プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

クリスチャンの彼から別れを告げられました。
私はノンクリスチャンです。
将来を見据えて付き合っていました。将来のことなどもたくさん話していました。
最近少し言い合いなどもしていました。
私が愚痴などを言うことも多かったと思います。
そういうこともあったと思うのですが
彼に結婚はクリスチャンとする、と宣言をされました。
そのため、今のこの関係は続けられないということで、今のパートナーシップを一度ないことにしよう
とのことでした。
友達に戻ろう。ただ、まだお互いコミットはしているから、ほかの人を探したりする時間ではない、と。
基本的に私がクリスチャンを知る気がない、ということになれば、この関係は終わりとなります。

私は、彼の考えや、モラルのある行動は、彼がクリスチャンだからだと思っています。
だからこそ好きです。
何かあると一緒に祈ってくれ、私も祈ってくれるようにお願いをしていました。
彼にとってどれだけ大切なものかわかっているからこそ、
私は気軽についていくことができず、教会にも一度しか行きませんでした。
ただ彼は待って待って、とうとうもうこれ以上はだめだ、とおもったのでした。
私は彼のためだけにじゃぁまずクリスチャンになろう、とは思えません。
彼にとって本当に大切なものだからこそ、私も真剣に考えたいと思っています。
私は神様の存在はもちろん信じていましたが、それが誰かわからない段階でした。
ただ彼に別れを切り出された日に、彼と一緒に祈って祈って、
それから毎日神様に祈っています。
彼はまだ私を好きだといってくれました。
私は彼を本当に好きです。
聖書やキリストについて知ろうと今しています。
そうすることで、私自身も正しい決断ができるようになると思ったからです。
ただ、知ることをしても、彼が私に戻ってきてくれるかはもちろんわからなく
正直彼をしるために、キリストのことも知りたい私は(矛盾だとはわかっています)
不安が多く、恐怖も感じます。
そのたび神様に祈りますが、自分の理由がこれでいいのか、とももうしわけなく思います。
今、彼と同じ神様を信じ、お願いすることで
神様が二人にとってのベストな方法を教えてくださるのだろうとはわかっていても
どうしても彼と戻りたくて仕方がありません。

どこかで、私という存在よりも、クリスチャンであればほかの人がいい、という決断をした、ということに
私の存在はそこまでのものでしかなかったのか、と思ってしまったためです。
今は彼にとってどこまで神様が本当に大きいのかをわかっているので、それほど重要なんだということを
理解しようと思っていますが、、、

クリスチャンの方にお聞きしたいです。
本当に好きな人でも、ノンクリスチャンであれば、別れる、という選択はやはり取りますか?

A 回答 (12件中1~10件)

本当に彼はそう思ってるかな?


