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僕は日本語を勉強している外国人です、日本の方々 どうもよろしくお願いします


テキストに「来るならまだしも、顔さえ見せない」の例文が書いてあります
友たちはこれが間違った言い方で、論理的には筋が通らないと主張しています
ですが僕はこれが間違っていないと思っています

この例文は正しいかどうかが知りたいのです
そして、正しいかどうかについての理由も教えてください

本当にありがとう

A 回答 (8件)

#5です。


>「来るならまだしも、顔さえ見せない」
これがどんなシチュエイション下での言葉なのかわかりませんね。
前後の状況次第では、おかしな日本語ではない可能性が十分にあります。
なお、「来る」=「顔を見せる」ではありません。
そのわけは#5の通りです。
>「来るならまだしも、顔さえ見せない」
この文だけで判断するのであれば、良くない例文です。
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#2です。



>始めの三つの例文は「来る」ー>「来ない」のほうが正しいではないかと思っていますが…
「来る」が正しければ、よくわかりません、説明してほしいです

「来ないならまだしも、電話すらしてこない」
「来ないらまだしも、手紙すら寄越さない」
「来ないならまだしも、伝言すらない」
が正しいのではないか、ということですね。
原文に立ち返って説明し直したほうが良いかもしれませんね。

「○○ならまだしも△△」というのは慣用表現として良く使われます。これは、
「○○」と「△△」を比較する場合に使います。
『○○なら不十分ながらまだしも許せる。しかし、それ以下の△△なので許せない』
という意味です。

原文の
「来るならまだしも、顔さえ見せない」は、
『「来る」なら不十分でもまだしも許せる。しかし、それ以下の「顔を見せること」さえしないので許せない』
という構図になります。
しかし、このシチュエーションでは、
「来る=顔を見せること」です。つまり、
「顔を見せること」は「来る」こと以下ではありません。
それが、この表現が適切ではない理由です。

冒頭の例文、
「来ないならまだしも、電話すら(さえ)してこない」は、
「電話すること」が「来ない」こと以下、という構図になってしまいます。
これはおかしいですよね。

「来るならまだしも、電話すら(さえ)してこない」の場合は、
「電話すること」が「来る」こと以下、という構図になるので正しい表現になります。
  
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こんにちは。



テキストに書かれているのは
「来るならまだしも、顔さえ見せない」
の一行だけですか?
いろいろな筋書きが思い浮かびますので、
それぞれ書いてみますね。

___________

1.
宿題の提出期限が過ぎているのに
宿題が終わっていない場合、
借金の返済期限が過ぎているのに
お金が無い場合など。

この場合、【顔さえ見せない】よりは、
「すみません。まだ宿題が終わっておりません。
近日中に必ず提出します。」
と言いに【来る】方が良く、

【顔さえ見せない】よりは、
「すみません。現在お金がありません。
給料日に必ず返済します。」
と言いに【来る】方が良いと思います。

例文を少し補うと、
「来る(、そして事情説明や謝罪などをする)ならまだしも
顔さえ見せない。」
ということになり、間違いとは言えないと思います。
___________

2.
Aさん(例文の発言者)と
Bさん(来ない人=顔を見せない人)が、
何時何分にどこどこで会うという約束をしている場合。
他の方もおっしゃる通り、
来ない=顔を見せないなので、例文は間違いです。

この場合、Aさんが待っているのはBさん自体です。
Bさんが来ない(=顔を見せない)、しかも、
Bさんが来ない理由が分からない、となると、
Aさんは、
「単に寝坊したのだろうか。
約束を忘れているのだろうか。
道に迷っているのだろうか。
途中で事故にでも遭ったのだろうか。」
など、不安になります(あるいは腹を立てます)。

そこで、すこしでも状況が良くならないかと考え、
Bさん(来ない人)に対する意見をつぶやきます。

Aさんの言いたいことは、こうだと思います。




「来ないなら来ないと連絡するならまだしも、
それ(連絡)さえしない。」



___________

3.
毎日だいたい同じ時間に同じ場所で
何となく井戸端会議をする近隣住民や、
同じ大学に通っていて、毎日だいたい同じ場所で
何となく会話をしている大学生など、
仲間や友達のうちのだれかが
ある日から来なくなった場合。

この場合、
「来てくれるとうれしいのだけれど、
バッタリ会うこともなく、見かけることもない」
と解釈することもでき、
例文が間違いとは言えないと思います。
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テキストの例文としては、誤解を受けやすく、お粗末ですね。


