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日本の平和教育は、悲惨な戦争被害(原爆、空襲等)はかなりじっくりと教えるのに、肝心の戦争が始まった原因等は詳しく教えないのはなぜでしょうか?

TVインタビューでも、太平洋戦争が起こった原因を説明できた人は少数でした。じつは私もなんとなく「軍国主義のせい」ぐらいにしか理解していませんでした。きちんと教えてもらった印象がないのです。

たまたま手元にある「つくる会歴史教科書」をよく読むと、世界的な保護主義の流れ→経済立て直しのため大陸進出→軍拡への世論の高まり→国連脱退→米国の経済封鎖→石油不足→開戦決意
みたいな流れが読めなくはなく、全く触れていないわけでもないのですが、
開戦に向けた世論の盛り上がりやマスコミの煽り、絶望的な状況でどうして開戦が可能と判断したのか等、(歴史とは別枠でもいいのですが)国民上げて戦争を遂行したことのふりかえりを行うことに、もっと時間を割いて教えてもいいと思います。

以前米国のスミソニアン博物館で、日系人強制収容所での日系人の扱いを反省する特設展示を見ました。原爆投下は正当化する米国でも、米国憲法の自由の精神に反することをしたとする、真摯な反省に心を打たれました。

どうして日本では、戦争遂行を反省するような教育を行わないのでしょうか。国民主権の意識が希薄なんでしょうか?

毎年この時期になると思います。

A 回答 (10件)

No.5,7です。


お礼ありがとうございました。

八百屋で魚を求めようが何しようが、それを事実(史実)として教えなきゃいけないのが、教育でしょう。
それを自分たちに都合の良いところだけをかいつまんで教えることは、すなわち「思想教育」となります。(それが「平和教育」だと言うなら、呼び名はどうでもいいですけど)

「平和教育」の定義を勝手に決めて、それは「平和教育じゃない」なんて、おかしいだけじゃん。

「平和教育」ったて、平和教育という学科があるわけじゃないし、所詮は歴史の時間に史実に基づいた教育をするべきだってことでしょ?
なぜ戦争は悪いのか、なぜそれでも戦争は起きるのか、などその中で「平和」を学ばせるのであって、「戦争の悲惨さ」を学ばせるのが主目的であるハズがないです。
(って、誰にいってるんだろう、俺)

ところで日本の「身勝手さ」は、もはや否定できないところまできています。

たとえば、どっかの馬鹿な政治家は、米軍基地移転先は「グアムにしろ」と訳のわからないことを言う始末。
もし有事の際、遅れてくることはグアムなので(その政治家は)許すでしょうが、来なかったりしたら「これだけアメリカにお金を払って守らせてあげているのに、なぜ日本のために戦わないのよ?」と怒るつもりなのでしょう。
しかし、一方で日本人が亡くなろうものなら「人の命はお金に換えられるものでない」とか言うのでしょうね。

また、日本が後方支援するとなれば「戦地へ向かう自衛隊」と大騒ぎ、しかし前線で亡くなったアメリカ兵は知らんぷりで、自国の自衛隊のことしか考えられない始末。
(何たって、当時首相の小泉氏が大絶賛した戦争ですからね)

そもそも、戦争の悲惨さを教えるのならば、今世界で起きている戦争を元に教えた方が効果的でしょう。(必ずしも、学校の教育に限ったことではなく)
現在なので、情報も多いですし、より正確に、より客観的に教えることができます。

百歩譲って「あの時の方が、より悲惨だから」と言うならば「さほど悲惨でない戦争ならば良い」ことを認めたことになります。

こんな詭弁が「平和教育」だなんて、チャンチャラおかしいです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>「平和教育」ったて、平和教育という学科があるわけじゃないし、所詮は歴史の時間に史実に基づいた教育をするべきだってことでしょ?

