プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

高校生の頃に鬱を患い、それ以来通院生活をしています。
回復と悪化の繰り返しで出口が見えず、この先を生きていく自信を無くして自暴自棄になっていました。

そんな時、知人が最悪死に至る重い病気(癌)にかかってしまいました。
彼もまた、回復と悪化の繰り返しですごく落ち込んでいて、声もかけづらいです。
彼に同情し、なんとか元気づけてあげたいと思う一方で、
普段から「死にたい」と思っていて時に口に出してしまうし、自殺も考えたりもする自分が軽薄に感じ、自己嫌悪に陥ってまた精神状態が悪化していくという状況に陥ってしまいました。
自分の悩みや、不安や、「もういっそ死んで楽になりたい」という思いは確かにあるのに、やっぱり生きたいのに死の恐怖に晒される人を前にするとなんだか自分のそれがとても軽いものに思えて、それに苦しめられて10年を過ごしてきた自分自身の人生の価値も低い気がしてしまいます。
いっそ「命をあげられたらいいのにな」と無意味なことも考えてしまいます。
傍から見れば命を奪う重い病気にかかってしまった人に比べれば、自分はとても甘えた人間に見えると思います。
自分にとって一番大きな悩みも、身体的な病気の前ではとてもちっぽけな事なのでは?と思う反面、やっぱり自分が苦しいのには変わりはなく、なんだか頭が混乱して精神的に疲弊してきています。

こういう状況下では、どう気持ちの落とし所を見つけるのが良いでしょうか?
知恵をお貸し頂けたら助かります。

A 回答 (4件)

比較級じゃないんだよね?


貴方のしんどさは貴方のしんどさだよ。
貴方の10年来のしんどさは貴方にしかわからない。
貴方はまだ、
自分と上手く付き合い切れていないと思っているのかもしれない。
でも、
貴方「なり」には付き合ってきているんだよ。
それが波の大小はあれ、
貴方なりに過ごしてきたこの10年なんだよ?
確かに比較級の中で自分を見つめる事で、
自分自身が狭く狭くなりかけている事に「気づく」事は出来るんだよ。
ガンにかかったお友達の現実がある。
不安定慣れしている自分(貴方)にとっては、
割と使いやすい範囲に「死」という言葉がある。
でも、
そのお友達の現実を通してみると、
「死」という言葉が違った伝わり方をしてくる。
死にたい、死にたくない。
自分で「死」に対して距離を取れるのはまだ良い方。
お友達の状態で言うなら、
自分の心の準備とは関係無く、
病気「が」自分に対してどんどん迫りくるような恐怖がある。
自分のスペースを知らないうちに内側から侵食していく怖さ。
貴方のうつによる不安定やしんどさにも個性がある。
対してそのお友達が今、
自分の病状、自分自身の心身のアップダウンの中で、
不安定に過ごしている状態にもやっぱり個性があるんだよ。
しんどい、というキーワードでは共通かもしれないけれど。
お互いに「違う」んだよね?
違うものを、
ただ比較級にして重ねて捉えようとしても何も出ないんじゃない?
自分で書いているじゃない?
私が苦しいのに変わりは無い、と。
本当にそうなんだよ。
貴方のしんどさは貴方のしんどさ。個性ある貴方のしんどさ。
個性があるからこそ、
今までの闘病の歴史も含めて、
丁寧に自分自身と向き合ってあげる必要があるんだよね?
闘病にハッキリとした出口があるのかどうかは分からない。
不安定な自分との付き合いって今後も続いていく。
ただ、
いつの間にか不安定な自分「なり」に動ける部分が増えてきたり、
波の高低に飲み込まれ難くなって来たり、
自分の不安定の傾向がよりハッキリと掴めてきたり。
急に劇的に何かが見える、と言うよりも。
小さな変化の積み重ねが、
いつの間にか少しずつでも貴方を導いていく力を持っていく。
おそらく貴方はそういう風に浮上していくんじゃない?
貴方は不安定の経験者として。
貴方なりにどういう風に「今」と折り合ってきたのか?
折り合えない時期はどういう風に過ごしていたのか?
彼を強くフォローする立場よりも、
貴方も「同じ」不安定の中で日々を過ごす人間として。
貴方なりに考えて繋がってあげればいいんじゃない?
元気づける、という「軸」のあるスタンスまでは要らない。
自分の為の力もしっかりと残しておく。
その上で、
出来る事があるなら考えていけば良い。
出来る事ってその時その時の自分によっても違うでしょ?
一気に背負わない事。
貴方は貴方。
これからも、
貴方「なり」の言葉掛けなり、シェアをしてあげればいいんじゃない?
自分に対しても、そのお友達に対しても。
丁寧な眼差しを忘れずにね☆
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この回答へのお礼

