」??
「遺伝子」と「電子」が御神体なのでしょうか。こういう精神構造に納得されると、トンデモだと思うのですが……。
「間接的」に「電子」が信仰を生むんだ(笑)電子じゃない方がいいよ。チンパンジーの件もあるからさ(笑)


(No.17)
>「 私が数人の医師から受けた説明では(親戚も何人かホスピスで最期を迎えているので)、「治癒の見込みがない状況」を前提に、「延命を図るのか苦痛緩和を最優先するのか」という選択肢を提示されました。治癒の見込みがゼロだ、と断言は医師はしませんでしたが、「事実上ゼロと考えて良い」という状況は理解できるような説明でした。
 モルヒネの投与について、私が「これほどの投与量だと、もし奇跡が起きて治癒してしまっても廃人になってしまうのではないか」と質問したところ、医師の答えは「ご存命中にそうならないように投与量を綿密に調節します」でした。」

前提無視の確信犯を医師は相手にしなかったということです。前提無視すれば、議論になりますよ。議論の余地がなくても。
確率よりも奇蹟を前提にするなら、いさぎよく宗教を信じればいいのです。迷惑です。遺伝子教徒による科学の宗教化は。

>「これらの宗教の成立に必要な要素それぞれは遺伝子によってコードされているでしょうし、」

文字通り、姿をあらわした「科学宗教」でしょ。


b-w-step さん、難しい勉強の最中、ありがとう。参考になりました。ハリソンなどは原価購入ですか。図書館ですか。
改訂されたのなら、私は買うでしょう。つまり持っていたなら二冊になります。
同じ系列店は近くにないでしょ。車で回るわけ?
チェックはしてますよ。チェックしすぎて買いそびれたわけです。ただ大抵は半値ですね。
図書館は利用されますか。
無欲な君と一緒に店を持ちたいですよ。儲からない店は、淘汰されるだろうな(笑)
私の回答は人生の幅を広げるくらいにしかなりませんでしたか。比較的に科学的だったとは思うのですが(笑)
補足欄でもお礼欄でもゆったりとお使い下さい。
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この回答へのお礼

<その話者の飛躍が問題なのです。専門家の場合は特に。
あやふやな前提、あやふやな知識。そして現代の科学というまだまだ未発達な情報ではやはりあやふやな事実しか見えてこないかもしれません。常に精進あるのみです。私も頑張ります。

<b-w-step さんは、生物学の回答を、ご自身が書く「小説の文体に活用したり」しているの
<でしょうか。それであればその旨を明示されておくのが、回答者への誠意に思います。
<ほとんど回答者は、質問者の生物学的疑問を解決するつもりでタダ働きしているのですから。
<小説の足しにされようとは誰も知らなかった事です。
そうですね。小説の文体にも活用する旨を書かなかったのは私の手落ちです。誠意が足りないのはその通りでしょう。他の方々をただ働きさせたという事柄も考えないといけません。これからは小説などでも活用する旨を質問に書いておく必要があると思います。勉強で疲れていないで頭が回れば是非、書いておきたいです。特に学術系の部門ではその様なしっかりとした前提を大事にしていくことが大事ですね。

<誰の言っている事が、支離滅裂なのか、まだ判らないのですか。
徐々にしっかりと分かってきました。

<そうなんですね。私は違う考えですが、合わせましょうか。
そうなのですか。私は真実の考えならば相手に反論の余地がなくなると考えています。同時に相手に反論の余地がなくなるように相手を説得できるように自分を高める所存です。

<これもまた嫌味ですか(笑)肯定文で馬鹿にする方が悪質なのでは?
嫌味ではありません。相手を馬鹿にしようとする意図はありません。自分を馬鹿にしていたのです。なぜなら私にあなたを馬鹿にする権利があると思いますか? あなたの背景や苦しみも知らずして。もし、それらを見ずしてあなたを馬鹿にしたのなら私は問答無用で困った人間です。それこそまさに木を見て森を見ずの態度です。