確かにクリスチャンかどうか。
その部分は出来ればすり合せたい所。
でも、既に貴方そのものの魅力も感じている彼。
貴方と別れたい、
という気持ちから動いているとは思わないよね?
貴方もそれは感じるでしょ?
むしろ一定の到達点に来た、という事なんじゃない?
お互いの関係の「満了」。
ふんわり付き合っているレベルなら。
別に宗派がどうでもいいんだよ。
お互いにお互いの大切なものがある。
そこに理解があっても無くても。
お互いの「違い」として受け止めて。
それぞれに分かち合える部分を「軸」にして繋がっていればいい。
現に貴方と彼はそうだった。
確かに将来は見据えてはいたけど。
現実に細かい刷り合わせをしてきた訳じゃない。
むしろ本当にクリスチャンかどうかが大事なら。
それはスタート時点で確かめるでしょ?
後から育てていく部分ではないから。
お互いにそれをやっていない。
何処かでふんわりとお互いを思う気持ちだけで進んでいたのも
事実なんだよ。
彼も後回しにしていた。
将来云々は、気持ちの部分の調整で。
根本の部分には手をつけていなかった。
ただ、お互いにある程度付き合っていく中で。
細かい喧嘩やすれ違いも増えた。違いも見えてきた。
付き合う中で責任も増えてくる。
当然描く将来にも「重さ」が出てくる。
彼も段々誤魔化せなくなってきた。
好きだというだけで繋がっていける限界を感じてきた。
だからこそ、将来という言葉が更に重みを加える「前」に。
お互いの為に舵を切ろうと。
彼は貴方に自分「寄り」になって欲しいとも思っていないんじゃない?
信仰は強制ではないから。
貴方が「自然」に歩を一にするなら構わないけど。
基本は貴方の思いも尊重したいんだよ。
僕は僕で、僕の信じる道で頑張ると。
貴方は貴方として、貴方の道を行けと。
彼はその部分にわだかまりは無いんだと思う。
好きな気持ちはあるけど。
心地良く育める限界があるじゃない?
貴方との好きは、
お互いに「形」に出来ない好きだと。
だからこそ、何となく先を見据えたような「体」で付き合うよりも。
ここでハッキリとさせて。
コミットできる部分を絞って。
それぞれにそれぞれに道を行こうと。
彼は貴方に無理をさせるつもりは無いんだよね?
そして無理をして欲しくもない。
貴方もわかっているんだよね?実は。
今の貴方は戻りたくて仕方が無いと。
でも戻る事で得るものって。
別れるという状況を「回避」する事だけでしょ?
寂しさの回避。
今の貴方は別れが怖いだけ。
お互いに心地良く思い合える関係に「戻れる」訳じゃない。
既に彼は到達できる限界を感じている。
このまま繋がっていても、どちらかに合わせるだけでしょ?と。
だからこそ、彼はある意味淡々と
次のステップに進んでいく為に離れようという決断が出来るんだよね?
信仰と貴方との軽重ではない。
お互いに分かり合えるものの限界。
心地良く共存していける部分の限界。
彼は残念だ、というよりは、
やるだけやったという気持ちの方が強いんじゃない?
だから今でも「好き」はあるんだよ。
貴方と分かち合えたプロセスは財産だから。
これからは。
お互いにプロセスをしっかり形にも繋げていける関係を目指そうと。
彼は既に達観している気がする。
貴方が彼を失いたくない為に合わせても。
それは彼にとっては嬉しく「ない」貴方。
既に貴方という人間を良く知っている彼。
貴方の頑固さや頑なさ、一人の人間としての意思や性向。
彼は貴方をわかっている。
だからこそ、彼は彼の。
貴方は貴方の一歩を踏み出す為に。
敢えて「クリスチャン」というお互いの違いの部分を「強調」して。
それぞれの道への一歩を求めたんじゃない?
貴方を知る彼としてね。
一回離れるというのは大事かもしれない。
同じ流れを絶やさないように~というバタつきは意味が無い。
明確な転換点が来ているから。
一回離れて。
お互いにコミットの形を変えてみる。
整理次第では今後も大切な存在として繋がっていける関係でもある。
今のままだと。
どうしても視野が狭くなるじゃない?
将来を見据えたいとか、失いたくないとか。
お互いに心のゆとりを失った状態で向き合う事になる。
更に喧嘩やすれ違いが増える。
一回離れる。
精神的に離れる。
それぞれがそれぞれの心に「軸」を持った上で。
その上で丁寧に彼とのこれからも考えてみればいい。
大切にしたい存在だからこそ。
相手に対しても、自分に対しても。
丁寧に向き合う事は大事なんだと思うからね☆
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この回答へのお礼

どきっとしました。
私にはわからない彼の心の内容までその通りではないか、と思いました
「敢えて「クリスチャン」というお互いの違いの部分を「強調」して。
それぞれの道への一歩を求めたんじゃない?
貴方を知る彼としてね」
私もこの部分が気になっている点でした。
彼は本当にクリスチャンという点だけで私と今わかれる決意をしたのか
それとも私という人間との歩みに限界を感じたのか
私はblazinさんがおっしゃる方が正しいと思います。
一番はじめから、いつか2つのどちらか答えを出さなければいけないときがくる
というのは言われていました。
私の彼への行動や態度が、ここで彼がこの答えに行き着く結果を出したのだと思います。

ここで関係をすべて切らないという行動に出たのは
彼が私を傷つけたくなかったからかなぁとも思っています。
ただそうなのであれば、この期待を持っていること自体が苦しいので
すっぱりと別れることが必要なのだろうと思います。(怖いですが、、でも必要ですね)

彼は確かに強制をしたくないといつもいいました
別れる話をしたときは
お互いにベストな道を選ぶことが幸せになれるといっていたので
おっしゃるとおり彼はすでに前を向き、自分の行く道を決めていますね。

現在の状況は彼の言葉で言うと
「we are on break from relationship, and because its a break, that means we are not seeing other people. that means there maybe be opportunity in the future, if things work out」
という状態です
there maybe be opportunity in the future, if things work out
はかなり可能性としては弱い言い方だなぁといのはわかりつつも、自分に聞き流させている部分があります。

土曜日に会うことになっています
友達として。
その時に、きちんとまた聞いてみた方がいいのでしょうか

お礼日時:2011/08/10 18:48

こんにちは!



