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人の精神活動のほとんどはアイデンティティーの保持と拡大に消費されているのではないでしょうか。
私の信念、私の理想、私の友達、私の恋人、私の生活、私の結婚、私の夢・・・・
私と言うコアは存在せず、全ては記憶によって保障されているアイデンティティーという概念です。
人の悩みもこのアイデンティティーに起因するものが全てと言ってもいいと思います。

人は本当にアイデンティティーなしでは生きられないでしょうか。
精神がなぜアイデンティティーを求めるのかは非常に興味のある現象ではありますが、とりあえずこの拡大し続けるアイデンティティーを解体してみる必要があるのではないでしょうか。
手に負えないほど拡大し、理想と現実のギャップを生みだすこの諸悪の根源ともいえるアイデンティティーを放棄したらずっと楽に生きられると思いませんか。

A 回答 (20件中1~10件)

>私と言うコアは存在せず、全ては記憶によって保障されているアイデンティティーという概念です。


>人の悩みもこのアイデンティティーに起因するものが全てと言ってもいいと思います。

回答者tumaritou1さんのHP「人生問題の解決」の掲示板でここの応答が載っていたので拝見しました。
(tumaritou1さんのご意見には疑問を感じますが)
たまたま、わたしがこの掲示板書き込んでいたことと重なったので、メールしました。
shift-2007さんのおっしゃる通りです。
このだれのものでものない身心に「私」と言う概念による「私」と言う「名」がついたために、
結果、私物化し、思うようにいかないことで苦しんでいるのです。
生まれたてでは、「私」と言う概念や「これ」、「身心」、「人」、「他者」、「宇宙」という概念がありませんから、一如(「一つ」もない)ですね。
shift-2007さんのご承知のとおりです。

>とりあえずこの拡大し続けるアイデンティティーを解体してみる必要があるのではないでしょうか。

禅・仏道の修行もアイデンティティーを解体して、実はそれが虚構であることをまずは実証することですね。
その結果、解体しようとしていたアイデンティティーは実体がない概念だったんだと気づくのですね。
ほとんどの修行(実は仏教の中にもある)が、「私と言うコア」を認め、その私という架空基地上に、
「教え」にしたがった訓練を積み重ねていくのが一般です。
その結果の気づきをも積んでいくため、修行をすればするほど、「私と言うコア」が拡大し、一如から切り離されていっていますね。
shift-2007さんのご承知のとおりです。

>人は本当にアイデンティティーなしでは生きられないでしょうか。

ご承知のとおり、生きられますね。
現状のシステムという方便を使うのであれば、仮の名、仮のアイデンティティーをツールとして使えばいいだけですね。
ただ、そういうツールに使われなければよいだけですね。実際はアイデンティティーなしです。
あなたご自身は解体されたのでしょうから、これは疑問ではなく、皆さんへの提案ですね。

良いご提案ありがとうございます。
また、お話があればHP「人生問題の解決」(神経症治療のサイト)の掲示板でもどうぞいらしてください。
あるいはご自身のサイトありますか?
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この回答へのお礼

私も偉そうなことを言える立場ではないのですが、宗教と哲学という古くからある手法には多くの生きる上でのコツや指針が含まれていると思います。
そういうものはもっと見直されるべきだろうと思っています。

HP「人生問題の解決」機会があれば寄らせていただきます。
私自身はサイトを持っていませんが、このQ&Aには哲学のカテゴリもありますので、せっかくご登録されたのであれば利用してみてください。たくさんの変人たちがいて面白いですよ。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/04/25 12:09

『見性するための条件は整っているならばどのように彼らをその世界へ導いたら良いと思いますか?』と言う答えは、誰にも判らないだろう?と思います。

あの偉大なキリストや釈迦でさえ説くことしか出来ませんし、まして『体得させる事は』その弟子の間にも、徹底させる事すら出来ないように見えるからです。

アイデンティティが放棄された場合は、『受け入れられない現実を、受け入れなくとも良いように』頭の中で認識する場合です。心が本当に分裂する事を意味しますので、『自分が何者か、或は現実と頭の中の世界が完全に食い違ってしまう事を意味しますので』

自分自身を自分自身として『認識させている者』と背中合わせになってしますことを意味します。

従って自分が分らなくなる、或は現実と頭の世界の区別がつかなぬなる。つまり精神の崩壊を意味すると思います。
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この回答へのお礼