そうであるべきなんですけど、歴史はこのあたりの扱いが甘いですし、修学旅行等で広島に行ったりする「平和教育」は、戦争の悲惨さを教えますが歴史的意味を教えませんね。両者が離れてしまっていますね。
せめてうちの子にはちゃんとおしえようと思ってます。

お礼日時:2011/07/25 23:45

日本では「戦争は悲惨だとか戦争はけしからんとか戰前の日本はけしからん」といことを教えることを「平和教育」というからです。


日本では平和という言葉がはいるとだいたいそう意味になります。
質問者が言ってるのは歴史じゃん。
戦争が始まった原因を「平和教育」でやれていうのは八百屋で魚を求めるようなもの。

この回答への補足

ありがとうございます。
私は、「戦争は悲惨だとか戦争はけしからんとか戰前の日本はけしからん」という平和教育では、平和につながらない(歴史を反省して未来につながることにならない)と考えているわけです。平和教育を歴史でやりたいんじゃなくて、その反対に歴史で平和教育をできないものかと思っていたのですが
今の平和教育で平和になるものでしょうか。もしだめなら、何か良い方法はありますか?

補足日時:2011/07/23 21:45
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 敗戦前に真の自国観が成長させられていたかというとこれも疑問ですが、未だに自国観と自国歴史観を国民各自自身の中に醸成されていないという事情に繋がるのでしょう。


 憲法前文や各条項に国際協調や平和主義が謳われており、いかにも当時の国会やジャーナリズムが論議を尽くしたとはいえ、自国の統治高権を制限され、しかも国土も国民生活も疲弊しきり、自国の思想を持つ情況ではない時の、強制的輸入思想ですね。
 従って憲法の国際協調や平和主義、そして民主主義と個人の人権主義の思想的な文化的な基盤は培われていたとはいえないと存じます。
 そういう中での70年弱の敗戦後の歩みの中で、お隣の半島のように敵愾心の旺盛な自国観さへもがない中で一定の歴史観を持ち、歴史を編纂・紡ぎ、歴史教育の手法を持ち得ないまま今日(こんにち)に着ているということを皆様は仰せのように存じます。
  欧米や国際諸国の当時の情況と政策、企図(たくらみ)を後付けで知りながら、私たちは今、立脚の足場、視点。これをどう定めるかの課題に今更の如くに直面しているところだと存じます。
 現代の半島、そして現代の中原権力の中に横行しているかの如き思想や文化評価を再度、ここで構築することなく、伝統的文化と心性を以って、国際と人類に通じていける自己の確立をこそなされることが、仰せの考える歴史、欧米や諸国にも相応の責任を認識する、謝罪一方ではない歴史観となると思われます。
 被害者としての云々というご回答もありますが、被害者であり加害者である側面は明らかであり、欧米諸国の東洋アジアへの進出侵入は第一の加害であり第一の原因である事は否めない(いなめない)と存じます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
>未だに自国観と自国歴史観を国民各自自身の中に醸成されていないという

事実を知り、先輩達が過去にやったことを客観的に評価してまずは受け入れるということができていない、ということですね。
これをやった上で、未来に向かってどうしたいのかを考えるときに来ている、ということだと思います。

お礼日時:2011/07/24 22:47

No.5です。


何か日本には伝わらなかった、国家の機密情報を書かれている方がいらっしゃいますが、ぜひ暗殺されないことを願うだけです。

それは、さておいて。
もし日本がそんなに、もの分かりがいいならば、北方領土や竹島でもめたりするのは、戦争の元じゃないんですかね?
それに原爆の投下だって、アメリカさんは「あの時は仕方が無かった」って、おっしゃっているじゃないですか。
原爆の悲惨さを語るのは勝手ですが認めましょうよ、アメリカ様のおっしゃるとおり「日本が悪い」ってね。

どこまでは認めないで、どこからは認めるって、誰が決めているんですかね?
もしかして、あの回答者さん?(なら、本当に暗殺されちゃうよ)

って、これって反論でも議論でもなく、あくまで「もの分かりの良さ」に対する、私のつぶやきです。(って、最近では、"つぶやく"だけでも削除対象?)
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>そんな日本に都合のいい史実が語り継がれないのは、なぜなんですかね?