正直いいますが 質問文が長くて全部読んだわけでないという上での投稿ですがご了承頂けますか。

私の友達にも似たような話があります。

まず(1)彼女とその家族が熱心なクリスチャンで家が金持ち。彼がノンクリスチャンで貧乏。このカップルの場合 彼がノンクリスチャンということで 彼女の親に猛烈に反対されましたが、お金のために 彼は洗礼をうけ 表面上クリスチャンとなり 結婚しました。現在は教会の掃除?警備?しりませんが 毎日教会をうろうろしているだけで、彼女の親の莫大な財産でぬくぬく生活しています。 ものかげでたばこをすったり、コンビニでビール買ったりしているのを見ていますから、心からクリスチャンになったわけではありません。彼女と結婚するため まあ 彼女のことも好きだったから とりあえずー 的です。


(2)これまた女クリスチャン 男ノンクリスチャンで付き合いまして、男はなんとかキリストを理解しようと努力はしていました。教会にもいったみたいです。しかし 本当のクリスチャンって 旅先でも 行った先の教会に礼拝に必ず日曜日はいくんですよね。海外だろうが 国内だろうが。さすがについていけません って 男から別れ切り出していました。女は泣きわめいていましたが 最後には女も 神様のお試しだ とかなんとかいって 納得していた。

表面的だけ心を同じにしたふりをするか。真剣に心を同じにするか(あなたもクリスチャンになるよう勉強し努力する)。 別れて普通の人とつきあうか。この3つ。

私なら 別れをおすすめします。宗教を変える 学ぶなど 生半可にできません。そんな努力しなくても 他にいい男いっぱいいます。 
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自分の存在が一等賞でなかったことにショックを受けてるみたいですね。




でも、あなたの存在価値は宗教と比べるものではないと思うのですよね。。

宗教は その人にとっては根幹なのだと思います。

世界の基盤であり その上で生きているのだから。


あなたを大好きなのは間違いないけど

死後 救われない(一緒に再び合間見えることができない)と信じていて

それはとても恐ろしいことなのだそうです。



基本的に同じ宗教でないと、、ということは 他の宗教でも多くあります。


でも なんだかね。。幸せってなんでしょうね。っておもいますよね。

幸せで真面目に生きてたら宗派が違えど 神様は認めてくれると思いたいですよね。


でも 神を信じている人にとっては 人生には困難が当たり前で 乗り越えることが幸福となっているので
どうしようもないです。。。

あなたとの別れも困難の一つになってしまうのかもしれません。

その人だけが運命の人ではない と言ってしまえば簡単でしょうが
あなたにとって「今 その 彼」が運命の人なんですものね。

彼は あなたより クリスチャンの中から伴侶を選ぶかもしれませんが
それは クリスチャンならだれでもいいと思って選ぶわけでないことは
きっとあなたも分かっているはずです。
結婚したい!と思える人と出会えなければ独身をとおすかもしれないですし。


人間は変化します。

今の想いも絶対ではないし 永遠ではないかもしれません。

もし 別れてしまってもその後を「良く」生きてほしいです。
離れても 大切な人の幸福を祈れるように。

もし 彼の為に洗礼を受けたら それはそれで 新しい世界が待ってるかもしれません。
クリスチャンになったらどっぷりはまって開眼するかもしれません。

私はあなたが 彼の為にクリスチャンになっても
別に悪いともおもいませんよ。
あなたが愛している 彼の素晴らしい人格形成に 大きな役割をになった宗教ごと愛するのも手かな。。と。

答えになってなくてすみません。。

読み流してください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
とても優しく書いてくださり感謝しています。
彼のライフスタイルであり、彼の人格を形成している宗教と自分を比べたことをとても恥ずかしく思っています。
きちんとつきあっているときからも神が一番だからというのは言っていました。
彼にこの人ならこの違いを乗り越えてでも一緒にやっていきたいと
思ってもらえるような人間ではなかったことにも気づいています。