ただ「来る」=「顔を見せる」ではありません。

A地点⇒B地点 この移動はAから見れば「行く」、Bから見れば「来る」です。
「顔を見せる」は、ABどちらの地点でもできます。

「謝りに来るのならまだいいが、(このごろは相手の家(店)の前を通っても、今まではいつもはニコニコ挨拶するのに)顔さえ見せない。」ということはあり得ることです。
まあしかし、例文は、「怒っている人が、いつも相手の家(店)の前を通る」ということを知っている人だけにしか通用しませんので、常識的にはXでしょう。
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こんにちは 日本人でも錯覚を起こしやすい言い回しですね。


まだしもの意味は「まだそれでも、そのほうがすこしはましではあるが。」

~まだしもまでをAそのあとをBとして考えてみましょう。

そうするとBはいつもAより酷い状態でなければ成り立ちません。
かと言って全く反対の状態っでは極端すぎます。

先の回答者の皆さま沢山の例文をあげていらっしゃいますが、
理屈で覚えるより文章を読んで慣れる方がよいと思います。

たまに来るならまだしも、電話一つかけて来ない。

貸した金を返すならまだしも、また貸してくれとは何事だ。

道で会って挨拶するならまだしも、知らんか顔するなんてひどいわ。

本当に具合が悪くて休むと云うならまだしも、会社休んでライブに行くらしい。

風邪をひいただけならまだしも、肺炎になってしまったらしい。

子供の喧嘩ならまだしも、親が出てきてまで喧嘩する事ないとおもう。
ご自分でもいろいろ例文作ってみてください。
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ご承知のこと思いますが、世界的に見ても、日本語というのは曖昧言語の代表です。

漢字という中国からの賜り物があっての日本語(表記表現)なのに、主体と客体概念からして、中国(や欧米)の文法作法と大いに異なってしまいました。それが良かったのか、悪かったのか。または、日本人(語)独特の、言語感覚の鈍感さが世界的に孤立しなければ良いのだがと懸念したりしています。

さて、――「来るならまだしも、顔さえ見せない」という例文は、曖昧を旨とする日本語という観念からは可能でしょうが、通常、そこまで日本語といえども曖昧な事にはなりません。
つまり、「……ならまだしも」とは、better(より良い)なのですね。としますと、「来る」と「顔さえ見せない」はイコール(同義)なので妙な事になります。より良いものと、余り良いとは言えないものの別の単語(または文脈)が、「比較」するうえで必要なのです。あるいは、「来る」ことと、顔を見せることは違うというお考えなのでしょうか。まあ、厳密に言えば、来たからといって、終始そっぽを向いていれば、顔は見えませんが、この例文、そういう場面が想定されてるようには思えませんね。テキストの例文は「better用法(比較級)」の習得が目的かと思われます。それに併行して、「来る」とは顔を見せることと同義であるということを学んで欲しいということではないでしょうか。
従って、当方の結論としましては、例文は間違いであるということになります。比較級として破綻しているからです。

序ながら、「……どうもよろしく……」は「……どうかよろしく……」の方が「回答をどうかよろしく」という文面としては正しいと思います。初対面の相手に面と向かって言う時には、「どうもよろしく」でも良いとは思いますが、そういう分け方が面倒ならば、「どうぞよろしく」がより良いでしょう。「どうも」より「どうぞ」の方が謙譲の意もあって丁寧な言い方になりますし、たいていこちらの方が違和感なく通用します。「どうもー」には「チワーッス(こんにちはデス)」と同様に軽薄なイメージが付きまといます。今どきの若者は書き言葉と話し言葉を厳密に区別しませんが、本来、日本語にはそういう区別があるのです。

また、「友たちはこれが……」は、「友だち」の間違いかと思われかねませんので、「友達(ともだち)ではなく」、あくまでも「友たち」ということならば、「多くの友人」か「友人の多く(は)」が宜しいでしょう。更には、「友達は、これに対して」か、「友達は、これについて」などと工夫して、「……は……が」と主語(は・が)が連続することを避けるべきでしょうね。そういう工夫が不可能なケースもありますから、そういう場合は、句点を、主語を表す助詞のどちらかの後に付けた方が良いでしょう。

