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最近70年代タツノコプロのアニメに興味を持ち始めヤッターマンのキャラクターデザインを担当したのが天野喜孝と知りました

??え?天野喜孝?あの「吸血鬼ハンターD」の天野喜孝!?

テッカマン ガッチャマンのキャラクターデザインも天野喜孝なんだそうですが70年代タツノコ作品特有の無国籍的なカラフルでスタイリッシュなキャラクターと天野喜孝の画風がどうしても結びつきません

この件について詳しい方ご回答お願いします

A 回答 (5件)

十年くらい前に,版画の展示即売会で,ガッチャマンとドロンジョ、吸血鬼ハンターDの版画を売っているのを見ました。


年を取れば画風も変わるし,アニメと挿絵では画風を変えても当然でしょう。
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天野喜孝がタツノコプロを辞めたのは自分の描きたいキャラクターを修正されて思う様に描けなかったから。



タツノコプロに育てて頂いた感謝の気持ちを込めて個展で発表した。

その後、陶芸に興味を持ち絵皿とか作成してます。
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No.3ですが、追記。



タツノコプロに入社したのが15歳から16歳ですから、中学卒業で入社したと思われます。
その歳からタツノコプロでアニメ制作に関わったわけですから、あのキャラデザになったのも自然でしょう。
タイムボカンのキャラデザは22~23歳頃。
その後もしばらくはタツノコプロで仕事をし、独立して今の画風になったのですね。
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> この件について詳しい方ご回答お願いします


天野喜孝はタツノコプロに入社。
当時はまだ何の実績も無いのに天才肌で他の社員から、悪い意味で浮いた存在であったそうです。
ただ、社長がその才能を生かしたいと思い、時間をやるからその間は出社しなくてもいいので、タイムボカンのキャラクターデザインをやれと命令し、出来上がったのがあのキャラだったということです。
あのシリーズのヒットによって社内での立場が強化され、才能の開花につながったものと思われます。
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私の場合は逆にタツノコアニメの画風に慣れていたから、「吸血鬼ハンターD」のイラストを見た時に違和感を感じましたよ。



画風が変わる作家はよくいますが、天野喜孝さんの場合は振れ幅が大き過ぎたような感じがします。
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