とても参考になりました。

お礼日時:2011/08/10 18:23

隣国では、「結婚したい相手がクリスチャンじゃないときのために、一緒に勉強をしよう」という会が、協会主催で行われています。

教義を理解したうえで、ダメだというのならよいのですが、知らないために宗教を敬遠する、ということがあり、それが喧嘩やもめごとの火種になることは頻繁にあることだからです。

日本の教会にも同じような仕組みがあるかどうか知らなくて申し訳ないのですが、「一緒に教会に行って、勉強することはできるか」と彼氏さんに相談してみることはよいかもしれません。少なくとも、理解をしようという質問者さまの姿勢は示せます。

キリスト教の中でも、宗派の違いだけで、結婚ができなかったり、親に反対されたりということはとてもザラにあります(キリスト教がもっと浸透している国でも)。現に、私の友人夫妻は、キリスト教どうしだったのですが、宗派が異なっていたために、片方が悩みに悩んだ挙句、改宗しました。
それは私にとって、とてもとてもおどろきなことでした。

キリスト教信者でも、その「日常行動における厳格さ」は、個々人によって、かなり差があります。
厳格な人ほど、宗派の異なる人との結婚はためらうと思います。
ゆるいというわけではありませんが、俗世にかなり適合している人は、配偶者が無宗教でもOKだったりします。

もし、私が質問者さまのお立場だったとしたら、と考えると、結婚はしないかもしれません。
結婚しない事実婚を彼が認めるのであれば、その形をとる可能性はあります。
わたしは、キリスト教に関してはかなり知識があり、そのうえで、自分とはいまいち合わないということを自覚しているからです。
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この回答へのお礼

一緒に勉強しようの会、はいいですね。
私は今日本ではなく海外にいるのでクリスチャンというほうが多い環境です
彼は事実婚はないです。結婚とは何が違うんだろうと私も思います。
自分が彼を一方的に失いたくないだけで悪あがきをしているのかなということは
気がついてはいます
回答ありがとうございます

お礼日時:2011/08/10 18:19

神の前において、そんな選択肢はありませんよ。


この話を仏教とか神道に置き換えたって同じですね。
そんな選択肢があるのは創価学会か幸福の科学ぐらいでしょう。

「結婚はクリスチャンとする」
いまさら言うなよ! 
って感じですよね。
これは、あなたと結婚したくなくなった、ということを正当化するエクスキューズ。いいわけとしか思えないでしょう。
騙してさんざんカラダをおもちゃにしておいて。モラルが聞いてあきれます。

もしそうじゃないとして、本当に結婚したくて、あなたにクリスチャンになることを強要しているのであれば、
「結婚をエサに交換条件出すなよ。キリストはそうしろと教えたの?だったらキリスト教なんて誰が信じるかよ!願い下げだよ!」
といって一発ぶん殴ってやればいいんです。
今まで騙してきた期間の清算をしてすっきりしましょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
だまされたとは一切おもっていません
結婚したくなくなったというのはその通りかもしれませんね
私もかなり甘えてしまいましたから。。

お礼日時:2011/08/10 18:15

洗礼は受けていませんが、心はクリスチャンです。

でも、クリスチャンじゃない日本人に一神教って本質的に理解するのが難しいです。
しかも、この一神教の神様はやたら嫉妬深くて「俺以外の神様名乗っている奴はぜんぶバッタモンだから信じるな、話も聞くな。約束破ったらソドムとゴモラみたいにしちゃるからな」とおっしゃられるお方です。

信仰というのは難しいのですよ。信じるか信じないかのふたつしか選択肢はありません。
彼に対しては「私はサウロ(洗礼前のパウロです)と同じ」といえばよかったかもしれないですね。ただ、教会なら聖書を読む会とかそういう集まりがあったはずなので、そういうところに参加すればよかったかもしれないですね。

その国がどこかは知りませんが、外国では信仰というものが日本に比べてものすごく厳格な国も珍しくありません。例えばアフガンあたりでうっかり「俺は無宗教だ」なんて言い出すと「お前は共産主義者だな」といわれて殺されてしまうそうです。
日本人は「なんでもあり教」です。神様もアリ、仏様もアリ、昔からの精霊もアリ、どれこれも信じてありがたがっちゃう悪くいえば無節操、良くいえば懐が深い信仰を持っています。だから、子供が生まれると神社に行って結婚式では牧師さんの前で永遠の愛を誓い、死ねばお坊さんがやってきても誰も疑問を持ちません。本当の無宗教ならなんで戒名に何十万円も支払うんだか。