>それに何が問題なのですかね?

 悪くないと分かれば、なぜ我々がこんな目に逢わねばならないのかと恨まれる。そうなれば、いつ反乱を起こされるかわからない、友好関係に決定的な亀裂が入り、また戦争を起こされるかわからない、だからでしょう。統治側からすれば、簡単な理屈です。日本にとって都合のいいことが、アメリカにとっては不都合だったから伝えさせなかった。今は、どちらかというと中国の都合ですが。彼らの手練手管の巧みさには本当に感心させられますね。

 古今、洋の東西を問わず、歴史は勝者が作るものなのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
でも、不思議ですね。今行われている、「戦争の悲惨さ、核兵器の問題」を
中心とする平和教育は、「アメリカにとって好都合」という話と矛盾しますね。
つまり、平和教育と歴史教育がかみ合っていない、ということが見えてきますね。
そんなんで、混乱が起きないものでしょうか...

お礼日時:2011/07/23 23:10

日本で戦争の悲惨さを語り継がれるのは、すべて日本が「被害者の立場」としてです。


もちろん、被害者であれば自分たちに都合が良いからに他なりません。

つまり「こんな酷い目にあったのだから、私たちが被害者でないハズがない」、「こんな酷いことになるのに、誰も好き好んで戦争などやるハズがない」との論理が言えるので好都合なのです。
そして、何か困ったら「被害者」になるのは、今でも受け継がれていると言っていいでしょう。

ここの質問でも、近隣のアジア諸国を非難する書き込みが見受けられますが、それは決まって「あなたが悪いから」です。
「あなたが悪いから」と積極的に相手を憎しみ恨む理由を探し出しているのです。
そうしてしまえば後は楽です。
どんな誹謗中傷であれ、「そもそも、あなたが悪いから」とか「私がこんな事を言いたいハズがない」とか責任転嫁は自由自在です。

もし、今でも日本に諸外国と戦う力があれば、すぐに戦争が起きても何ら不思議ではありません。
「日本ともあろう国が、戦争をやりたくてやるハズがない」、「あの時は仕方がなかった」。
それは、今でも変わらず同じです。

>『日本は悪くない』と分かるから問題なのです
そんな日本に都合のいい史実が語り継がれないのは、なぜなんですかね?
それに何が問題なのですかね?
他は全部「日本に都合が良いこと」なのに。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
>つまり「こんな酷い目にあったのだから、私たちが被害者でないハズがない」、「こんな酷いことになるのに、誰も好き好んで戦争などやるハズがない」との論理が言えるので好都合なのです。

確かに、対外的にはそういいたくなる気もわからないではないですが、国際社会でそれはだんだん通用しなくなっている気がします。

お礼日時:2011/07/24 22:42

物理的占領が済むと、次は心理的に占領するてのは


昔からやられて来た技術です。
ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム
て御存知でしょうか。

それに基づいた憲法が原因でしょうね。
あのお陰で、日本人は物事を軍事的に見る訓練を
放棄してしまいました。
それで、世界では常識である軍事の面から世界史や
世界情勢を観ることができなくなったのです。

例えば経済です。
当時、米国は大不況で、株価は1/10に落ち、GDP
は半分近くに落ち込んでしまい、ちまたには失業者が
溢れました。
しかも、対外的には社会主義革命が迫っていました。
ルーズベルトはニューデイル政策を推し進めましたが
効果はさっぱりです。
このままでは体制が崩壊しかねません。
米国はなんとしても戦争をしたかったのです。
事実、あの大戦のあと、米国の経済は復活しました。