そうですね、これをご利益としてとらえられても本末転倒ですから”説く”がせいぜいなのかもしれません。
全ては自分次第という当たり前の結論なのでしょう。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/04/25 11:33

>次の回答までの時間が長くなってきましたね。


>つらいのでしょう。
いつまで経っても締め切らないから呆れ果ててただけ。
ツッコミ入るの待ってたの?御苦労さま。

>不愉快なら無視すればいいんですよ。
>でも貴方にはそれが出来ないのですね。
>このカテが貴方のアイデンティティーを構成する要素になっているのでしょう。
勝手に妄想してればいいさ。

じゃあね。
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この回答へのお礼

じゃあね。

お礼日時:2012/04/22 22:22

>貴方に私が説得できると本気で思っているのですか?


誰にもあんたを「説得」など出来ないし、しようとも思わない。
あんたは誰の話も聞かないし、聞く気など無いから。
『馬の耳に念仏』ってやつ・・・・・あ、馬に失礼だ。

>迷惑だと思うならシステム管理者に削除を要請したらいいでしょう。
してるよ。
質問とはまるで関係ないコピペな怪答とか。
悩み苦しんで崖っぷちにいる相談者を崖から蹴り落とす様な怪答とか。
明らかに相談文をななめ読みで回答してるよね。

あんたの言葉で人が死ぬかも知れないんだ。
そろそろ「通報」じゃなくて、運営に直接メールで要請だね。
『危険人物』として。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

次の回答までの時間が長くなってきましたね。
つらいのでしょう。
不愉快なら無視すればいいんですよ。
でも貴方にはそれが出来ないのですね。
このカテが貴方のアイデンティティーを構成する要素になっているのでしょう。

貴方に言われたからというわけではないのですが、このカテでの回答は控えようかなと思っています。
結局ここのカテで質問をしている人は感情に振り回されていて木を見て森を見ていないわけですから、個別の回答をしてもあまり意味がないと思うわけです。

お礼日時:2012/04/22 21:28

貴方の質問に答えたいと思います。



始めに言って置きたい事は、貴方の今回の質問は不適切と言う事です。アイデンティティの確立した姿が『悟り』だからです。

人間は二つの意識が同調する事で、普段の何気ない生活が成り立っています。その意識の一つが左脳に存在する意識=『自我意識です。』

処がその自我意識に『生きるための全ての情報を送るシステムが存在します。』その働きを推進して働く力が『右脳に存在する、命そのものを働かせている意識=人格です。』

処が右脳の人格は『無意識の底に、封印された形で働いていますので』普通では自覚出来にくくなっています。

道元が仏門に入ったきっかけは、『一切衆生悉有仏性』と云う事なのに、何故修行しないと『仏性』が自覚できないのか?と言う素朴な疑問からと言う話が伝わっています。

貴方が普段から書いている話には、私も頷く事柄が多いです。

悟りを開くための条件は、二つの意識が争う事を辞める場合です。『自我意識の計らいが、挫折する場合です。』その現象を『大死一番』と表現しています。つまり『我』が折れる場合です。

その後では『命の働きが』『我』を先導するようになります。つまり『神の僕となって』自我意識がその前に立とうとしなくなる事です。此処で『二つの意識は争いをしなくなります。』

この心境を『涅槃』と形容しています。キリスト教で云う『神と和解する事』を意味します。

人間は絶えず『意識の根底では』二つの意識が情報交換をし合って、全てを決めて『どちらの出番かを決めています』このシステムに不調をきたす事が、全ての障害になっています。

命を働かせているシステムには、大別すると『身体の機能としての生命維持機能』と、『行動面での生命維持機能』と『精神面での生命維持機能』があります、この三つには境目がない事から、お互いに絡み合いながら機能していますので、重なる部分も多いのですが、便宜上大別したまでです。


『身体の機能としての生命維持機能』と『自我意識』が同調出来難くなった場合を『自律神経失調症』を始めとする身体の変調を訴える事柄になっています、当然『過敏性腸症候群』や、難治性の心身症もこの中に入っています。


