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外国人に日本語を教えていますが、先日は「学校から駅まで、距離的に相当離れている」ことを表現する日本語に関して質問されました。
その人が「学校は駅まで遠いです」は正しいですかと聞いたので、私はそれでも意味が通じますが私自身は「学校から駅までは遠いです」という表現をよく使います、と返事しました。
するとその人の教科書(その国の大学院教授が執筆した)には「学校は駅に遠いです」「学校は駅から遠いです」が書いてあるけど、「まで」を使った表現が載っていないので聞いてみたと言っていました。
そこで質問です。私は「学校は駅に遠いです」に違和感を感じますが、これは私の考えすぎでしょうか。あわせて「学校は駅まで遠いです」「学校から駅までは遠いです」については、どうでしょうか。
その場では煮え切らない返事でお茶を濁してしまいましたが、できるだけ早く標準的な表現を教えてあげたいと思いますので、よろしくお願いします。

A 回答 (19件中1~10件)

まず簡単なトコから。



「~から」「~まで」は、起点・終点を示す格助詞で、裏表の関係です。

(1) 「AからBまでは遠いです」は、「起点がAで、終点はBで、その距離が遠い」です。
(2) 「AはBまで遠いです」は、終点Bを明確化することで、起点Aの明確化を省いた表現。
(3) 「AはBから遠いです」は、(2)の逆。

(1)が最も明確化することは言うまでも無いですが、(2),(3)も問題は無いです。

たとえば学校に居る状況で「駅は近いですか?」と尋ねられたら、「学校から駅までは~」「学校は駅までは~」です。

逆に、駅に居る状況で「学校は違いですか?」と尋ねられたら、「学校は駅からは~」です。

「どちらが正しいか?」と言う問題では無く、状況に応じ、起点・終点の関係で判断が必要と言うことです。


一方の「学校は駅に遠いです」は、まず起点・終点の関係や、現在位置などが不明確な表現となりますね。
たとえば学校や駅と関係の無い地点で、世間話し的に「アナタの学校は駅と近いの?」などと聞かれた場合の回答です。

ソコで問題が、質問者さんの違和感です。
正直、私も違和感を感じます。

「~に」は、広範に用いられる格助詞ですから、「『駅に遠い』は間違い!」との断言・断定は避けますが、「適切ではない」とは言わせて戴きましょう。

まず「駅に近い」は違和感は無いですよね?
それを考えますと、「地点」+格助詞「に」+「距離を表す形容詞」は用法として成立する様にも感じられます。

しかし「近い」と「遠い」で違和感があるんですよね。

その理由は、「駅に」における格助詞「に」は、「駅」を「基準」にすると言う用法なのです。
基準から「遠い」と言う用法だから、違和感が生じているのですよ。

「私は東京に住んでおり、スカイツリーに近いです。」は成立。
「私は東京に住んでおり、エッフェル塔に遠いです。」は不成立。

これで如何でしょうか?

エッフェル塔は「基準」にはならないので、「エッフェル塔は遠い」などですね。
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この回答へのお礼

私が待ち望んでいた文法的なご説明、ありがとうございました。
どうやら「基準」の意味が、これまで私が認識していたものとは違うようですね。「遠い」でも基準としての意味がありそうなものですが、それは屁理屈ということになるのでしょうか。
「正解にはほど遠い」「正解に近い」ならばいずれも違和感がないように思いますが、できましたらそれについてもご説明いただければ幸いです。

お礼日時:2012/06/02 15:31

辞書も引かないで「違和感をおぼえる」と言っても意味がない。

『大国』や類語辞典などを引こう。それら(のオンライン版利用権)も持たずに日本語を教えているのだろうか。……と、きつく言ってごめんね(間寛平)。私は自分の語感などあまり信用してなくて、数種類の辞書で確かめるようにしています。
結論からいうと、「駅に遠い」は文法的に間違いではなく、違和感が生じるのは意味的な衝突のゆえでしょう。
それでは、まず下記の質問をご覧ください。

「先生【を】呼びかけた」という表現は正しいでしょうか
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2748578.html