仰る通りで、彼にしてみれば「死が近付いてくる」恐怖なんですよね。
一方で自分は「死に足が向いてしまう」「死と目が合ってしまう」恐怖というか不安という感じです。
比較するものではないなと頭では理解しているんですけどね…。
なんだか自分の思う「死」がとても軽く…そう人からは見えるだろうな、つまりはやっぱり誰にも理解はして貰えないだろうなっていう諦めに繋がって行ってしまうのが辛いです。
やっぱり生きたいと思っている人の方が多いでしょうから。

>元気づける、という「軸」のあるスタンスまでは要らない。

今の自分はとても不安定で苦しい状態なので、何も言う資格はないな、とただ黙っていたのですが、それがちょっと罪悪感でもあったのでそのお言葉は少し気が楽になりました。


ご丁寧な回答、ありがとうございました。

お礼日時:2012/07/15 17:25

人は失ったものには未練が残ります。

一方ふんだんに与えられているものは粗末にしたりします。命はその典型です。歳をとって初めて生きていることがありがたいように思える人がほとんどです。死を覚悟しなければならない状態になると、人は生きていることを尊いと思うのが普通です。でもそういう状態から脱すると生きていることが特別喜ばしいことでもないように感じたりします。やはり今自分に与えられているものを大切にするということが一番よい方法のように思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

今の自分はただ普通に生活して息をするだけでも辛くて生きているのが本当に嫌になる瞬間が多々あります。
癌の彼は「“死にたい”ってよく言う人がいるけど、自分は生きたくてたまらないからそういう人の気持ちが分からない」と以前言っていました。
自分が責められているような、恥ずかしいような気分になりました。
と、同時に、わかり合えないんだなと悲しくもなり。

>やはり今自分に与えられているものを大切にするということが一番よい方法のように思います。

自分でも他人に対してはそう思うのですが、なかなか自分ではそれを実感できないのが現状です…。
あまり自分の命に重みを感じられないというか、ある意味では足かせや鎖のように重苦しいのですが。

お礼日時:2012/07/15 17:31

貴方がやることは1つだよ、自分の病気を治す、


自分の病気に向き合う。薬で変わらないなら、
心理療法とか他の手段を考える。
しっかり自分の病気と向き合って。
質問者様には友人の病気の辛さはわからないけど、
逆に友人は質問者様の病気の辛さや生きづらさは
わからない。
最終的には他人にはなることは出来ないんだから、
過剰に考えれば考えるほど不毛になるし混乱もする。
友人をそこまで大切に思うのはよいことだと思う。
ただ実際、友人に何が出来るかというと、
身代わりになってあげることはできないし、
医療費を払ってあげることも出来ない。
でも出来ることもあって、それは御見舞いにいくこと。
それが出来れば貴方が出来る精一杯の役割は果たした、ということ。
それだけで十分だよ、そんな自分を褒めてあげて。
友人は友人で親御さんがしっかり面倒見ている。
貴方のやることは自分の病気に向き合うことだよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

