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クリスチャンの彼から別れを告げられました。
私はノンクリスチャンです。
将来を見据えて付き合っていました。将来のことなどもたくさん話していました。
最近少し言い合いなどもしていました。
私が愚痴などを言うことも多かったと思います。
そういうこともあったと思うのですが
彼に結婚はクリスチャンとする、と宣言をされました。
そのため、今のこの関係は続けられないということで、今のパートナーシップを一度ないことにしよう
とのことでした。
友達に戻ろう。ただ、まだお互いコミットはしているから、ほかの人を探したりする時間ではない、と。
基本的に私がクリスチャンを知る気がない、ということになれば、この関係は終わりとなります。

私は、彼の考えや、モラルのある行動は、彼がクリスチャンだからだと思っています。
だからこそ好きです。
何かあると一緒に祈ってくれ、私も祈ってくれるようにお願いをしていました。
彼にとってどれだけ大切なものかわかっているからこそ、
私は気軽についていくことができず、教会にも一度しか行きませんでした。
ただ彼は待って待って、とうとうもうこれ以上はだめだ、とおもったのでした。
私は彼のためだけにじゃぁまずクリスチャンになろう、とは思えません。
彼にとって本当に大切なものだからこそ、私も真剣に考えたいと思っています。
私は神様の存在はもちろん信じていましたが、それが誰かわからない段階でした。
ただ彼に別れを切り出された日に、彼と一緒に祈って祈って、
それから毎日神様に祈っています。
彼はまだ私を好きだといってくれました。
私は彼を本当に好きです。
聖書やキリストについて知ろうと今しています。
そうすることで、私自身も正しい決断ができるようになると思ったからです。
ただ、知ることをしても、彼が私に戻ってきてくれるかはもちろんわからなく
正直彼をしるために、キリストのことも知りたい私は(矛盾だとはわかっています)
不安が多く、恐怖も感じます。
そのたび神様に祈りますが、自分の理由がこれでいいのか、とももうしわけなく思います。
今、彼と同じ神様を信じ、お願いすることで
神様が二人にとってのベストな方法を教えてくださるのだろうとはわかっていても
どうしても彼と戻りたくて仕方がありません。

どこかで、私という存在よりも、クリスチャンであればほかの人がいい、という決断をした、ということに
私の存在はそこまでのものでしかなかったのか、と思ってしまったためです。
今は彼にとってどこまで神様が本当に大きいのかをわかっているので、それほど重要なんだということを
理解しようと思っていますが、、、

クリスチャンの方にお聞きしたいです。
本当に好きな人でも、ノンクリスチャンであれば、別れる、という選択はやはり取りますか?

A 回答 (12件中1~10件)

40代既婚男性です。


私はノンクリスチャン(仏教徒です)ですが、家内がクリスチャンです。
私たちはお互いに違う宗教を信仰していますが、お互いを認め合って結婚しました。
つき合っている時、「信じる宗教が違うから分かれる」と言う考えは、お互いにありませんでした。
初めて家内に、「実はクリスチャンなの。一緒に教会へ来てほしい。」と言われたときも、抵抗無く礼拝に参加しました。
告白されたときには、家内が大事な存在になっていたので、「さけて通れない道」だと思ったからです。
なぜ抵抗無く礼拝に参加できたかと言うと、「私に取って神様は大事な存在だから、他の人が大事にしているものも大事にしたい」と言ってくれたからです。
家内はお寺にも行ってくれますし、神社にも行ってくれます。
私は家内と一緒に子供を連れて、礼拝に参加します。
何を信仰しているかではなく、どう信仰しているかが大事なのだと思います。
>聖書やキリストについて知ろうと今しています。そうすることで、私自身も正しい決断ができるようになると思ったからです。<
これは違います。
礼拝に参加して、信者の方々とお話ししたり、行動をみていて思ったのは、「クリスチャンも人間なんだ」と言う事です。
彼らは間違いを犯します。
迷っています。
「クリスチャンだから正しい判断が出来る」んじゃありません。
何が正しくて、何が間違っているのか・・・何を基準に決めるんでしょうか?
その時は、「正しい判断をした」と思っていても、数年後には、「あの判断は間違いだった」と思う事に遭遇するかもしれませんよ。
自分の経験から判断して、それを受け入れるしか無いんですよ。