上記のGanymedeの手法により「"に遠い" site:aozora.gr.jp」を調べると、ご質問の「駅に近い」と類似の用例が少し見つかる。多くはないが僅少でもない。ことわざでも「東に近ければ西に遠し」というのがある。
一般に学者は典拠を重視する。また、ネイティブの日本語学者なら「現在の平均的な日本語感覚」も併せ持っているが、非ネイティブの日本語学者は必ずしもそうではないかもしれない。評価の定まった文豪による使用例を、重視するのかもしれない。
しかし日本語はわりと変化が激しく、上記の「を呼びかけた」でも、現在は違和感ありまくりなのだ。とは言え、昭和時代と今とで日本語文法が特に変わったわけではあるまい。

さて、いくつか例文を挙げてみる。
(a) 学校は駅に遠い。
(b) 学校は駅まで遠い。
(c) 学校から駅までは遠い。
(d) 学校は駅から遠い。
(e) 学校は駅に近い。

例文の(b)は違和感が少ない。(c)は全然違和感がない。
これについて類語辞典を引くと、「に」「まで」は到着点を表わし、さらに「まで」は「範囲」を表わす用法もあるという。例えば「30ページまで予習する」とは言うが、「30ページに予習する」とは言わない。
起点を表わす「から」を伴うと、起点から到着点までの範囲であることがいっそうはっきりする。それが(c)である。

また、(d)の「から」は起点を表わす。起点から離れていって学校に至り、それが遠いのであるから、意味的に衝突しない。(e)は、「に」が到着点(すなわち近付いていく目標)を指し、学校はそれに近いという叙述であるから、意味的に衝突しない。
しかし、(a)では「に」と「遠い」が意味的に逆方向を向いている嫌い(気味)がある。
なぜ、数十年前(の教養人士)は「に遠い」が OK だったのか。前述のことわざのように、文の結構を整える(善美を尽くして作る)ことが好まれていたせいかもしれない。今の私たちは、(意味的な衝突の危険を冒して)アクロバチックな美を追求するよりも、何とか意味内容を伝えるだけで精一杯である。
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この回答へのお礼

確かに言葉とは時代によって左右するものですね。私もそのことは知っていましたが、おかげさまでこれまでここ数年ないし十数年程度のことしか眼中になかったことに気づきました。
貴重なご回答、ありがとうございました。できましたら、下記の質問にも有効な回答をお寄せいただければ幸いです。(もちろん、他の方からのご回答もお待ちしています)
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7514635.html

お礼日時:2012/06/05 08:30

こちらこそ、再々のお礼ありがとうございました。



知らぬ間に・・・白熱してますね。(笑)

私自身はNo.17さんと同意見です。
引用なさっているURLは、私も愛用しています。
質問者さんも、非常に参考になると思いますよ。
この中でも「駅に近い」は例示されていますが、逆のパターンは無いですね。

しかし、格助詞「~に」の用法が広範であることと、No.13さんご指摘の様に、古語・文語で成立する実例が存在する点などにも考慮し、私は断定・断言は避けると共に、「誤用である」とまでは言うつもりも有りません。

しかし、少なくとも現代語において違和感が生じる原因は、充分に説明可能であり、質問者さんにもご理解戴けたとは思います。

現代語で「駅に遠い」は、他に位置関係や距離関係を判り易く示す、より適切な表現があり、その結果、現代の日本人の多くに支持されにくくなり、違和感が生じたのでしょう。
「余り好ましい表現とは言えない」とは言って良いかと思います。

言い換えますと、たとえば「源氏物語などにも登場する表現なので、現代口語でも充分に使用は可能」とは言えないと言うことです。
せいぜい「間違いとは言えない」「通用はするけど・・」まででは無いかと思います。

言語は進化・変化もしますし、特に日本語は、記号的な英語などと違い、感性も重要です。
現代日本人である質問者さんの感性で、違和感を感じる表現などは、何らかそれなりの理由や原因はあります。
理由や原因はさておき、「違和感」などの感性は大事にして下さい。