<質問者さんはそういう嫌な相手を肯定する論法を乱用されない方がいいと思いますよ。
嫌な相手はいません。もっと言えば嫌な相手がいたとすればその人は自分の弱点などを教えてくれる先生です。もっと言うなら自分が本当に素晴らしければ嫌な相手すら登場しません。嫌な相手がいる。それはすなわち自分に悪い部分が必ずあり、治すべき部分があるという事実です。自分の弱点や敵を作りかねないものを教えてくれる先生です。ですので敵は先生ということです。そう考えると先生である敵を敵とは呼べません。私は最初からあなたが嫌な人だとは思っていませんが。と、いうよりもこの世は苦に満ち溢れています。苦しみにまみれれば誰もが嫌な人になるのは当然です。私も自分が醜くて嫌になります。あなた自身の回答で私は新しいことを色々と学べたのです。本当に有難いです。

<そしてあなたの言葉を文字通りに信じられなくなる!
正直言って、私の言葉が信じるに値するかというと私は信じろとは言えません。私の提示した情報をあなたのためになるように『利用して』もらえるのが一番嬉しいです。ここでは綺麗事を書いていますが、私は悪い人間ですので信用しないほうが良いでしょう。人間とは仕方のない生き物なのです。苦しいこの世界に生きるならば、誰もが汚れていきます。

<それでほんとに小説を書けるもんなのですか。
<私のその文は特別、凝ったものではありませんでしたよ。
●ハングアップ、ハングアップ、と何だか分からないカタカナを連呼していますが、そんな話をアップしないで欲しいですね。
〇ここでのギャグ。面白いです。実際、小説には会話文、地の文などの様々な要素が必要です。そのためにあらゆる文型を知らなければいけません。
●大学教授などというチンケな生き物を採用しないで
〇チンケという言葉をここで用いるのは新鮮な用法です。
●「高等な用語を使いながら科学的な小論文を書いているだけで、性格遺伝子の具体的な名前が出てこない事を、なんとも思わないのですかね」そのまま昇天ですか。
〇昇天という単語をここで使うのも新鮮でした。
●わくわく動物学者
〇この組み合わせも興味深いでした。
本当に面白いです。人が違うと使う用法も違っていて非常に勉強になります。有難うございます。

<詭弁がもたらします。
うまい一節です。思わず山田君を呼びたいくらいです。

<苦痛を感じる動物が声を上げないそうです(笑)恐れ入りました。これが現実です。
<動物は仲間に知らせないそうです。こうなると、先生自身が黙っておられた方が得と言えます。
矛盾の指摘が鋭く、的確です。

<「死の痛みに堪える動物」での「死期を早める行動が進化的に不利」だそうです(笑)結局、
<繁殖と進化の関係をいくら説明しても、毎回「零点」の再現です。
<判断力のみならず学習力さえありません。
ここも上手です。

<高性能の矛盾製造マシーンです。下手な修正も終わりにして欲しいね。
<指摘・修正前が、それが実力なんだから。
<本は、読んだだけでしょ(笑)読んだ科学者の実力は、間違いだらけじゃん。
様々な情報は鵜呑みにするのではなく、その後に自分で整理整頓し、考え抜き、更に新しい考えを作りだす必要があります。そこまでして学習です。

<トンデモ遺伝子教徒の布教ですからね、注意しておきますが。
<もはや「遺伝子念仏」です。遺伝子を伴えば、無理を通せると信じきっている信者です。
<他にないのでしょう。
上手ですね。

>>「信仰そのものは電子が直接生み出したものではありますまいが、」??
信仰は電子とありますが、電子自身も科学的に見れば大きな粒です。実際はもっと小さなクォークなどが群れて初めて電子を働かせることが出来ます。原子核との反発、原子核の中のπ中間子の引き寄せ。そこまで考慮しなければ厳密ではありません。もっち言えば電子はシュレーディンガー方程式で場所を計算するくらいですから、非常にあやふやな存在で、何かを定義できるほど安定した存在ではありません。厳密に言えば、電子の場所すら分からないでしょう。もっと言えば現代では素粒子も分かっていません。クォークにも何種類もあります。更にひも理論すらも提唱されています。私などもまだまだです。遺伝子が人間の全てを規定すると仮定した時、性格について調べないといけません。一応手元にある医学大事典をひいた所、性格は『あらゆる反応に対する行動体系』となっていました。そうなったとき、環境要因の方が大きいのではないかと考えるのも当然かもしれません。それで遺伝子が性格を決めるという考えに反発を感じるのも仕方が無いのかもしれません。もっと言うなれば、性格を遺伝子が決めるとしたら心理学は必要なくなります。心理学は遺伝という考え方はあまり入ってこないので。よって心理学を学ぶよりも遺伝学を学ぶほうが良いことになってしまいます。性格は遺伝が決める。しかし現代ではカウンセラー全盛です。利己的な遺伝子という遺伝性格論の一方でカウンセリングという環境性格論が幅を利かせています。どちらが正しいのでしょうか。また、戦争帰国時の小野田さんの異常行動すらも遺伝が決めていることになってしまいます。環境要因、時代背景、それらが全てかかわってくるのが性格です。やや厳しい文面ですみませんが。そう考えてみた時、性格は遺伝が決めるというのは極端な概念ではないでしょうか。