彼に聞いてみてください。
「クリスチャン同士結婚して、離婚する事はないの?」と。
「クリスチャン同士の結婚は、全て幸せになってるの?」と。
クリスチャン同士結婚しても、離婚する人たちはいます、幸せじゃない人たちもいます。
「クリスチャン同士」と言うよりも、「お互いを尊重し、思いやれるか」と言う事の方が大事だと思いますよ。
クリスチャンに取って、クリスチャン同士の結婚の方が楽です。
彼は、「君と結婚して苦労するよりも、楽な方を選ぶよ」と言ってるだけです。
>彼はまだ私を好きだといってくれました。<
自分の弱さを隠すために、自分に取って都合のいい事を言っているだけです。
>今のパートナーシップを一度ないことにしようとのことでした。友達に戻ろう。ただ、まだお互いコミットはしているから、ほかの人を探したりする時間ではない、と。<
彼はものすごく自己中心的な事を言ってますが、気がついてますか?
「君が洗礼を受けて、クリスチャンにならない限り結婚できないよ」という意味ですよ。
彼には、「お互いを尊重する」と言う考えが無いんですね。
「自分の考えは通すけど、君の考えは無視する。」の状態です。

私は家内と結婚するために努力しました。
教会関係者に認めてもらうために、幾度となく礼拝に参加し、信頼関係を築きました。
そんな私を家内は支えてくれました。
教会関係者に、私がノンクリスチャンと言う事で結婚を反対されていましたが、教会に足を運ぶたびに、お話をし行動をみてもらう事で、結婚を反対されなくなりました。
牧師先生も、「いつか同じ信仰を持ってくれたらうれしいですね。」と言うだけで、結婚を許してくれました。

>神様が二人にとってのベストな方法を教えてくださるのだろうとはわかっていても・・・<
私からみると少し違うなと思います。
二人で困難を乗り越えようと努力し、行動して初めて神様は祝福してくれるのだと思います。
(この考え方は、クリスチャンの家内も同じ考え方です。)
今のあなた方二人は、努力と行動をせずに現実から逃げているように見えます。
今のあなた方二人は、同じ方向を向いていません。(彼は自分に取って都合のいい方向へ貴女を向かそうとしています。)
彼の事が好きなので、彼のマイナス面は見ないようにしていませんか?
もう一度彼をよく見る事から初めてはどうでしょうか。
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No.8です。



申し遅れましたがプロテスタントです。

彼氏様も間違いなくプロテスタントの方ですよね。

オーストラリアにいらっしゃるんですね。
もしかして彼はヒルソングの教会に所属されてますか?

もしそうでしたらあそこはとても大きな教会なので
その中でさらに個々の交わりを大切にするセルグループが
発達しているので未信者の方のフォローもきちんとしてくれますよ。

そうでない教会であっても、
彼は質問者様が救われるように教会の皆さんにお祈りをお願いしてます。

質問者さんが神様に祈っているように質問者さんも彼から、
また教会のみなさんから祈られてますよ。

彼だけでなく教会のみなさんからも質問さんは愛されてます。


彼はクリスチャンの妻なら誰でもいいのではありません。
「あなた」に救われてほしいんです。

だって心から愛している人ですから。
誰だって大好きな人と人生一緒にあゆみたいじゃないですか。

神様が一番で私は二番なのかという思いがあるかもしれませんが
彼はあなたにも、神様が一番で自分を二番目にしてほしいと願ってますよ。

これは間違いありません。彼に聞いて見てもいいです。

そしてこの順序は彼は変えられません。
この順序が今の彼のモラルと行動の根幹となっています。
「順番」にこだわると納得いかないかもしれませんが「秩序」といえば
少しはわかってもらえますか?