『行動面での生命維持機能』と『自我意識』が上手く同調でき難くなる場合を『神経症』と表現しています。


『精神面での生命維持機能』と『自我意識』が上手く同調出来なくなる場合『心を病む』と表現しています。

ですので、自分を働かせている意識『右脳の意識』を自覚出来た場合に『完治します。』それが悟りの効用です。

健常者と言う人達は既に『悟っている事』を意味しますので、遥かに障害を抱えている人達の方が『見性』するための条件は整っていると思います。

その条件が整う時は『我が折れる時』です。アイデンティティが放棄される時とは『逆の意味』になります。

自我意識が自分自身の『実存』と手を結んで生きる時、本当の人生が始まります。頭の中の世界と目の前の世界が『一つの世界として働き始めるからです。』

今書いた三つの障害は『どのように検査をした場合でも、異常は見つけられません』何故なら、健康でありながら、自分自身の健康を疑っている事を意味するからです。『頭の中に異常感を作っているだけだからです。』

『我』がその事を認めるだけで完治します。その姿は『あるがまま』を認めるだけです。

『何もかも全てこのままで良かった(整っていた)事を』です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

なるほど、貴方の言うアイデンティティーと私の言うアイデンティティーは違うようです。
貴方は右脳と左脳がそれぞれ持つ意識が完全に同調されたものが本当のアイデンティティーであるという主張ですね。

私の言うのは辞書を引くと出てくる単なる「自己同一性」の事です。
先ほど夕食を食べていた私といまパソコンに向かっている私は同一であるという同一性です。

>『分った後では』と言う追記が必要ですが

まさにその通りなのですが、黙っていても分かるということは通常は無いはずです。
求めない限りそれは得られないというのがこの世界のルールだと思います。
そのための準備或いは儀式として無差別に拡張された自我を意識的に放棄するのが有効ではないだろうかと思うのです。

>健常者と言う人達は既に『悟っている事』を意味しますので、遥かに障害を抱えている人
>達の方が『見性』するための条件は整っていると思います。

見性するための条件は整っているならばどのように彼らをその世界へ導いたら良いと思いますか?

お礼日時:2012/04/22 21:03

NO.9で答えたものです。

私も最近そういうことあって、興味あることは垣根なく取り組みます。垣根ないことは自由でアイデンティティありません。研究とかいった分野、自己を極めるといったこと、これは自由の中から生まれるのでしょう。自分らしさを追求して、でもその向こうには夢という自分のアイデンティティの一つがあるのでしょう。自分らしさ、オンリーワンですから、誰も到達してないあるいは少数しか到達しないものを目指すわけですから、一定の分野で高さがあります。でもそこはたぶん自己否定からはじまるような気はします。ですので、精神的に健康である人のみが目指すべきだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

確かに健康であることが条件でしょうね。

お礼日時:2012/04/22 10:52

変えると言ってもどのように変えるつもりですか?



簡単な事です。『分った後では』と言う追記が必要ですが。

心の持ち方の変更です。『健康でありながら、健康を疑う事が、心を病む』と言う現象だからです。何処にも異常がないにも拘らず、健康を求める態度の変更です。

本来的な心の在り方と、自我意識が考える心の健康の在り方が食い違っている場合に『心を病む』と表現しています。

『頭の中で、頭で描く健康な心』と『実際の本当に健康な心』が食い違ってしまう見方です。

頭の中に描かれた事柄は『実際には存在しない空想の世界です。』頭の中は理想として描かれた世界です。この世界と現実のギャップの大きさが『心の苦しさになっています。』

世の中の見方の変更とは『現実を現実として認める事です。』『頭に描くような天国に近い世界などなかった事を認める生き方です。』

心を病む場合の『頭の中の世界』=『妄想として感じている症状』は、現実には存在していなくて、地獄を避けようとする『自分の心が作り出している、空想の世界観』と云う事を了承できた場合に心を病む事は、終了します。

現実の世界が、頭の中の世界と一致する場合が『完治です。』二度と心が争わなくなる事を意味します。

たとえ『死期が迫ったとしてもです。』現実を受入れようとしない自我意識が、現実を受け入れる事が出来た事を『安心』と言っています。

不安とか、ストレストとか、恐怖とは、『自分が自分を受け入れられない現象だからです。』

自分の心が自分の心と戦っている事を『ストレスや不安や恐怖』と感じています。

心の矛盾をこのように感じています。不安の正体は『自分の心の中にあります。』この正体が分かる事を『見性』と表現しています。

二つの意識を繋いでいる脳梁の中で出会う現象です。自我意識ともう一つの意識が、脳の障害によって、上手く表現出来ている動画がありますので載せてみます。あなたには二回目かも知れませんが、右脳の意識が教えている世界観が『仏教やキリスト教』の世界観となっています。