<文字通り、姿をあらわした「科学宗教」でしょ。
今の時代、それは非常に困った状態とは思っています。私もそれに近い面があるので自制しなければと思います。

<b-w-step さん、難しい勉強の最中、ありがとう。参考になりました。
<ハリソンなどは原価購入ですか。図書館ですか。
原価です。しかし非常に痛い出費でした。これからは英語を勉強して原著を買って得をしようと目論んでいます。『Oxford Dictionary of English』は円高の今のうちに買っておくと得をします。たった5000円で英語の語彙力がエリートネイティブ並になれます。

<車で回るわけ?
車の燃料は高価です。リッターで中古辞書一冊ですので。車検なども高いです。そのために自転車です。10キロ、20キロ、30キロと走り回ります。するといい運動になります。あとはJRにお世話になります。

<図書館は利用されますか。
利用しません。と、いうよりも勉強する本が重くて図書館まで持っていけません。

<無欲な君と一緒に店を持ちたいですよ。儲からない店は、淘汰されるだろうな(笑)
そう書いてくださって有難うございます。面白そうです。

<私の回答は人生の幅を広げるくらいにしかなりませんでしたか。
<比較的に科学的だったとは思うのですが(笑)
そうですね。人生の幅を広げることはとても大事なことです。有難うございます。今、改めて考えてみると科学的でした。ただ単純に私が慣れていませんでした。今回のやりとりを通して非常に成長できたことを感じています。繰り返しの言葉で重みが減ってしまった気もしますが、本当に有難うございました。

お礼日時:2011/06/16 11:27

 Jagar39です。



>生理学ではわかっていないことの方が多いくらいだそうです。

 判っていることの中で、の話です。

>本当です。これはだいぶ昔の話ですが。ある医者にプラセボを投入しても末期癌の痛みを抑えることが出来た。

 容易には信じがたい話ですね・・・少なくとも誰でもというわけにはいかないでしょうね。
 ターミナルケアでは、痛みの度合いに応じて非常に慎重に投与量が調節されますが、プラセボ効果がもしそれほど強力なものならば、投与量が多少少なくとも「効く」はずですから(なんせ薬剤自体は本物なので)、少量投与のままで最後まで引っ張れる症例も続出しそうです。

>苦痛緩和を最優先するからこそ痛みや苦しみが減るというのは想定外でした

 私が数人の医師から受けた説明では(親戚も何人かホスピスで最期を迎えているので)、「治癒の見込みがない状況」を前提に、「延命を図るのか苦痛緩和を最優先するのか」という選択肢を提示されました。治癒の見込みがゼロだ、と断言は医師はしませんでしたが、「事実上ゼロと考えて良い」という状況は理解できるような説明でした。
 モルヒネの投与について、私が「これほどの投与量だと、もし奇跡が起きて治癒してしまっても廃人になってしまうのではないか」と質問したところ、医師の答えは「ご存命中にそうならないように投与量を綿密に調節します」でした。
 その回答で、私は「自分もガンになって助からないと判ったらホスピスに入ろう」と思いましたね。
 実際、本当に亡くなる直前では、投与が始まると即座に昏睡状態になるほどでしたから。

>と、いうのも私は生まれてすぐに激しい黄疸で生死の境を彷徨いました。

 生まれてすぐの記憶があるのですか?「死」という言葉を知っていたのですか?
 それも容易には信じがたい話ですが・・・

 私も2歳の時に碁石を喉につまらせて呼吸停止に陥ったことがあるそうなのですが、記憶など一切ありません。その時に臨死体験をしていたはずなのですが、もちろんその記憶もありません。
 それ、後付の記憶の可能性はないのでしょうか?