「サラエボのロミオとジュリエット」と呼ばれた話があります。サラエボに住んでいたボスコという青年はセルビア人、その恋人のアドヴィラはイスラム教徒でした。二人は宗教に関係なく愛し合っていたのですが、ユーゴスラビア内戦が始まってしまいます。しかも、セルビアとイスラム教徒は敵味方に分かれて戦い始めたのです。
二人とも、仲間から「お前はどっちの味方なのか」と問い詰められます。そして二人は戦火のサラエボを離れ、アメリカに亡命しようとします。しかしすでに市内は市街戦が始まっていました。サラエボの街から出る橋の上で、二人は撃たれて息絶えてしまいました。好きな者同士が、愛し合うことさえ許されないことさえ、世界ではあるのです。

信仰というのはそのくらい重いのです。イスラムの青年は、自爆攻撃までしていますよね。狂信というのはそういうものなのです。
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この回答へのお礼

本当に、行っておけばよかったという後悔が残っています
教会にこない?という言葉に対して、自分にとってそこに行くのは大変な勇気なんだ
と結局理屈をつけては
彼が本当に知ってほしいと言うことを無視し続けていた
そのことに別れてから気づきました。
そのことに関しては心から謝りました。
ただ後悔しても何も変えることはできないので、勉強をして、自分にとってどうなのか
という判断をしようと思いました。
なのですが、やはりそこには彼との戻りたさがいちばんなことに嘘はつけません。
ここはオーストラリアです。

お礼日時:2011/08/10 18:54

クリスチャンではありませんが、日本人の「特殊性」についてはかねがね気になっているものです。


特殊性が悪いのではないのですよ。ただ、自分達が特殊なのだという自覚がないのが困るのです。

大雑把な言い方でいえば、価値観の違いになるのですが、宗教というのは、価値観違いでの共存が非常に難しいものの一つです。
あなたがそこ理解がないから、

『どこかで、私という存在よりも、クリスチャンであればほかの人がいい、という決断をした、ということに
私の存在はそこまでのものでしかなかったのか、と思ってしまったためです。』

こういうことをいわれるのです。
クリスチャンである彼が異教徒との結婚が難しいことが判っていなかったということにほかなりません。

キリスト教にも色々な教派がありますし、結婚に関しても緩い考えをする人もいれば、それでは良心が許せない人もいます。特に厳格な教派でしたら、もう選択の余地はありません。

キリスト教の教え、柱はいくつかありますが、結婚も柱の一つです。
配偶者という言葉があります。誰が配偶するのでしょうか?神です。
神が配偶した相手であるからこそ、病めるときも健やかな時も、神が二人を分かつまで添い遂げることを誓うのです。
ですから、長らくカソリックでは離婚ができませんでした。神の配偶にNOを突きつけることだからです。赤い糸でつながっているといいますね。誰がつなげたのでしょう?神です。
異教徒とつなげるのでしょうか?
仮に異教徒と結婚するとして、どこで式を挙げればいいのでしょう。何ゆえ自分の教会で神の祝福を受けれるのでしょうか?

日本人が信者でもないのに教会で挙式するほうが異常なのです。

あなたは、クリスチャンである彼を受け入れられなかった、それと同じように異教徒であるあなたを彼は受け入れられなかった。対等です。
彼は待った、でも、もう諦めた、あなたをクリスチャンに変えれないから、そういう祝福されない結婚を選べないと。

キリスト教の場合、異教徒との結婚を認めないとはっきり規定している所が少ないのもあるかもしれません。だから異教徒のままでの結婚はあることはあります。日本人ではそれも多いです。
国の法律>宗教法ですから、そうせざるを得ないのですが、個人生活では、教会法>法律 にする人はたくさんいます。

これがイスラム教だと、(無知な人間は)何も悩まないのですよ、
イスラムでは異教徒との結婚を禁じてます。結婚を許さないのではなく、結婚したら自動的にイスラムに帰依したことにされます。これは、男女どちらもです。そして、恐ろしいことに一度帰依したら事実上棄教はできないことになっています。つまり離婚してもイスラムのままです。
イスラムをやめることは、単に棄教ではなく、反逆・攻撃者になることを意味します。そして、「裏切り者には死」を認められています。実際に殺される例は少数ですけど。