質問者様も信仰をもつときっとこの順番の意味がわかると思います。

でも今回、別れ話が出た事をきっかけに毎日祈ってらっしゃるとのこと。
どうしようもない事態に遭遇した時神に祈る。
もう既にクリスチャンじゃないですか。


安心してください。教会の方はみな元未信者だったんですよ。
そしてみなさんそれぞれ必ず救いに至る「あかし」を持ていらっしゃいます。
そのあかしを聞くのはすごく参考になるのでどんどん彼に紹介してもらって下さい。


信仰をもった後日曜に教会に通う事も抵抗がないとすればあとは決心だけですよね。


信仰はたくさん勉強したから信じられるというものでもありません。
はっきり言って聖書丸暗記したって無理です。

信じる時はあっという間に信じられるんです。
それが「救いは神のもの」といわれるゆえんです。

困った時、お願いしたり頼ったりする神様を知っているってものすごい強みです。
その存在が質問者さんにとってイエスキリストかどうかという事だけです。

とはいえ、信仰を持つってすごく勇気がいりますよね。
なんだか自分が自分でなくなっちゃうんじゃないかという恐れと
全く未知の世界に飛び込んで行く不安。

私も苦しみました。
誰かが催眠術で信じさせてくれたらどんなに楽かと本気で思いましたよ。

でも、思ったんです。
もしこのまま信じなければ今までの私と全然変わらない人生になっちゃうから
とりあえず飛び込んでみよう、それでやっぱり違ったと思ったら
やめればいいや、みたいな半ばすてばち(笑)な気持ちで信じてみました。(結果は大正解)

質問者さんももう一度チャンスがほしいと願っておられる。

ぜひそのチャンスに踏み出してみてください。

そうすると必ず事態が動きます。
その時こそ自分で納得のいく結論が下せると思います。

そうやって出した結果、質問者さんのそばに彼がいてもいなくても
最高の結論を必ず手にできます。

幸せを心から祈っています。
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キリスト教国だって犯罪者は大勢居ます。

アメリカは世界中で戦争をしています。
むしろキリスト教が起こした戦争の方が多いくらい。
キリスト教徒だからモラルがあるんじゃありません。という私も一応カトリックですがね。

というか彼にモラルがあるのかな・・・としか思えませんね。
自分はクリスチャンとしか結婚しないと考えているのに、貴女がクリスチャンじゃないのに恋愛関係になった。
それだけでも十分に疑問ですよ。
私の妻はクリスチャンじゃないけれど、一緒になりたいから結婚した。
信仰というのは入信しているかどうかではなく、神様の教えに従った生き方をしているかどうかでしょ。
これは昔から必ず聞かれる事です。
「キリストの教えに忠実な非信者と嘘つきな信者(毎週告戒をしている)ではどちらが天国の門を潜れるのか」って。
これは神父様でも人によって答が違っています。
私の答えは「前者こそ天国の門は開かれ、後者には地獄の門が開かれる」なぜなら前者は善悪を知らずに善を行い、後者は善悪を知りながら悪を行なうからです。
つまり、私は妻が洗礼を受けるか否かに関わらず、正しい道を進めば天国にいけると考えています。(いちおうカトリックでは原罪を償うための火に焼かれるとされていますけどね)それは一種、洗礼を受けているという事よりも崇高な事です。

自分の信念を持っているなら恋愛関係になる前に洗礼を勧めるべきものであって、付き合ってから入信しなければ結婚しないなんて言うんじゃ、どこかの新興宗教と同じではないですか。
もし、彼の結婚相手の条件が以前からクリスチャンであったとするなら、私が学んだ概念からすれば、実際に肉体関係があるか否かに関わらず、それは姦淫の罪であるし、付き合った後にそのような考えに至ったとしても、それは彼が貴女と神に許しを請うべき事だと感じます。

信仰生活がそんなに甘いもんじゃないと言う事を知って欲しいですね。
彼と一緒になるためだけの手段としての入信ならやめておきなさい。
私なら貴女と結婚をし、更に二人で信仰に沿った生活を追及し、最期を向かえるときに貴女が入信を決めてくれれば最高の悦びだし、そうでなくても貴女が煉獄の償いをせずに天国に入れる事を祈るでしょう。

それに「友達で居よう」なんていうのもメメしい限りだ。
友達でいられるか否かは彼自身の貴女に対する態度で決まるものです。
如何にも「洗礼を受けてくれる事を待ってるよ」的な誘導に、私は悪意さえ感じます。

ちなみにご存知ですか?
結婚の誓いのとき、神父様がなんと言うか。
「死がお互いを別つまで愛する事を誓うか」と聞くんですよ。
つまり、死においては神に委ねられ、あくまで個人の生き方によって天国に入るか否かが決まるんです。
でも、私は死を迎えてもパートナーこそが天国に入れるようにと考える事が本当の愛じゃないかと思うのです。