次いで、末尾の「本当にありがとう」も違和感があります。「そんなことも分からないのか」と罵倒されるかも知れませんのに、感謝の意を事前に述べる必要はありません。冒頭の「よろしくお願いします」で充分です。しかし、まあ、文章を読んでくれたこと自体に感謝するとかで、どうしても最後に感謝の言葉を書きたいのなら、「たくさんの方々から様々なご見解(ご意見)がいただけましたら大変ありがたく思います」というくらいがよろしいと思います。

それに、なにより、「ありがとう」と言い切るのは、目上の者が下に向かって言う時のみです。会社で部下である平社員が、係長や課長に「ありがとう」などと言ったら大変なことになります。間違いなく、即、叱責されます。礼儀知らずも甚だしく、左遷の対象になりかねません。「(誠に)ありがとうございます(ございました)」でなければなりません。ですから、質問者が上から目線で「ありがとう」と言うのも、どうなのでしょうね。この辺り、中国語も欧米語にも、そういう感覚がありませんから、大変な事とは思います。日本語というものは、Thank youで相手が誰であろうと通用する世界ではないのですね。thank youの積りで感謝の気持ちを言ったのに、「ございます」がないというだけで叱られてしまう場合があるのですからね。お察しいたします。

もうひとつ。句点(、)はありますのに、読点(。)が欠落しているのは大変不自然です。「句読点(くとうてん)」というのは一つのまとまり(または概念)ですから、一方だけを用いて、片法を無視するというのは文法としての一貫性に欠けます。日本には漢文(漢字のみの連なり)のみだった時代があって、それを「読み下し文」に置き換えていったのが、今日の日本語表記の始まりです。そして、その「読み下し文」を成立させる方法として「返り点(レ点など)」とか、和語に変換表音された単語(漢字)に対する「送り仮名」とか、「句読点」が用いられました。つまり、句読点は日本語表記成立時の数少ないルールの一つだったのです。今日の「漢文」学習においても、これらのルールが依然として守られています。それを承知で、どうしても読点を打ちたくないのなら、句点も止めて、代わりに、今どきのギャル風に「絵文字」でも入れなさいと言いたくなりますね。

では、これにて。長々と失礼致しました。
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間違いでしょうね。


正しくは、
「来るならまだしも、電話すらしてこない」
「来るならまだしも、手紙すら寄越さない」
「来るならまだしも、伝言すらない」
などという表現が適切です。

「まだしも」は「まだ」の強調形で、「まだ」は、
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E3%81%BE%E3%81 …
の2-6にあるように、
・十分ではないが、他にくらべればよいほうだという気持ちを表す。どちらかといえば。
という意味です。
「寒いのは―我慢できる」「退くよりは進むほうが―ましだ」
という例文が挙がっていますね。

「○○ならまだしも、△△さえしない」は、
「○○ は十分とは言えないがまだ良いほうだ。しかし、それ以下の△△さえしないのは、全く良くない」
という怒りの感情表現になります。
つまり、○○>△△ という関係が必要です。

しかし、
「来る=顔を見せる」ですから、同じ意味です。
「来る>顔を見せる」
という関係にはなりません。
ですから間違った表現になります。

「一時間アルバイトして700円貰えるならまだしも、600円さえ貰えない」 
という数値の絡んだ例がわかりやすいかもしれません。
話し手は、
「一時間アルバイトして700円貰えるなら、十分とは言えないがまだ良いほうだ。しかし、それ以下の600円さえ貰えないのは、全く良くない」
と言っていることになります。
700円>600円
という構図があります。

ちょっと込み入ったシチュエーションで、「来る>顔を見せる」という構図が成立する場合もあるでしょうが、極めて稀です。
その稀なシチュエーションの説明抜きに提示されるのは例文としては不適切で、これは誤った例文と捉えるのが自然です。
    

この回答への補足

すみません、「まだしも」についての解釈の部分はよく受けましたが
始めの三つの例文は「来る」ー>「来ない」のほうが正しいではないかと思っていますが…
「来る」が正しければ、よくわかりません、説明してほしいです

補足日時:2011/10/17 23:31
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状況によって異なります。



たとえば、何か失敗をしでかした人が、謝罪のために「やって来るならまだしも」許す気持ちになるが、「顔さえ見せない(やって来ることもない)」なら許す気になれない、という状況ならこの言い回しはありですね。

つまり「来る」ことが悪い中でも比較的良い状況で、「来ない」ことが悪い状況の場合、この言い回しが成立します。
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