だから、今でもダイアナ元妃がパパラッチに追われた事故死を暗殺と囁く人が多いのです。

宗教は人殺しも戦争も正当化する強烈な信仰です。ここが判り合えてないと結婚は難しいでしょう。
日本人にはわかりにくいかもしれませんが、創価学会だから悩むというのが近い例でしょうね。
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私めクリスチャンですが今は放蕩してます。

(^^;)

ばりばりのきちんとしたクリスチャンの方からの回答もあると思いますが
私めの体験でよければお話聞いて下さい。

この世界(?)では未信者の方は必ず洗礼を受けて
クリスチャンになってから結婚しております。

なぜかというとやはりこれから一生を共に歩むにあたり
信仰という共通意識を持っていないと必ずひずみが出てくるからです。

精神面でのメリットは彼氏様などから聞いておられると思いますが、
実生活で信仰を持っていないとかなり負担になると思います。

具体的に言うと
当然のことながらクリスチャンは基本的に日曜の礼拝は必須です。

ですから自然と日曜の外出はまず予定に組まないようになります。
後は礼拝が終わってから出かけるとか・・ですね。

特に毎週礼拝の奉仕などが出てくると
やはり神様にに申し訳ないという思いがあるので休みにくいです。

子供が生まれるとさらに大変です。

やはり赤ちゃんのうちから両親とともに教会に通うようになるので
いろいろな面でお母さんの負担は増します。

また親は納得の上入信しているので良いとして、
子供はそうではありませんから
日曜日に友達と遊べなかったり、部活動などが生じてきて
お子さんなりに葛藤することになります。

その辺はクリスチャンホームとしてのご両親のフォローが
大切になってくるでしょう。

また平日の集会や十一献金(これが一番信仰が試されます)など
信仰がないと厳しく感じられることもたくさんあります。

そういう意味で結婚前に神様を信じる必要が出てくるんです。
信じれば上に書いた問題は二人で励まし合って乗り越えて行けるようになるんです。

こんな風に書いちゃって怖気づいちゃったらごめんなさい。
でもやはりいずれ直面する問題なのであえて書かせてもらいました。

質問者さんがいい加減な気持ちで信じたふりできないっていう気持ち本当にそう思います。
私もそうでしたから。

でも教会で聖書や結婚に関する学びがありますから
もし思いがあるなら取り組んでみてはいかがでしょう?

不思議な事なんですが本当に信じちゃうと今あげた事実は
さしたる問題ではなくなっちゃうんですよねー。

また信仰のとっかかりが「彼」でも全然問題ないです。
私の場合は病気がきっかけでしたが息子のお嫁さんはそのものでしたよ(笑)

ようは救われるならきっかけなんて何でもいいんです。

「救いは神のもの」という言葉がありますので神様に出会いたいという熱い思いがあれば
きっと信じられると思います。

ただ、ただですよ。

もし、もしどーーーーーーうしても信じられない場合はやはり自分の気持ちに正直になってください。
信仰は信じるか信じないかの二択しかないんです。

彼が好きという感情だけではやっていけないんです。

その時は普通の一般の方との結婚をされた方が良いと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。とても参考になりました。例えば日曜日毎週教会に行くことは全然構わないんです。ただただ変に彼の周りのひとからどう思われるだろうとか、自分のことばかり考えてしまいました。そんな私に我慢の限界がきてしまったのだと思います。私の理想は二人でまたは家族で教会へいき、食卓でみんなあつまって感謝をしてご飯を食べる、何か辛い時も一緒に祈り乗り越えていく。そんな家庭を彼と築きたかったです。でも気づいたのが別れた後、、遅いですよね、、彼の気持ちを結果無視しつづけてしまったこと神様と彼に謝りました。もう一度だけチャンスがほしいんです。

お礼日時:2011/08/10 21:17

テーマは宗教かと思ったが、それだけじゃないんじゃないかな。



クリスチャンじゃないということは始めから知っていたわけだ。
そして、宗教が違ってもお互い敬愛し合える、高めあえるはずだと、そう思ったからこそ付き合ったんじゃないかね。
そして、最後の段階での改宗するかどうかまで来てはいないだろう?