結婚して半世紀以上も愛を貫くのに、そんな後出しジャンケン的な条件をちらつかせるような態度に、私は賛同できません。
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テーマは宗教かと思ったが、それだけじゃないんじゃないかな。



クリスチャンじゃないということは始めから知っていたわけだ。
そして、宗教が違ってもお互い敬愛し合える、高めあえるはずだと、そう思ったからこそ付き合ったんじゃないかね。
そして、最後の段階での改宗するかどうかまで来てはいないだろう?

きっと付き合いの中で、これではできないというものがあったはずなんだよ。
それが、あ、やっぱりクリスチャンじゃないからかと思わせた。そういうことだと思う。

特に、
>私の存在はそこまでのものでしかなかったのか、と思ってしまったためです。

こういう自信というかおごりというか、そういうものが垣間見れたんじゃないかと。
そうでなくとも、外国人で異教徒だというのに、遠慮や深い理解がない。

外国で暮らすということは、その国にお世話になっていることだ。相手もそれなりに気を使ってる、それなのにいい気になる、そういう外国人の態度、むかつくことがある。

日本の女は、本当にお目出度いから、ちょっと白人が親切にすると勘違いする、ホイホイと股を広げて、すっかり、彼氏のハートは私のものと。遊ばれているのも気がつかずに。
そんな行動でも、彼氏は真面目だから真面目に扱った、しかし、いつまでたっても「軽い」考えをしてる「軽い」女だから、諦めたんだろう。

良い例が、これから慌てて教会に行くんだってさ、どう思うかね?
なんと節操のない女だろう。宗教を冒涜してるんじゃないかね。
股の魅力じゃつかまえれなかったから、今度はやむなく神様を利用しようってのかい?

信じることは違っても、それなりの人物だと、もっとしっかり宗教を理解しあうよう機会を作るだろう。
それ以前だったということだよ。
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私めクリスチャンですが今は放蕩してます。

(^^;)

ばりばりのきちんとしたクリスチャンの方からの回答もあると思いますが
私めの体験でよければお話聞いて下さい。

この世界(?)では未信者の方は必ず洗礼を受けて
クリスチャンになってから結婚しております。

なぜかというとやはりこれから一生を共に歩むにあたり
信仰という共通意識を持っていないと必ずひずみが出てくるからです。

精神面でのメリットは彼氏様などから聞いておられると思いますが、
実生活で信仰を持っていないとかなり負担になると思います。

具体的に言うと
当然のことながらクリスチャンは基本的に日曜の礼拝は必須です。

ですから自然と日曜の外出はまず予定に組まないようになります。
後は礼拝が終わってから出かけるとか・・ですね。

特に毎週礼拝の奉仕などが出てくると
やはり神様にに申し訳ないという思いがあるので休みにくいです。

子供が生まれるとさらに大変です。

やはり赤ちゃんのうちから両親とともに教会に通うようになるので
いろいろな面でお母さんの負担は増します。

また親は納得の上入信しているので良いとして、
子供はそうではありませんから
日曜日に友達と遊べなかったり、部活動などが生じてきて
お子さんなりに葛藤することになります。

その辺はクリスチャンホームとしてのご両親のフォローが
大切になってくるでしょう。

また平日の集会や十一献金(これが一番信仰が試されます)など
信仰がないと厳しく感じられることもたくさんあります。

そういう意味で結婚前に神様を信じる必要が出てくるんです。
信じれば上に書いた問題は二人で励まし合って乗り越えて行けるようになるんです。

こんな風に書いちゃって怖気づいちゃったらごめんなさい。
でもやはりいずれ直面する問題なのであえて書かせてもらいました。

質問者さんがいい加減な気持ちで信じたふりできないっていう気持ち本当にそう思います。
私もそうでしたから。

でも教会で聖書や結婚に関する学びがありますから
もし思いがあるなら取り組んでみてはいかがでしょう?