あのイラク戦争を見て下さい。
戦争を欲していた米国は、イラクに無実の罪をきせて
戦争に持ち込みました。
米国はああいう国なのです。
そして、米国の戦争史を調べて見て下さい。
相手にちょっかいを出し、先に手を出せて、それから叩く
てのは米国の常套手段であることが解ります。
トンキン湾事件では、米国のねつ造であることまで
判明しています。検索してみればすぐに解ります。

あの大戦にしても、半島や中国が列強の植民地になり
軍事基地が出来たら日本はどうなるか。
第三次世界大戦覚悟でキューバミサイル基地建設を阻止
した米国のことを思い出して下さい。
軍事的にみれば、日本のあの戦争は防衛的なものだった
ことが解るはずです。
日本は利権を求めて、地球の裏側まで進出してきた列強
とは異なります。

日本が反省すべきは、どうして負けたかです。
どうして負けるような戦争をしたか、そのような状況に
追い込まれたか、という外交技術の反省です。

考えても下さい。
どうして列強の侵略は何も言われないのに、日本だけが
非難されるのですか。
日本は、負けたから悪者にされただけです。

この回答への補足

ありがとうございます。
>軍事的にみれば、日本のあの戦争は防衛的なものだった
ことが解るはずです。

ということは、今でも同じ状況に立たされたら、不利な状況でも戦争を起こしてしまう、ということですねえ。
エネルギー危機、保護関税に対する批判、震災による競争力低下、周辺諸国の挑発と、似たような状況になりつつあるのですが、太平洋戦争の反省に立つと、この先どうするべきと子供たちに教えればよいのでしょうか?

補足日時:2011/07/23 21:39
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(補足)


元々欧米各国は日露戦争以降、日本に対し多くの嫌がらせをしてきました

例えば米国の国内法だけでこんなにもあります

1904年~1905年、日露戦争
1904年、アメリカは日本を仮想敵国として「オレンジ計画」を策定。日露戦争での日本の勝利は、白人の敗北としてアメリカで排日運動が高まり、「事後法」による移民や日系人の排斥へと推移していきます。
1906年、アメリカで新帰化法。帰化申請を白人とアフリカ人に限る。日本人は帰化不可。
1913年、排日目的の「外国人土地所有禁止法」。アメリカ市民になり得ない外国人(日系1世)の不動産取得、保有、使用、譲渡を禁止。法案のなかには、日本人の営業不許可や日本人学童を隔離するものまで含まれていた。
1922年ケーブル法成立。アメリカ市民(日系2世)が非アメリカ市民と結婚した場合は市民権を失う。
1924年、「移民法」で日本人の移民を全面的に禁止。別名「排日移民法」。

 当時は欧米を初め国同士で自国の利益にために、お互いをつぶしあっていました。
結局 戦争に勝てば正義、負ければ悪なんですよ
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
>当時は欧米を初め国同士で自国の利益にために、お互いをつぶしあっていました。

なるほど。確かにそうですね。で今は、世界各国はたがいに密に結びついているので、つぶしあいをするより、協調関係を結んだ方が得だと考えるようになった、ということであれば、いい話なんですけどね。

お礼日時:2011/07/24 22:34

 肝心の戦争が始まった原因等を詳しく追究していくと『日本は悪くない』と分かるから問題なのです。


 戦後の歴史教育の基本は『日本は悪い』『戦争を反省』というのが基本です。
しかし元々当時の情勢下では戦争はほぼ回避不可能な状況です。

 実際、昭和初期から始まる欧米各国の植民地政策に日本は避けうる状況ではありません
当時の日本は
1.植民地として生きるか
2.徹底的に抵抗して独立を保つ
 この2通りしかありません

 なので本当の事を教えてしまうと実は日本は悪くない・・ということが分かってしまうので教えないのです
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
おっしゃることは私も最近思います。歴史の必然だったのかもしれません。
なにより過去を変えることはできません。でも大切なのは、過去を踏まえて未来をどうしていくか、だと思います。