 2~3歳の幼児でも、自分の祖父母や親が亡くなっても、訳もわからず葬儀場ではしゃいでいるのが「普通の光景」だと思うのですが・・・?

>と、いうことは遺伝子が信仰心をも生む、と考えているということですか?

 端的に言えばそうです。

 つまり、「宗教」も、いわば「死」を認識するに至った人類が発明したものでしょう。全ての宗教は「死生観」を根幹に置いていませんか?
 「死によって自分の存在の全てが無に帰す」ことを恐れて受け入れがたい(冷徹な観察的事象はそうですから)人類が、「死によって全てが無に帰すわけではない」ことを信じたくて、絶対的な神による赦しや永遠の命、輪廻転生といった「死生観」を作り上げたのが宗教を作った原動力だと思えます。まあ、輪廻転生が苦痛の源で、そこから解脱することが目的、という一捻りした死生観もありますが。

 率直な観察的事象は、死んだ者は土に帰ってしまって戻らない、ということですから、「それは全ての者に等しく来る」という将来の確実な予測、それを恐れる強い自我、「無に帰る」という恐ろしい将来を回避するための「死によって始まる何か」という「この目で観察したことのない事象」を考える抽象的な思考能力、さらにそのような「抽象的事項」を仲間に伝達する高度な言語、これらが揃って初めて「宗教」らしきものが芽生えてくるのだと思います。
 遺伝子が宗教を直接作ったわけではないでしょうけども、これらの宗教の成立に必要な要素それぞれは遺伝子によってコードされているでしょうし、これらの要素が揃ったときには宗教が成立するのも必然的なように思えます。

 ですから、ヒトでなければ宗教は成立しない、と思いますし、事実そのようです。
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この回答へのお礼

Jagar39です。

>生理学ではわかっていないことの方が多いくらいだそうです。
手元にある標準生理学第6版から引用します。
『生体内には数千種にも及ぶフィードバックグループがあると推定されているが,そのうちせいぜい数百種について研究されているにすぎない。』
引用:医学書院、標準生理学第6版、2ページ
ですので現代の科学もまだまだで、これからも意外な事実が明らかになってくるでしょう。そして同様に現代の最先端の事柄を知っていても、自己研鑽をすすめないといけないという事実も私達に教えてくれています。それは遺伝学でも同じことではないでしょうか。

<容易には信じがたい話ですね・・・
今ではある医学協会の会長をしている人が話していた話です。彼が嘘をついたとなると医学会が非常なる大問題を抱えていることになってしまいます。プラセボ話は嘘で医者は胡散臭い人だらけか、それともプラセボ話が本当か。私は本当だと思いたいですが。

>苦痛緩和を最優先するからこそ痛みや苦しみが減るというのは想定外でした
このあたりの指摘はされてみて初めて気付きました。生きることを求めないのならば確かに痛みや苦しみを減らす医療にできますね。臓器などが損傷してでも苦痛を減らせばほぼ苦しみはなく死ねそうです。
 
>と、いうのも私は生まれてすぐに激しい黄疸で生死の境を彷徨いました。
あります。私は2,3万人にひとりという難病を持っていまして、交換輸血は4時間にもわたりました。当時の最先端の医療を受けたものの、まさしく九死に一生を得た状態でした。のどをつまらせて呼吸停止ではまだまだ死にません。心臓は動いているでしょうし、脳が死ぬには酸欠が数分は必要です。よって呼吸停止程度ではまだ臨死体験にはいきません。もし呼吸停止で臨死体験なら喘息患者は殆ど臨死体験していることになってしまいます。あなたは相当怖かったでしょうし、苦しかったでしょうから、それを大したことではないと書くのは申し訳なさも伴うのですが。

話を元に戻します。交換輸血などの一連の処置は真夜中になされていたと後で父に教えてもらいました。そして同時に「一晩中泣いていた」とも父から言われました。死という言葉は知らずとも非常な恐怖に襲われていたのは事実で、当時の恐怖心から今でも病院は問答無用で怖いです。また、白い建物も非常に怖いです。実際に今までも病院の夢を見たことが何度もあります。ただ単に交換輸血の苦しみ(も非常に苦しいのですが)ではそこまでの苦しみを受けるとは思わないのです。一晩中泣き叫ぶ苦しみを果たして交換輸血程度がもたらすと思いますか?