また日本語を教える場合、「目的」を明確になされば良いと思いますよ。
日常会話レベルを教える程度の目的なら、「『駅に遠い』は、厳密に間違いとは言えないものの、古語的・文語的には許容される」などとご指導なさるよりは、「私は何か違和感があるなぁ。間違いかどうかは別として、少なくとも今の日本人は、あまりそう言う表現はしないよ。」などの方が良いのでは?と思います。

あるいは、あまり「正確な日本語文法」などを心掛けちゃうと、未だに国語学者の中で論争されている様な部分の「深み」にはまっちゃう可能性も否定は出来ません。

誠に余談ですが、先のURLでさえ、体系的に詳述されており、非常に参考にはなりますが、その内容の全てが国語学的な統一見解と言うワケでもないのです。
あくまで考え方の参考・ヒントとして、質問者さんが理解・納得出来る範囲でご利用下さいね。

生徒さんには、ご質問の「標準的な表現を教えてあげたい」と言う目的に即し、お考え下さい。

それと悩んだ時は、まず「品詞分解」をなさってみることをお勧めしますよ。
「何の問題か?」が判れば、簡単に気付いたり、気付かなくても「何を調べたら良いか?」は明確になります。

今回は格助詞「~に」「~から」「~まで」の問題でした。
それぞれが持つ意味に即して考えたら、特に「~から」「~まで」の問題などは、さほど難問ではないですからね。
それぞれの格助詞が、何を格付けするのか?と考えたら、「あぁ、そうか!」となりますよ。
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この回答へのお礼

親身になってのご助言、ありがとうございました。「品詞分解」は念頭に置いているつもりですが、今回は表現の違和感が先に立つのあまり、検討不十分だったでしょうか。
私に質問した外国人には、ひとまずあなたの回答をベースにした回答と文語ならば問題ないという内容をあわせて返事しました。それならば、教科書を執筆した大学教授の面目も一応はたちますしね。
しかしその外国人は将来日本語を指導したいと言って、そのためにその国では必要とされている修士号を得るために大学院に入学していますので、あらためてNo.17さんの回答内容も整理してお伝えしたいと思います。
それにしてもここまで白熱してそれぞれに真摯な回答を寄せられると、ベストアンサーを選ぶのは頭が痛い難問ですね。ベストアンサーを選ばずに締め切るのももったいないですし、いつの間にか「準ベスト」を選ぶこともできなくなっているようですね。もうしばらく締め切らずに様子をうかがうことにしますが、最終的にベストに選ばれなかった方には申し訳ありませんが、お許しください。

お礼日時:2012/06/04 12:57

「学校は駅に近い」という場合の<ニ>格は、その場所=駅を基準にして、目標とされる学校との距離が近い場所であることを表します。

動詞文ではその動作の向かう目標・対象を示すこの<ニ>格ですので、感情や状態が表象される形容詞文においては、対象への近接の情意が混じってきてしまいます。
・机に置く/隣に座る/上に登る/親に似る/海に近い…

そのため距離的に遠い場合には、このような近接の<ニ>格では不自然になります。
どうしてもこの<ニ格>を用いる場合には、はっきりと否定文にします。

・机に置かない/隣に座らない/上に登らない/親に(は)似ない/海に近くはない…

したがって一般には、
・学校は駅に近く(は)ない。
   ↓
または<ト>格や<ノ>格で、
・学校は駅と近くはない。
・学校は駅の近くではない。
   ↓   
・学校は駅と(は)だいぶ離れている。
   ↓
これにカラ格を用いれば、
学校は駅からかなり離れている。
   ↓
・学校は駅から遠い。(起点が駅)
・学校から駅までは遠い。(起点が学校)

参照:「形容詞文」3.6.4 「Nから」
http://www.geocities.jp/niwasaburoo/03keiyousi.h …

ところで、発端となった「学校から駅まで、距離的に相当離れている」意味の表現は一般に次の通りでしょう。
・学校は駅から相当離れている。
どうしても形容詞「遠い」を入れるならば、
・学校は、駅からはるかに遠い所にある。
・学校と駅は、(お互いに)とても遠い位置にある。
・学校と駅との距離は、とても遠い。