不思議な事なんですが本当に信じちゃうと今あげた事実は
さしたる問題ではなくなっちゃうんですよねー。

また信仰のとっかかりが「彼」でも全然問題ないです。
私の場合は病気がきっかけでしたが息子のお嫁さんはそのものでしたよ(笑)

ようは救われるならきっかけなんて何でもいいんです。

「救いは神のもの」という言葉がありますので神様に出会いたいという熱い思いがあれば
きっと信じられると思います。

ただ、ただですよ。

もし、もしどーーーーーーうしても信じられない場合はやはり自分の気持ちに正直になってください。
信仰は信じるか信じないかの二択しかないんです。

彼が好きという感情だけではやっていけないんです。

その時は普通の一般の方との結婚をされた方が良いと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。とても参考になりました。例えば日曜日毎週教会に行くことは全然構わないんです。ただただ変に彼の周りのひとからどう思われるだろうとか、自分のことばかり考えてしまいました。そんな私に我慢の限界がきてしまったのだと思います。私の理想は二人でまたは家族で教会へいき、食卓でみんなあつまって感謝をしてご飯を食べる、何か辛い時も一緒に祈り乗り越えていく。そんな家庭を彼と築きたかったです。でも気づいたのが別れた後、、遅いですよね、、彼の気持ちを結果無視しつづけてしまったこと神様と彼に謝りました。もう一度だけチャンスがほしいんです。

お礼日時:2011/08/10 21:17

クリスチャンではありませんが、日本人の「特殊性」についてはかねがね気になっているものです。


特殊性が悪いのではないのですよ。ただ、自分達が特殊なのだという自覚がないのが困るのです。

大雑把な言い方でいえば、価値観の違いになるのですが、宗教というのは、価値観違いでの共存が非常に難しいものの一つです。
あなたがそこ理解がないから、

『どこかで、私という存在よりも、クリスチャンであればほかの人がいい、という決断をした、ということに
私の存在はそこまでのものでしかなかったのか、と思ってしまったためです。』

こういうことをいわれるのです。
クリスチャンである彼が異教徒との結婚が難しいことが判っていなかったということにほかなりません。

キリスト教にも色々な教派がありますし、結婚に関しても緩い考えをする人もいれば、それでは良心が許せない人もいます。特に厳格な教派でしたら、もう選択の余地はありません。

キリスト教の教え、柱はいくつかありますが、結婚も柱の一つです。
配偶者という言葉があります。誰が配偶するのでしょうか?神です。
神が配偶した相手であるからこそ、病めるときも健やかな時も、神が二人を分かつまで添い遂げることを誓うのです。
ですから、長らくカソリックでは離婚ができませんでした。神の配偶にNOを突きつけることだからです。赤い糸でつながっているといいますね。誰がつなげたのでしょう?神です。
異教徒とつなげるのでしょうか?
仮に異教徒と結婚するとして、どこで式を挙げればいいのでしょう。何ゆえ自分の教会で神の祝福を受けれるのでしょうか?

日本人が信者でもないのに教会で挙式するほうが異常なのです。

あなたは、クリスチャンである彼を受け入れられなかった、それと同じように異教徒であるあなたを彼は受け入れられなかった。対等です。
彼は待った、でも、もう諦めた、あなたをクリスチャンに変えれないから、そういう祝福されない結婚を選べないと。

キリスト教の場合、異教徒との結婚を認めないとはっきり規定している所が少ないのもあるかもしれません。だから異教徒のままでの結婚はあることはあります。日本人ではそれも多いです。
国の法律>宗教法ですから、そうせざるを得ないのですが、個人生活では、教会法>法律 にする人はたくさんいます。

これがイスラム教だと、(無知な人間は)何も悩まないのですよ、
イスラムでは異教徒との結婚を禁じてます。結婚を許さないのではなく、結婚したら自動的にイスラムに帰依したことにされます。これは、男女どちらもです。そして、恐ろしいことに一度帰依したら事実上棄教はできないことになっています。つまり離婚してもイスラムのままです。
イスラムをやめることは、単に棄教ではなく、反逆・攻撃者になることを意味します。そして、「裏切り者には死」を認められています。実際に殺される例は少数ですけど。

だから、今でもダイアナ元妃がパパラッチに追われた事故死を暗殺と囁く人が多いのです。

宗教は人殺しも戦争も正当化する強烈な信仰です。ここが判り合えてないと結婚は難しいでしょう。
日本人にはわかりにくいかもしれませんが、創価学会だから悩むというのが近い例でしょうね。
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洗礼は受けていませんが、心はクリスチャンです。