自分の病気と向き合うのに疲れ、諦めムードになっていたここ最近に起こった出来事なので、混乱してしまいました。
他人になることは出来ないので、それぞれの生と死は別のものだとは思うのですが、自分としては自分の知り合いにはなるべく自分より早く死んで欲しくなくて、命を交換したい…なんて無意味な考えが巡ってしまいました。
住んでいる場所が離れているので御見舞いは難しそうなのですが、何か気負いすぎない言葉がかけたかったんです。
それは自分が安心したいが為かもしれませんね…。

自分の病気に向き合うこと。それが大事というのは仰る通りだと思います。
他人の生死とすり替えて逃避しようとしてたのかもしれませんね僕は…。

お礼日時:2012/07/15 17:36

私もここ6年程、うつ病の良い悪いのスパイラルに入っています。

(一応働けるまでに回復しました)
自殺願望を持つ事は、うつ病で重篤になった人は大抵思っていますよ。
知人の方の癌と比べて命の重さを知れただけでも前進してると思いますよ。
理由はどうであれ、命に、重いも軽いも無いです。死は必然的に迎えがやってきます。まず、命を大切にすることが、生きる事がすごく意味のある事なんですよね。
私も、うつ病重篤時、自殺考えました。離婚はしましたが、妻や子供たち、両親等々の事を考えると、命を粗末にしてはいけないと我に返りました。うつ病の苦しみから自殺を選ばれる方もみえます。自殺は基本計画的にはやらないです。むしろ衝動的。
私の経験談ですが、自殺したくなったら、30分、布団に包まってとにかく深呼吸しました。何度もそうやってセーブしてきましたね。遺書まで書いた事もあります。
癌>うつ。病気そのもので言えばそうかもしれません。病に犯されやむ終えず亡くなっていくのと、自分で命を絶つの違いは確かにあります。
ですが、生きられる事の確立を考えましょう。その観点で行けば、癌<うつですよね。
軽薄だなんて思わないことですよ。過去の思いや、思ってしまった自分を責めるのは駄目ですよ。うつ病の人は加速は出来ないですが徐々に前進する、直す(焦らない)気持ちを持つ事が、うつ病から抜け出す方法の一つ。病は気から・・・現実は、セロトニン分泌障害なんですがね。
他人のことを思える事はすばらしいですが、自分ありきなんですよね。回復したら本当の意味で命を大事にしない人の手助けをしてあげてほしいな。
前向きですよ。ただし自分のペースで疲れないペースで。
生きましょうよ、自分を責めないでくださいね。
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この回答へのお礼

回答者様も長期の鬱だそうで、その苦しみはよく理解できます。

>まず、命を大切にすることが、生きる事がすごく意味のある事なんですよね。

その通りですね…何故そんな当たり前のことなのに時にそれを放棄してしまいたくなってしまうんだろう?と自分でもわからなくなる時があります。
遺書を書いて、多量の酒と薬を摂取して、正気じゃない状態で屋上に上がるところまではしました。
でも4階なのでこっからじゃ死なないだろ…と途端に冷静になって冷めてしまいました。

癌>鬱
世間的に見れば大多数の人がそう言う認識でしょうし、自分でもそう思います。
待つ死と自ら近付いていく死 という印象で捉えられるでしょうし。

> 軽薄だなんて思わないことですよ。過去の思いや、思ってしまった自分を責めるのは駄目ですよ。

今は自分にとってそれがさらなる自己嫌悪の重荷となっているのでどうにかしたいと思っています。
焦りに支配されそうになるので、必死に抵抗はしています。

>他人のことを思える事はすばらしいですが、自分ありきなんですよね。回復したら本当の意味で命を大事にしない人の手助けをしてあげてほしいな。
>前向きですよ。ただし自分のペースで疲れないペースで。
>生きましょうよ、自分を責めないでくださいね。

もし自分の鬱が回復することがあれば、同じように苦しんでいる人の手助けが出来るようになれたらいいなと考えています。
今はまだ、「殺人は絶対駄目だけど、本当に生きてるのが苦しかったら自殺を絶対駄目だとは言えない」くらいのスタンスなので…。
できれば他人には生きてて欲しいです。
温かいお言葉、有り難うございます。

お礼日時:2012/07/15 17:47

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