つまり、本来名詞文の「同定文(A=B)」としてその形容詞の後に名詞(形式名詞でも)をおくか、話題の対象(この場合の「学校と駅との距離」)そのものを立てて、その形容文とすることが納まりやすいでしょう。
今回の例では本来動詞文として使われるのに向いている起点格(カラ)や着点格(マデ/ニ)の用法を、そのような動作性のない形容詞文に当て嵌めたため不明瞭を来たしやすかったと考えてはいかがでしょう。
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この回答へのお礼

本格的な文法説明、ありがとうございました。何気なく使っていた文ですが、こんな理論がその背景にあったのですね。おかげさまで完全に納得できました。
正直申して私にはこんな理論を外国人に説明することはできませんし、外国人にこのまま説明しても専門的すぎて容易にはわかってもらえないと思います。だからこれをアレンジしてわかりやすく説明せざるを得ないでしょうが、日本語を指導する者としてはこういう知識を備えているべきだと思います。
実際に外国人に説明する際は、他の回答をベースにさせていただく失礼をお許しください。
それにしても、ご紹介いただいたサイトはすごいですね。

お礼日時:2012/06/03 20:19

ご回答とそれに対するご対応など、非常に真摯であり、白熱していて大変勉強になりました。



実は、私、「駅に遠い」という用法に全く違和感を感じずにおりましたので、多くの人が違和感を覚えているとおっしゃる中、少数派の自分としては、何故なんだと、ご回答を遠慮しつつ、ただ、その理由を考慮中でしたが、ご回答の中に、文語の話が出てきて、ああ、そうかと納得しました。私、国文科卒であったと思い出し、みっちりと古典文学・文法でシゴかれていた暗い過去が蘇えったのでした。

で、つらつら思いますのに、起点とか、基準という言葉は、これまでのご回答の中に散見しましたが、私は、「基点」が宜しいように思います。

「に」が「から」と同様に、存在や出現の「基点」と考えれば、「学校は駅に遠いです」とは、駅を基点にした用法ということなのです。地域の中で場所さえ知らぬ者がいるかも知れない学校より、公共性の高い駅というものを基点にするのは極く自然なことなのです。私的なことの優先順位を下げ、公的なことを優先するのは大人としての態度でもありましょうか。

また、「駅に近い」がOKなら「駅に遠い」もOKとするのが文法的解釈というもののような気が致します。

皆様のご意見を参考にしまして、私なりの結論は、以上のようになりました。
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この回答へのお礼

なるほど「基点」ですか。ご回答、ありがとうございました。
言われてみると、ときには文法的な解釈と日常的に使われている言葉とは、ずれが生じる場合もあるようですね。
それにしても、私としてはNo.10とNo.11の回答ですっかり納得していたのですが、その時点で締め切らなくて本当に良かったと思います。皆様方のおかげで、いい勉強になりました。

お礼日時:2012/06/03 11:17

「学校は駅に遠い」という言い方は間違いではないが、なんか


ひじょーに古語っぽい」という No.13 さんの説には、ひじょーに納得しました。
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この回答へのお礼

同感です。古語に変換して考えると、すんなり理解できますね。

お礼日時:2012/06/03 00:11

仮に僕がドイツ語を学習中だとしたら、


ドイツ人ネイティブの意見を、ものすごく重視すると思います。

「『ホニャララ・カクカクット・シカジカマイゼン』って変?」
「ウーン・フツウハ、イワナイネ。イミハ、ワカルケドネ」
「なんで言わないの?」
「サア・・・」
「ドイツ語で、普通はなんて言うの?」
「『ホニャラッチャ・ウント・シュトゥルムマイゼン』カナ」
「あー、そうなんだ。わかったー」

もうこれで、じゅうぶん感謝します。

「学校は駅に遠いです」が何故おかしいのか、大半の日本人がわからないのですから、
「理由はわからんけど、日本人からすると、なんかおかしいような気がする」でじゅうぶんだと、
僕なら思います。(「じゅうぶん」は言い過ぎかも知れませんが)
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この回答へのお礼

ご意見、ありがとうございました。正直申してそれで納得してもらえれば一番楽なことですし、赤ちゃんが母語を覚えるときは文法理論なんかじゃないですよね。しかし大人になるとなかなかそうはいきません。やはり理論的に説明しなければ気が済まない人が多いのが「大人向けの言語学習」でもあるのです(実は私もそのタイプですが)。
そこが苦労のしどころなので、このような場所で相談しています。

お礼日時:2012/06/03 00:08

「~に遠い」は,文語では普通にみられる言い方です。


「学校は駅に遠し」と文語にしてみると違和感ないでしょう?