でも、クリスチャンじゃない日本人に一神教って本質的に理解するのが難しいです。
しかも、この一神教の神様はやたら嫉妬深くて「俺以外の神様名乗っている奴はぜんぶバッタモンだから信じるな、話も聞くな。約束破ったらソドムとゴモラみたいにしちゃるからな」とおっしゃられるお方です。

信仰というのは難しいのですよ。信じるか信じないかのふたつしか選択肢はありません。
彼に対しては「私はサウロ(洗礼前のパウロです)と同じ」といえばよかったかもしれないですね。ただ、教会なら聖書を読む会とかそういう集まりがあったはずなので、そういうところに参加すればよかったかもしれないですね。

その国がどこかは知りませんが、外国では信仰というものが日本に比べてものすごく厳格な国も珍しくありません。例えばアフガンあたりでうっかり「俺は無宗教だ」なんて言い出すと「お前は共産主義者だな」といわれて殺されてしまうそうです。
日本人は「なんでもあり教」です。神様もアリ、仏様もアリ、昔からの精霊もアリ、どれこれも信じてありがたがっちゃう悪くいえば無節操、良くいえば懐が深い信仰を持っています。だから、子供が生まれると神社に行って結婚式では牧師さんの前で永遠の愛を誓い、死ねばお坊さんがやってきても誰も疑問を持ちません。本当の無宗教ならなんで戒名に何十万円も支払うんだか。

「サラエボのロミオとジュリエット」と呼ばれた話があります。サラエボに住んでいたボスコという青年はセルビア人、その恋人のアドヴィラはイスラム教徒でした。二人は宗教に関係なく愛し合っていたのですが、ユーゴスラビア内戦が始まってしまいます。しかも、セルビアとイスラム教徒は敵味方に分かれて戦い始めたのです。
二人とも、仲間から「お前はどっちの味方なのか」と問い詰められます。そして二人は戦火のサラエボを離れ、アメリカに亡命しようとします。しかしすでに市内は市街戦が始まっていました。サラエボの街から出る橋の上で、二人は撃たれて息絶えてしまいました。好きな者同士が、愛し合うことさえ許されないことさえ、世界ではあるのです。

信仰というのはそのくらい重いのです。イスラムの青年は、自爆攻撃までしていますよね。狂信というのはそういうものなのです。
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この回答へのお礼

本当に、行っておけばよかったという後悔が残っています
教会にこない?という言葉に対して、自分にとってそこに行くのは大変な勇気なんだ
と結局理屈をつけては
彼が本当に知ってほしいと言うことを無視し続けていた
そのことに別れてから気づきました。
そのことに関しては心から謝りました。
ただ後悔しても何も変えることはできないので、勉強をして、自分にとってどうなのか
という判断をしようと思いました。
なのですが、やはりそこには彼との戻りたさがいちばんなことに嘘はつけません。
ここはオーストラリアです。

お礼日時:2011/08/10 18:54

神の前において、そんな選択肢はありませんよ。


この話を仏教とか神道に置き換えたって同じですね。
そんな選択肢があるのは創価学会か幸福の科学ぐらいでしょう。

「結婚はクリスチャンとする」
いまさら言うなよ! 
って感じですよね。
これは、あなたと結婚したくなくなった、ということを正当化するエクスキューズ。いいわけとしか思えないでしょう。
騙してさんざんカラダをおもちゃにしておいて。モラルが聞いてあきれます。

もしそうじゃないとして、本当に結婚したくて、あなたにクリスチャンになることを強要しているのであれば、
「結婚をエサに交換条件出すなよ。キリストはそうしろと教えたの?だったらキリスト教なんて誰が信じるかよ!願い下げだよ!」
といって一発ぶん殴ってやればいいんです。
今まで騙してきた期間の清算をしてすっきりしましょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
だまされたとは一切おもっていません
結婚したくなくなったというのはその通りかもしれませんね
私もかなり甘えてしまいましたから。。