あのときはどんな状況でそうなったのか、今はどう状況が違うからどうすべきなのか、ということを考えるべきだと思うのです。

確かに、「あれは歴史の必然だった」という視点も必要なのかもしれませんね。悪くなければそれでもいいので、まずは事実を教えないといけないと思います。

お礼日時:2011/07/23 11:23

教えられないのです。

教師も自分が教えられていないから、教えられない。教師に限らず、皆そうなのです。政治家も学者も誰一人として知りません。「教えられて無い」と気づく人も稀です。ほとんどの人はそれすら気づかず土に帰って行くのです。戦後、日本人は白痴化して物事を考えられなくなってしまったのです。日本人は雀と同じです。雀は雛の頃、親から食べさせてもらった餌の匂いや味を親鳥になっても忘れずに覚えています。そうして、雛の頃に食べた餌と同じ餌を成鳥になって取りにいくのです。そして自分の子にも同じ餌を食べさせます。雀はこうして何世代経っても同じ餌を食べているのです。教師も同じです。自分が子供の頃、教師から習った内容を覚えていて、成人して自分が教師になって同じことを生徒に教えます。これまた何世代経っても同じです。誰も疑問に思わないのです。よく考えたら、なんか話がおかしくないか?とはなりません。疑う心を持たないからです。歴史の教科書は偏っていてスカスカです。それは「つくる会歴史教科書」でも同じこと。昭和東北大飢饉に触れている歴史教科書も、一般の歴史系図書も絶無です。歴史界から完全に無視されています。それは「つくる会歴史教科書」も例外ではありません。満州事変を起した石原莞爾は山形県、旧庄内藩士の家の出、板垣征四郎は岩手県、旧盛岡藩士の家の出でした。ここまで書けば、当時の東北はどんなだっただろうかと疑問の一つも持ってもらいたいのです。でも日本の歴史の授業は、疑問を持たせる授業じゃないんです。ひたすら覚えるだけ。何も考えない。言葉の意味も分からないけど、とにかく覚える。これだけです。庄内藩・盛岡藩は戊辰戦争で奥羽越列藩同盟に加わり、官軍と戦い敗れた。そのせいで旧士族の家系は中央政府から疎まれて、優秀な人材であっても中央で活躍の機会が与えられなかったのです。そういう人材にとっては軍人になるしか出世の機会が無かったということです。昭和東北大飢饉で政府は何か救済策を取ったのだろうか。何もない。無為無策です。政府から見放された東北の窮民が地域の出世頭に救済を期待した。東北出身の青年将校も東北の惨状に胸を痛めていた。これが軍部の暴走の背景です。
ところが歴史の教科書はこうした事実に全く触れない。いきなり軍部が暴走した。というところから話が始まっている。
当時の二大政党は地主や富農の声は吸い上げても、小作人の声はどこにも届かなかった。寄生地主制や極端な地域格差など戦前には大きな社会矛盾がありました。都市部が大戦景気に浮かれていた時でも、東北はまったく置き去りだった。
ここで歴史の授業を始めてもしかたないので、ここまでで止めておきます。戦前の実相に興味を持ってもらいたい。歴史は教えられるものでもないのです。自分で疑問を持って、調べていく。それしかアプローチの手段はありません。仮説を立て、それを検証する。この繰り返しです。雀の雛にならないで欲しい。質問者さんならできそうな気がします。
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この回答へのお礼

ご丁寧な回答ありがとうございます。

確かに、歴史は暗記が中心の勉強でつまらなく、特に戦争について考えさせる内容ではなかったですね。平和教育も然り。「悲惨だったよね」で終わり。
でも何故そうなってしまったのでしょうね。

せめて何か考えるきっかけとなることを教えてほしいものです。でないと、
「今の日本は軍部もないし平和憲法があるから、戦争には絶対にならない」と言っているうちに、取り返しのつかない方向に世論が盛り上がったりしないかと危惧しています。

お礼日時:2011/07/24 22:31

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