 よく戦場で死を目の前にして震える兵士がいます。私は生まれてすぐに戦場に送られるような苦しみを受けたといってもよいでしょう。大人の兵士と同じように、赤子の私ですら死を恐れたと考えるのが最も納得の行く説明だとは思いませんか? と、なるとやはり赤子でも死の恐怖は知っているのです。死という言葉を知らず、自分が消えることすら理解できない赤子でも死は大人と同じように怖い。その事実を考えると、犬や猫ですら本当は死が怖いと言えるでしょう。ただ表現できないだけです。

<「普通の光景」だと思うのですが・・・?
普通は一般的には正しいですが、完全に正しいとは限りません。真実をみるためには普通を無視することも時には必要かもしれません。

>と、いうことは遺伝子が信仰心をも生む、と考えているということですか?
宗教の説明は非常に分かりやすかったです。しかしジャンヌ・ダルクあたりの物語を考えると宗教が人間が勝手に創造したものとは言えない気もします。

今までの回答などでも色々と教えてくださって有難うございます。

お礼日時:2011/06/16 10:36

あと、たけしの「気持ちよさそう」は飽くまで彼がそう見えたのであって、私から見たら食われて苦しくて弱っていっているだけにしか見えない。


彼は多少マゾッ毛があるのでしょう。

さて、私達のように細胞の多い生き物は、必ずといっていいほど戦闘能力を持っています。
ヒトのみならずネズミですら。





原書の生物は「食う」「食われる」という単純な関係しかありませんでした
おそらくそれは、戦うという為ではなく、食われないための自衛の能力として身につけたものです。

あるとき一匹の生物が食われるということに抵抗したのです。
結果として食われることを拒んだ生物は生き残り、食えなくなった捕食者は死にました。

食われることを拒んだ者の中から食うものが再び現れました。

彼らは拒む力を拒む力にぶつけて食うことに成功しました。
これらの二つはいつもお互いを抜いたり抜かれたりしながら今でも戦っています。



さてその攻防の中で戦闘能力を飛躍的に高める薬が生まれました。


アドレナリンです。

アドレナリンは毒物ですが、我々にとって重要な物質です。

教科書のカドで殴られるのは痛いのに、ボクサーは何十倍もの威力で殴られているのに痛がっていないのは何故でしょう?

アドレナリンは恐怖や興奮に伴って出てくるわけです。



意識内の攻撃を受けた場合それはアドレナリンが出て痛覚が馬鹿になっているので痛みを感じなくなります。マスイのようなものです。

ライオンに食われる鹿は「食われてる・・おれ、食われてるよぉ」と自覚しているのだから、恐怖から相当なアドレナリンが出ているでしょう。

友達と喧嘩して、あざが酷いのに全然痛くないのを経験したことがありますか?
そんな感じ。


アドレナリンがもし出ないのなら、人間が国家を作り上げるのは不可能だったでしょうし。無気力になってしまうでしょう。
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この回答へのお礼

<あと、たけしの「気持ちよさそう」は飽くまで彼がそう見えたのであって、
彼の考えであって正しいかどうかは分かりませんね。

その後に幸福ホルモンではなく、アドレナリンが痛みや苦しみを抑えているということを丁寧に説明してくださって有難うございます。非常に勉強になりました。

お礼日時:2011/06/15 09:30

まず、死ぬという選択は


分化してから獲得した能力だと思わないと良いと思う。
もっと大元。


つまり、人が獲得したのではなく犬が獲得したのではなく、サケが獲得したのではなく

死の概念がない単細胞生物から、それらの生物に進化するまでの間に我々側の生き物が得た能力なわけで。


その能力の名残を、濃くしたり薄くしたりしているだけ。
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この回答へのお礼

その前提自体に考察が必要という考えは思いつきませんでした。
有難うございます。

お礼日時:2011/06/15 09:28

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