きっと付き合いの中で、これではできないというものがあったはずなんだよ。
それが、あ、やっぱりクリスチャンじゃないからかと思わせた。そういうことだと思う。

特に、
>私の存在はそこまでのものでしかなかったのか、と思ってしまったためです。

こういう自信というかおごりというか、そういうものが垣間見れたんじゃないかと。
そうでなくとも、外国人で異教徒だというのに、遠慮や深い理解がない。

外国で暮らすということは、その国にお世話になっていることだ。相手もそれなりに気を使ってる、それなのにいい気になる、そういう外国人の態度、むかつくことがある。

日本の女は、本当にお目出度いから、ちょっと白人が親切にすると勘違いする、ホイホイと股を広げて、すっかり、彼氏のハートは私のものと。遊ばれているのも気がつかずに。
そんな行動でも、彼氏は真面目だから真面目に扱った、しかし、いつまでたっても「軽い」考えをしてる「軽い」女だから、諦めたんだろう。

良い例が、これから慌てて教会に行くんだってさ、どう思うかね?
なんと節操のない女だろう。宗教を冒涜してるんじゃないかね。
股の魅力じゃつかまえれなかったから、今度はやむなく神様を利用しようってのかい?

信じることは違っても、それなりの人物だと、もっとしっかり宗教を理解しあうよう機会を作るだろう。
それ以前だったということだよ。
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キリスト教国だって犯罪者は大勢居ます。

アメリカは世界中で戦争をしています。
むしろキリスト教が起こした戦争の方が多いくらい。
キリスト教徒だからモラルがあるんじゃありません。という私も一応カトリックですがね。

というか彼にモラルがあるのかな・・・としか思えませんね。
自分はクリスチャンとしか結婚しないと考えているのに、貴女がクリスチャンじゃないのに恋愛関係になった。
それだけでも十分に疑問ですよ。
私の妻はクリスチャンじゃないけれど、一緒になりたいから結婚した。
信仰というのは入信しているかどうかではなく、神様の教えに従った生き方をしているかどうかでしょ。
これは昔から必ず聞かれる事です。
「キリストの教えに忠実な非信者と嘘つきな信者(毎週告戒をしている)ではどちらが天国の門を潜れるのか」って。
これは神父様でも人によって答が違っています。
私の答えは「前者こそ天国の門は開かれ、後者には地獄の門が開かれる」なぜなら前者は善悪を知らずに善を行い、後者は善悪を知りながら悪を行なうからです。
つまり、私は妻が洗礼を受けるか否かに関わらず、正しい道を進めば天国にいけると考えています。(いちおうカトリックでは原罪を償うための火に焼かれるとされていますけどね)それは一種、洗礼を受けているという事よりも崇高な事です。

自分の信念を持っているなら恋愛関係になる前に洗礼を勧めるべきものであって、付き合ってから入信しなければ結婚しないなんて言うんじゃ、どこかの新興宗教と同じではないですか。
もし、彼の結婚相手の条件が以前からクリスチャンであったとするなら、私が学んだ概念からすれば、実際に肉体関係があるか否かに関わらず、それは姦淫の罪であるし、付き合った後にそのような考えに至ったとしても、それは彼が貴女と神に許しを請うべき事だと感じます。

信仰生活がそんなに甘いもんじゃないと言う事を知って欲しいですね。
彼と一緒になるためだけの手段としての入信ならやめておきなさい。
私なら貴女と結婚をし、更に二人で信仰に沿った生活を追及し、最期を向かえるときに貴女が入信を決めてくれれば最高の悦びだし、そうでなくても貴女が煉獄の償いをせずに天国に入れる事を祈るでしょう。

それに「友達で居よう」なんていうのもメメしい限りだ。
友達でいられるか否かは彼自身の貴女に対する態度で決まるものです。
如何にも「洗礼を受けてくれる事を待ってるよ」的な誘導に、私は悪意さえ感じます。

ちなみにご存知ですか?
結婚の誓いのとき、神父様がなんと言うか。
「死がお互いを別つまで愛する事を誓うか」と聞くんですよ。
つまり、死においては神に委ねられ、あくまで個人の生き方によって天国に入るか否かが決まるんです。
でも、私は死を迎えてもパートナーこそが天国に入れるようにと考える事が本当の愛じゃないかと思うのです。

結婚して半世紀以上も愛を貫くのに、そんな後出しジャンケン的な条件をちらつかせるような態度に、私は賛同できません。
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