アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

たとえば、

A氏 「質問して、回答をもらったらお礼を書き込んで締め切るべきだと思いますがいかがでしょうか?」

という主張系質問をした人がいました。

その質問に対して、

B氏 「別にそんな小事どうでもいいじゃん。いろんな人、いろんな事情があったのかもしれないし。」

という回答がありました。

小さいことにこだわる人を宥めるコメントとして、もっともなことだと、思えますが、



見方を変えると、ある事柄に対して自分よりこだわりが強い人に対して、その考え方を否定しているとも言えると思います。

要するに、A氏が寛容ではないかもしれないが、B氏もまた、「お礼の付ける付けないに対してキビシイ人」に対して寛容でないと言えないでしょうか?

A 回答 (2件)

この質問に対しては、もし寛容さの気持ちで応えたいと思っても


「そんなことどうでもいいじゃないですか」
では意図が伝わらなくなるってことですね…

直接顔を見て話せない、文章を書くという以外の表現方法がないとき
厳密に考えれば、ここのようなところで、
まったく強調・強要しない、質問者への対立意見の提示は普通不可能だろうと思います

ある程度の世界観の共有ができているなら、隠喩とかでできないこともないですけど…

この回答への補足

質問文は、大げさに読まれてしまうことはあると思います。
それほど気になって、人に強く訴えたいわけではないが、質問として書いてみた。
(お礼問題は例です。他の題材でもいいのです。)

一見、Bの方が器が大きく大人のように見えますが、他者への否定・どうあるべきという点では同じです。
敢えて言うなら、Aはもっとこうしようという考えの表明であり、Bは煩いものに蓋、排除しようという表れさえ感じます。

Bの返しというのは、諭すというより、Aの意見を封じ込めるための言葉のテクニックのようなもののような気がします。
他者の意見を尊重し、自らも提案するような建設なものではない?

もしくは、やっつける(言い負かす)、説教することを目的とした利用の表れ?
特に正論を使えば、体裁良くそれが実行できるでしょう。

実際にこれが、人と接する仕事だったら、どうでしょう。
「そんな小さなことに拘らず気持ちを大きく持とう。相手もいろいろあるんだよ。」的な返答だと余計に油を注ぐ可能性があります。
「確かに仰ることはもちろんです。」から始まり、「でも、もしかしたら相手にも..」と遠慮がちに付け加えるでしょう。

ここでは、単なる同意的な回答より、質問文否定の方が多く書かれます。
表面には出ませんが、回答を書かなかった人の考えもあるはずです。
Bの意見というは、もっともな事を言ってそうだけど、「寛容さを持つべし」という諭しではなく、
「寛容さを持つべし」という色にペイントした攻撃のような、単なる封じ込めというか、そんな気がしたのです。

補足日時:2011/06/09 04:46
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この回答へのお礼

過熱しうる心理カテで否定されずに終わったのは、それはそれで参考になりました。

お礼日時:2011/06/09 19:16

結局、世の中は「お互い様」で出来ていると思っております。

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