・道は人に遠からず、人の道をなして人に遠きは、もって道となすべからず。(論語)
・西の間に遠かりけるを,(源氏物語,玉鬘)
・雨の日や都に遠きもものやど(蕪村)

その教科書を書いた教授は,日本の文学にも詳しい方なのかもしれませんね。

ただし,現代では,短歌や俳句などの文語文を作る場合ならともかく,口語による日常会話の場面では,ほとんどの日本人が違和感をもつはずです。
しかし,その理由を文法的に説明しようとしても無理です。
なにしろ,もともとは正しい言い方なんですから。
せいぜい,現代では「~から」「~まで」のような別の助詞と組み合わせる言い方が一般的になったから,というくらいしか言えません。
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この回答へのお礼

なるほど、文語表現については全く考え付きませんでした。新しい角度からのご回答、ありがとうございました。
外国人に対しては、現代語的な文法説明をせざるを得ません。それについしては、何とか奮闘してみたいと思います。

お礼日時:2012/06/02 23:24

「学校は駅[○から/○まで/○に]近い」


「学校は駅[○から/○まで/×に]遠い」
の理由について、いろいろ調べてみましたが、ズバリ説明されている文献を見つけられませんでした。
ただ、「×に遠い」である理由は、学校と駅との距離が問題になっているので起点の「から」や着点の「まで」が使用されるのであり、「存在する場所」を表す「に」は関係ないのかな、と思いました。
「○に近い」の方は、すみません、考えつきません。
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この回答へのお礼

必死に検索いただいたご様子ですね。ありがとうございました。他の方の回答とも合わせて、参考にさせていただきます。
また新たな質問をさせていただくこともあろうかと思いますが、その際もまたよろしくお願いします。

お礼日時:2012/06/02 19:45

> 「遠い」でも基準としての意味がありそうなものですが、それは屁理屈ということになるのでしょうか。



従い、断言・断定は避けました。
専門カテでは、時々、お偉い方がうるさいので。(苦笑)

基本は、あくまで違和感の発生メカニズムだけをご理解戴く主旨です。

主題である「学校」を語る上で、格助詞「に」によって基準化された地点「駅」が、「遠い」と言う形容されることに対する違和感ですね。

あるいは、「遠い」地点である「駅」を基準としている点に違和感があると言う方が、判り易いかな?


> 「正解にはほど遠い」「正解に近い」ならばいずれも違和感がないように思いますが、

これは「~に」の文章とは、少し(かなり?)別の構造になります。
まず「正解にはほど遠い」は省略文ですね。
正確には「Aは Bには ほど遠い」と言う様な文章になるハズなんですよ。
たとえば「アナタの考えは、正解には~」みたいな文です。

なぜならば、「~には」は、「対比」の構文だからです。
「正解」と対比されるべき「アナタの考え」などが必要になります。

原形は「~は、~は」と言う文章で、後者の「~は」に、基準の「に」が加えれた文章です。

「国語には自信がある」と言う省略文ですと、国語以外の「何か」は、暗に自信が無いことを示します。
「国語」を「何か」と対比しているワケです。

「に」+「は」の場合、対比のニュアンスを加え、「(アナタの考えは)正解と言う基準と比べると、ほど遠い」と言う様な意味合いであり、成立するんですよ。
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この回答へのお礼

追加質問に対しても迅速にご回答いただき、ありがとうございました。
なるほど、「遠い」地点である「駅」を基準としている点に違和感をおぼえるのですね。
「対比」の構文のご説明、ありがとうございました。私はこんな質問をしているくらいですから、「国語には自信がある」と言える「状態にはほど遠い」ようですね(笑)

お礼日時:2012/06/02 18:41

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