お礼日時:2011/08/10 18:15

隣国では、「結婚したい相手がクリスチャンじゃないときのために、一緒に勉強をしよう」という会が、協会主催で行われています。

教義を理解したうえで、ダメだというのならよいのですが、知らないために宗教を敬遠する、ということがあり、それが喧嘩やもめごとの火種になることは頻繁にあることだからです。

日本の教会にも同じような仕組みがあるかどうか知らなくて申し訳ないのですが、「一緒に教会に行って、勉強することはできるか」と彼氏さんに相談してみることはよいかもしれません。少なくとも、理解をしようという質問者さまの姿勢は示せます。

キリスト教の中でも、宗派の違いだけで、結婚ができなかったり、親に反対されたりということはとてもザラにあります(キリスト教がもっと浸透している国でも)。現に、私の友人夫妻は、キリスト教どうしだったのですが、宗派が異なっていたために、片方が悩みに悩んだ挙句、改宗しました。
それは私にとって、とてもとてもおどろきなことでした。

キリスト教信者でも、その「日常行動における厳格さ」は、個々人によって、かなり差があります。
厳格な人ほど、宗派の異なる人との結婚はためらうと思います。
ゆるいというわけではありませんが、俗世にかなり適合している人は、配偶者が無宗教でもOKだったりします。

もし、私が質問者さまのお立場だったとしたら、と考えると、結婚はしないかもしれません。
結婚しない事実婚を彼が認めるのであれば、その形をとる可能性はあります。
わたしは、キリスト教に関してはかなり知識があり、そのうえで、自分とはいまいち合わないということを自覚しているからです。
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この回答へのお礼

一緒に勉強しようの会、はいいですね。
私は今日本ではなく海外にいるのでクリスチャンというほうが多い環境です
彼は事実婚はないです。結婚とは何が違うんだろうと私も思います。
自分が彼を一方的に失いたくないだけで悪あがきをしているのかなということは
気がついてはいます
回答ありがとうございます

お礼日時:2011/08/10 18:19

自分の存在が一等賞でなかったことにショックを受けてるみたいですね。




でも、あなたの存在価値は宗教と比べるものではないと思うのですよね。。

宗教は その人にとっては根幹なのだと思います。

世界の基盤であり その上で生きているのだから。


あなたを大好きなのは間違いないけど

死後 救われない(一緒に再び合間見えることができない)と信じていて

それはとても恐ろしいことなのだそうです。



基本的に同じ宗教でないと、、ということは 他の宗教でも多くあります。


でも なんだかね。。幸せってなんでしょうね。っておもいますよね。

幸せで真面目に生きてたら宗派が違えど 神様は認めてくれると思いたいですよね。


でも 神を信じている人にとっては 人生には困難が当たり前で 乗り越えることが幸福となっているので
どうしようもないです。。。

あなたとの別れも困難の一つになってしまうのかもしれません。

その人だけが運命の人ではない と言ってしまえば簡単でしょうが
あなたにとって「今 その 彼」が運命の人なんですものね。

彼は あなたより クリスチャンの中から伴侶を選ぶかもしれませんが
それは クリスチャンならだれでもいいと思って選ぶわけでないことは
きっとあなたも分かっているはずです。
結婚したい!と思える人と出会えなければ独身をとおすかもしれないですし。


人間は変化します。

今の想いも絶対ではないし 永遠ではないかもしれません。

もし 別れてしまってもその後を「良く」生きてほしいです。
離れても 大切な人の幸福を祈れるように。

もし 彼の為に洗礼を受けたら それはそれで 新しい世界が待ってるかもしれません。
クリスチャンになったらどっぷりはまって開眼するかもしれません。

私はあなたが 彼の為にクリスチャンになっても
別に悪いともおもいませんよ。
あなたが愛している 彼の素晴らしい人格形成に 大きな役割をになった宗教ごと愛するのも手かな。。と。

答えになってなくてすみません。。

読み流してください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
とても優しく書いてくださり感謝しています。
彼のライフスタイルであり、彼の人格を形成している宗教と自分を比べたことをとても恥ずかしく思っています。
きちんとつきあっているときからも神が一番だからというのは言っていました。
彼にこの人ならこの違いを乗り越えてでも一緒にやっていきたいと
思ってもらえるような人間ではなかったことにも気づいています。

とても参考になりました。

お礼日時:2011/08/10 18:23

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