この現象を『禅では』禅には何も教えるべきものはない、ただ本人が自分の心の中にある、ある者から自分で学ぶ事といっています。自分自身を知る現象を『見性』と言っています。つまり『悟り』です。


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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ご回答頂いた内容は大体理解しました。
私はそれを実現するためにアイデンティティーを放棄したらどうだろうかと思うのです。
もちろん、じゃあ捨てますというわけにはいきませんので、内観によって自分の心の動きを感じ、これ以上の自我の拡大を止め、理解によって解体するのが手順としては良いだろうと思います。

このカテでこういう話が出来るとは思いませんでした。
せっかくの機会なので一つ質問してもよろしいでしょうか。
このカテには10年以上メンタルヘルスに関して苦しんでいる人達がごろごろいます、恐らくこの先も寛解がせいぜいでしょう。
そういう長年地獄を見てきた人たちを正常に戻すのではなく、下世話ないい方ですが「悟り」を開かせることは可能だと思いますか?
普通の人よりもある意味で可能性が高いと私は本気で思っているのです。

お礼日時:2012/04/21 21:48

>>猫は脳の構造が人間とは違うし、赤ん坊はまだ形成されていない。


>答えになってない。
>アイデンティティがなくてもそれぞれの領域でちゃんと生きている。
だから「放棄したら楽」だという事にはならない。
猫は人間とは違う生き物。
赤ん坊は一人では生きていけない。
あんたの理論は最初から破綻している。

>貴方が虫呼ばわりするような存在ではない。
あんたの説に従うと「虫の様な存在になってしまう」だけの事。
本能だけで生きたいのなら、勝手にすればいい。

>みんながこのQ&Aを見ているよ。
そうだよ。
だから、このカテでデタラメな「宗教と哲学」とやらを振りかざすのも
迷惑だから止めてくれ。それだけだ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>だから「放棄したら楽」だという事にはならない。
>あんたの説に従うと「虫の様な存在になってしまう」だけの事。

嘘だと思うならやってみてください。
禅宗などの修行はそれを目指しているとのこと。

>だから、このカテでデタラメな「宗教と哲学」とやらを振りかざすのも迷惑だから止めてくれ。それだけだ。

貴方に私が説得できると本気で思っているのですか?
迷惑だと思うならシステム管理者に削除を要請したらいいでしょう。

お礼日時:2012/04/20 22:38

アイデンティティの放棄と云う言葉使いがおかしいと思います。



貴方が言いたいことは『世の中の見方を替える。』と言う意味と思います。他の言葉にするなら『認識を変える。』と云う事なのかと思います。

例えば世の中でうつ特有の認識を変えて、健常者のような見方を身に付けると言う意味と感じます。

ストレスをストレスと感じている見方から離れて、ストレスをストレスとしない人間性を身に付けるように変わる。と言う意味と思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

変えると言ってもどのように変えるつもりですか?

お礼日時:2012/04/20 22:27

>ほかの方の回答などを参考に。


はら、やっぱり自分じゃ何もしない。出来ないんだろ?
確かにあんたの説より、他の方々の回答の方が参考になるのは間違いない。
「私が質問を立てたからこういう回答が付いた」とか言い出しそうだけど。

>ちなみに貴方の猫も人間の赤ん坊もアイデンティティーは
>持ち合わせてないと思いますよ。
猫は脳の構造が人間とは違うし、赤ん坊はまだ形成されていない。

「虫と同じ」が気に食わないなら「人間性の放棄」でどうよ。
大差無いけどね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>確かにあんたの説より、他の方々の回答の方が参考になるのは間違いない。

ならそれで結構。
貴方はそれを参考にして自分を律してください。

>猫は脳の構造が人間とは違うし、赤ん坊はまだ形成されていない。

答えになってない。
アイデンティティがなくてもそれぞれの領域でちゃんと生きている。
貴方が虫呼ばわりするような存在ではない。

もっと言葉づかいをていねいにしなさい。
みんながこのQ&Aを見ているよ。

お礼日時:2012/04/20 20:25

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